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週刊スモールトーク (第333話) 明の太祖・朱元璋14~南京攻略~

カテゴリ : 人物歴史

2016.09.03

明の太祖・朱元璋14~南京攻略~

■太平攻略

朱元璋率いる紅巾軍は長江を渡った。ついに、元朝の支配領域に踏み込んだのである。

沿岸沿いの元軍の堡塁をつぶし、穀倉地帯の「太平」を占領すると大量の食糧が手に入った。それを見て将兵は狂喜乱舞、家族が待つ和州に食糧を持ち帰ろうとした。それほど、食べ物に困っていたのである。この頃、中国は飢饉つづきで、都の大都でさえ飢餓状態だったから、無理もない。

一方、敗北した元軍も「太平」をあきらめたわけではなかった。軍を再編成し、反撃に出たのである。

元軍は二手にわかれて、太平を包囲した。まず、艦隊で水路で封鎖し、紅巾軍の退路を断つ。さらに、漢人の陳埜先(ちんしょうせん)が率いる数万の軍勢が陸路を侵攻した。

元軍の大将が、漢人?

この頃、中国はモンゴル人が支配していたが(元朝)、ネイティブの漢人が反発し、あちこちで反乱をおこしていた(紅巾の乱)。ただし、すべての漢人が反元朝だったわけではない。将軍、官吏、地主などのエリート層は元朝側だったのである。

なぜか?

紅巾軍のほとんどは貧しい農民で、エリート層を目の敵にしていた。特に、地主には恨み骨髄。農民を奴隷のようにこき使い、搾取したからである。そこで、紅巾軍は地主の屋敷や蔵を打ち壊し、食糧や財物を略奪した。だから、漢人エリート層、とくに地主にしてみれば、紅巾軍は元朝よりタチが悪い!

というわけで、元軍には多くの漢人将軍がいた。陳埜先もその一人だったのである。

一方、迎え撃つ紅巾軍の総大将は徐達、朱元璋の腹心である。

戦さ上手の徐達は、軍を二手にわけた。一方は前から攻め、もう一方は迂回して元軍の背後をついた。挟撃された元軍はたちまち崩壊、元軍は降伏した。総大将の陳埜先は朱元璋に忠誠を誓い、一件落着。

太平の占領が安定すれば、次は「集慶(現在の南京)」だ。

集慶は中国有数の穀倉地帯で、石高も人口も多い。じつは、太平で帰順した儒者の陶安も集慶をとるよう具申していた。

いわく、

「集慶を本拠地にし、四方に軍を繰り出せば、天下は平定されるでしょう」

集慶の攻略は、朱元璋ではなく、都元帥(郭天叙)と右副元帥(張天祐)の主力が担当することになった。投降した陳埜先の元軍は、張天祐軍に編入された。

1355年7月、紅巾軍は集慶を包囲した。

ところが・・・

この戦さには、驚くべき陰謀があった。

投降した陳埜先である。

元々、陳埜先は中国の大地主だった。そのため、地主を皆殺しにし、荘園や財物を奪う紅巾軍をひどく憎んでいた。百姓の分際で領主を殺すなんて、今に見てろよ、と思ったかどうか知らないが、陳埜先は、部下にこんな密命を与えていた。

「元軍とガチで戦うな」

さらに、陳埜先は、集慶の元軍守将の福寿と通じていた。二人で示し合わせて、城の内外から紅巾軍を挟撃しようというのである。陳埜先は「面従腹背(面はニコニコ、腹の底はおっ死ね)」、早い話、裏切り者だったわけだ。

戦いがはじまると、陳埜先の軍は様子見を決めこんだ。戦うわけでもなく、逃げるわけでもなく・・・結果、張天祐軍は大敗した。

張天祐は一旦軍を引き、軍の再編成をはかった。

1355年9月、郭天叙と張天祐が率いる2軍が、再び集慶を包囲した。ところが、戦局は一進一退・・・陳埜先の「面従腹背」作戦は効果がなかったわけだ。

焦った陳埜先は過激な行動にでる。宴席をもうけて、郭天叙と張天祐を泥酔させ、ふん縛ったあげく、元軍に引き渡したのである。哀れな郭天叙と張天祐は、酔いが覚めたところで、ワケがわからないまま処刑された。

両元帥を失った紅巾軍はパニックに陥った。そこへ、元軍が城から打って出てたから、たまらない。紅巾軍は算を乱して逃走した。これをみた、陳埜先は、ここぞとばかり、紅巾軍の追撃を命じた。

元軍と陳埜先軍で力をあわせて、紅巾軍をめった打ち・・・のはずが、そうはならなかった。

元軍の末端部隊は、陳埜先と福寿の裏取引など知る由もない。だから、元兵にしてみれば、陳埜先は紅巾軍に投降した裏切り者。そんなわけで、陳埜先は元兵に殺されてしまった。策に溺れた裏切り者の哀れな末路だった。

■南京攻略

一方、紅巾軍は、陳埜先ザマミロー、と喜んでばかりもいられなかった。集慶攻撃は失敗し、ナンバー1の都元帥と、ナンバー2の右副元帥を失ったのだ。

紅巾軍、万事休す。ところが、朱元璋にしてみれば天佑(天の助け)。

というのも・・・

郭天叙は郭子興の息子、張天祐は郭子興の妻の弟、つまり、郭子興ファミリーのツートップが死んだわけだ。結果、郭子興系のすべての将兵を、朱元璋が丸取り。これを「タナボタ」と言わずして何と言う。

じつは、郭子興には三男の郭天爵がいた。血筋を考慮して、小明王から中書右丞に任じられたが、権限も兵もナシ。しかも、朱元璋の家来なので、郭天爵は不満タラタラ・・・

なんで、郭子興直系のオレ様が、成り上がり者の下なのだ!

郭天爵は、己の資質を忘れて、朱元璋に激しく嫉妬するようになった。やがて、嫉妬は妄想へと変わる・・・そうだ、朱元璋を殺して軍を乗っ取ればいい!

思慮が浅いというか、行き当たりばったりといおうか、そもそも、朱元璋一人殺してどうするのだ?

家臣団が、主人を殺した郭天爵に従うとでも思ったのか?

それとも、家臣団も皆殺し?

朱元璋の家臣は粒ぞろいだから、やる前にやられるぞ!

と、心配するまでもなかった。その前に事が発覚し、郭天爵は殺されたのである。こうして、郭子興の血族は一掃された。朱元璋は一切手を汚さずに。朱元璋が、名実ともに、徐州・和州・太平の都元帥になったのは言うまでもない。

この頃、朱元璋の主力軍は太平にいたが、馬夫人(朱元璋の妻)や将兵の家族は和州にいた。和州には守備隊が駐屯し、防御も固い。しかも、長江が太平と和州を分かち、天然の防波堤になっている。そのため、将兵は安心して戦うことができた。

1356年2月1日、朱元璋は集慶攻略を再開した。

太平から出陣し、集慶を包囲し、三度目の攻撃で陥落させた。元の守将の福寿は戦死、集慶の軍民50万が帰順した。

朱元璋は入城した後、布告を発令した。

将兵、官吏に対して・・・

「元朝の政治は腐敗し、全土で反乱がおこっている。われわれは元朝を倒し、漢人の国を打ち立てる。志を同じにする者は名乗りでよ。礼をもって迎えよう」

民に対して・・・

「官吏の横暴は許さない。民を踏みつけにすることも許さない。民にとって悪い制度は即刻廃止する」

集慶の軍民が、歓呼でこたえたのは言うまでもない。

「集慶」は「応天府」と改名され、朱元璋の本拠地となった(現在の南京)。こうして、陶安の構想「集慶を本拠地にして天下を平定する」体制が整ったのである。

■小明王の北伐

この頃、中国は紅巾の乱の真っ最中で、次の3勢力が相争っていた。

元朝・政府 Vs 紅巾系・反乱軍 Vs 非紅巾系・反乱軍

具体的には、

1.順帝:元朝(現政府)

2.小明王:紅巾系(元祖・紅巾軍)

3.朱元璋:紅巾系(小明王の一派)

4.張士誠:非紅巾系(塩の密売人)

5.方国珍:非紅巾系(海賊)

6.徐寿輝:紅巾系(小明王とは別系統)

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まさに群雄割拠だが、朱元璋の状況は?

小明王をのぞいて、すべて敵。

地図をみると・・・西方に徐寿輝、東方に張士誠、東南に方国珍、北方に順帝という具合で、まさに四面楚歌。

一見、絶体絶命にみえるが、最強の元朝に注目すると・・・

亳州の小明王が、北方の元朝の防波堤になっている。現に、元軍は支配地が接する小明王討伐に全力をあげていた。

1355年12月、元の将軍・ダシバートルは、太康で劉福通(小明王の腹心)を破った。その後、ダシバートルは軍を進めて、亳州を囲んだ。亳州は小明王の本拠地である。あわてた劉福通は小明王を擁して安豊に逃げのびた。

一方、元の将軍・チャハンティムールは、ダシバートルと協同して、河南地方を攻めた。ダブルパンチを喰らった小明王の紅巾軍はしだいに力を失っていった。一方、それに乗じて、非紅巾系の張士誠が台頭する。 まさに、千変万化、七色変化・・・

この時点の戦況を整理すると、

1.元朝は優勢(元々最強)

2.小明王は劣勢(元軍の協同攻撃で)

3.張士誠が台頭(小明王の弱体化で)

4.朱元璋は無傷(元軍との戦闘ナシ)

ところが、ここで再び戦況が一転する。

徐寿輝が湘水、漢水の流域で元軍を攻撃しはじめたのである。徐寿輝は紅巾軍なので、紅巾軍・本家筋の小明王を助けた・・・わけではない。そもそも、別系統の紅巾軍なので。共通の敵の元軍を攻めたら、結果としてそうなっただけ。

とはいえ、元軍は小明王と徐寿輝に挟撃され、一転して劣勢になった。結果、小明王が息を吹き返したのである。

ところで、朱元璋は?

地図をみると丸わかりだが、小明王と徐寿輝が元軍と激しく戦って、防波堤になっている。天気晴朗にして波風ナシ、この間、朱元璋は勢力を拡大することができた。

1356年秋、勢力を回復した小明王は、北伐を決定した。

「北伐(ほくばつ)」とは、中国で北方の敵を討伐すること。中国史上、「北伐」は何度もあり、近年では、蒋介石の北伐が有名だ。

南京政府の蒋介石は、1926年から2度北伐を行っている。2度目の北伐の1928年6月15日、蒋介石は北京政府を崩壊させた。当時、北京政府は奉天軍閥が支配していたが、親玉の張作霖は一足先に殺されていた。歴史上有名な張作霖爆殺事件である。この事件はいまだに謎が多いが、張作霖は貨車もろとも爆破され、内蔵が飛び出したという。

小明王の北伐に話をもどそう。

小明王の腹心、劉福通は、軍を3つにわけ、北伐を開始した。紅巾軍は破竹の勢いで進撃し、1358年5月、べん梁を陥落させた。べん梁は、現在の開封で、人口も石高も多く豊かな土地である。そこで、劉福通はここに都をおき、小明王を迎えた。

その後も、紅巾軍の勢いは止まらなかった。地方政府の官吏は、紅巾軍が進軍してくると、尻に帆を立てて逃げ去る有様だった。

一方、朱元璋にとっては千載一遇のチャンス。

「元軍 Vs 小明王」のバトルにまぎれて、ちまちま勢力を拡大したのである。朱元璋・紅巾軍は南と東の隣接地域に侵攻し、孤立した元軍を各個撃破した。その軍民を併呑すると、朱元璋は一大勢力にのしあがった。

この調子で、一気に天下平定?

ノー!

ライバルも急成長していたのである。

人生は甘くないですね。

《つづく》

参考文献:
「超巨人 朱元璋 運命をも変えた万能の指導者」 原作:呉晗 堺屋太一 志村嗣生、志村三喜子 講談社

by R.B

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