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週刊スモールトーク (第335話) 明の太祖・朱元璋16~元朝の大攻勢~

カテゴリ : 人物歴史

2016.10.09

明の太祖・朱元璋16~元朝の大攻勢~

■陳友諒の侵攻

朱元璋は窮地に追い込まれていた。

要因は2つ・・・

第一に、朱元璋の防波堤が決壊寸前だったこと。

ここで、「防波堤」とは朱元璋の主家・小明王をさす。小明王の支配地は、地政学上、朱元璋を元朝から守る防波堤だったのである。

ところが、1359年、元軍の将軍チャハンティムールが、小明王の都・べん梁を攻略した。小明王と主師(最高軍司令官)の劉福通は、安豊に撤退。その後、二度と力を盛り返すことはなかった。結果、朱元璋は元朝の脅威にさらされたのである。

第二に、反乱軍に不穏な動きがあったこと。

陳友諒が張士誠をそそのかし、朱元璋を挟み撃ちにしようともくろんだのである。

この頃、陳友諒と張士誠は、朱元璋の最大のライバルだった。その2強がタッグを組んだら・・・

「朱元璋 Vs 反朱元璋(元朝&陳友諒&張士誠)」

悪夢の図式・・・目も当てられない。それが妄想でないことは、地図をみれば明らかだ。

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小明王は、べん梁を取られ、「防波堤」は山東・益都・安豊を残すのみ。絵に描いたような四面楚歌。いつどこから攻めらても不思議はない。

そして、1360年の年初、それが現実になる。

陳友諒の大軍が、数百隻の船に分乗し、長江を下ったのである。朱元璋の都・応天(南京)を目指して。

応天は上を下への大騒ぎになった。家財道具を荷車にのせて、逃げ出す者もいた。

ところが、朱元璋は冷静だった。

名参謀の劉基がいたからである。

朱元璋が劉基に意見を求めると、彼はよどみなく答えた。

「張士誠は用心深く、猜疑心が強いので、陳友諒と組むことはないでしょう。よって、張士誠に意を用いる必要はありません。一方、陳友諒は野心があり攻撃的な人物です。しかも、我々の上流にいるため、船で大軍を送り込むことができます。それが今、現実になったわけです。そこで、まず、陳友諒に全兵力を集中します。陳友諒を殲滅すれば、張士誠は孤立するので、簡単に攻略できるでしょう。しかる後に、北の元朝をとれば、王業はなります」

朱元璋は、それを聞いて大いに喜んだ。

■江東橋の計略

つぎに、朱元璋と劉基は、陳友諒を撃退する作戦を練った。陳友諒の大軍が、すぐそこまで迫っているのだ。しかも、兵数では陳友諒が圧倒するので、正攻法はムリ。ギミック(ワナ)でいくしかない。

朱元璋側は地の利があるから、ワナをしかけるのカンタンだ。

問題はどうやって、ワナにおびきよせるか?

じつは、朱元璋には妙案があった。

朱元璋の配下に、康茂才(こうもさい)という武将がいた。康茂才は、陳友諒の友人だったが、朱元璋に寝返ったのである。その康茂才の配下に老いた門番がいた。彼も以前、陳友諒に仕えたことがあった。そこで、朱元璋はこの二人を利用して、一芝居うつことにした。

そのシナリオは・・・

まず、老門番に康茂才の降伏書をもたせ、陳友諒の元に逃亡させる。降伏書にはこう書かれていた。

「康茂才は朱元璋を裏切るので、江東橋で合流されたし」

一方、朱元璋は、陳友諒の進路に伏兵を隠し、退路には猛将・胡大海の軍を配置した。挟み撃ちにしようというのである。

それで、陳友諒は?

まんまと騙(だま)された。

陳友諒が軍を率いて、ノコノコ江東橋まで行くと、突然、朱元璋の伏兵に襲われた。陳友諒軍はパニックになり、2万余が捕虜になった。陳友諒軍は撤退をはじめたが、そこへ胡大海が現れて猛攻撃をかけてきた。陳友諒は本拠地(江州)に逃げ帰るしかなかった。

朱元璋はこの機を逃さなかった。

勝ちに乗じて大攻勢をかけたのである。太平を奪還し、陳友諒の支配地の安寧も攻略した。一方、張士誠は自領地にひきこもり、一兵も出さなかった。劉基の読みはあたったのである。

こうして、朱元璋は絶体絶命を脱し、一息ついた。小明王はその功績をたたえ、朱元璋を呉国公に任じた。

呉国公?

そう、王ではない。

あくまで、小明王の家来なのである。陳友諒はすでに「大漢」を建国し、王を名乗っていたのに。

ところで、逃げのびた陳友諒だが・・・しぶとかった。

帰国後、兵を再編成し、1360年7月に安寧を奪還したのである。これではらちがあかない。不毛の消耗戦が続くだけだ。終止符をうつには、陳友諒の本拠地を叩くしかない。

そこで、朱元璋は西伐を決定した。長江を西にさかのぼり、陳友諒を討つのである。

一方、陳友諒側は・・・

内部崩壊がはじまっていた。

そもそも、陳友諒の王国「大漢」は一枚岩ではない。「大漢」の前身は徐寿輝が建国した「天完国」、それを陳友諒が乗っ取ったのである。しかも、主君の徐寿輝を弑逆(しいぎゃく)し、国名を「天完国」から「大漢」に改名している。あからさまな下克上だ。

だから、旧徐寿輝派は面白くない。

それに輪をかけたのが、陳友諒のえこひいきだった。

陳友諒派の将兵を重用し、旧徐寿輝派を遠ざけたのである。しかも、人事は「好き嫌い」。有能な者が干され、バカが可愛がられる世界・・・

やっとれん!

なのだが、逆らうと何をされるかわからない。陳友諒は主君さえ殺す大悪党なのだ。

というわけで、朱元璋に投降する旧徐寿輝派が後を絶たなかった。

これでは、将兵の士気は落ちるばかり・・・一方、朱元璋にしてみれば千載一遇のチャンス。

1361年、朱元璋は陳友諒の本拠地・江州に進攻した。

朱元璋軍は連戦連勝、陳友諒は西方の武昌に逃れた。こうして、朱元璋の版図は拡大し、陳友諒と肩を並べるほどになった。

■元軍の名将チャハンティムール

ところで、北部の「小明王 Vs 元朝」の戦況は?

1年前、元軍は小明王の都・べん梁を陥落させた。小明王と主帥の劉福通は安豊に撤退。ただし、小明王・紅巾軍は北部から全面撤退したわけではない。べん梁は元朝に制圧されたが、山東地区はまだ小明王・紅巾軍が支配していた。

山東地区の守将・毛貴は逸材だった。軍事に長け、戦略も描ける上、人望も厚かった。事実、この数年、元軍の攻撃をことごとく退けていた。

ところが、濠州・紅巾軍の趙均用が加わって、おかしくなった。

趙均用は、朱元璋が濠州にいた頃の主帥(最高軍司令官)で、義父の郭子興を追い込んだ親玉である。趙均用は秘密結社あがりの怪しい人物で、寝技は得意だが、勇ましい戦さはムリ。派閥抗争専門で、外敵には役に立たない。そんな厄介者が紛れ込んだのだから、毛貴はたまらない。

案の定、問題が発生した。

毛貴は、投降した元朝の官吏もわけへだてなく登用した。ところが、身内第一で嫉妬深い趙均用はそれが気に入らない。そして、あろうことか、毛貴を殺してしまった。ところが、その趙均用も部下に殺される。目をおおうばかりの混乱ぶりだ。

そこへ、元朝の大軍がおしよせたからたまらない。たちまち、山東地区は元軍に占領されてしまった。

ここで戦況を整理しよう。

南方では、朱元璋が陳友諒を西に圧迫し、北方では元軍が小明王を南に圧迫する。地図で確認すると・・・shugensho_map50

一番の問題は、小明王の防波堤がうすーくなっていること。まさに風前の灯火だ。

この状況で、安豊が元軍の手に落ちたら、朱元璋と元朝は「こんにちは」。シャレにならない。しかも、この時期、元朝の兵力は朱元璋を圧倒していた。

さらに、弱体化したとはいえ、陳友諒もあなどれない。しかも、張士誠、方国珍はほぼ無傷。これを四面楚歌と言わずして何と言う。そして、歴史上、大規模戦争で四面楚歌を逆転した試しはないのだ。

こうなったら・・・

小明王に安豊を死守してもらうしかない。ところが、小明王は山東をとられ、ほぼ死に体。単独で元軍をはねかえすのはムリ。

朱元璋が援軍を送れば?

焼け石に水だろう。

朱元璋と小明王が束になっても、元軍に勝ち目はないから。

どういうこと?

第一に、元の大将チャハンティムールは名将の誉れ高く、元軍はこれまでになく精強だ。

第二に、小明王軍は弱体化していて、あてにならない。事実、その後、連戦連敗し、自然消滅してしまった。

第三に、少し前、小明王(東系紅巾軍)が元軍を圧倒したが、それは、西系紅巾軍が元軍を攻撃していたから。ところが、その西系紅巾軍の頭領が徐寿輝から陳友諒に変わり、朱元璋と熾烈な戦いを演じた。結果、朱元璋が勝利したのだが、陳友諒は弱体化し、元軍と戦う余力がなくなったのである。

つまり、現時点では、何をどうしようが元軍には勝てない。

座して死を待つしかない?

そうでもない。

元軍と同盟すればいいのだ。つまり、遠交近攻策(遠くの敵と同盟し、近くの敵と戦う)。

でも、元軍はそんな話に乗るだろうか?

朱元璋と劉基は乗るとふんでいた。

地図をみればわかるが、元軍は安豊を落とす前に益都を落とす必要がある。先に安豊を落とすと、益都と朱元璋に挟撃されるからだ。

つまり、元軍は「益都→安豊」の順に攻略するしかない。精強な元軍でも、二方面同時攻撃はムリ。古今東西、大規模な戦いで二正面作戦が成功したためしはないのだ。近代最強と言われたドイツ陸軍でさえしくじったのだから。

■ゼークトの鋳型

第一次世界大戦中、ドイツ陸軍は、西方戦線(フランス)と東方戦線(ロシア)の二正面作戦をとった(シュリーフェン・プラン)。

最終的に、ドイツ軍は負けたのだが、勝利まであと一歩だった。この奇跡の善戦をささえたのが「ゼークトの鋳型」だった。イギリスの軍事評論家リデルハートが使った言葉である。

「ゼークト」とはハンス・フォン・ゼークト、第一次世界大戦のロシア戦線の英雄である。アウグスト・フォン・マッケンゼン元帥の主席参謀として、ポーランドのゴルリツでロシア軍を壊滅させ、再起不能に陥れた。このとき、ゼークトは「ゼークトの鋳型」を思いついている。

これまでの作戦では、予備軍は敵の最も強力な部分に投入された。ところが、ゼークトは予備軍を敵の最も脆弱な部分に投入するのである。さらに、そこを起点にこじ開けるように深く侵入する。これは「浸透作戦」とよばれたが、後の「電撃戦」の原型となった。ナチスドイツは、この電撃戦を駆使して、第二次世界大戦の初戦で目覚ましい戦果をあげている。

ただし、リデルハートの言う「ゼークトの鋳型」の真の意味は、第一次世界大戦後にある。敗戦後、ドイツ軍の再編成を任されたのがゼークトだった。新生ドイツ軍の最高司令官となり、少ない兵数で最強の軍を模索したのである。それがドイツ軍の原型となり「ゼークトの鋳型」とよばれたわけだ。

第一次世界大戦中、マッケンゼンあるところにゼークトあり、ゼークトあるところに勝利あり、とうたわれた。ところが、そのゼークトをしても、二正面作戦は失敗したのである。もっとも失敗した原因は、ゼークトの東方戦線(ロシア)ではなく、西方戦線(フランス)にあった。そして、西方戦線が崩壊したのはアメリカ合衆国が参戦したからである。

■元朝との和平

話を朱元璋にもどそう。

元の名将チャハンティムールが、危険な二正面作戦をとるとは思えない。つまり、今なら和平を受け入れるかもしれないのだ。

そこで、朱元璋はチャハンティムールに和平の使者を送った。

でも・・・これって問題の先送りでは?

元軍が益都をとれば、つぎに安豊に殺到するから。

しかり!

ただし、「問題の先送り」とは言い切れない。

和平が成立している間に、陳友諒を殲滅すればいいのだ。そうなれば、四面楚歌の一角が崩れ、戦況は大きく好転する。

で、チャハンティムールは?

和平を受け入れた。

返礼として、今度はチャハンティムールが朱元璋に使者を送った。元の使者は海路をへて浙東にきたが、このあたりは方国珍の支配下にあった。そこで、使者は1年も待たされたのである。

さては、方国珍が妨害した?

方国珍にそんな度胸はない。そもそも、方国珍は元軍にくっついたり、離れたり、ガチで敵対しているわけではない。それに、自領地を守るので手一杯で、元朝と朱元璋を両方敵に回す余裕はない。

事実、方国珍は、2度、朱元璋のもとに人をやり、元朝の使者がきていることを知らせた。

ところが、朱元璋はそれを黙認する。つまり、チャハンティムールの使者が足止めされたのは、朱元璋のせいだったのである。

自分で和平を言い出しておいて、なぜ?

北方の戦況を見きわめるため。

朱元璋は、元朝が一枚岩ではないことを見抜いていた。つまり、この先、何がおこるかわからない。

そして、それが現実になった。

1362年12月、チャハンティムールの使者がようやく応天に到着した。

ところが・・・

このとき、チャハンティムールはこの世にいなかった。元朝の田豊によって謀殺されたのである。

チャハンティムールの後を継いだのは養子のグユクティムールだった。

ところが・・・

グユクティムールは、元朝のもう一人の大将ボロティムールと内部抗争中で、南下する余裕はないという。願ってもない内輪もめ、棚からぼたもち。

ところが・・・

ここで思わぬ事件が起きる。

引きこもりの張士誠が安豊を攻めたのである。

「ところが・・・」三連発。朱元璋にとって、青天の霹靂(へきれき)が続く。

《つづく》

参考文献:
・「超巨人 朱元璋 運命をも変えた万能の指導者」 原作:呉晗 堺屋太一 志村嗣生、志村三喜子 講談社
・「ヒトラーと国防軍」 ベイジル・ヘンリー・リデルハート (著), 岡本らい輔 (翻訳) 原書房 「The Other Side of the Hill. Germany’s Generals. Their Rise and Fall, with their own Account of Military Events 1939-1945」

by R.B

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