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週刊スモールトーク (第353話) 渚にて(1)~人類最後の日~

カテゴリ : 娯楽戦争終末

2017.03.26

渚にて(1)~人類最後の日~

■原子力戦争

街道にそって路面電車が走り、歩道には人があふれている。のどかな街の風景だ。

ところが目をこらすと・・・スーツ姿のビジネスマンが馬で出勤している。しかも、行き交う自転車が異常に多い。

ここはどこ?

1964年、オーストラリアのメルボルン・・・

岬の灯台の近くを、潜水艦が通り過ぎようとしている。それを見守る監視員。ラジオから不吉なニュースが・・・

「放射能がいつ来るかわかりませんが、原子力戦争の後、人類が生存しているのはここだけです」

放射能、原子力戦争、人類が生存しているのはここだけ?

「渚にて」はこんな謎めいたシーンからはじまる。

この映画は1959年に公開された。監督はスタンリー・クレイマー、主役は往年の大スター、グレゴリー・ペックである。原作はさらに古く、1957年、イギリスの小説家ネヴィル・シュートによって書かれた。

テーマは・・・ズバリ「人類最後の日」。

ただし、時間軸を限界まで圧縮して、胸ぐらつかんで引きずり回すような・・・今どきのハラハラドキドキではない。

「渚にて」はすべてがマッタリしている。

放射線量が急速に増加しているが、なすスベがない、座して死を待つ。そんなやり場のない日常が、たんたんと描かれている。最後は、それぞれの人生観・人生哲学で人生を全うする・・・SFというより社会派映画だろう。

しかも、時代は古く1950年代・・・だから、「核戦争(nuclear war)」ではなく「原子力戦争(atomic war)」なのである。

一般論だが、1950年~1960年代のSF映画はこの傾向が強い。

火星人が襲来しようが、核戦争がおころうが、パーティは欠かせない・・・比喩ではなくホントの話。事実、「渚にて(1959年)」も「宇宙戦争(1953年版)」もパーティを愉しむシーンがある・・・この世の終わりなのに。

つまり、この時代のSFは、「日常」と「カタストロフィー」が継ぎ目なくつながっている。しかも、秒速だの瞬殺だの(関係ないか)、早送りでストーリーの退屈さを隠すコソクさもない。現代の映画やドラマとは異質の作りだ。

■コバルト爆弾

「渚にて」は、原子力戦争(全面核戦争)後の世界を描いている。

「コバルト爆弾」が使用され、北半球は壊滅、南半球も放射線量が急増している。

コバルト爆弾?

あまり知られていないが、原爆や水爆と同じ核兵器。ただし、大きな違いがある。原爆や水爆は、爆風と高熱で物理的破壊を行うが、コバルト爆弾は放射能汚染がメイン。そのため「汚い爆弾」とよばれている。

「汚い爆弾」の代表が「中性子爆弾」だろう。ピカッと光っても、見た目には何も起こらないが、有害な中性子線が放出され、ヒト(生物)だけを殺傷する。

コバルト爆弾は、原爆または水爆の周囲をコバルトでおおう構造になっている。爆発のプロセスはちょっと複雑だ・・・

1.原爆・水爆が爆発すると核反応がおこり、中性子が放出される。

2.中性子がコバルトに吸収され、コバルト60に変化する。

3.コバルト60が、原爆・水爆の爆発で加速され放出される。

つまり、原爆・水爆は物理破壊が目的ではなく、コバルト60を巻き散らかすためにある。

コバルト60は有害な放射性物質だ。「ガンマー線」を放出し人間や生物を殺傷する。コバルト爆弾は生物限定の放射線兵器なのである。

しかも、コバルト60の半減期は5年、5年経っても放射能汚染は半分にしかならない。つまり、使用した側も占領できないわけだ。

一体、どんな得が?

というわけで、2017年現在、コバルト爆弾は実用化されていない。つまり、「渚にて」は、完全な仮想核戦争なのだ。

話をもどそう。

物語の舞台はメルボルン、南半球最大級の都市。それが冒頭のラジオ放送・・・

「原子力戦争の後、人類が生存しているのはここだけです」

につながるわけだ。

そして、冒頭の灯台を横切る原子力潜水艦は、アメリカ合衆国海軍の原子力潜水艦スコーピオン号。「渚にて」の準主役といっていい。

原子力戦争が勃発した時、スコーピオン号は潜航中だった。そのため、コバルト爆弾の直撃を避けられたのである。

その後、西太平洋に向かい、硫黄島の北で浮上したが、放射能量が異常に高い。そこで、再び潜行し、マニラに向かったが、放射能汚染がひどく、上陸できなかった。

こうして、スコーピオン号は南下を続け、メルボルンにたどり着いたのである。同盟国オーストラリア海軍の基地があったからだが、じつのところ、他に行く所がなかったのだ。

というわけで、事態はかなり深刻・・・ところが、「渚にて」は1950年代の古き良き時代の映画。物語はたわいもない日常からはじまる。

■サイコ

夫がミルクをつくって、赤ん坊に飲ませる。それから、ベッドに寝ている妻に紅茶をふるまう。そうコーヒーではなく、紅茶なのだ。

かつてオーストラリアはイギリスの植民地だった。だから、紅茶の文化なのである。一方、アメリカ合衆国も元はイギリスの植民地だが、コーヒー文化。

これにはわけがある。

アメリカがまだ植民地だったころ、本国イギリスがアメリカの紅茶に課税した。それに腹を立てたアメリカ人が、船荷の茶を海に投げ捨てたのである。これが有名な「ボストン茶会事件」。その後、アメリカはイギリス本国と戦って(アメリカ独立戦争)、独立を勝ち取った。

だから、アメリカは紅茶ではなく、コーヒー文化なのである。

それで?

話をもどそう。

ミルクと紅茶をいれる夫、どこかで見たことがある。

よく見ると、若き日のアンソニー・パーキンスではないか。彼が演じるのはオーストラリア海軍ピーター・ホームズ大尉。メルボルン郊外で妻のメアリーと赤ちゃんと3人で暮らす絵に描いたような好青年だ。

ところが、その3年後、アンソニー・パーキンスは一気にスターダムにのし上がる。好青年ではなく、映画史上に残る「サイコ」俳優として。

映画のタイトルは「サイコ」。サスペンス映画の神様、ヒッチコック監督の代表作だ。

アンソニー・パーキンスが演じるのは、小さなホテルを1人で切り盛りする陰気な青年。ところが、彼の正体は「陰気」どころではなかった・・・

昨今、度を越した異常者、変質者を、

「サイコ野郎!」

とよぶが、その元祖なのである。

かくして、アンソニー・パーキンスは「サイコ役者」として映画史にその名を刻んだ。

一方、「渚にて」のアンソニー・パーキンスは、最初から最後まで、良き軍人、良き夫。ところが、夫婦仲はビミョーだ。一見、仲むつまじいが、どこかギクシャクしている。妻のメアリーは普段は明るいが、時々、思いつめたような表情をする。それが気に入らない夫のピーター(アンソニー・パーキンス)。

これにはわけがある。

二人とも、5ヶ月後に何が起こるか知っているのだ。

ピーターは、軍人の冷静さで、「5ヶ月後」をうけいれている。ところが、メアリーはそれができない。それにイラつくピーター。そんなギクシャクが、最後の瞬間までつづく。

■5ヶ月後の世界

ある日、ホームズ大尉は、オーストラリア海軍から出頭を命じられた。こんな時期に、家族の元を離れたくない・・・そんな思いにかられながら、メルボルンに向かう。

メルボルンにあるオーストラリア海軍省。

提督が女性士官のオズグッドにぼやく。

「世界の石油の大半は北半球にある。もう輸入できない。今ある備蓄を大切につかうしかない」

そこへ、ホームズ大尉が出頭する。

提督は、ホームズ大尉に新しい任務を命じる。アメリカ合衆国・原子力潜水艦スコーピオン号に連絡士官として同乗せよというのだ。ホームズ大尉は思いつめたように、口を開く。

大尉:「いつ、帰れますか?」

提督:「4ヶ月ぐらいだ」

大尉:「『あれ』が来る時には家にいたいんです。いつ来るでしょう?」

提督:「科学者どもはいろいろ計算しているが、後5ヶ月だ。その前に帰れる」

ここで、初めて、現在と未来が明らかにされる。

5ヶ月後に、『あれ』が来て、時間軸は消滅するのだ。

つまり、人類は絶滅する。

《つづく》

参考文献:
渚にて【新版】 人類最後の日 (創元SF文庫)  ネヴィル・シュート (著), 佐藤 龍雄 (翻訳) 出版社: 東京創元社

by R.B

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