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週刊スモールトーク (第291話) バブル崩壊(1)~失われた20年~

カテゴリ : 社会経済

2015.06.13

バブル崩壊(1)~失われた20年~

■バブルのトラウマ

日本人ほど、悲観的で、反省好きな民族もいない。

これは、皮肉でも、憶測でもない、歴史が証明する事実である。

たとえば・・・

バブル崩壊後の株価低迷の謎は、この日本人気質で説明できる。

ここでいう「バブル」とは「バブル景気」のことで、1986年~1991年の「平成バブル」をさす。

あれは・・・ギラギラした時代だった。

株、不動産、ゴルフの会員権、資産と名のつくものは何でも値上がりした。そんなあぶく銭で、国中が贅沢三昧、毎日がお祭りだった。ところが、バブルが弾け、すべての資産はあっという間に暴落。中でも、株価の落ち込みは異常だった。

ここで、あの時代の株価をみてみよう。

1986年にバブル景気が始まり、1989年末、日経平均株価は史上最高値の「3万8915円」をつけた。ところが、翌年、歯車が逆回転をはじめ、急降下が始まった。そして、2011年末に「8455円」の大底をうったのである。

でも、株は上がったり下がったりがあたりまえ・・・

もちろん。

だが、問題は程度だ。

「20年間」も下がり続けたあげく、ピーク時の「1/4」にまで下落したのである。戦争や、未曾有の大災害が発生したならいざ知らず。

これがいかに異常な事態か、歴史で検証してみよう。

世界史上、最も有名な株の暴落は「ウォール街大暴落」である。1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街で株価の暴落が始まり、1932年7月に大底をうった。この間の下落率は「89%」、凄まじいとしか言いようがない。

ところが、この大破局はアメリカ一国にとどまらなかった。世界中に伝搬し、世界大恐慌を引き起こしたのである。中でも、ドイツに与えた影響は超弩級だった。経済は破綻し、国民生活はどん底に落とされ、落ち目のナチ党がよみがえり、ヒトラー政権が樹立されたのである。その後、ヨーロッパは第二次世界大戦へと突き進む。

ただし、第二次世界大戦の直接原因はヒトラーにあるわけではない。イギリスのチェンバレン首相の不用意な発言にある。それさえなければ、ドイツの戦争は東ヨーロッパとロシアに限られ、世界戦争にまで発展しなかっただろう。

チェンバレンの不用意な発言?

1939年3月31日、チェンバレンが下院で演説し、ポーランドの安全保障を約束したのである(ポーランドが攻撃されたらイギリスが助ける)。それに気を良くしたポーランドは、ドイツの外交提案を突っぱねた。控えめな提案だと思っていたヒトラーは激怒、ドイツ軍はポーランドに侵攻した。

こうなると、イギリスはドイツに宣戦布告せざるをえない。困惑したのがフランスだ。ドイツと戦争なんかしたくはない、でも、同盟国のイギリスの機嫌は損ねたくない。そこで、渋々とドイツに宣戦布告した。こうして、ヨーロッパ全土が戦争に巻き込まれたのである。

皮肉なことに、この戦争で一番損をしたのはイギリスだった。連合国の一員として、勝者の列に名を連ねたものの、国は大きく疲弊した。さらに、イデオロギーで相容れないソ連の台頭をゆるし、アメリカの哀れな従属国となったのだから。つまり、チェンバレンは国の最高指導者でありながら、国の未来を台無しにしたのである。

じつは、そんな未来を予言した人物がいた。イギリスの元首相で、下院議員のロイド・ジョージである。彼はこう言って、チェンバレンを批判した。

「ソ連の援助を確認せずに、かかる重大な責任(ポーランドの安全保障)を引き受けるのは、自殺に等しい愚行である」

これが真実であることは、その後の歴史が証明している。

というわけで、「ウォール街大暴落」は世界大戦の遠因になるほどの大事件だった。ところが、下落率は「89%」と大きいが、株価が下落した期間はわずか「3年間」。

一方、日本のバブル暴落は、下落率は「78%」で、期間は「20年間」。世界大恐慌を引き起こしたニューヨーク株式市場大暴落の「8倍」も長引いたのである。

しかも・・・

この時期、他の先進国では、株価は最高値を更新しているのに、日本だけがピーク時の1/4!?日本はGDP世界第二位の経済大国だったのに。

さらに・・・

銀行預金の利息は史上最低の年率0.025%。一方、配当が年率3%の会社はいくらでもある。配当の良い会社は業績がいいので、滅多につぶれないし、それどころか、元金が増える可能性もある。

つまり・・・

銀行の100倍の利息がつき(インカムゲイン)、元金が増えるかもしれない(キャピタルゲイン)株が、ずっと放置されているのだ。

一体、どうなっている?

じつは、不思議でも何でもない。冒頭の「反省好きな日本人気質」でカンタンに説明がつく。

バブルが弾けて、株で大損こいて、猛反省したのである。

「株みたいなバクチにハマった自分がバカだった。お金は額に汗して働いて稼ぐもの。だから、株にはもう二度と手を出しません!」

立派な心がけだが、今後も反省を繰り返すのは間違いない。

というのも、これは理性にもとづく反省ではない。バブル崩壊のトラウマ、つまり、恐怖と後悔の産物なのである。だから、失敗と反省を繰り返するのは必定。

冷静に考えてみよう。

たしかに、株は半分バクチだが、今の「インフレ&円安」なら、現金と銀行預金はバクチ以下。持っているだけで確実に目減りするから。一方、株は損することもあるが、得することもある。しかも、上手に運用すれば、たいていは後者だ。

さてどっちがお得?

■株の暴騰と暴落

ここで、戦後の日本の株価を見てみよう↓

kabuka_japan

グラフをカンタンに説明すると・・・

終戦の1945年から1985年まで、株価は一本調子で上昇している。焼け野原からの復興なので、景気は右肩上がりで、株価も右肩上がり。

そして、1986年末にバブル景気が始まる。これを加速したのが1987年のNTT上場だ。NTT株は、上場わずか2ヶ月で2.65倍に暴騰、株式投資ブームに火をつけたのである。グラフをみると、「NTT株上場→史上最高値」の上昇が凄まじい。まるで、V2ロケットだ。

ところが、1991年早々、バブルは崩壊、株価も急落した。このときの急降下も凄まじい。上がって下がっての急峻さはエベレストも顔負け(グラフ参照)。これでは、売りぬくヒマもない。しかも、その後、株価は20年間も低迷したのである。

そして、2012年2月、安部政権下でアベノミクスが始まると、株価は上昇に転じた。

では、バブルは再来するのか?

日本人の「反省好きな気質」を考慮すれば、「バブルは二度と起こらない」が主流だ。

しかし・・・

政府・日銀の露骨な「金融緩和&株高&円安」政策は、バブル景気への強い圧力になる。もちろん、政府はバブルになる前に、金融引き締めで、ソフトランディングを目論むだろうが、うまくいくかどうかはきわどい。一歩間違えれば、日本の国債が暴落し、ギリシャの二の舞になるから。

事実、最近の日銀の黒田総裁の言動を見ていると、「国債暴落」をマジで怖れている。

いずれにせよ、アベノミクスは、からむパラメータが多く、重み付けも難しいので、結末を予測するのは難しい。というわけで、今回は平成バブルにしぼろう。

まず・・・

バブル経済とは?

一言で言うと、極端な資産インフレ。つまり、株や不動産などの資産が、実体経済(適正価格)からかけ離れて、暴騰すること。

株価で説明しよう。

たとえば、株式市場の株の総量が「100」で、平均株価が10円とすると、

時価総額=10円×100=1000円

これが、株式市場の総額だ。

ここで、バブルが発生し、平均株価が30円になったとすると、

時価総額=30円×100=3000円

つまり、バブルが発生したことで、株式市場に「3000円-1000円=2000円」が流入したことになる。早い話、株が上がるというのは、株式市場に投資マネー(余剰資金)が流入することなのだ。だから、実体経済は関係ない。そして、1985年~1992年のバブル時代、株価は3倍になったので、株式市場に3倍の資金が流入したことになる。

では、そんな大金、どこから来たのか?

銀行預金などの安全資産からシフトしたのである。

しかし・・・

この頃の銀行利息は約「7%」で、2015年の銀行利息のなんと「280倍」!実際、10年預ければ、2倍になるのだ。

ではなぜ、利息が良くて安全な銀行預金から、リスク資産に大移動したのか?

ローリスク・ハイリターンの投資先がいくらでもあったから。たとえば、株。それを証明したのがNTTの上場だった。2ヶ月で、株価が2.65倍に跳ね上がったのだから。

■NTT神話

1985年4月、日本電信電話公社が民営化され、NTTが発足した。2年後に上場し、政府保有のNTT株が放出されることも決まった。

NTTは、非の打ちどころのない超優良企業だった。日本の電話事業を独占するガリバー企業で、電子通信の基礎技術では世界有数。ベル研究所を擁するアメリカ電話会社ATTに匹敵する超ハイテク企業なのだ。だから、値上がり間違いなし。そんな「NTT株神話」が創り出され、NTT株の人気が沸騰したのである。

NTT株は、一人一株に制限され、「株価119万円7000円」で募集された。割高にもかかわらず、10倍の申し込みが殺到し、抽選となった。

そして、1987年2月、上場すると、2ヶ月後には「318万円」の最高値をつけたのである。

銀行預金など、アホらしくて・・・

そこで、国民は柳の下の二匹目のドジョウを狙った。NTT株であれだけ儲かるんだから、他の株でも・・・こうして、株式市場に大量のマネーが雪崩れ込んだのである。株価が暴騰するのはあたりまえ。

マネーが流入したのは、株式市場だけではなかった。

この時代、日本には、「土地神話」があった。土地は絶対に下がらない、どころか、上がってあたりまえ。いわば、ノーリスク・ハイリターン。そんなこんなで、儲け話はどこにでも転がっていたのである。

こうして、企業、自営業、サラリーマン、主婦までが、株、債権、土地に手をそめた。借金して高額な分譲マンションを買い、賃貸料で借金を返済する強者もいた。もし、マンション価格が値上がりすれば、そこで売却すればいい。チンタラ家賃を稼ぐより、よっぽど手っ取り早いから。つまり、何をどうしようが儲かったのである。資産インフレが起こるのはあたりまえ。

さらに・・・

資産インフレは、思わぬところにも波及した・・・絵画である。

1987年3月30日、それを象徴するような出来事が起こった。英国ロンドンのオークションで、ゴッホの「ひまわり」が「53億円」で落札されたのである。落札したのは、日本の安田火災海上保険、現在の損害保険ジャパン日本興亜である。

絵画を鑑賞するために、53億円払う人いる?

いるわけない。

そんな大金を払わなくても、見る方法はいくらでもあるから。つまり、動機は所有欲と投資。しかし、動機はなんであれ、これを機に、日本で空前の絵画投資ブームが起こったのである。

そして・・・

バブルが生んだジャパンマネーは、海外不動産にまで侵出した。

円高・ドル安で、アメリカのモノがすべてが安くなったから。この頃、円はドルに対して2倍高くなっていたから、アメリカ製品、不動産はみんな半額。そこで、アメリカ不動産買収ツアーが組まれ、バスでアメリカ中の物件を見学し、買いあさったものだ。

それがTVで報道されたが、正当な取引とはいえ・・・浅ましい。まるで、今の中国だが、歴史は国を替えて、繰り返すのである。

そして、1989年11月、それを象徴する買収劇が起きる。アメリカ人の誇り、アメリカの富の象徴「ロックフェラーセンタービル」が、三菱地所に2200億円で買収されたのである。

日本の爆買い、ここに極めり。

この頃、日本では都市伝説が流布していた。円高でアメリカの不動産は半額、バブルで日本の不動産は10倍。

だから・・・山手線の内側の土地で、アメリカ全土が買える!?

■ジュリアナ東京

バブルは、国民生活にも浸透した。

夜の街もしかり。一晩で100万円散財するバブル紳士が現れた。さらに、夜、帰宅時に、タクシーがつかまらない。そこで、タクシーが空く2時頃まで飲み明かす・・・そんなバブリーな時代だった。

一方、健全な?娯楽にも、バブルの波は押しよせた。

まずは、ゴルフ。

ゴルフは本来、紳士のスポーツである。ところが、1980年代、ゴルフの大衆化がすすんだ。会社では、接待ゴルフが一般化し、土日のみならず、平日でも行われた(勤務時間中ですぞ)。この時代、1日コースを回れば、食事代も含めれば数万円。そんな贅沢な遊びに、学生やOLまでが興じたのである。

そして、スキー。

1987年、映画「私をスキーに連れてって」が公開されると、空前のスキーブームが起こった。その後、スキー人口はうなぎのぼりで、1993年には1860万人、5年間で1.8倍に膨れ上がった。この頃、土日、スキーに行くと、リフト待ち1時間があたりまえ。そこで、会社をサボッて平日スキーに行くのが楽しみだった。

バブルは「飽食の時代」も盛り上げた。

ボジョレ・ヌーボーの大ブームが起こったのである。ボジョレ・ヌーボーとは、収穫したてのブドウで造られるフレッシュワインのこと。ワインの味がロクにわからない日本人が、それで大フィーバーしたのである。解禁日前夜には、ボジョレ・ヌーボーが成田空港から都内のパーティ会場に運び込まれる様子がTVでも紹介された。

ワインの味なんかドーデモいい。肝心なのは、流行に乗り遅れないこと。見栄とツッパリが生んだ一大ブームだった。

身の丈で、人生を楽しむ今どきの若者世代からみれば、

バカじゃね?

さらに・・・

1988年、クリスマス限定のTVCMが大ブレイクした。JR東海の「クリスマス・エクスプレス」である。クリスマスの夜、新幹線のホームで待ち合わせる遠距離恋愛のカップル。なかなか会えない女心を山下達郎の甘いクリスマスソングが盛り上げた。キャッチフレーズは、

「ジングルベルを鳴らすのは、帰ってくるあなたです」

このCMが、恋人たちのクスマスに火をつけた。クリスマスの夜、二人は夜景の見えるレストランで食事をし、高級ホテルに宿泊するのである。費用はすべて男性もち。そこで、男性諸氏はこの日に備えて、アルバイトに精を出すのだった。

そして、バブル期の娯楽の金字塔といえば「ジュリアナ東京」。

東京の湾岸地区の「ウォーターフロント」に出現した巨大ディスコだ。ダンスフロア両脇に設置されたステージ「お立ち台」の上で、ワンレン・ボディコンの女性たちが、羽根付き扇子「ジュリ扇」を振り回して踊るのである。それを目当てに、3000人もの男が殺到した。「ウォーターフロント」はナンパのメッカだったのである。

■失われた20年

日本中がこんな風だから、景気は良くてあたりまえ。就職も異次元の売り手市場だった。企業は学生を接待し、入社した人にフェラーリを貸し出す企業まで現れた(ホントだぞ)。

じつは、あの頃、学生の接待を命じられたことがある。

物流メーカーで、歴史シミュレーションゲーム「GE・TEN~戦国信長伝~」を作っていた頃だ。人事担当の常務が、取りたい学生(総務配属)がいるので接待してくれ、というのだ。この学生はゲームが趣味なので、客寄せパンダにされたわけだ。接待に使った店は、金沢でも有名な老舗料亭だった。

高級料亭で学生を接待・・・そんな時代だった。

ちまたでは、こんなコピーが流布していた・・・

24時間戦えますか?

眠らない街、東京。

仕事も遊びも目一杯、ムダに凄い贅沢と消費。すべては泡沫マネーが生み出した夢世界だった。

というわけで、「バブル時代」といえば、悪しき時代の代名詞。悪徳と堕落が支配する新世界のソドム、神の怒りに触れて焼き尽くされた背徳の町・・・

しかし、今になって思えば・・・”熱い”時代だった。

誰もが自由奔放に、法律スレスレ、ときには乗り越えて、無制限に働き、遊んだ時代。ストイックで慎み深い日本人には、ありえないほど破天荒な時代だった。

しかし、宴はいつか終わる。1991年2月、バブルは崩壊、凄まじい不況が始まった。

多くの企業が倒産、金融機関も例外ではなかった。四大証券会社の一つ山一證券、名門の日本長期信用銀行も破綻に追い込まれ、日本中が驚愕した。

そして、生き残った銀行も不良債権に苦しんだ。不良債権とは、融資した債権が焦げ付くこと。

銀行は、融資の際に不動産などの担保を取る。担保が土地の場合、評価額の70%を目安に融資する。ところが、バブル期は、土地が値上げしていたので、高騰を見越して、100%以上融資することも珍しくなかった。

ところが、それがアダとなった。

バブル崩壊で融資先の多くが破綻したが、担保が役に立たなかったのだ。不動産価格が暴落したため、土地が融資額を下回ったのである。こうして、担保は、回収の見込みのない不良債権と化した。

その結果・・・

日本は出口の見えない大不況に陥った。これが、「失われた20年」である。

結局、平成バブルは、地上に楽園を出現させ、その後、底なしの地獄を現出させた。

では、そんな怪物はいかにして生まれ、崩壊したのだろう?

時間を巻き戻して、検証することにしよう。

《つづく》

by R.B

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