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週刊スモールトーク (第269話) 日露戦争の原因(1)~三国干渉~

カテゴリ : 戦争歴史

2014.10.11

日露戦争の原因(1)~三国干渉~

■反省する日本人

日清戦争を機に、日本の運命は大きく変わった。安定した繁栄の道から、波瀾万丈のイバラの道へ。

この流れを決定づけたのがアメリカ大統領ルーズベルトだった。アメリカ式公平と正義を標榜しながら、私的な中国びいきと反日で、日本を破滅寸前に追い込んだのだから。さらに、必要のない戦争を創りあげ、42万人のアメリカの若者の命を奪った。

その不公平で悪意に満ちた手法は、前任大統領のフーバーをしてこう言わしめた。

「あの戦争(日米戦争)の責任はすべて”狂人”ルーズベルトにある」

事実、日清戦争の後、日本は、

朝鮮→満州→中国

とイモづる式に、大陸に引きずり込まれ、気が付いたら、世界最強のアメリカと戦っていた。あげく、原子爆弾まで落とされて。

しかも・・・

日清戦争以後、日本が戦った戦争は、すべて日本が悪者になっている。ちなみに、ヨーロッパで起こった戦争は、すべてドイツが悪者。三文小説や荒唐無稽のSF映画じゃあるまいし、勧善懲悪で戦争を説明できると、本気で思っているのだろうか?

思っているわけがない。

自分の殺戮と破壊を正当化するために、悪者をでっちあげたのである。では、誰を悪者にする?

もちろん、敗戦国(日本とドイツ)。「勝てば官軍」はなにも日本に限った話ではない。

そうなると・・・

真面目だが自分の頭で考えるのが苦手な日本人は大変だ。

悪意に満ちた「勧善懲悪的」歴史観を真に受けて・・・

悪いことをしてしまった、あれは失敗だった、他にやりようがあったかも・・・

と延々と反省するのである。

「8月15日」終戦記念日の毎度の「戦争反省」番組を観ていると、そんな日本人気質がヒシヒシと伝わってくる。連合国側が「勧善懲悪的」歴史観なら、日本は「自虐的」歴史観だろう。

そもそも、戦争とは、国家の存亡を賭けた安全保障の衝突である。そんな巨大な現実を、子供だましの善悪で計れるわけがない。ましてや、一国だけ悪者にして、事をおさめるのは論外。「非論理的」の極みである。もっとも、

「勧善懲悪的」歴史観=感情

なので、「非論理的」は当たり前なのだが。

ところが、そんな本質を忘れて・・・

戦争なんかしなければ良かった、なまじ、日清戦争と日露戦争に勝ったから、調子に乗ってアメリカと戦争したのだ・・・

と日本人は真面目に反省するのである。

確かに、戦争を避ける道はあった。ただし、「論理的」に。でも、それを言い出せば、ドイツがヨーロッパを征服し、日本がアジアの覇者となる世界も「論理的」にはありえたのである。

たとえば・・・

日本が太平洋戦争を突入したのは、アメリカに石油を止められたから。シンプルな話だが、意味するところは重大だ・・・

「死んでくれ、それがイヤなら、先に銃を抜いてね(真珠湾攻撃)」

なのだから。しかし、だからといって、アメリカに宣戦布告する必要はなかった。史実では、日本は石油を確保するため南方に侵攻したが、そこはアメリカ領ではなく、オランダ領だったから。つまり、アメリカに宣戦布告する必要はなかったのである。

ところが、日本側は、日本軍が南方を制圧すれば、アメリカ軍がでてきて、日米戦争になると考えたのである。

しかし・・・

当時のアメリカは、本土と植民地が攻撃されない限り、日本に宣戦布告することはなかった。アメリカ議会、複数の平和主義団体、マスコミ、国民世論は、他人の戦争に顔をつっこむ気などさらさらなかったのだから。アメリカは民主主義の国である。たとえ、大統領といえども、勝手に戦争を仕掛けることはできないのである。

真珠湾攻撃の序曲とされる「パネー号事件」はその良い例だろう。

1937年12月12日、揚子江を航行中のアメリカの砲艦「パネー号」が、日本軍機に撃沈された。パネー号はアメリカ国旗を掲げていたし、日米はまだ開戦していない。しかも、パネー号が先導していたアメリカ・スタンダード石油会社のタンカー3隻も道連れにされたのである。

結果・・・

アメリカ国内は、日本非難の大合唱になった。アメリカ政府は日本政府に厳重抗議し、新聞各社も日本の悪口を書き立て、国民は日本製品不買運動に走った。

ところが、日本側の対応は誠実で迅速だった。

日本政府はアメリカ政府に対し公式に謝罪し、斎藤・駐米大使は、ラジオ放送の枠を買い取って、全米中継で、事件の謝罪を行った。さらに、200万ドルを超える賠償金まで支払ったのである。

あてがはずれたのが、ルーズベルト大統領だった。この事件をネタに、日本を孤立させ、戦争に引きずり込むつもりだったのである。

事実、日本が謝罪した後、アメリカの世論は沈静化した。それどころか、その後のアメリカ世論調査では、アメリカ国民の70%が「中国支援の全面撤退」を求めるほどだった。当時、アメリカは日本と戦争している中国を支援していたのである。

ところが、それでも、ル-ズベルトはあきらめなかった。その後、イギリスとオランダを巻き込み、「ABCD包囲網」を強行し、日本を孤立化させたのである。結果、日本は石油を輸入する術を失い、のるかそるかの真珠湾攻撃に打って出るしかなかった。

何がいいたいのか?

太平洋戦争は普通には起こりえなかった。フーバー元アメリカ大統領が言ったように、ルーズベルトの狂気が引き起こしたのである。このような歴史の因果関係を見極めないと、真実は見えてこない。真実を知らずに、反省するのは不毛である。真実を知った後、もう一度反省しなければならないから。

じつは、「パネー号事件」の結末が、この命題を証明する。

この事件は、

「日本軍機がアメリカの船を誤爆→日本が謝罪→アメリカが承認」

そんな単純な事件ではなかった。

まず、アメリカ側の対応におかしな点があった。

日本政府は沈んだパネー号の引き揚げを申し出たのに、アメリカ国務長官ハルは拒否したのである。沈没船を引き揚げて、残留品を回収してあげるというのに、なぜ?

じつは、パネー号の中には、発見されると困る物があったのだ。墜落した日本軍機から回収した新型の機器である。スパイ行為を行っていたのは明らかで、もし、これが日本側にバレたら、日本を一方的に責めることはできない(※1)。

さらに・・・

パネー号が先導していたアメリカ・スタンダード石油会社のタンカー3隻には、中国兵がたくさん乗っていた。つまり、アメリカ側は日本の敵国兵をかくまっていたのである。

そもそも、このタンカーの目的地は中国の空軍基地だった。つまり、アメリカ側は中国軍機の燃料を運んでいたのである。中立国を謳いながら、戦闘地域で交戦中の一方の国に軍需物資を支援するのは明白な利敵行為である(※1)。

だから、撃沈されても文句は言えなかったのである。

さて、これでも反省する気になれますか?

■三国干渉

日清戦争に話をもどそう。

日本は、19世紀末以降、

日清戦争→日露戦争→(第一次世界大戦)→日中戦争→太平洋戦争

と戦った。これをみて、反日に余念のない国やそれにくみする日本人は、初めに日本の陰謀があって、朝鮮・満州・中国に侵略したという。しかし、当時の日本に、そんな深謀熟慮も、遠大な戦略もなかった。

そもそも・・・

明治維新当初、日本の望みはささやかなものだった。欧米の植民地にならないように富国強兵に励み、自国防衛に徹する。それで手一杯だったのである。チョンマゲを捨てたばかりの国に、他国を侵略する余裕はない。

ところが、清国が朝鮮を属国視し、ロシアが満州と朝鮮の征服欲をあらわにすると、「自国防衛」だけでは、国の安全保障が確保できなくなった。

そこで、日本は朝鮮を清国から独立させようとしたのである。ところが、清国が「はい、そうしましょう」と言うわけがない。宗主国たるもの、簡単に属国をあきらめるわけがないから。そんなこんなで、日本と清国の間で、日清戦争が起こったのである。

戦争が始まると、戦いは一方的だった。日本は連戦連勝、1年足らずで、清国軍は壊滅した。その過程で、日本軍は旅順も占領している。旅順には清国艦隊の基地があったからである。そのため、戦後の講和条約で、旅順を含む遼東半島が日本に割譲された。

遼東半島は満州南端に位置し、旅順・大連という良港がある。一旦、割譲したからには、そこを守らなければならない。こうして、日本は満州に守備隊を派遣することになった。

ところが・・・

これが後の「満州国」の布石だと騒ぐ人たちがいる。反日大好き国ならいざ知らず、日本人にもいるから驚きだ。ちなみに、「満州国」とは、1932年に満州で興った日本の傀儡政権である。

日本にとって一番恐いのは、中国や韓国の反日教育ではない。日本の反日教育である。目立たず、段階的に、洗脳されるから、気がつかないのだ。もっとも、安部政権以降、中国と韓国のあからさまな敵対行為をみて、洗脳に気付く日本人も増えてきた。だから、中国と韓国に感謝感謝。

さて、ここまでの日本の歴史の因果関係を俯瞰(ふかん)すると、

自国防衛→朝鮮の中立化→日清戦争→満州南端を割譲→満州に進出

と、けっこう行き当たりばったり。

だから・・・

この時代、日本が朝鮮・満州・中国への侵略を企てていたというのは妄想にすぎない。もちろん、妄想を触れ回るのは、歴史を知らないか、日本に悪意があるかのどちらか。だから、耳を傾ける価値はない。

三国干渉に話をもどそう。

日清戦争の勝利により、日本は大陸に進出することができた。もちろん、日本人は大喜びである。ところが、それに水を差したのが「三国干渉」だった。

日清戦争が終わった後、1895年4月17日、下関で、日清講和条約が締結された。

その結果、

1.清国は朝鮮の宗主権を放棄する(朝鮮の独立)。

2.清国は大連・旅順をふくむ遼東半島と台湾、澎湖列島を日本に割譲する。

3.清国は日本に賠償金2億テールを支払う(当時の日本の国家予算の3.8倍)。

※「テール」は中国の貨幣の単位で、「1テール=銀37gの価値」。

などが決められた。

ところが、その1週間後の4月24日、ロシア・ドイツ・フランスの三国が、日本に遼東半島を放棄せよと迫ったのである。

「もし、勧告を受け入れないなら、我々には覚悟がある」

と「恫喝」も忘れなかった。なので、「三国干渉」というよりは「三国恫喝」だろう。

でも・・・

遼東半島は、「日清講和条約」という正式な手続きをへて、日本が清国から割譲したもの。それをなぜ、部外者にケチをつけられなければならないのか?

三国(ロシア・フランス・ドイツ)が言うには・・・

日本が遼東半島を支配すれば、極東が不安定になる。

根拠は?どんなプロセスで?そもそも、それがどうしたというのだ!

でも、清国にとっては願ったり叶ったり。ざまみろ、日本!なのだが、世の中そんな甘くない。

植民地獲得に血眼(ちまなこ)の欧米列強が、清国のため、極東の安定のために骨を折るわけがない。

一方に、日本にしてみれば、三国相手では勝ち目はない。そこで、断腸の思いで、遼東半島を清国に返したのである。

こうして、清国はロシア・ドイツ・フランスのおかげで、遼東半島を取りもどすことができた。メデタシ、メデタシ・・・

とはならなかった(当然ですよね)。

日本を追い出したロシア・ドイツ・フランスは、ヒツジの仮面を外して、我先にと清国の領土をむしり取ったのである。

具体的には・・・

1898年、ドイツは膠州湾を、ロシアは大連と旅順を含む遼東半島を租借した(清国に返すはずだったのでは?)。こうして、ロシアは念願の不凍港を手にいれた。その後、旅順港にロシア太平洋艦隊を配備し、いよいよ、極東支配に乗り出した。

一方、その翌年、イギリスは九龍半島と威海衛を、フランスは広州湾を租借した。あらら、イギリスまで・・・

ここで、「租借」とは、他国の土地を期限付きで借りること。ただし、治外法権付きなので、行政権・警察権・司法権がセットで付いてくる。しかも、街、道路、港、基地、何を作ろうが自由。つまり、期限付きの「自国領土」なのである。ところが、期限が切れても、継続するかどうかは、そのときの力関係による。つまり、軍事的に優位なら、永遠の「自国領土」が保証される。

さらに・・・

ロシアは「ハルビン-旅順」の東清鉄道(支線)、フランスは「ハノイ-昆明」の雲南鉄道、ドイツは「膠州-済南」の膠済鉄道の建設を、それぞれ清国に認めさせた。

鉄道?

この時代、鉄道はタダの交通手段ではなかった。帝国が植民地を支配するための重要な仕掛けだったのである。ヒト・モノ・カネを運ぶ輸送網、さらに、植民地の津々浦々を支配する神経網でもあった。実際、この時代、イギリス、フランス、ドイツはアフリカや中近東で鉄道建設でしのぎを削っていた。

ところが、ロシアの野望はそんなものではなかった。

「ハルビン-旅順」の鉄道敷設と並行して、ハルビンに街を建設したのである。ところが、ロシアが清国から得た権利はハルビン~旅順の「線」であり、ハルビンという「点」ではない。

では、なぜ、ロシアは強引にハルビンに街を建設したのか?

■ハルビンの魅惑の夜

ハルビンは19世紀末まで、松花江(しょうかこう)沿いの寂れた漁村だった。

松花江は黒龍江の支流をなす大河で、見た目は河というより湖。ところが、10月中旬から4月中旬まで凍結する(1年の半分!)。緯度が高く、一月の平均気温がマイナス19度まで下がるのである。

そのため、冬場になると、

1.水上輸送(ジャンク船)→氷上輸送(ソリ)

2.船で漁→氷に穴を開けての氷上釣り

に様変わりする。これではまともな産業は望めない。生きていくだけで精一杯だ。

というわけで、ハルビンは発展する見込みのない土地だった。

ところが・・・

ロシアの南下政策が始まると、ハルビンは一躍脚光を浴びるのである。

ロシアの南下政策は、「モスクワ→満州→旅順」を鉄道で一気通貫で結び、不凍港「旅順」に艦隊をおき、極東を支配するというものだった。もちろん、要(かなめ)は鉄道である。

そこで、

1.【シベリア鉄道】モスクワ→満州里(ロシアと満州の国境)

2.【東清鉄道本線】満州里→ハルビン

3.【東清鉄道支線】ハルビン→旅順

という長大な鉄道網を計画したのである。

上記の路線をみると、「ハルビン」の重要さがわかる。ところが、ロシアはハルビンをただの「鉄道の要衝」とは考えなかった。東方支配の一大拠点(兵站基地)と位置付けたのである。そのためには、大きな街が欠かせない。

たまたま、清国との密約で、鉄道の敷設権にくわえ、鉄道沿いの付属地の使用権が認められていた。そこで、「付属地」を拡大解釈して、街を建設したのである。

この頃のロシアは、ロマノフ王朝の帝政ロシアで、まだ、社会主義革命は起こっていない。そのため、ハルビンは、ロマノフ王朝風の美しい街になった。

その後、日露戦争をへて、ハルビンは日本の支配下に入るが、ロマノフ朝風の街並みは継承された。さらに、1907年にロシア革命が起こると、社会主義革命を嫌ったロシア人たちがハルビンに逃れてきた。彼らは反革命派なので「白系ロシア人」とよばれた(革命派の象徴が赤色なので)。

その数は6万人といわれ、そのほとんどがロシア正教徒である。そのため、ハルビンには大主教が駐在していた。また、彼らは雑居を嫌ったので、ロマノフスカやコロンビアなどの山岳地にも集落をつくって住んだ。

こうして、ハルビンは「漂白の人々の街」、「エミグラント(移住者)の街」とよばれるようになった。

ハルビンは東方のモスクワ、東方のパリとよばれるほどエキゾチックな街だった。豪壮な建築物が建ち並び、道路の両側には緑が生い茂っている。威厳のある美しい街並みで、ロシア人の強い思い入れが伝わってくる。ちなみに、ロシア時代には中国人の居住が制限されていた。

朝霧に包まれたキタイスカヤ通り・・・

「ハルビンの銀座」とよばれたハルビンのメインストリートである。洒落たショーウィンドウがならび、ロシア人、日本人、中国人が、それぞれの民族衣装で闊歩している。パンを売る馬車もいる。看板、張り紙は日本語、ロシア語、中国語で書かれ、異国情緒たっぷり。道路沿いには、サイン塔とよばれるヨーロッパ風の広告塔もある。

懐かしいなあ・・・

ウソつけ、生まれとらんやろ。

白状すると、DVD「ノスタルジック・ジャーニー満州(※2)」を観たのである。

内容は「70年前の満州観光案内」だが、すべて現在形で語られているのがミソ。つまり、満州は今も日本の領土という設定だ。反日国で物議を醸すこと請け合いだが、すでに絶版となっている。

観ていると、満州の素晴らしさがビンビン伝わってくる。なぜか、懐かしいのだ。そして、今も存在しているような錯覚を覚える。

そして・・・

このDVDで目が点になったのが「ハルビンの夜」。

毎夜、ヨーロッパナイズされたショーが上演されていたという。その華やかなダンスをみて、パリの「クレイジーホース」を思い出した。

「クレイジーホース」は世界有数のナイトクラブである。基本、ヌードショーなのだが、ダンスがメインで、芸術性が高く美しい。マジックもあるが、すべて上品でお洒落。そのためか、夫婦で来ているフランス人もたくさんいた。あと、ショーとは関係ないのだが、受付の女性があんまり美人なので卒倒しそうになった(受付嬢でこのレベルか!)。

さらに・・・

映像(※2)の中で、ゾクゾクするような写真を見つけた。たぶん、ハルビンの夜の店のポスター・・・

一人のダンディーな日本人男性が、二人のロシア美人に囲まれて、グラスを傾けている。その背景にこんなコピーが・・・

酒と女の異国情緒は旅人の、

佗(わ)びしい胸を、

掻(か)きむしる、

血潮はたぎる、心臓は躍る

昂奮!昂奮!

XYZ・・・

これぞ「ハルビンの魅惑の夜」。ところで、最後の「XYZ・・・」ってなんだ?

■清国を滅ぼした漢族

話がそれた。

何の話だった?

ハルビンの魅惑の夜ではなく・・・

そうそう、ロシア・フランス・ドイツの三国干渉。

極東が不安定になるから、日本は遼東半島を清国に返せ!

ところが、日本が遼東半島を返したら、スルーでロシアへ!?

さらに、ロシアに与したドイツとフランスも清国の領土をゲット。しかも、ちゃっかり、鉄道まで敷いている。

ところが、事はこれですまなかった。

最後の大物、アメリカ合衆国が出てきたのである。

ロシアとヨーロッパ列強が中国を蚕食しているのをみて、アメリカは焦った。このままでは、アメリカだけが中国市場から閉め出される。そこで、アメリカは出遅れたハンディを取り戻そうと、中国にヨイショすることにした。

ロシア、イギリス、フランス、ドイツのような「領土の割譲」ではなく、「自由貿易」を提唱したのである。1899年12月20日、国務長官ジョン・ヘイは列強に対して中国の門戸解放を要求した。ヨーロッパ列強とロシアを牽制したわけだ。早い話が、オレも仲間に入れろと。

というわけで・・・

欧米列強とロシアは、貪欲というか、たくましいというか、弱肉強食の地球で勝ち抜いただけのことはある。これは皮肉で言っているのではない。人類の鏡だと言っているのだ。

じつは、最近、面白い記事を読んだ。旧人のネアンデルタール人が滅んだ理由である。致命的なウィルスに感染した、気象の変化に耐えられなかった、など諸説あったが、どうやら、クロマニョン人に滅ぼされたらしい。ちなみに、クロマニョン人とは、ヨーロッパに生息したホモ・サピエンス・サピエンス、つまり、現在のヨーロッパ人の直系の先祖である。

だから・・・

綺麗ごとを言いながら侵出する、あからさまに侵出する、横取り、漁夫の利、なんでもあり、これが、我々人類の性根なのである。そして、性根は種が滅ぶまで変わらない(当然ですよね)。

そんなオオカミ世界にあって、牙を抜かれた日本人は、外交とか道徳とか倫理とか、そんな画に描いた餅に期待している。まったくもって、世にも珍しい民族である。

たしかに、日本人は真面目で正直で立派だと思う。でも、現実はファンタジーではない。クロマニョン人やその亜種がウヨウヨしているのだ。もっと狡猾に立ち回らないと国が滅びますよ。

話をもどそう。

それにしても、なぜ、列強は清国に対し、やりたい放題だったのか?

日清戦争で、清国が「眠れる獅子」ではなく「借りてきた猫」だとわかったから。

強欲な欧米列強・ロシアがこんなチャンスを逃すわけがない。

一方、謎も多い。

遼東半島を返せと、ロシアが言うのはわかるが、なぜ、ドイツとフランスが便乗したのか?

まずは、ドイツ。

じつは、日清戦争が始まった時、ドイツはこの戦争に関心がなかった。地球の裏側の極東のことなど、どうでもよかったのである。ところが、ドイツ国内で、極東に拠点をつくる良いチャンスかもという意見が出始めた。そんなところへ、ロシアから声がかかったのである。それに、日本を追い出せば、見返りに清国の領土を獲得できるかも・・・

つぎに、フランスだが、これははっきりしている。フランスはロシアと「露仏同盟」を結んでいたから。もちろん、ドイツ同様、見返りは大いに期待したことだろう。

いやはや・・・

ところが、謎はまだある。

なぜ、清国はこうもやすやすと、ロシア・フランス・ドイツにしてやられたのか?

理由は2つある。

第一に、清国は少数の満州族が大多数の漢族を支配する帝国だったが、満州族の力が相対的に低下し、国が混乱したこと。

第二に、清国の政権中枢に売国奴がいたこと。清朝の最高実力者「李鴻章(りこうしょう)」である。李鴻章は漢族で、満州族の清朝への思い入れはなかった。そこで、ロシアから多額のワイロを受け取り、ロシアとヨーロッパ列強に国を売ったのである。これが李鴻章がロシアと結んだ秘密の「露清密約」である。

では、王族や貴族でもなく、被支配民族の漢族の李鴻章が、なぜ、こんな好き勝手できたのか?

じつは、これには深い理由がある。

参考文献:
(※1)闇のファイル戦火の陰に潜む人間像吉田一彦(著)出版社:PHP研究
(※2)ノスタルジック・ジャーニー満州DVD-BOX販売元ポニーキャニオン

by R.B

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