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週刊スモールトーク (第300話) 人工知能の歴史(1)~冬の時代~

カテゴリ : 歴史社会科学

2015.09.11

人工知能の歴史(1)~冬の時代~

■反重力推進

「人工知能」は「反重力推進」のお仲間かもしれない。

できそうでできない・・・その前に、原理的に可能なの?という意味で。

もし、反重力推進が実現すれば、UFOのように曲芸飛行ができるし、空飛ぶ絨毯(じゅうたん)のように、空中浮遊もカンタン。輸送、建築作業、娯楽の世界で一大革命がおこるだろう。

とはいえ、「重力」は魔物である。

現在、確認されている自然界の力は4つ。原子核内で働く「弱い核力」と「強い核力」、「電磁力」、そして「重力」である。この4つの力を統一する「統一場理論」が完成すれば、制御可能な電磁力を介して、重力をあやつれるかもしれない。

ところが、2015年現在、統一できているのは弱い核力と電磁力のみ。中でも難儀なのが重力だ。他の3つの力とはまったく相容れず、孤高の力としてそびえ立っているのだ。そこで、重力だけ仲間はずれにして、弱い核力、強い核力、電磁力の3つを統一する「大統一理論」も提唱されているが、完成する気配はない。ましてや、統一場理論など夢のまた夢・・・

というわけで、反重力推進は、できそうでできない最たるテクノロジーなのだ(永久機関は原理的に不可能であることが証明されている)。

そして、人工知能もそのお仲間かも・・・

■コンピュータ誕生

史上初の実用コンピュータといえば、米国のENIAC・・・ところが、その100年前に、幻のコンピュータが存在したのだ。19世紀イギリスの数学者チャールズ・バベッジが設計した解析機関である。このマシンは、パンチカードでプログラムを組み替えることができ、順次制御、分岐、ループの機能を備えていた。設計思想だけなら、立派なコンピュータだ。

ところが、バベッジは偏屈者で、気まぐれで、研究の最中にヨーロッパ旅行をしたり、計画性のない人物だった。それが祟(たた)って、途中で資金がつき、マシンを完成させることができなかった。机上の空論、夢想で終わったのである。もし、完成していれば、史上初のプログラム可能なデジタルコンピュターの栄誉に輝いただろうに。

というわけで、史上初のデジタルコンピュータは「ENIAC」。1946年2月、米国のペンシルベニア大学で完成し、5ヶ月後に米国陸軍に納入された(大砲の弾道計算が目的だった)。

その後、コンピュータは長足の進歩をとげた、どころではない。70年間で、処理速度が「100兆倍!」になったのである。この間、航空機は時速700kmから時速2000km、つまり「3倍」。ハイテクの代名詞の航空機でさえこの程度なのだ。コンピュータの進化がいかに凄まじいか。

ところが・・・

「100兆倍」はコンピュータのハードウェアに限れられた。もちろん、ソフトウェアも、ハードの進化にあわせ、それなりに進化したが、フォンノイマン型アーキテクチャの壁を超えることはできなかった。ソフトのブレイクスルーは起きなかったのである。結果、人工知能も行ったり来たり。

行ったり来たり?

そう、この70年間で、2度の「冬の時代(停滞期)」を経験しているのだ。

■人工知能の始まり

「人工知能(AI=Artificial Intelligence)」という言葉が最初に使われたのは、1956年、アメリカで開催されたダートマス会議である。この会議で、「人間の知能」をコンピュータ上で再現することが、高々と宣言された。それを真に受けた企業や政府が、大学や研究機関に多額の研究資金をつぎ込んだのである。

気をよくした研究者たちは、実現性も実用性も吟味せず、アイデアを次々と形にしていった。

1958年、脳の神経細胞をモデルにしたニューラル・ネットワーク(パーセプトロン)が提唱された。人間脳を真似て人工知能をつくろうというのである。一方、コンピュータと相性のいいルールベースの研究も始まった。

ルールベースとは・・・

「もし、『二足歩行』かつ『言葉を話す』なら、それは人間である」

という風に、知識をルールで表すのである。それをコンピュータに組み込めば、コンピュータは、

「馬は人間ではない」

と判断できる。この方法なら、知識体系を丸ごとコンピュータに実装できそうだった。ところが、現実はそう甘くなかった。

たとえば、鉄腕アトムが誕生したら?

「二足歩行」で「言葉を話す」から、

「アトムは人間である」

と、コンピューターは答えるだろう。もちろん、人間ならこんな間違いはおかさない、たとえ子供であっても。

それなら、ルールを書き換えれば?

「もし、『二足歩行』かつ『言葉を話す』かつ『有機体』なら、それは人間である」

という具合に。

では、有機物で作られたサイボーグが誕生したらどうするのだ?

また、ルールを書き換えればいい。

「もし、『二足歩行』かつ『言葉を話す』かつ『有機体』かつ『魂をもつ』なら、それは人間である」

でも、待てよ・・・いつまで続くのだ、この不毛の修正作業?

アイテムが増え続ける限り、つまり、文明が滅亡するまで。

この方法じゃダメかも・・・とフツーの人は気づく。もちろん、聡明な人たちも気づく。そんなこんなで、企業も政府も研究資金を引き揚げてしまった。

こうして、研究者たちの鼻はへし折られ、人工知能の冬の時代が始まったのである。

■人工知能の冬の時代

ところが、科学者たちはめげなかった。1980年代に入ると、分野をしぼった「エキスパートシステム」に目を付けたのである。たとえば、医者の知識をルール化して、コンピューターに組み込めば、医者にかわって、コンピュータが診断できる(はず)。ルール化の効率を上げるため、「推論コンピューター」も提唱された。

それを加速したのが、日本の「第五世代コンピュータプロジェクト」だった。1981年、通産省が提唱し、ICOT(新世代コンピュータ開発機構)が推進する一大国家プロジェクトである。

目標は「人間脳を超える人工知能」を造ること。それから、10年経った1992年、プロジェクトはひっそりと解散した。使えない並列推論マシンとプログラミング言語だけを遺して。

結局、「第五世代コンピュータプロジェクト」は社会に役立つものを何一つ作れなかった。プロジェクトは完全に失敗したのである。

こうして、第二次冬の時代が始まった。同時に、この事件が人工知能のトラウマになった。以後、人工知能といえば、詐欺師、ペテン師、オオカミ少年・・・

コンピュータが人間のように思考し、推論し、問題解決する?医者も弁護士も科学者もいらなくなるって?

ウソつけ、3回もダマされるバカはおらんわ!(オオカミ少年ですよね)

それでも、科学者たちはめげなかった。人工知能への挑戦は続いたのである。その結果、状況はさらに悪化してしまった・・・あらら。

■北極カモメのトルーマン

北極カモメのトルーマンは、巣を必要としていた。トルーマンは、小枝を探した。小枝は見つからなかった。トルーマンは、ツンドラの方へ飛んで行った。トルーマンは、北極グマのホーラスに会った。トルーマンはホーラスに、小枝はどこにあるのか、と質問した。ホーラスは、小枝を隠した。ホーラスはトルーマンに、小枝は氷山の上にあると教えた。トルーマンは、氷山に飛んで行った。小枝は見つからなかった。ホーラスは氷山に泳いで行った。ホーラスは肉を探した。トルーマンは肉だった。ホーラスはトルーマンを食べた(※1)。

なんのこっちゃ?幼稚園児が書いた小説?

ノー!人工知能が書いた小説!

単語と文の意味はわからんでもないが、何が言いたいのかサッパリのこのお粗末な小説は、1993年、「小説執筆プログラム(人工知能)」によって書かれた。「TAILOR」という名前もあったらしいが、それは忘れていいだろう。

この惨潅たる結果に、「努力家ではあるのだが」とお情けの評価を下した科学者もいたが、それも忘れていいだろう。なにはともあれ、こんな小説に「知能=知性」を感じる人はいない。

というわけで、1990年代に入っても、「人工知能」はこんなもんだった。

人間のように感情をもち、人間のように思考し、人間のように創作する、そんな高見を目指した結果が「北極カモメのトルーマン」?

ジョーダンはよしこさん(寒)。

人工知能どころか、エセ知能、マガイモノ、パチモン(ちょっと言い過ぎたかな)。しかも、何の役にも立たないのだから、人工知能への期待と信頼が地に落ちるのは、あたり前田のクラッカー(寒)。

ところが・・・

1990年代後半から、状況は一変する。

主役は、人工知能の先駆者IBMと、人工知能型検索エンジンで世界制覇をもくろむGoogle。一馬身おくれて、宝の山「ビッグデータ」を隠し持つFacebook、三馬身おくれでペッパー&ワトソンで感情認識AIを狙うソフトバンク、五馬身おくれで、手ぶらで参入したApple

役者はそろった。さて、何が飛び出すやら・・・

《つづく》

参考文献:
(※1)「次の500年繁栄に終わりはあるか科学の予感を遥かに超えた別の国ミラクル・ワールドへの旅立ち」エイドリアン・ベリー(著),三枝小夜子(著),茂木健一郎(著)出版社:徳間書店。
(※2)「人工知能人類最悪にして最後の発明」ジェイムズ・バラット(著),水谷淳(翻訳)出版社:ダイヤモンド社

by R.B

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