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週刊スモールトーク (第394話) 火刑の歴史(3)~異端審問~

カテゴリ : 思想歴史社会

2018.05.06

火刑の歴史(3)~異端審問~

■宗教裁判と魔女裁判

人類の歴史は残虐行為でいっぱいだ。

その凄まじさは「極刑」が雄弁に物語る。

よくもこんな、残酷な方法を思いつくものだ、と感心する。その「創意工夫」が夢の原子力を産んだのだ・・・といわれればそれまでだが。

ただし、原子力は、街を明るくするが、灰にすることもできる。

人間にとってもっとも重い罰は、命を奪われること、それが極刑だ。ところが、近代以前の極刑は、命を奪うことが目的ではなく、苦痛を味わわせるため・・・としか思えない。

ギロチンはまだいい方だ。パリ国立図書蔵の書物に恐ろしい刑が描かれている。フランスのギーズ公を暗殺したポルトゥロ・デ・メールの処刑シーンだ。両手両足が、それぞれ馬にひかれている。4馬がムチうたれれば、四本の手足が対角線上に引き裂かれる寸法だ。これを「四つ裂き刑」という。

怖ろしい・・・でも、もっと怖ろしい刑がある。「火刑」だ。

火にあぶられながら、数分間生きるのだから、この世の生き地獄。体験はもちろん、想像もしたくない、は当然として、「直接の死因」が気になるところだ。

ほとんどが、煙による窒息死か、ショック死らしい。火にあぶられて、ショック死?

一体どんなショックなのだ!

神も仏もない・・・

ところが、興味い深いことに、その「神」が火刑にからんでいるのだ。火刑の多くは「宗教裁判」と「魔女裁判」で執行されたから。

どちらも、キリスト教?

イエス、キリスト!(シャレてるわけではない)

ただし、話は単純ではない。

まず、「宗教裁判」にかけられるのはキリスト教徒のみ。信者でありながら、教義に従わないのだから、当然だろう。でも、一つ問題が・・・極刑が「破門」ではなく「死刑(火刑)」なのだ。

そもそも、宗教裁判は国法をよりどころにしていない。裁判を管轄するのは国家ではなく、キリスト教会なのだ。つまり、宗教裁判は超法規的措置なのである。

一方、「魔女裁判」が裁くのは魔女・魔法使い。神に背き、サタンを崇拝する連中なのだから、非キリスト教徒だ。

つまり、宗教裁判が裁くのはキリスト教徒、魔女裁判が裁くのは非キリスト教徒。ココが大きな違い、と知ったかぶりするところだが、裁くのはどっちもキリスト教会。だから、ビミョーなのである。

じつは、キリスト教ほど「異端」の多い宗教はない。

なぜか?

キリスト教会が、率先して異端をつくりだしたから。そのために、「制度」までつくられている。それが悪名高い「異端審問」だ。

異端審問の拠点となったのが「異端審問所」、異端を専門に裁く裁判所である。管轄は政府ではなくキリスト教会なので、国法にかわるルールが必要だ。それが「贖罪規定書」・・・異端審問のルールブックである。

■異端のルールブック

贖罪規定書は、中世以降、ヨーロッパでたくさん作られた。

たとえば、1012年にヴォルムス司教ブルヒャルトが作った贖罪規定書・・・

「お前は聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊(せいれい)を信ずるか、この三者が一つの神であることを信ずるか」(※1)

いわゆる「三位一体」説である。聖父は神、聖子はイエスをさす。ここで重要なのは、

聖父+聖子+聖霊=神(3つの位格が合体して神になる)

ではなく、

聖父=聖子=聖霊=神(3つの位格が単独で神になる)

ただし、3つの神ではなく、一つの神(唯一神)・・・

意味がわからんぞ?なんて言ってると、「異端者」として火あぶりですよ!(キリスト教徒でなければ大丈夫)

TVや映画で、キリスト教徒が十字を切るシーンがあるが、そのとき口にするのが「父と子と聖霊の御名によりて、アーメン」。つまり、「三位一体」はキリスト教の教義の根本なのである。

規定はまだある・・・

「お前は魔術師に相談したり、魔術師を家に招き、何らかの魔術を求めたり、災難を防ごうとしたことがあるか。あるいは異教の慣習に従って占い師を家に招き、占いによって未来を予言したり、卜占を行って呪文を唱えさせたりしたことがあるか。そうしたことがあったなら、祭日に2年間の贖罪を果たさねばならない」(※1)

魔術と占いが全面否定されている。ただし、だまされる方(キリスト教徒)は罰せられるが、だます方(魔女・占い師)は裁かれない。ところが、13世紀になると、「異端」の範囲が、魔女・占い師にまで広がる。魔女狩り(魔女裁判)の領域に踏み込んだのである。

さらに・・・

「お前は、例えば四大元素、月や太陽や星の動き、朔日と月の蝕などを崇拝せねばならないか。お前は叫び声をあげて、お前の力で月の輝きを回復させることができ、またこれらの四大元素がお前を助けることができると信じ、家を建てたり、結婚するときにも月齢を観察しなければならないと考えているか、もしそうであるなら、すでに示した祭日に、2年間の贖罪をしなければならない」(※1)

半分笑えるが、真面目に「自然崇拝」を禁じている。太陽・月の崇拝はナットクだが、「吉日」もダメ?

「吉日」は占いのたぐいで、自然崇拝の一つだから。

じつは、キリスト教は「迷信」を嫌う。ある意味、科学的なのだ。スコラ哲学の影響があるのかもしれない。スコラ哲学とは、聖書を「理詰め」で学問する一手法で、11世紀以降確立された。次々と現れる「異端」に対抗するために、理論武装が必要だったのだろう。

というわけで、キリスト教会は、異端審問を使って、異端者を次々と罰していった。今からは想像もつかないほど徹底的に

ウンベルト・エーコ原作の映画「薔薇の名前」がそれを物語る。北イタリアのカトリック修道院でおきた怪事件、そこに登場する修道士ベルナール・ギー・・・一度疑いをもったら、相手が誰であれ、あの手この手で、異端にもちこんで、火あぶり。どっちが悪魔かわからない。

ちなみに、ベルナール・ギーは14世紀に実在した人物で、悪名高い異端審問官として知られている。

■異端審問

キリスト教異端は、古代ローマの時代から存在した。まずはアリウス派、つぎにネストリウス派。ともに、追放、弾圧の憂き目にあっている。「憂(うれ)い」どころではないのだが。

「アリウス派」は次のように主張した。もし、「子なるイエス」が「父なる神」に創造された被造物であるなら、存在しなかった時があるはずで、無限の存在である「父なる神」と同質ではない。ゆえに、「子なるキリスト」は創造者「父なる神」より劣る。これを「非相似(アノモイオス)」という。

ところが、キリスト教正統派の教えでは「子なるイエス」と「父なる神」は同格である。これを「相似(ホモイオス)」という。

一方、イエスと神は「ほぼ」同格という「相似本質(ホモイウシオス)」というのもあった(半アリウス派?)。

仏教徒にしてみれば、どっちでもいいのだが、正統派にとっては、アリウス派も半アリウス派も大異端!

ではなぜ、正統派はイエスと神の同格にこだわったのか?

「父なる神」と「子なるイエス」が異質の存在となると、別々の神格ということになり、三位一体論が崩れ、キリスト教は多神教になってしまうから。気難しいスコラ哲学の臭いがプンプンする。

一方、「ネストリウス派」の主張は、子なるイエスは神性のみ有する(単性説)。ところが、キリスト教正統派の教えによれば、イエスは人性と神性をもつ(両性説)。ゆえに、ネストリウス派も異端。ちなみに、中国に伝わったネストリウス派は「景教」とよばれた。

というわけで、キリスト教の教義は、「三位一体論(位格)」と「キリスト論(単性か両性か)」が根本にある。もちろん、正統派に反するものは異端、これは各教派に共通する。ところが、やり方が違った。

東方正教会(ギリシャ正教会)やプロテスタント教派は、異端に対して寛大だった。ところが、カトリック教派は、裁きを制度化し、徹底的に取り締まった。そもそも、「異端審問」はカトリック教派の専売特許だったのである。

「異端審問」の急先鋒がスペインだった。15世紀、スペインはカトリック教派の盟主たらんとしていた。それを牽引していたのが、フェルナンドとイサベルである。

1469年、カスティリャ王国のイサベルと、アラゴン王国のフェルナンドが結婚した。イベリア半島で、強大なカトリック教国が誕生したのである。

この2人は、敬虔なカトリック教徒だった。そして、カトリック教派の庇護者を自認していた。結果、恐ろしい宗教弾圧がおきる。自国(スペイン)から、異教徒(「異端」ではない)を追い出したのである。

イサベルは、ローマ教皇の認可を得て、カスティリャに異端審問所を設立した。そこを拠点に、ユダヤ人やイスラム教徒の根絶をもくろむ。彼らの多くはコンべルソ(カトリックに改宗した者)だったが、偽りだというのだ。

さらに、ローマ教皇シクストゥス4世は、フェルナンドが支配するアラゴンに異端審問所を設置することを認めた。もちろん、黒幕はフェルナンドである。

こうして、スペインで悪名高い「異端審問」がはじまった。キリスト教異端だけでなく、ユダヤ教徒やイスラム教徒も国外に追放されたのである。

ところで、お気づきだろうか?

スペインの異端審問を主導したのが、「教会」ではなく「国王」であること。じつは、スペインの異端審問所は「王立」だったのである。

異端審問に「悪名高い」という枕詞がつくのは理由がある。

訴えは密告にもとづくことが多かった。しかも、自白を引き出すために拷問まで行われた。当然公にはできない。そのため、審議は非公開とされた。

さらに、異端と宣告された者は、「アウトダフェ(信仰の行い)」の儀式として、大勢の民衆の前で火刑に処せられた。火あぶりの刑が儀式?カルトの臭いがするが、現実的・実利的側面もあった。犠牲者の財産は没収の上、王家・異端審問所・密告者に分配されたのである(※2)。

ところが、スペイン王家はこれを神から授かった使命と信じた。1569年、スペイン王フィリペ2世はこう言っている。

「異端審問所がなければ、我々は嘆かわしい状況にあっただろう」

異端審問は、「価値観の相違」というたわいもないことを、罪におきかえ、「火あぶり」にする、という人間の妄想癖と残虐性をあぶりだしている。

《つづく》

参考文献:
※1:週刊朝日百科世界の歴史52、朝日新聞社出版
※2:世界の歴史を変えた日1001、ピーターファータド(編集),荒井理子(翻訳),中村安子(翻訳),真田由美子(翻訳),藤村奈緒美(翻訳)出版社ゆまに書房

by R.B

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