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週刊スモールトーク (第3話) カリブの海賊 ~ポートロイヤルの呪い〜

カテゴリ : 歴史

2005.06.28

カリブの海賊 ~ポートロイヤルの呪い〜

■パイレーツ・オブ・カリビアン

2004年、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」が日本でも公開された。欧米で人気のカリブの海賊ものである。人気俳優のジョニー・デップが、とぼけた海賊役を演じ、女性に好評だったし、CGと実写のハイブリッドな映像もなかなかリアルだった。ところで、この映画のサブタイトルは「呪われた海賊たち」だが、映画の舞台となった港町ポートロイヤルもまた「呪われた町」であった。そして、こちらのほうは、れっきとした歴史的事実である。

ヨーロッパ世界で、ポートロイヤルは「新世界のソドム」と言われるほど縁起の悪い町である。ここでいう「新世界」とは南北アメリカ大陸をさす。もちろん、ヨーロッパ人にとって「新大陸」というだけで、ヨーロッパもアメリカも歴史の古さに変わりはない。そして、ソドムといえば、旧約聖書に登場する悪徳の町、神の怒りを買い、丸ごと焼き払われた町だ。

旧約聖書・創世記によれば・・・

ロトとその家族はソドムの町に住みついた。ソドムの人々は悪徳のかぎりをつくしたので、神はソドムとその隣の町ゴモラを滅ぼすことにした。神はロトに、2人のみ使いをつかわし、それをつたえた。み使いはロトに言った。「あなたの妻と2人の娘たちをつれて、急いで町を出なさい。そして命がけで丘まで逃げなさい。そうすれば、あなたがたは殺されることはないでしょう。ただし、途中で振り向いてはなりません」

ロトと家族は言われたとおり、丘にむかった。ところが、ロトの妻はソドムの暮らしを懐かしみ、後ろを振り返る。その瞬間、ロトの妻は塩の柱にされてしまった。こうして、ソドムとゴモラは焼きつくされ、二度と再生されることはなかった。

■海賊の町

ポートロイヤルはカリブ海の中央に位置し、17世紀中ごろ、大いに栄えた。カリブ海ルートの要衝であり、500隻もの船舶が停泊できる港を備え、貨幣鋳造所まであったという。さらに、1人当たりの貨幣流通額はロンドンを上回るほどだったが、胸を張れない事情もあった。というのも、ポートロイヤルは海賊の町だったのである。

ある日、1人の牧師がポートロイヤルの船着き場に着いた。イエスの教えをひろめるため、堕落した人々の魂を救うためである。ところが、牧師は来た船と同じ船で帰ってしまった。神のみ使いであり、崇高な魂をもつ聖職者さえ、1日も滞在できないほど、町は腐敗していたのである。

賭博場、売春宿、居酒屋がところ狭しと並び、海賊、人殺し、悪徳官吏が町をのし歩く。さらに、臭いをかぐだけで卒倒しそうなラム酒が人々の理性をむしばんでいた。まさに、カリブの海賊が集まる悪徳の楽園、聖人には1日たりとも暮らせない町であった。ところが、この町はれっきとしたイングランド国籍だったのである。

■ヨーロッパ人の侵略

イングランド国籍?エリザベス女王が統治する海賊の町?地球上で、こんな奇妙な町が生まれたきっかけは、コロンブスの新大陸発見までさかのぼる。政治手腕は冴えないが、抜群の航海術をもつコロンブスは、1492年10月12日、バハマ諸島の小さな島に上陸した。そこで、コロンブスは島民を集め、誇らしげに「スペイン領」を宣言した。代々、島で暮らしてきた島民にしてみれば、仰天するような話だが、言葉が通じないのが幸いした。

このコロンブスの発見をきっかけに、ヨーロッパ人による地球規模の侵略が始まった。今流行の「グローバリゼーション(世界の一体化)」である。コロンブスの発見から30年後、同じスペインのトレジャーハンター、コルテスがアステカ文明を征服。さらにその11年後、コルテスから資金援助を得、征服手法を学んだピサロは、ペルーのインカ帝国を滅ぼした。ピサロは、大学中退のインテリのコルテスとは違い、字も読めなかったが、その残虐さと持ち前の無鉄砲さで歴史に名を刻んだ。

こうして、スペイン王室は新大陸侵略のさきがけとなった。もちろん、ヨーロッパ世界の強欲なライバルたちが指をくわえて見ているはずがない。

■カリブ海の海賊

歴史は複雑にからんでいく。1517年、ルターの宗教改革で、ヨーロッパ世界は混乱期に入った。フランスでは、キリスト教徒がカトリック派と改革派に分裂し、戦争にまで発展する。カトリック派は改革派を侮蔑をこめて「ユグノー」と呼んだが、彼らの一部は新天地を求め、カリブ海にやってきた。ところが、彼らを食べさせるほどの仕事はない。結果、ユグノーの多くはカリブの海賊となっていった。彼らの最初の仕事は、新大陸の収奪品を運ぶスペイン船を襲撃することだった。つまり、略奪の略奪。

一方、スペインの支配下にあったオランダでは、1568年から独立運動が始まった。カトリックの擁護者を自認するスペインに対し、オランダはその反対の改革派となった。1600年、オランダは東インド会社、西インド会社をつぎつぎと設立、世界貿易の征服にのりだす。

イングランドやフランスの株式会社は、一航海ごとに会社を精算したが、オランダの株式会社は、10年間は資本を返却する必要がなかった。そのため、オランダ東インド会社は長期的視野に立って経営をすることができた。こうして、オランダ船もカリブ海にやってきたが、初仕事は「貿易」ではなく、スペイン船の襲撃だった。つまり、カリブの海賊。

一方、イングランドでも、スペイン王室を悩ます事件が起こった。政治的手腕は大したものだが、芸術と女に目がない国王ヘンリー8世は、離婚を認めないカトリック教会に腹を立て、イングランド教会を設立したのである。こうして、イングランドも反カトリックにつき、スペインと対立した。

さらに、スペインの不幸はつづく。エリザベス1世の治世がはじまると、歴史年表に名を刻む希有の海賊、フランシス・ドレイクが登場する。彼もまた、スペイン船を略奪し、結果としてイングランドに貢献した。その後、エリザベス1世の後ろだてをえたドレイクはイングランド艦隊の提督にまでのぼりつめ、スペイン無敵艦隊(アルマダ)を壊滅させる

■バッカニア

こうしてカリブ海は、フランス、オランダイングランドの海賊であふれかえり、スペインの不幸も増していった。スペインが新大陸から収奪した財宝は、カリブ海で海賊に奪われ、スペイン国王の元にとどくことはなかった。この略奪者たちは、パイレーツ(海賊)ではなく、バッカニアと呼ばれたが、明確な定義はない。パイレーツは私的略奪だが、バッカニアはビジネス的略奪?パイレーツはどこの馬の骨ともわからん連中だが、バッカニアは国家公認。まぁ、スペインにしてみればどっちでもいい。呼び名がなんであれ、略奪されることに変わりはない。どれもこれも忌まわしいカリブの海賊である。

■審判の日

このバッカニアの拠点がポートロイヤルだった。ポートロイヤルは、17世紀中頃までスペイン領だったが、イングランドが占領したのである。その後、ポートロイヤルはバッカニアの町として大いに栄えた。彼らは、この町を拠点として、周囲の植民地を攻撃し、略奪し、悪の限りを尽くしたのである。

しかし・・・

神がソドムとゴモラを許さなかったように、ポートロイヤルにも最期のときがきた。1692年、巨大地震がこの町を襲ったのである。大地が大きく裂け、人々を呑み込み、再び閉じて、首だけが地上にころがった。その首を犬がむさぼったという。やがて、大津波がおしよせ、町の大半は海に沈み、跡形もなくなった。こうして、カリブの海賊王国は滅んだ。新世界のソドムとなったのである。

参考文献:
増田義郎監修「海賊大全」東洋書林

by R.B

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