BeneDict 地球歴史館

BeneDict 地球歴史館
menu

週刊スモールトーク (第284話) アーリア人植民地計画Ⅳ~新ゲルマニア伝説~

カテゴリ : 思想歴史

2015.04.18

アーリア人植民地計画Ⅳ~新ゲルマニア伝説~

■新ゲルマニアの真実

フェルスター夫妻は、新ゲルマニアを「希望の楽園」と喧伝したが、本当は「地獄」だった。

でも、現地に行けばすぐ分かるのに、なぜそんなウソを?

2年以内に、140家族以上入植しないと、新ゲルマニアの土地が没収されるから。そうなれば、新ゲルマニアは破綻し、フェルスターは破産する。だから、「楽園」と言い切って、入植者を募るしかなかったのである。

いわく ・・・

気候は快適です、食べ物は木に成っています、純朴なパラグアイ人が召使いになりたがっています、もうすぐ学校と教会ができます、そのうち、鉄道も開通するでしょう ・・・ ようこそ、アーリア人のユートピア「新ゲルマニア」へ!

ところが、現実は ・・・

気候は殺人的で、大地を焦がすような暑さが続く。かと思えば、突如、バケツをひっくり返したような猛雨が襲う。動物は溺れ死に、柵は跡形もなく押し流される。雨水が天井を突き抜けて、家の中は水浸し ・・・

一体、どこがユートピアなのだ?

しかも、土壌は粘土質で、耕すのに骨が折れ、作物は育たない。井戸は30メートル以上掘らないと水源に達しない。しかも、水量が少ないのですぐに干上がる。

それに ・・・

食べ物は木に成っています ・・・ そんな木、どこにあるのだ?

純朴なパラグアイ人が召使いになりたがっています?

では、パラグアイ人と接触したヨーロッパ人の証言を紹介しよう。

「パラグアイ人は男も女も素っ裸で暮らしている。父が娘を売り、夫は妻を売る。ときには兄が妹を売ったり、食料や物と交換したりする。捕虜を捕らえると、まず、太らせてから食べる。われわれが豚を太らせるのと同じだ。そして、おおむね、彼らは怠惰で仕事が嫌いである」(※1)

家族を売り飛ばし、人肉を食うのが、純朴?

怠惰で仕事が嫌いなのに、召使いになりたがる?

ところが ・・・

しばらくすると、ドイツ人はパラグアイ人の悪口を言わなくなった。

「勤勉」なドイツ人がパラグアイ人なみに「怠惰」になったのである。

日中は何もせず、寝て過ごす。暑い時に、ムリして働くと、熱射病にかかるから。つまり、「怠惰」はパラグアイ人が生き残る術だったのである。

というわけで、新ゲルマニアの建設は遅々として進まなかった。2年たっても、水道も道路もなく、住居は不衛生な共同住宅のまま。世界に冠たるドイツ人が、こんな惨めな暮らしをしていたのである。

一体、これのどこが、ユートピアなのだ?

もし、これがドイツ本国に知れたら?

誰も新ゲルマニアに来なくなる。

そこで、フェルスターはウソの上塗りをするしかなかったのである。しかし、ウソはいつかばれる。そして、その日がついに来たのである。

■新ゲルマニアの暴露本

1888年、ユリウス・クリングバイルという陰気な男が、妻と二人で新ゲルマニアにやって来た。アーリア人のユートピアで一旗揚げようと。

クリングバイル夫妻は、まず、フェルスター邸を訪れた。偉大な共同指導者フェルスター夫妻に敬意を表するために。

ところが ・・・

クリングバイルは邸宅をみて仰天した。場違いなほど立派なのだ。美しく飾り立てられた壁、豪華な家具、ピアノまである。夕食には上等のワインまで振る舞われた。他の入植者たちのみすぼらしい共同住宅とは大違い。この格差は何を意味するのか?

それにもまして落胆したのが、フェルスター夫妻だった。

夫のフェルスターは、落ち着きのない男で、一カ所にじっとしていられない。視線も定まらず、相手の顔を正視することもできない。これが、ドイツで英雄視されているあのベルンハルト・フェルスターなのか?

一方、妻のエリーザベトも負けず劣らず変人だった。

うだるような暑さの中、黒服で身を包み、手と口と足を同時に動かしながら、部屋中をぐるぐる歩き回る。コマネズミみたいで、ひどく滑稽なのだ。

そして、ロクに相手の顔も見ずに、機関銃のようにまくし立てる。植民地が成功していること、分譲地がどんどん売れていること、ゆくゆくは南米大陸をおおうアーリア人共和国になること ・・・ 現実と真逆の空虚な自慢話を、延々と聞かされたのである。

クリングバイル夫妻はウンザリした。こんな所で、一旗揚げようと思った自分たちがバカだった ・・・

そして、ときに、第一印象が未来を予言することがある。このときもそうだった。クリングバイル夫妻は、ささいなことでエリーザベトと大げんかし、植民地を去ったのである。

ところが、帰国した後も、二人は腹の虫がおさまらなかった。そこで、腹いせに暴露本を出すことにした。タイトルは、「ベルンハルト・フェルスターの植民地・新ゲルマニアの真相を暴く」。いかにも挑発的だが、1889年の暮れに出版されるや、大反響をよんだ。

そして、内容は、タイトルよりはずっと挑発的だった ・・・

アーリア人のアーリア人による植民地などまがい物で、フェルスターは大ペテン師である。夫婦そろって愛国者をきどっているが、じつのところ、貧しい者を食い物にしている大悪党である。実際、自分は、新ゲルマニアの宣伝を真に受けて、とんでもない目にあった。こんな悪事を放置してはならない。政府は、ただちに介入すべきである。

・・・ 身もふたもない。

もちろん、エリーザベトは黙っていなかった。彼女に好意的だった「バイロイター・ブレッター」紙上でクリングバイルを大いに非難したのである。

さらに、入植者たちに自分と夫を賛美する手紙を書かせた。

いわく ・・・

ベルンハルト・フェルスター(エリーザベトの夫)は誠実で信頼できる人です。また、エリーザベトはクリスマスに子供たちのためにケーキを焼いてくれます(※1)。

ケーキがどうしたというのだ?

いまだに、入植者は掘立小屋暮らしだというのに。

この騒動をみて、ケムニッツ植民地協会のマックス・シューベルト会長はフェルスターに疑いを持った。

彼の言っていることは本当なのか?

そこで、シューベルトは、真相を見極めるまで、植民地基金を新ゲルマニアに送金しないことにした。

フェルスターにとって、これは命取りだった(比喩ではなく)。すでに、銀行に多額の借金があり、利子の返済すらできなくなったのだ。

フェルスターは大言壮語だが、じつのところ、小心者だった。借金を返すあてもなく、入植者は増えるどころか、減るばかり。このままでは、新ゲルマニアは破綻する。そうなれば、フェルスターも破産だ。嫌気がさしたフェルスターは、アスンシオン(現在のパラグアイの首都)に近いドイツ人居住区サン・ベルナルディノに移り住んだ。

そして、ホテル「デル・ラーゴ」に引きこもり、酒びたりの毎日。ところが、気が晴れるどころか、酒の量は増えるばかり ・・・ 典型的な「アル中&うつ病」である。

一方のエリーザベトはすこぶる元気だった。逃げ出した夫に、励ましの手紙を書き送るほどだった。

じつは、エリーザベトとフェルスターは似たもの夫婦だった。

神、ヴァーグナー、反ユダヤ主義、ドイツ万歳!そして、自己中 ・・・ ここまでは同じなのだが、違うところもあった。

フェルスターは凡人で、エリーザベトは兄チーチェが言う超人(オーヴァーマン)だったのだ。

実際、フェルスター夫妻をこきおろしたクリングバイルでさえ、こう言っている。

「彼女(エリーザベト)は賞賛すべき人になっただろう。もし、その英雄的な才能をあのような邪悪な目的に使わなかったら」

誉めているのか、けなしているのか?

もちろん、誉めているのだ。

■フェルスターの死

1889年6月2日、フェルスターはエリーザベトに手紙を書いた。

「私は苦しんでいる。いつになったら事態は好転するのだろう」

自分を哀れんで、神頼み?

「おまえはもう死んでいる」( 北斗神拳ケンシロウの決め台詞) ・・・ そして、それが現実になった。

翌朝、ホテル・デル・ラーゴの一室で、フェルスターは遺体となって発見されたのである。46年の生涯だった。

ところが、エリーザベトは転んでもタダでは起きなかった。痛ましい夫の死を利用したのである。

いわく ・・・

「わが夫ベルンハルト・フェルスターは敵の中傷と、植民地に対する責任から、心を病んで死んだのです」

さすがはエリーザベト ・・・ でも事実は違った。

フェルスターは自殺したのである。ストリキニーネとモルヒネの死のカクテルあおいで。これに慌てたのがホテル側である。酒代を踏み倒されたのだから。ホテル側は、酒代を新ゲルマニアの分譲地でチャラにするよう説得され、しぶしぶ受け入れた。

結局、4年たっても、新ゲルマニア事業は進展しなかった。土地の所有権さえ、まだ手にしていないのだ。このままでは、新ゲルマニアは破綻する。新しい経営者が必要だ。

1890年、新ゲルマニア事業は「パラグアイ新ゲルマニア植民地会社」に買い取られることになった。引き受けたのは、ドイツ人、イタリア人、スペイン人、イギリス人、デンマーク人からなるグループである。ところが、エリーザベトは気に入らなかった。アーリア人のユートピアを、なぜ、外国人にくれてやるのだ!

さっそく、エリーザベトはドイツに帰国した。新ゲルマニアを取り戻す資金を集めるために。

エリーザベトは「ベルンハルト・フェルスターの植民地・新ゲルマニア」を編集して、1891年春に出版した。これで、資金と入植者を一網打尽にしようというのである。

この本の中で、エリーザベトはいつものノリで、嘘八百をならべたてた ・・・

「パラグアイの気候は私には天国です。あちらの食べ物はすばらしくかつ安価で、入植者たちはみんな一様に健康で幸福です。じつのところ、パラグアイについて言っておかなければならない最悪のことは、暑さのためにクリームがうまく固まらないということです」

新ゲルマニアを取りもどすためなら、この程度のウソは屁でもなかった。エリーザベトは鉄の心臓と小型原子炉をもった超人なのだ。

1892年8月、エリーザベトは新ゲルマニアに良い知らせをもち帰った。牧師の派遣が決まったのである。

牧師?

牧師が一体何をしてくれるというのだ?

気候を温暖にしてくれる? 穀物の収穫を増やしてくれる? 飲み水を増やしてくれる?

銀行マンが(お金をもって)来てくれるほうがよっぽどマシではないか。

そして ・・・

ここで、大事件が起こる。

新ゲルマニアの内部から裏切り者が出たのである。古参メンバーのフリッツ・ノイマンが、本国のケムニッツ植民地協会にちくったのだ ・・・

「(新ゲルマニアは)水道もなければ、道路もありません。われわれは自然の力によって追い出されてしまいました。小屋も農地も崩壊しています。フェルスターの事業は完全な失敗でした。そもそも、ここに人々を連れてきたことからして罪深いことですが、さらにそのあとにつづくように他の人々を説得したことは犯罪です」(※1)

・・・ 身もふたもない。

この報告を読んだケムニッツ植民地協会のマックス・シューベルト会長はついに決断した。エリーザベトを新ゲルマニアから追放する!

■新ゲルマニアの黄昏

エリーザベトは計算高く、機を見るに敏だった。見込みがないなら、傷口が広がる前に撤収あるのみ!タイミング良く、兄ニーチェの病状も悪化していた。兄の面倒をみるために、ドイツに帰らなければならない。エリーザベトにとって渡りに船だった。

そうと決めたら、エリーザベトの行動は早かった。家と土地を売っ払い、新ゲルマニアに別れを告げたのである。憤激した入植者の一団が追いかけてきたが、彼女は振り向かなかった。歩いて立ち去ったのである。1893年8月、エリーザベトはアスンシオンを出航し、パラグアイに二度と戻らなかった。

帰国後、1895年1月に、エリーザベトは、こんな弁解がましい記事を寄稿している。

「私には、別の仕事が私の時間とエネルギーを要求しています。たった一人の愛する兄、哲学者ニーチェの世話をすることです。兄の著作を守り、その人生と思想を記述しなければなりません」(※1)

この発言は注目に値する。もし、この決断がなかったら、哲学者ニーチェが名声を得ることも、ナチスの教義がニーチェの哲理で正当化されることもなかったのだから。

新ゲルマニアであれだけの失敗をやらかし、ペテン師、大悪党と罵倒されてもどこ吹く風、誰が何を言おうが知ったこっちゃない。それが、鉄の心臓と小型原子炉をもつエリーザベトなのだ。

そもそも、新ゲルマニアは壮大にみえるが、本当は砂上の楼閣だった。イデオロギーという実体のない概念で組み立てられていたのだから。

結局、フェルスターは自殺し、エリーザベトは新しい人生を見つけた。ところが、新ゲルマニアの入植者は未だに地獄から抜け出せない ・・・ 誰がだまして、誰がだまされたかは明らかだ。

とはいえ、フェルスター夫妻は、詐欺師でも大悪党でもなかった。

ただ、自分の欲望に忠実だったのである。自己中と言われれば、それまでだが、ニーチェに言わせれば、己の欲望を直視し実行する「超人(オーヴァーマン)」なのだ。

こうして、新ゲルマニアは空中分解した。南米大陸を支配するアーリア人共和国にも、ドイツの第二の祖国にもならなかったのである。

ところが ・・・

新ゲルマニア伝説はそれで終わらなかった。

新ゲルマニアは植民地として今も存続しているが、問題はそこではない。ナチスの戦犯ヨーゼフ・メンゲレがからんでいるのだ。

メンゲレは、ナチスドイツのマッドサイエンティストで、「死の天使」として怖れられた。アウシュヴィッツ第2収容所「ビルケナウ強制収容所」の主任医師として、数々の人体実験を行ったのである。

■メンゲレ伝説

メンゲレは、第二次世界大戦後、他のナチス高官同様、南アメリカに逃れた。南アメリカはドイツ人植民地が多く、ドイツ人に寛容だったからである。とくに、パラグアイはドイツとは馴染みが深かった。1888年にドイツ人植民地「新ゲルマニア」が建設され、1932年には、南アメリカ初のナチ党が結成されている。

メンゲレの逃亡は謎が多いが、定説によると ・・・

1959年、パラグアイの市民権を獲得。その後、ノイローゼになってブラジルの片田舎に移り住み、1979年に水泳中に心臓発作で死亡。遺体は1985年に掘り出されて、国際的な専門家チームによって本人と確認された。

ところが、1991年、専門家の一人がサンパウロのエンブ墓地から掘り出された遺体はメンゲレでないと言いだしたのだ。こうして、メンゲレ伝説はよみがえった。

しかし、最期はどうであれ、メンゲレが1980年頃まで生きて、パラグアイとブラジルにいたことは確かだ。であれば、メンゲレが新ゲルマニアにいたとしてもおかしくない。

1991年3月、イギリスの作家ベン マッキンタイアーは、100年前にエリーザベト夫妻が住んだ大邸宅フェルスターホーフの前に立っていた。現在の新ゲルマニアを取材するためである。その集大成が著書「エリーザベト・ニーチェ(※1)」だが、その中に、興味深い証言がある。

証言しているのは、現在の新ゲルマニアに暮らすドイツ人入植者だが、内容は驚くべきものだ。

「私は(新ゲルマニアで)メンゲレを目撃した」

と言っているのだから。もし、それが本当なら、メンゲレ伝説にあらたな一章が加わる。さっそく、その証言を紹介しよう。

【マグダレーナ・フィッシャーの証言】
1950年代に、ブラントと称する男が農機具を売りに植民地にやってきた。その男は医者でもあり、貧しいドイツ人の家族の面倒を見ながら、山の方へよく旅をしていた。子供たちにはとてもやさしかった。しかし、人とはつきあわず、その理由をせんさくする人もいなかった。そして、ブラントは1960年頃から姿を見せなくなった。ブラントの正体(メンゲレ)がわかったのはずっと後になってからだ。

【機械部品店を経営しているヘルマン・シュテルンの証言】
1979年に、フリードリヒ・イルクという男が植民地にやってきた。70才くらいで、髪はグレー、前歯が1本なかった。空軍のパイロットをやっていたそうだ。正真正銘のナチで、ヒトラーは誤解されていたんだ、といつも言っていた。小さな土地をもっていて、そこでせっせと働いていた。やがて、うつ病にとりつかれるようになった。とても神経質な男だった。いつも全然眠らないみたいで、朝方3時、4時でも、彼の小屋にはローソクの火が見えた。医学の本を何百冊ももっていて、いつもそれを読んでいた。

その後、イルクは頭がおかしくなって、アスンシオンの精神病院にいれられた。1985年7月、イルクは自殺した。

2年後、ヘルマンは、メンゲレの死体発掘の新聞記事をみて、メンゲレの昔の写真を見た。その瞬間、メンゲレがイルクだと確信したという。ヘルマンによれば、イルクは食事のときのナイフの持ち方が独特で、鉛筆のように握っていた。メンゲレもそういう食べ方をしていたという。

もし、これが事実なら、1979年に水泳中に心臓発作で死亡し、埋められたのはメンゲレではない。

注目すべきは、ブラジルで死亡したとされる1979年が、イルクが新ゲルマニアにやって来た年と一致すること。つまり、メンゲレは1979年に、ブラジルで死を偽装し、パラグアイに逃れ、新ゲルマニアで第二の人生を送ろうとしたのかもしれない。

「あの男(イルク)はメンゲレだった。私にはわかるんだ」

とヘルマン・シュテルンは断言する。

マグダレーナ・フィッシャーはブラントがメンゲレだと言い、ヘルマン・シュテルンはイルクがメンゲレだと言う。だれもが自分なりのメンゲレ伝説をもっているわけだ。

ところで、彼らは新ゲルマニアの創始者、フェルスター夫妻のことを覚えているのだろうか?

世代は代わったが、伝説は語り継がれているという。

フェルスターは尊大な男だった。一方、エリーザベトは勇敢な女性だった。それに美しかった。彼女の魅力はおそろしく耐久力があることだった。

というわけで ・・・

現在の新ゲルマニアでも、エリーザベトは鉄の心臓と小型原子炉を持った超人として語り継がれている。そして、新ゲルマニア伝説とはエリーザベト伝説のことなのである。

参考文献:
(※1)「エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女」 ベン マッキンタイアー (著), Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳)
(※2)長澤和俊 著「世界探検史」白水社

by R.B

関連情報