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週刊スモールトーク (第374話) 宝達山の謎(3)~モーセの墓と竹内文書~

カテゴリ : 人物娯楽歴史

2017.09.24

宝達山の謎(3)~モーセの墓と竹内文書~

■モーセの墓

「モーゼパーク」・・・大胆なネーミングだ。

旧約聖書のモーゼの「テーマパーク」をほのめかすどころか、まんまだから。

※「モーセ」が一般的だが、モーゼパークでは「モーゼ」で統一している。

しかも、園内に「モーセの墓」まであるという。モーセは、3000年前のヘブライ人(ユダヤ人)の指導者で、ユダヤ教の預言者。そんな歴史的VIPが日本にいた?よりによって「宝達山」に。

宝達山は、石川県・能登地方の最高峰である。とはいえ標高637m、北陸新幹線の終着駅「金沢」から40kmも離れている。日本の典型的な過疎地だ。

そんな宝達山のふもとに「伝説の森・モーゼパーク」がある(↓)

モーセパークの観光案内図園内は小奇麗に整備され、駐車場もある。
 モーゼのソフトクリームを期待したが、そんなに甘くなかった。それどころか、お土産売り場が一つもないのだ。モーセの墓を期待するしかない。

バチが当たらないか心配しつつ、細い道をのぼっていくと・・・本当にモーセの墓があった(↓)

モーセの墓少し開けた空間があり、中央に大きな石版がある。
 石版の中央には、モーセの石像の写真、その左に日本語、右に英語で何か書かれている。

内容は、旧約聖書のモーセの物語と、新たに創作されたモーセの伝説。

まずは新作の「モーセの伝説」。

そのまま転写すると・・・

なぜ、この塚がモーゼの墓といわれるのか?

モーゼはシナイ山に登った後、なんと天浮船に乗り、能登宝達(宝達山)に到着。「十戒」を授かり、三ツ子塚に葬られたのだという。

また、一説には、モーゼは、なんと583歳の超人的な天寿を全うし、宝達山のふもと、三ツ子塚に眠るという。

まさに、この奇想天外なミステリーこそ、モーゼ伝説から生まれたもう一つのモーゼ伝説なのかもしれない・・・

■竹内文書

壮大なトンデモ説だが、仕掛けたのは、時間をもてあますミステリーオタクでも、歴史捏造で金儲けをもくろむバチあたりな企業でもない。町の商工会なのだ。

ひょっとして、町おこし?

イエス!

宝達山がある宝達志水町は、2005年に押水町と志雄町が合併した。ただし、モーゼパークを作ったのは合併前の押水町である。

押水町と志雄町、その町境で17歳まで育ったから断言できる・・・何もないところだ。

人口が少なく、産業もない。自然に恵まれているが、早い話、田舎。だから、押水町が町おこしで「モーセの墓」をもくろんでも不思議はない。

1993年、押水町商工会は、宝達山の三ツ子塚古墳群を整備し、「伝説の森・モーゼパーク」をつくりあげた。そして「三ツ子塚=モーセの墓」と言い切ったのである。

ところが、根拠は・・・ないに等しい。

よりどころにしているのは「竹内文書」だが、奇想天外のきわみで、SFでもここまで書きれない。

論より証拠、「竹内文書」の解説書(※2)から一部を引用すると・・・

ヨモツ国、アラビア、アカバ、シナイ山より、五色人政治王モオセロミュラス第二回目、大海原船に乗り、能登の宝達水門に安着した。その後、モーゼは五色人の祖神を祀る皇祖皇太神宮に参拝し、天皇に十戒石などを捧げた。皇室から大室姫を妻に娶り、日本12年間滞在。天皇から十戒の承認をえて、天空浮船でイタリアのボローニャ経由でシナイ山にもどり、十戒を広めた。その後モーゼは再び来日、583歳で亡くなり宝達山近くの三ツ塚に葬られた。

わかりにくいので、カンタンにまとめると・・・

モーセは大船で「宝達山水門」にたどり着き、日本に12年滞在した。それから、天空浮船でシナイ山にもどり、十戒を広めた。その後再び来日、583歳で死んで宝達山の三ツ塚に葬られた。それが、伝説の森・モーゼパークなのである・・・

なるほど!

とナットクする人はいないだろうが、一つ気になることがある。モーセが船でたどり着いたという「宝達山水門」だ。

じつは、宝達山は海から8km内陸にあり、船着き場(宝達山水門)がない。

ところが、宝達山の近くに「敷浪」と「敷波」という村がある。語源は、

「波(浪)に敷かれた土地」

おそらく、昔は海の底だったのだろう。子供の頃、この辺りの洞窟に入ると「貝の化石」が山のようにあった。だから「宝達水門=宝達山のふもとまで海が迫っていた」は事実だろう。モーセが着岸したかはさておき。

■日本の古代史

そもそも、シナイ山から1万kmも離れた宝達山にどうやって来たのだ?

「天浮船」は論外としても、移動手段が思いつかない。モーゼパークの観光案内マップでは「気球」を示唆しているが、もちろんムリ。

人類初の気球の有人飛行は、1783年11月21日。モンゴルフィエ兄弟が製作した熱気球に、物理学者ピラトール・ド・ロジェと陸軍将校のダルランド侯爵が乗りこみ、ブローニュの森を飛行した。9km飛んだところで、気球の布が焦げて、緊急着陸。だから、3000年前に1万kmのフライトはムリ。

空路がダメなら、陸路と海路?

陸路ユーラシア大陸を横断し、朝鮮半島にいたり、海を渡って、日本の羽咋(今の千里浜海岸)か前述の宝達山水門に着いた?

これもムリ。

3000年前に日本海を渡れる船などないから。

この時代、舟で移動できるのは、川、沿岸、内海(地中海)で、外海を横断するのはムリ。1400年前の遣唐使でさえ、日本海を渡るのは命がけだったのだ。

そもそも、この頃、日本には「統一国家」がない。さらに、文字もなければ記録もない。

ちなみに、「日本」の最古の記録は中国の「二十四史」。そこに「倭(日本)」が短く紹介されている・・・

「紀元前107年、倭(日本)は100余りの国からなり、中国王朝に定期的に朝貢した」

その後の日本の歴史を、中国の書からひろうと・・・

紀元57年:倭の奴国は後漢に朝貢し、皇帝から金印を授かる(金印は福岡で発見されている)。

紀元107年:倭王の帥升が後漢に朝貢(前述の倭の奴国と思われる)。

紀元178~184年:奴国の支配が弱まり内乱が勃発する(倭国大乱)。

紀元189年:内乱の中から邪馬台国の卑弥呼が台頭する。

つまり、今から1800年前に、やっと、日本文明のあけぼの「卑弥呼の邪馬台国」が登場するのである。

だから、3000年前に、モーセが来日し、日本の天皇に十戒を捧げる、皇室から妻を娶る・・・はムリ。

押水町商工会はさぞかし苦労したことだろう。

ヘタをすれば歴史捏造だし(ヘタをしなくても)、旧約聖書への挑戦ととられかねないから。もっとも、旧約聖書が歴史と仮定すればの話だが。

それにしても勇気ある英断だ。

皮肉で言っているのではない。現在、地方は過疎化が進むばかり。産業が望めないなら、観光しかないではないか。

ただ、「モーゼパーク」に行ったのは盆休みだったが、人っ子一人いなかった。観光の目玉にはならなかったようだ。しつこいようだが、モーゼアイスクリームぐらい販売してもいいのでは?てっぺんに(モーセの)気球が乗ったやつ・・・

■モーセの真実

じつは、モーセが実在したかどうかも怪しい。

明確な記述があるのは旧約聖書だけだから。その旧約聖書も史実という点では怪しい。とはいえ、物的証拠と一致する部分もあるので、創作とも言い切れない。

そこで、モーセとヘブライ人の事実関係を整理しよう。

(3000年ほど前)カナンに暮らすヘブライ人は飢饉で苦しんでいた。そこで、穀物が豊かなエジプトに逃れるが、そこで迫害をうける。エジプトのファラオ(たぶんセティ1世)がヘブライ人を奴隷同様に扱ったのである。旧約聖書には、ヘブライ人がデルタの町ビトムで働いていたという記述があり、証拠も見つかっているので、ここは史実と考えていいだろう。

そして、ここからが問題。

旧約聖書の「出エジプト記」によれば・・・

モーセはヘブライ人だったが、エジプトの王家で育てられた。ところが、長じると自分の出自を知り、迫害されるへブライ人を救おうとする。ヘブライの民を引き連れて、エジプトを出ることにしたのである。ところが、エジプト王ファラオ(ラメセス)はそれを許さなかった。

すると、(ヘブライの)神はエジプト人に災いをもたらした。最初に生まれた男子がみんな死んでしまったのである。ファラオの息子も例外ではなかった。一方、戸口にいけにえの羊の血の印がある家は災いから逃れることができた。つまり、災いがその家を「過ぎ越す」のである。ここから、ユダヤ人の「過越の祭り」が生まれた。

「過越の祭り」はユダヤ人にとって特別の祭りである。「過越の祭り」では、ユダヤ人はエルサレムの神殿に屠(ほふ)られた子羊を家に持ち帰り、種なしパンと苦菜とともに食べて祝った。今はエルサレムの神殿はないので、家で羊肉を焼いて祝っている。

そして、イエス・キリストが磔刑に処せられたのが「過越の祭り」の前後。

前後?

最後の晩餐で、イエス・キリストは使徒たちにこう言った。

「子羊は神殿で屠られた子羊ではなく、明日刑死するわたしの肉体である」

つまり、「最後の晩餐」は「過越の祭り」の前夜だったのだ。これはヨハネの福音書と一致する。

ところが、他の聖書は違う。

キリスト教の新約聖書は4つの福音書からなる。ヨハネの福音書にくわえ、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書である。ところが、ヨハネの福音書をのぞく3つは、「最後の晩餐」は「過越の祭り」の当日としている。

「ヨハネの福音書」を書いたヨハネは、イエス・キリスト12使徒の中でただ一人磔刑に立ち会っている。もちろん、だからといって、ヨハネが正しいと言い張るつもりはない。

・・・

というわけで、どこまで史実でどこまで物語かわからない。

それにしても、ユダヤ人の迫害は根が深い。こんな古い時代からあったのだから(古代ヘブライ人は現在のユダヤ人)。

■オリーブにこだわる理由

モーセの墓とオリーブの巨木に話をもどそう。

たしかに、宝達山にモーセの墓はあった。とはいえ、そこにモーセが眠っているわけではない。町おこしのテーマパークなのだから。

一方、宝達山の近くにある「オリーブの巨木」は謎だ。現に、数十年以上、豪雪地帯の北陸で生き延びたのだから。非現実的とまでは言わないが、「不自然」。

ところで・・・

なぜそれほど、オリーブにこだわるのか?

今、北陸の金沢でオリーブを栽培しているから。

オリーブ栽培で一財産もくろんでいる?

ノー!

オリーブが大好きだから。

大学時代、ギリシャに行ったときのことだ。

陽の光にあたって、キラキラ輝くオリーブの葉、ユラユラ揺れる小枝・・・それが地中海の景色とあわさって、無上の心地よさを感じたのだ。ギリシャの古代史が好きだったこともあるが。

それから年月が過ぎ、オリーブのことを忘れかけていたある日。14年間乗った愛車Audiが動かなくなった。そのとき、買ったのがプジョー307SWだった。別にフランス車が好きだったわけではない。その年限定の「オリーブカラー」バージョンが気に入ったのだ。

それを機にオリーブを思い出し、栽培を思い立ったのである。

父が果樹の専門家だったので、苗木を3本買って、植えてもらった。2本は父が住む実家の畑で、1本は我が家の庭で。

ところが、実家の2本は全滅。1本は積雪で幹が折れ、1本は長雨で枯れてしまった。生き残ったのは、我が家の1本だけ。

オリーブは1本では実がならないが、100%というわけではない。奇跡でもなんでも起こって、実がなってくれ!でも、その前に、枯れたらどうしよう・・・そんなハラハラドキドキで13年間育ててきたのだ。

そして、今年の夏・・・我が家のオリーブに奇跡が起こった!

参考文献:
(※1)「世界の歴史を変えた日1001」 ピーター ファータド (編集), 荒井 理子 (翻訳), 中村 安子 (翻訳), 真田 由美子 (翻訳), 藤村 奈緒美 (翻訳) 出版社 ゆまに書房
(※2)「封印された超古代史 竹内文書の謎を解く」 布施泰和著 成甲書房

by R.B

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