BeneDict 地球歴史館

BeneDict 地球歴史館
menu

週刊スモールトーク (第320話) 明の太祖・朱元璋1~史上最強のリアリスト~

カテゴリ : 人物歴史

2016.02.20

明の太祖・朱元璋1~史上最強のリアリスト~

■嫌われる英雄たち

中国三千年の歴史・・・その中で、一番出世は?

明の太祖・朱元璋(しゅげんしょう)。「明」は、16世紀末、秀吉が攻めた中国の王朝である。

朱元璋の人生は地獄からはじまった。食うや食わずの極貧に生まれ、子供の頃に親兄弟と死に別れ、天涯孤独となった。そんなドン底から皇帝までのし上がったのだから、これに勝る「人生の幅=出世」はないだろう。

では、中国の出世組で最も人気がないのは?

同じく、朱元璋。

三国志の家来より人気がないのだから、その不人気は推して知るべし。

たとえば、蜀の丞相「諸葛孔明」はもちろん、主君殺しと裏切りの代名詞「呂布(りょふ)」よりも人気がない。というより、名が知られていないのだ。これは日本も同じ。秀吉が攻めた「明」は有名だが、その建国者は(朱元璋)、誰も知らない。

つまり、中国三千年の一番出世は、人気はサイテーというわけだ。もちろん、不自然なことには理由がある。

朱元璋の場合は・・・複雑怪奇な性格。

根拠は?

歴史書を読み解くと、彼の人生は矛盾だらけだから。

社会の最下層からスタートした朱元璋は、反体制派のリーダーとして頭角を現したのに、いっぱしの勢力になると、地主や知識人など体制派のエリートを重用した。反体制派から体制派へ鞍替えしたのである。これが第一の矛盾。

さらに、一兵卒のときは、忠犬ハチ公のように主人に仕えたのに、独立すると、自分が属する反体制派の頭目を暗殺した(河に沈めて)。これが第二の矛盾。

また、城の主の頃は、家臣と民を大切にし、殺生を忌み嫌ったのに、天下人になると、功労者や重臣を殺して回った。そして、民は・・・生かさず殺さず。これが第三の矛盾。

なんという矛盾、恥も外聞もないではないか!

性格が複雑怪奇か、根性がひん曲がっているか、どちらにせよ、ロクなもんじゃない!

というわけで、朱元璋は中国ではサッパリ人気がない(日本でも)。悪党なら悪党をつらぬく方がマシというわけだ。じつは、この傾向は三国志でも見てとれる。

三国志は、西暦200年頃、魏、蜀、呉の三国が争った物語。日本でも、戦国時代なみに人気が高い。主役は、言わずと知れた、魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備だが・・・一番人気がないのは?

魏の曹操。

これにはビックリだ。

曹操は政治と軍事に長け、リーダーシップも決断力もある。しかも、当代随一の文人なのだから、文武両道、万能型の天才といっていい。ところが、人気はサイテー!

さては、他の二人が超優秀?

ゼンゼン!

呉の孫権は温厚だが、人の意見に左右されやすく、決断したあとも、あーだこーだ。優柔不断の典型といっていい。

一方、蜀の劉備は善良で情に厚いが、そのぶん、冷静な判断がくだせない。義兄弟の関羽が戦死すると、私怨にかられ、諸葛孔明の反対をおしきって、呉に侵攻した。しかも、漢の名将「韓信」の猿マネで危険な「背水の陣」を敷いて、大敗した。これだけみると「暗愚」といわれてもしかたがない。

ところが、魏の曹操は、このような甘いところが一切ない。完全無欠のリアリストなのだ。

これだけ親分の資質に差があれば、国力の差も推して知るべしで・・・

人口 → 魏:呉:蜀=4.7:2.5:1

人材 → 魏:呉:蜀=2.3:1.3:1

呉と蜀が束になっても、魏一国にかなわない。事実、呉と蜀は魏に滅ぼされた。

というわけで、資質も実績も、曹操が一番なのに、人気では、

劉備 >> 孫権 > 曹操

出来物だろうがバカだろうが、実績があろうがなかろうが、関係ない。わかりやすいカタログ人間が人気があるのだ。たしかに、曹操は信義に厚い反面、恩を仇で返したり、勇敢かと思えば、恥も外聞もなくトンズラしたり・・・とにかく性格が複雑。

ということで、朱元璋が中国で人気がないのは、曹操なみに複雑怪奇な性格だから・・・で、一件落着。

でも、本当にそうだろうか?

■朱元璋の正体

じつは、朱元璋の言動は矛盾どころか、首尾一貫している。

たとえば、彼が反体制派から体制派に豹変したのは?

革命の本質が、戦争から政治に変わったから。政治に必要なのは、(無教養で)命知らずの農民ではない。法律や行政に長けた知識階級、つまり、インテリなのだ。だから、体制派のエリートを重用してあたりまえ。

裏切らない忠犬ハチ公から、主人殺しに豹変したのは?

反体制派から体制派に鞍替えしたのだから、敵(反体制派)の親分を抹殺するのはあたりまえ。

人を殺すのが大嫌いだったのに、重臣、賢臣を殺して回ったのは?

後を継ぐ息子の脅威になるから。

つまり、朱元璋の言動は矛盾していない。それどころか、驚くほど、首尾一貫している、「現実の問題を解決する」という一点で。

じつは、このようなタイプを「リアリスト(現実主義者)」とよんでいる。宗教やイデオロギーのような妄想(おっと失礼)にとらわれず、事実だけを頼りに、現実の問題解決に集中できる人。

リーダーならあたりまえじゃん、なのだが、実践するのは難しい。

たとえば・・・

百戦して百勝、大帝国を建設したアレクサンドロス大王は、死ぬ間際に、後継者を問われ、こう答えた。

「最も強い者」

アレクサンドロス大王らしいロマティックなセリフだが、この不用意な一言が帝国を大混乱におとしいれた。「最も強い者」を競って国が3つに分裂したのである。

アレクサンドロスは軍事の天才で、合理性もリーダーシップも備えていたが、根っこはロマンティストだった。

彼の征服事業をみればよくわかる。

ふつう、戦争は大人の事情「国の安全保障」に起因するが、アレクサンドロスの場合、子供の夢、つまり、地の果てを見たい!

つまり、彼の戦争は、征服事業の名を借りた「大冒険」なのである。

証拠もある。

ギリシャからインド西方までの広大な地域を征服しながら、領土経営そっちのけで、新しい大冒険「アラビア遠征」の準備に夢中だったのだから(出発する前に病死)。

アドルフ・ヒトラーもしかり。

明敏で狡猾で強固な意思を秘めた勝負師。その資質をいかんなく発揮したのがオーストリアとチェコスロヴァキアの併合だった。ヨーロッパ列強を恫喝して口先三寸、タダでもぎとったのだから。さらに、フランスを1ヶ月で征服し、意表を突いて、ソ連にも進攻、首都モスクワにリーチをかけた。ところが、肝心なところで、人種偏見にとらわれ、勝利を逃してしまった。

そのときの状況を再現してみよう。

1941年6月22日、ドイツ軍はソ連への侵攻を開始した。史上最大の作戦「バルバロッサ作戦」である(ノルマンディー上陸作戦が史上最大の作戦といわれているが誤り)。その2ヶ月後の8月に、ドイツ軍は要衝スモレンスクを占領した。

ところが、ここで不思議な出来事がおこった。

スモレンスクのロシア指導部が、ドイツ軍を歓呼で迎えたのである。

侵略者のドイツ軍を?

イエス!

スターリンの暴政から解放してくれたとカン違いしたのだ。

あげく、ロシア解放委員会まで設立して、100万人のロシア解放軍を提供すると申し出たのである。

ドイツにしてみれば、願ったり叶ったり、これをタナボタといわずして何という。ところが、あろうことか、ドイツ側はこの申し出を却下したのである。

バカじゃないの?

ヒトラーはバカではない。

「現実の報酬」より不毛の「人種偏見」を優先したのである。

イデオロギーの怖さはここにある。合理性を欠き、妄想の域を出ず、趣味嗜好とかわらないのに、みんなで信じればコワくない!(ちょっと言い過ぎたかな)

事実、ヒトラーはロシア人(スラヴ人)を蔑視していた。ソ連を征服したら、ロシア人の教育は「標識が読める程度に」と指示していたくらいだから。

ヒトラーはこう考えたのだ・・・世界に冠たるドイツ軍は純粋なアーリア人で編成しなければならない。スラヴ人を入れて雑種にするくらいなら戦争に負けた方がいい、と思ったかどうかは知らないが、結果はそうなった。

ただし、このようなアーリア人の神話はヒトラーのオリジナルではない。彼が登場する前から、ドイツ、フランスをはじめヨーロッパ全土に浸透していたのだ。

とはいえ、ヒトラーの人種偏見は高くついた。バルバロッサ作戦に動員されたドイツ軍は「300万人」。ロシア解放軍「100万人」が何を意味するかは明らかだ。

もし、ヒトラーが「人種偏見」より「戦争の勝利」を優先してロシア解放軍を受け入れていれば、スターリン帝国は崩壊していたかもしれない。もちろん、その場合、世界の歴史は一変する。

というわけで、「リアリスト」は、言うは易く行うは難し、なのである。

■最強のリアリスト

では、歴史上、最強のリアリストは?

近代なら、中国の毛沢東、ソ連のスターリンだろう。

二人に共通するのは・・・頭のてっぺんから足のつま先までリアリスト。事実だけをよりどころにし、すべてのリソースを問題解決に集中する。イデオロギーがあるようにみえるが、ブローチ(飾り)みたいなもので、正体は、文明の破壊者にして独裁的支配者。その徹底ぶりが功を奏して、劣勢を大逆転し、建国の父として崇められたのだ(今はビミョー)。

たとえば、毛沢東。

現在の中国(チャイナ)は、言わずと知れた毛沢東が建国した「中華人民共和国」である。ところが、蒋介石の「中華民国」の方が必然性があった(成功率という意味で)。

毛沢東は、生涯に2度、絶体絶命に追い込まれている(蒋介石によって)。ところが、それを辛抱強く乗り越えた。目的達成のためには手段を選ばず、たとえ、家族や同志を犠牲にしても・・・そんな「リアリスト」が彼を成功に導いたのである。

ヨシフ・スターリンもしかり。前述のバルバロッサ作戦で、絶体絶命に追い込まれた。

1941年8月、スモレンスクのロシア指導部の協力を拒否しても、ドイツ軍はなお優勢だった。その後も、ソ連軍は負け続け、同年9月までに、140万人が捕虜となった。開戦当初、ドイツ軍と対峙したソ連の兵力は300万人なので、半数が捕虜!?

勝ち目なし。

それでも、スターリンはあきらめなかった。最高司令官を兼務し、ソ連軍を完全に掌握し、挙国一致体制をとったのだ。

1941年9月30日、モスクワ攻防戦がはじまった。正面が400km、奥行きが300kmという広大な戦場である。戦闘は熾烈をきわめた。

ウクライナから進撃したグデーリアンのドイツ軍大戦車部隊は、冬の到来前に、モスクワを攻略できそうだった。ホープナー上級大将の第4装甲集団は、スモレンスクとモスクワの中間地点にいたソ連軍を粉砕した。

ドイツ軍主力の中央軍集団はモスクワから16kmまで迫っていた。総司令官ボック元帥は、双眼鏡でクレムリン宮殿の尖塔が見えたという。

モスクワは大混乱だった。ドイツ軍の大部隊がすぐそこに迫っているのだ。

10月に入り、ソ連共産党の機関誌プラウダが戦局の悪化を伝えると、市民はパニックにおちいった。そこへ、政府の要人がモスクワを脱出しはじめたから、たまらない。市民は我先にと鉄道の駅に殺到した。駅には放置されたスーツケース、衣服、ランプ、テーブル、ソファなどが散乱していた。

そんなおり、ルビヤンカ広場にあるNKVD(KGBの前身)の煙突から煙が上がった。機密文書を燃やしているのだ、指導部はモスクワを脱出するつもりなのだ・・・市民のパニックは極限に達した。街頭でスターリン批判を公然と口にする者も現れた。

万事休す。

じつは、このとき、スターリンも脱出の準備をしていた。特別列車が用意され、不測の事態に備え、ダグラスDC-3型機(アメリカ製)も待機していたのだ。

しかし、結局・・・スターリンは踏みとどまった。

首都モスクワが陥落し、政権は崩壊し、スターリンは縛り首、そんな恐ろしい終末が迫っていたのに。

では、スターリンはなぜ逃げなかったのか?

こんな状況なら、最高司令官が脱出してもおかしくないのに。たとえば、太平洋戦争中、フィリピンのアメリカ軍が日本軍に粉砕されたとき、マッカーサー最高司令官はオーストラリアに脱出した。部下と「I shall return.」というセリフを残して。

その後、運良くフィリピンにreturnしたからいいものの、それがなければタダの臆病者だ。つまり、最終結果が重要なのであって、過程はドーデモいい(ただし、日本軍は玉砕あるのみ)。

つまり、スターリンは自信があったのだ。

その証拠に・・・

11月7日のロシア革命記念日、ドイツ軍の接近が報じられる中、スターリンは恒例の軍事パレードを敢行している。余裕のよっちゃんではないか。

ではなぜ、スターリンは自信があったのか?

日本に潜入したソ連スパイ・ゾルゲの報告・・・日本は北進(ソ連領への侵攻)をあきらめ、南進(南方資源の獲得)に決定せり。

この決定が独ソ戦に重大な影響を与えた。

日本とソ連の国境に張り付いていたシベリア軍団をモスクワに転進させることができたから。その兵力は18個師団25万人。寒さに強く、最新装備をそなえたソ連の最精鋭部隊である。

ときあたかも、モスクワは零下30度~40度、ドイツ軍は凍てついていた。戦車のエンジンはかからず、機関銃は作動しなくなっていた。そんな中、12月5日、寒さに強い最強のシベリア軍団が出現したのである。こうして、形勢は逆転した。

つまり、第二次世界大戦でソ連が勝利のトロフィーを手にできたのは日本の南進のおかげ(+ヒトラーの人種偏見)。歴史は何がおこるかわからない。

■成功の方程式

話を朱元璋にもどそう。

朱元璋は、毛沢東やスターリンに匹敵する超リアリストだった。でないと、「明の建国」という大業は果たせない。

作家の堺屋太一は自著「超巨人 朱元璋 運命をも変えた万能の指導者(※2)」の中で、朱元璋を織田信長と豊臣秀吉と徳川家康をあわせたような巨人と持ち上げている。「明の建国」はそれほどの大業だったのだ。

理由は3つある。

第一に、明は中国の統一王朝で唯一、江南から興った王朝であること。中国の統一王朝のほとんどは、中華文化の発祥の地「中原」から興っている。つまり、「出自」のハンディを克服している。

第二に、敵が多かったこと。各地に体制派(地方政府)の勢力が居座り、革命を妨げていた。さらに、多くの反体制派が旗揚げし、相争っていた。

そして、最強は中央政府の元朝。首都北京を中心に、大軍を擁していた。宮廷内の権力闘争にあけくれていたが、腐っても鯛(たい)、かのチンギス ハーンの末裔なのだ。つまり、中国を統一するには、これらの勢力をすべて倒さねばならなかった。

第三に、明は中国を異民族からとりもどしたこと。「明」の前の「元」は、チンギスハーンの末裔のモンゴル族が興した王朝である。少数の異民族が大多数の漢族を支配していたわけだ(征服王朝とよぶ)。それをとりもどしたのだから、朱元璋は漢族の救世主、特別の意義がある。

こんな大業を成しとげたのだから、朱元璋はなみの皇帝ではない。だから、堺屋太一が言うように、朱元璋は超巨人といってもいいかもしれない。

ただし、

朱元璋=信長+秀吉+家康

はビミョー。

朱元璋は信長のような時代を超越した発想はないし、秀吉のようなスポーツカーを彷彿させるスピード感もない。どちらかと言えば、家康タイプ。大秀才で、周囲に目配りをしながら、バランスをとりながら、無理をせず、王道をいくタイプ。

ただし、朱元璋の場合、緻密さが図抜けている。今話題の弱いAI(コグニティブ・コンピュータ)のように。

つまり、朱元璋は「完全無欠のリアリスト=問題解決マシン」なのだ。

とはいえ、リアリストは人気がない。歴史上の人物をみれば明らかだ。

リアリストの代表は、曹操、毛沢東、スターリン。その真逆が、劉備、アレクサンドロス大王、ヒトラー。どちらに惹かれるかは明らかだ。

だって、そうではないか。

報酬付きの問題解決しか興味を示さない冷たいマシンより、有能なのに、抜けたところがあってがあって、どこか憎めない。そんな人間に惹かれるのが人情というものだろう。

とはいえ、せちがらい競争社会で成功するのは間違いなく「リアリスト」。そこで、朱元璋の人生から、成功の方程式を読み解くとしよう。人生を失敗しないために。

《つづく》

参考文献:
(※1)闇のファイル 戦火の陰に潜む人間像 吉田一彦(著) 出版社: PHP研究
(※2)超巨人 朱元璋 運命をも変えた万能の指導者 原作:呉晗 堺屋太一 志村嗣生、志村三喜子 講談社

by R.B

関連情報