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週刊スモールトーク (第30話) ライブドア事件の原因 ~堀江貴文~

カテゴリ : 人物経済

2006.01.04

ライブドア事件の原因 ~堀江貴文~

■護送ライブ

まわりが騒然とすると、本筋を見失うことがよくある。誰かが逮捕されたとして、拘置所までの護送を一部始終ライブ、というのはあまり聞かない。今回のライブドア社長堀江貴文氏の逮捕はそれであった。周囲を取り巻く世界すべてが、騒然としていた。同時刻、インターネットのニュースを見ても、その空気は伝わってこない。やはり、活字主体のメディアでは、伝えられる情報に限界があるのだ。テレビが持つパワーをあらためて、思い知らされた。

むろん、護送をライブしてみたところで、並の容疑者では見向きもされない。選択が必要なのだ。それは、知名度、社会的地位だけからくる単純なものではない。ライブドア堀江氏だからこそ成立したといえる。その理由は説明しがたいが、これを瞬時に見抜き、放映するテレビ局の感度というのもすさまじい。考えてみれば、驚くべき能力である。

一方、テレビ局が報道する生中継にくらべ、そこに登場するコメンテーターたちはいかにも力不足だった。短時間のコメントで目立とうと、気の利いた台詞を捜すのにやっきになっているのが、手に取るようにわかる。仕事柄しかたがないのだが、見ていて辛い。そもそも、たった1分で、もの事の本質を語れるわけがない。

■だまされた株主?

それにしても、大衆迎合的なコメントだけは不快である。中でも、「ライブドア堀江氏の最大の罪は、株主の利益を損ねたことだ」という株主被害者論。ライブドア堀江氏を「カネのためなら何でもする」と責め立てるが、株を買うこと自体が「働かずしてカネを儲ける」という事実を忘れていないだろうか。

いや、株主は法を犯していないが、ライブドア堀江氏は法を犯したという反論もある。まったく、そのとおりだ。だが、法律という網を取り払えば、そこに人間の本質が見えてくる。それは、人間が便宜上造りだした法律より、はるかに本質的で重要な部分である。その世界では「カネのためなら何でもやる」と「働かずしてカネを儲ける」は、同根、同質なのだ。

そもそも、「会社が倒産すれば、すべてチャラ」は世界中の人が知っている。それでも株を買うのは、「あわよくば2倍、いや10倍になる」という「破滅覚悟の金銭欲」が源流にある。元本保証で、うまくいけば何倍にもなる、という事はありえないのだ。だいたい、銀行預金ですら元本保証ではなくなっている。たとえ、国家が保証したとしても、疑ってみるべきだろう。もっとも、大半の株式投資家はそれくらいの覚悟と認識は持っている。声高に騒いでいるのは、一部の評論家ぐらいだろう。

一方、ライブドア堀江氏が法を犯したとすれば、法治国家日本はそれを許さないだろう。われわれが安心して暮らせるのは、法があり、それを執行する国家権力があるからだ。この「法」がどれほど価値があるかは、無法地帯の惨状を見ればよくわかる。科学、スポーツ、芸術、生活、人間世界の営みは法なくして成立しえないのだ。

今回の東京地検特捜部の迅速な調査、逮捕は、この国の法がまだ機能していることを証明した。一方、この手の国家権力は、度が過ぎると戦時中のような悲劇をもたらす。豊かな社会、実りある人生は、高度なバランスによってのみもたらされる。そして、この世界のバランスを保っているのは、国家権力、マスコミ、民衆である。

■株大暴落の謎

今回のライブドア騒動は、青天の霹靂だった。年明けの1月16日、ライブドアに東京地検の強制捜査が入る。翌日から、猛烈な株の暴落が始まった。銘柄はライブドアにとどまらず、全銘柄に飛び火する。さらに、1月18日には東京証券取引所で全銘柄の取引が強制的に停止された。取引量がコンピュータシステムの限界に迫ったからである。前代未聞の出来事で全くの想定外だった。

過去にも、何度も株の暴落はあったが、そのときと比べ、何かが違う。ライブドアの強制捜査で、ライブドア株が暴落するのは想定内だが、全銘柄を巻き込んで、これほど売り込まれるのはおかしい。ライブドアが窮地に追い込まれれば、当然ライバルのIT企業は潤う。まして、他業種の銘柄は全く関係ない。株式市場そのものへの不安感が噴出したとも言われるが、もともと株の世界の本質は「不安」なのだ。

この暴落の原因として挙げられるのが、インターネットによる株式投資である。その手軽さから、個人投資家が急増し、取引量も急増している。その分、パニックのスケールも桁違いだ。しかも、インターネットは同時性、同質性、迅速性をもつ。何か事が起これば、情報は瞬時に世界中に伝わるのだ。ドミノのように。

■人生の浅瀬と渚

あるコメンテーターによると「ライブドアはオームに似ている」という。被害者を株主に見立てての話だろうが、ライブドア堀江氏が、株主に損害を与える意志がなかったことは確かだ。株主の損害はライブドア株価の暴落であり、ライブドア株価の暴落は、堀江氏自身の破滅を意味するからだ。その最も分かりやすい証拠が、目の前で起こっている現実である。

ライブドア堀江氏は、むしろ、株主の利益を守るために死力を尽くし、結果、法まで犯してしまったといえる。もちろん、そこには、
「株主の利益=ライブドアの利益=堀江氏の利益」
という分かりやすい構図もあるのだが。

「およそ、人のなすことには潮時というものがある。一度、そのさし潮に乗じさえすれば、幸運の渚に達しようが、乗りそこなったら最後、この世の船旅は災難つづき、浅瀬につっこんだまま、一生身動きがとれないものだ」

かのローマ皇帝カエサルの言葉である。この世界に住むほとんどの人は、浅瀬に突っ込んだままなのかもしれない。本当は、沖に出れば、素晴らしい世界があるのだろうが、浅瀬を漂いながら、人生を終えるのである。ところが、何かの拍子に、「さし潮」に乗り、一気に大海に乗り出し、世界中を旅し、夢のような人生をおくる人がいる。ライブドア堀江氏もそうだった。わずか10年で、600万円から8000億円である。

■カネがすべて?

一方、「カネがすべてじゃない」と言う人もいるが、当たり前である。末期ガンは1兆円積んでも治せない。とはいえ、カネの恐ろしさは、みんな知っている。あのフジテレビが、小さな新興企業にもう少しで乗っ取られるところだったのだ。ライブドア堀江氏が「カネが第一」と言ったのは、カネの本質を分かりやすく表現したに過ぎない。その言葉尻をつかまえて、責め立てるのは、重箱をつつくに等しい。むしろ、恐ろしいカネの本質を見誤っている。この世界を支配しているのは、間違いなく「カネ」なのだから。

個人的には、カネも資本主義も嫌いである。補食動物が生命維持のために小動物を殺すように、生活のために小銭を稼いでいるだけだ。1食数万円の食事をする人がいる一方で、水資源の枯渇からくる感染症で、毎日1万人以上の子供たちが死んでいる。カネがないだけで、水も飲めないのだ。エイズの進行を止める薬はあっても、最も必要なアフリカの貧村には届かない。特許料という「税金」が加算され、金持ちしか入手できないからだ。

水も薬もあふれるほどあっても、カネがなければ手に入らない。「カネがなければ、生存すらできない」のだ。この裏言葉が
「カネがあれば何でも買える」
つまり、ライブドア堀江氏は、真実を語ったに過ぎないのだ。この発言を否定する者はすでに十分なカネを得ているに違いない。

■資本主義の怖ろしさ

世界を支配しているのは「資本主義」である。たとえ、共産主義国家であっても。これはとてつもない矛盾だが、歴然とした事実である。また、資本主義の本質は「金融業であり、金融業とは「カネを貸して、働かずに稼ぐ仕事」をさしている。資本主義は産業革命以降、物づくりが支配したが、今では金融が支配している、と嘆く人たちがいる。しかし、歴史を見れば違う部分も見えてくる。

産業革命が始まる前、南ドイツにフッガー家という世界一のお金持ちがいた。この一族は、やがて恐ろしい金融資本を体現していく。フッガー家は、織布業で成功したが、その後、ヴェネツィアとの仲介貿易、鉱山業へと手を広げていった。別に鉱山採掘のための画期的なシステムを発明したわけではない。鉱山業に投資しただけのことである。さらに、フッガー家は、神聖ローマ帝国ハプスブルク家や他国にまでカネを貸しつけるようになる。

また、ドイツで起こった有名な宗教戦争では、カトリック派の国王軍にカネを貸す一方で、敵であるルター派諸侯にも融資した。さらに、ローマ教皇庁への貸し付けの返済の代わりに、免罪符の販売まで行っている。免罪符とは、カネさえ払えば罪が許されるという、天国へのフリーパス。このバカげた所業は、1517年、ルターの宗教改革の原因となった。

死の商人ここに極まり

ライブドア堀江氏の所業など稚戯に等しい。「カネがあれば、なんでもできる」というルールが、16世紀にすでに確立されていたことがわかる。そもそも、金融業は資本主義よりはるかに歴史が古い。ライブドア堀江氏はこのルールに気づき、そのまま口に出しただけのことである。問題は、口に出した者の氏名ではなく、それが真実か否かだ。

■欧米金融資本の正体

そして、このルールは今も力を失ってはいない。かつてのフッガー家の血脈が、現代の欧米の金融資本に継承されているのだ。彼らは、物づくりに理解を示す振りをしながら、じつは相手にしていない。画期的な発明も、優れたサービスも、すべてカネで買えるからだ。買収さえすれば、すべてが一瞬にして「わが物」。

彼らは、物づくりで負けても、金融の支配権まで譲るりつもりはない。日本だけでなく、世界中の優れた企業を、カネで丸ごと買っていく。それをくい止める唯一のパワーが国家権力だが、最近は、「経済のグローバル化」とかで国境までとっぱらわれている。

グローバル化は「統合による世界の幸福」を目指しているのではない。各国固有の伝統や文化を破壊し、地上の価値すべてを「カネ」に帰着させる欧米金融資本の戦略なのだ。最近、日本の企業はもちろん、日本の土地やビルまで、海外の金融資本に買いまくられている。この事実がどれだけ知られているのだろう。本人の意図、意識に関わらず、ライブドア堀江氏は世界に君臨する欧米金融資本に立ち向かっていく挑戦者に見えたのである。

■欧米金融資本への挑戦

ライブドア堀江氏は、物づくりのはかなさを感じる一方、金融の恐ろしさを理解し、自らが金融世界の覇者たらんことを望んだのかもしれない。彼が欧米金融資本と接触していたことは公然の事実である。そして、何百年もの歴史をもつ欧米金融資本に学びながら、最終的には彼らを支配せんと目論んだのではないだろうか。それが彼が目指した「時価総額世界一」である。

時価総額ほど、金融資本の本質を言い当てる言葉はない。
「時価総額=株数×株価」
つまり、発行株数が多いほど、株価が高いほど値は大きくなる。一方、企業の売上や利益、製品やサービスの競争力とは無関係である。では、こんな数値に何の意味があるのか?

じつは、時価総額は企業買収で最も重要な指標になる。たとえば、企業を買収しようとすれば、「時価総額=発行株数×株価」のお金が必要になる。つまり、
「時価総額=企業の価値」
これが地球のグローバルスタンダードなのだ。

言動から推測するに、ライブドア堀江氏は金融帝国を目指したことは間違いない。一方で、数百年の歴史をもつ欧米金融資本に勝てないことも理解していただろう。だからこそ、破滅覚悟で、グレーゾーンを突っ走ったに違いない。数百年を10年で追いつくには、これしかない。これは、善し悪しの問題ではなく、選択の問題だ。ライブドア堀江氏には、常にこのような「不退転の危険」が感じられた。

金融の世界は、他の産業とは本質的に異なる。ほとんどの産業の根底にはサービスがあるが、金融には「征服と支配」しかない。戦争よりたちの悪い暗黒大陸、こんな世界に、製造業やサービス業の尺度など通用するはずがない。

■婆娑羅(バサラ)堀江貴文

ライブドア堀江氏には、「かぶき者」の匂いがした。「かぶき者(傾奇者)」とは既存の伝統、権威、常識を破壊し、自由奔放に生きる者をいう。かぶき者をさらに踏み込んだのが「婆娑羅(バサラ)」。婆娑羅は、かぶき者に、派手で豪奢な生活を送る要素も加わる。ライブドア堀江氏は、まさにこれだった。

若者は就職難で、年配者はリストラに怯え、みな海岸の浅瀬を漂っている。そういう世相にあって、ライブドア堀江氏は「さし潮」に乗って、瞬く間に渚までこぎ出した。伝統と権威の破壊者であり、豪奢で派手な生活を送る姿は、浅瀬に漂う人々にとって、まぶしく映ったことだろう。それを敏感に嗅ぎ取ったマスコミは、良きにつけ悪しきにつけ、「ホリエモン堀江貴文」を持ち上げた。これは、社会の必然であり、時代は、彼を求めていたのである。

■第2の人生

「散りぬべき時、知りてこそ、世の中の、花は花なれ、人も人なれ」

戦国時代、明智光秀の娘細川ガラシャが詠んだ句である。晩年であれば、この句をかみしめ、覚悟を決めるのもいいだろう。しかし、ライブドア堀江氏はまだ33歳。法を犯したのならそれを償い、もう一度やり直せる年齢である。

ライブドア堀江氏には「守銭奴」の臭いがしなかった。銭に操られる奴隷の卑屈さが感じられなかった。法もギリギリ、命もギリギリ、すべてを再投資し、息も切らさず駆け抜ける。最大のリスクをかけ、欧米金融資本に挑んだその心意気は、われわれ日本人がとうの昔に失った覇気である。彼の功績と意義は、まさにここにあった。だが、刑務所の塀の上を疾走した結果、刑務所側に落ちてしまった。すべてを精算して、今度こそ法を順守して、若者の真の希望となることを願ってやまない。

by R.B

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