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週刊スモールトーク (第392話) 火刑の歴史(1)~魔女狩り~

カテゴリ : 歴史社会

2018.04.08

火刑の歴史(1)~魔女狩り~

■絞首刑か火刑か?

絞首刑か火刑か・・・究極の選択を迫られた男がいる。インカ帝国のラストエンペラー、アタワルパだ。

絞首刑は、文字どおり首が絞まるから、窒息死。一方、火刑は火あぶりなので、焼死。ちなみに、「火刑」は「焚刑(ふんけい)」ともいうが、そこは重要ではない。

ところで、こんな夢も希望もない選択を迫られたインカ皇帝アタワルパは、どっち選んだのか?

絞首刑。

ただし、西部劇のように、絞首台のロープで吊るされるのではない。「鉄環絞首刑(ガロテ)」・・・なんとも不吉な響きだ。イスに固定され、鉄の環で首を締めあげるのである。ジワジワやれば拷問の道具にもなる?

はい。

拷問と処刑を兼ねる便利な?道具なのだ。そのため、発祥の地、スペインでは1974年まで使われたという。ちなみに、アタワルパを処刑したフランシスコ・ピサロは、スペインのコンキスタドール(征服者)なので、ナットク。

ところで、アタワルパはなぜ、絞首刑を選んだのか?

インカ帝国では、焼死すると、魂は転生できない(生まれ変われない)と信じられていたから。

このときの経緯は、詳細な記録が残っている。

19世紀、アメリカの歴史学者W.H.プレスコットが著した「ペルー征服」だ。「インカ帝国」モノでは最も権威があるとされる。

それによれば・・・

皇帝アタワルパは、はじめ「火刑」を宣告された。

ところが、ピサロ探検隊の従軍神父のバルベルデが、アタワルパにすり寄って、こうささやいた。

「キリスト教に改宗するなら、火刑はやめて、絞首刑にしてあげるよ」

そこで、皇帝アタワルパはキリスト教への改宗を選んだ。そして、洗礼を受け、とってつけたような洗礼名「フランシスコ・アタワルパ」をもらい、鉄環絞首刑台の露と消えたのである。

つまり、こういうこと。

皇帝アタワルパは、転生の願いが叶い、鉄環絞首刑(ガロテ)へ。バルベルデ神父は信者を一人増やして鼻高々、われに神の祝福あれ。死刑を命じたピサロは「部屋1杯分」の金と、「部屋2杯分」の銀をゲットし、大金持ちに・・・読み書きもできなかった男がである。

というわけで、3者ウィン・ウィン・ウィン。

ヘンな話だが、本当?

たぶん、本当だろう。

ピサロ探検隊のフランシスコ・デ・へレスとペドロ・ピサロも、「アタワルパの処刑は絞首」と記しているから。目撃者談なので、間違いないだろう。

ところが、これと矛盾する記述もある。

アタワルパの処刑は広場で執行されたことになっている。ところが、「屋内の処刑」の絵が描かれた書もあるのだ。さらに、ワマン・ポマの書いた記録「新しい記録と良き政治」によれば、「ピサロは頭を斬り落とせと命じた」とある。しかも、「台の上で斬首されるアタワルパ」のイラストつき。

もちろん、斬首は、絞首とは違う。でも、火刑より近い。火を使う使わないで、再生するかしないか、天と地ほどの差があるのだ。

ちなみに、インドのカーストは、上から、バラモン(司祭)、クシャトリア(王侯・武士)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(隸属民)。上位3階級は死後再生できるので「再生族」、最下位のシュードラは人生一回きりなので「一生族」とよばれた。これをヴァルナ制度という。

じつは、メソアメリカから南米アンデスにかけて、「斬首の文化」があった。戦争や儀式、なにかと「斬首」が行われたらしい。たとえば、メソアメリカのアステカ文明には「トラチトリ」というボールゲームがあった。ところが、儀礼として行われる場合は「斬首」がつきものだった。

つまり、インカ帝国では、「斬首」はオーソライズされた処刑、一方、「火刑」は何の意味もない、「ムダ死に」だったのだ。

ところが、キリスト教世界でも、「火刑」はサイアクの極刑だったのである。

■セイラム村の魔女裁判

キリスト教といえば「最後の審判」・・・審判の日、イエス・キリストが再臨し、死者をよみがえらせ、審判をくだす。天国へ行く者と地獄に墜ちる者に選別されるのだ。

ところが、燃えて灰になったら、(肉体が)よみがえれない。「審判」以前の問題だ。だから、中世ヨーロッパは土葬だったのである。

ところで、どんな悪さをしたら、火刑(極刑)になるのか?

キリスト教異端か、魔女(魔法使いを含む)か。

前者は宗教裁判、後者は魔女裁判で裁かれた。いずれも、殺人、盗み、詐欺、姦淫、のような俗世の罪ではない。誰に迷惑をかけるわけでもないのに「火刑(火あぶり)」!?

不条理な話だが、中世のヨーロッパで多発した。

ところで、キリスト教異端とは?

まずは「聖書の英訳」。

ちょっと待った!聖書を英訳したら、火刑?

はい。

カトリックの総本山ヴァチカンは、長い間、ラテン語以外の「聖書」を禁じていた。ところが、16世紀、イギリスの宗教改革者W.ティンダルはこれを破る。大陸に渡り、「新約聖書」を英訳し、印刷してイギリスに送ったのである。ことは発覚し、ティンダルは宗教裁判で有罪となった。絞首刑の後、念入りにも、火あぶりに(2度処刑?)。もちろん、英訳聖書は没収の上、同じく火あぶりに(焼却)。

ヨーロッパは歴史が古いから?

ところが、新しい国アメリカでもおきている。

「新しい国」アメリカ?

もちろん、アメリカ大陸が突然出現したわけではない(ヨーロッパ大陸と同じくらい古い)。

元々、南北アメリカ大陸には先住民が住んでいた。そこへ、ヨーロッパ人がおしかけて、征服し、建国したのである。

初めてアメリカに入植したのはヴァイキングである。ヴァイキングにはこんな伝説があるのだ。

996年、レイフ・エリクソンは、グリーランドを南下して、新しい大陸を見つけた(北アメリカ)。彼はその土地をヴィンランド(ブドウの国)と命名し、しばらく暮らした・・・

この伝説には証拠がある。北アメリカのニューファンドランド北端のランス・オー・メドーで、1000年前の住居跡が発見されたのだ。それは、まぎれもなくヴァイキングのもので、当時の北アメリカの先住民とは異質なものだった。

ところが、このときのヴァイキングの植民は失敗した。4年後に撤収したのである。もし、そのまま居住していれば、北アメリカはノルウェー領(ヴァイキング)になっていたかもしれない。

歴史上、はじめてアメリカ植民に成功したのはイギリス人だった。歴史上有名な「ピルグリム・ファーザーズ」である。1620年、イギリスのピューリタン(清教徒)102名が、アメリカ大陸に入植したのだ。

それから、70年後、アメリカ植民地ニューイングランドで事件はおきた。

1692年2月、マサチューセッツ州セイラム村で、魔女狩りが始まったのである。

セイラム村の牧師サミュエル・パリスの娘と姪が、降霊会の儀式の最中、ヒステリーを起こした。根拠は不明だが、医師は「魔術がかけられた」と診断。パリスの黒人奴隸、少女ティチューバに「魔女」の疑いがかけられた。

その後、ヒステリーの発作は村中に広がった。ティチューバの他に、5人の女性、さらには男性も含め、多くの人々が魔女や魔法使いだと訴えられたのである。

特別法廷が開設され、魔女裁判が開かれた。同年8月19日、有罪が確定し、死刑が執行された。その中には、セイラムの牧師バローもいた。彼は処刑されるとき、神への祈りを唱えたが、魔法使いがそんなことする?という素朴な疑問は無視された。

魔女狩りは、セイラムからマサチューセッツ全土に広がった。その年の10月までに、100人以上が告発され、19人が処刑されたのである。

じつは、アメリカ植民地の魔女狩りはこれが初めてではない。元々、ニューイングランドに入植したピューリタンは、魔女やサタンや黒魔術を信じていた。事実、1630年から1690年の間に5人が「魔女」と断定され、処刑されている。だが、セイラム魔女裁判は、犠牲者の数と広がりにおいて異次元の事件だった。

では、どうしてこんな不可思議な事件がおきたのだろう。

一人二人ならいざしらず、多くの人間が信じたのだから、本当に魔女がいた?

それはないだろう。魔女やサタンがやすやすと火あぶりにされるとは思えないから。

不自然なことには、かならず理由がある。

一体、何がおきたのか?

《つづく》

参考文献:
・週刊朝日百科 世界の歴史 朝日新聞社出版
・世界の歴史を変えた日1001 ピーター ファータド (編集), 荒井 理子 (翻訳), 中村 安子 (翻訳), 真田 由美子 (翻訳), 藤村 奈緒美 (翻訳) 出版社 ゆまに書房
・週刊歴史のミステリーNo.3 出版社(デアゴスティーニ・ジャパン)

by R.B

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