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週刊スモールトーク (第321話) 明の太祖・朱元璋2~父の夢~

カテゴリ : 人物歴史

2016.04.02

明の太祖・朱元璋2~父の夢~

■朱元璋誕生

中国・明朝を開いた「朱元璋(しゅげんしょう)」は、1328年9月18日、安徽省・鳳陽の孤荘村で生まれた。黄河、揚子江につぐ大河川「淮河」沿いにあった貧しい村である。父は朱五四といい、村の極貧小作だった。朱元璋はその四男として生まれ、「重八」という地味な名前をもらった。

幼少の頃、重八は病弱だった。お腹がふくれあがり、乳を飲むこともできなかった。しかも、朱家は食うや食わずの極貧、あと何年生きられるやら・・・ところが、この「乳を飲めない」が重八の人生を切り開いたのである。

というのも・・・

重八が生死をさまよっているとき、父の五四は夢を見た。お寺にお参りしているのだが、朝目覚めると、重八は乳を飲めるようになったという。これが機で、五四は重八を仏門に入れようと思い立った。

この父の夢と思いが、重八の命を救い、皇帝へと導いたのである。

赤子の頃、病弱だった重八は、成長すると、立派な体格になった。人より頭一つ背が高く、目と鼻が大きく、頬が張っている。力強く、精悍で、何かを成し遂げる顔つきだ。乱世にはうってつけの人相である。

重八は見てくれだけでなく、性格も乱世向きだった。子供の頃、こんなエピソードが残ってる。

重八が牛の番をしているとき、仲間が腹が減ったと言い出した。ふと、前を見ると牛(肉)がウヨウヨ・・・これを食べない手はない、そう思った重八は、仲間をそそのかして、牛を食ってしまった。猫にサンマの番をさせるようなものである。

ところが、空腹がおさまり、気が落ち着くと、みんな恐ろしくなった。牛を守るべき番人が、牛を屠殺(とさつ)したのである。

ところが、怖じ気つく仲間に向かって、重八はこう言い切った。

「言い出したのはオレだから、オレが責任を取る」

そして、重八は約束を守ったのである。事がバレて、飼い主にちょうちゃくされたのに、自分一人でやったと言い張ったのだ。

じつは、このときの泥棒仲間・・・周徳興(しゅうとくこう)、温和(おんわ)、徐達(じょたつ)は、後に重八の家臣となった。

牛泥棒の悪ガキ三人組が明朝創設の大功労者!?

「お友達特権」の感は否めないが、結果よければすべてよし。

ということで、人生の教訓を一つ・・・

才覚はないけど出世したい!なんて厚かましい輩(やから)にもチャンスはあるということ。勝ち馬に乗ればいいのだ。

ただし、条件がある。絶対に欲をかかないこと。

というのも、重八の仲間は「結果よければすべてよし」ではなかったのだ。

毒をもられて殺されたり、ぬれ気を着せられて処刑されたり・・・みんな哀れな末路をたどったのである。

つまりこういうこと。

自分に自信がなければ、勝てそうな馬に乗ること。ただし、勝ったら、さっさと降りること。いつまでも乗っていると、振り落とされて、後ろ足で蹴り殺されますよ。

■天涯孤独

話をもどそう。

1344年、重八が17歳になったとき、淮河流域で、干ばつが発生した。数ヶ月間、雨がまったく降らない。穀物は枯れはて、わずかに残った実も、イナゴの大群が食いつくした。結果、深刻な飢餓が発生した。

人間は、栄養不足になると、免疫力が低下し、病気にかかりやすくなる。そのため、疫病が発生すると、瞬く間に伝染するのだ。

このときもそうだった。

一旦、疫病が発生するや、住民が飢餓におちいった淮河一帯で、疫病が広がっていった。

重八の孤荘村も淮河沿いにあり、疫病に直撃された。朱家は重八と次兄の二人を残してみんな死んでしまった。こうして、重八の天涯孤独、波瀾万丈の人生が始まった・・・と話は続くのだが、その前に重大な話がある。

じつは、このとき、中国(淮河)をおそった疫病は・・・

教科書にも登場する史上最悪の疫病「14世紀のペストの大流行」の発生源だったのである。

この歴史的ペスト災厄では、世界中で1億人が命をおとした。住民が全滅した都市もあり、ヨーロッパでは3人に1人が死んだという。凄まじい犠牲者の数だが、発生源は中国だったわけだ。

このときのパンデミック(感染爆発)には理由がある。

じつは、この時代、「小氷期」に入っていたのである。地球全体で寒冷化がすすみ、干ばつと凶作で食糧が不足していた。つまり、人間の免疫力低下は世界中でおこっていたのである。

■仏門

重八は、家族を全滅させた疫病が、世界史に残る大事件になるとは知るよしもない。もちろん、家族を失った重八にとって、そんなことはどうでもいい。生きるか死ぬかなのだ。

生き残った重八と次兄は、日雇いの仕事をさがしたがムダだった。仕事もなにも、みんな村を逃げだそうとしていたのだ。

ところが・・・

ここで、奇跡がおこる。

近所の娘が、重八にこんな話をしてくれたのである。

「あんたのお父さんは、あんたを皇覚寺に小僧として預けるつもりだったのよ」

そういうと、娘はお香やろうそくを用意してくれた。1344年9月、重八は下働きの小僧として皇覚寺に入ることができた。

この頃、皇覚寺には親のいない子供や、行き場を失った罪人がたくさんいた。ただし、寺が慈善事業をしていたわけではない。下働きにこき使っていたのである。まともに人を雇うより、ずっと安上がりだったから。

ところが、凶作が続くと、皇覚寺に入る年貢が激減した。皇覚寺には20人ほどの小僧がいたが、全員は食べられない。そこで、口減らしのため、重八は托鉢行脚(たくはつあんぎゃ)に出された。寺に来てまだ2ヶ月もたっていなかった。

托鉢行脚とは仏僧の修行の一つだが、修行というより乞食に近い。信者の家を巡回してお経をあげ、代わりに、食べ物を恵んでもらうのである。

ところが、この乞食旅が重八の経験値と体力をアップした。

どの家が食べ物を恵んでくれそうか、どのタイミングで行けばいいのか、社会の仕組みを学んだのである。さらに、雨に打たれても、風に吹かれても、追い返されても、へこたれない忍耐力も身につけた。

つまり、こういうこと。

重八は、中途半端に不遇ではなく、とことん不遇だったから道が開けたのである。ふつうに貧乏だったら、朝から晩まで「野良仕事」に追われ、鍬(クワ)の使い方しか覚えられなかっただろう。これが活かせるのは百姓一揆ぐらい?もちろん、軍の指揮官や皇帝はムリ。

ところが、一家が全滅したものの、父の夢のおかげで、寺の小僧になることができた。さらに、乞食旅でグレードアップした後、反乱軍に身を投じ、指揮官から明朝の皇帝までのぼりつめたのである。

人生は、何が幸いするかわからない。

とはいえ、資質とスキルで皇帝になれるほど人生は甘くない。行き着くところは運命、邂逅(かいこう)がないと大成功はおぼつかないのだ。

重八は、苛酷な乞食旅で、それを得たのである。

その邂逅(めぐりあい)とは・・・

中国古来の宗教にして、秘密結社、中国王朝の天敵「明教」である。

《つづく》 

参考文献:
「超巨人 朱元璋 運命をも変えた万能の指導者」 原作:呉晗 堺屋太一 志村嗣生、志村三喜子 講談社

by R.B

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