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週刊スモールトーク (第268話) 日清戦争の原因と結果

カテゴリ : 戦争歴史

2014.09.27

日清戦争の原因と結果

■日本が一等国になった理由

19世紀末の東アジア・・・ヨーロッパ列強、アメリカ合衆国、ロシアの熾烈な植民地競争がはじまった。狙われたのは、中国、満州、朝鮮・・・そして、日本。

欧・米・露が優位に立てたのは、ひとえに大砲と蒸気船のおかげ。ところが、自慢の蒸気機関が問題山積みだった。故障しやすく、大飯食らいで、しかも燃費がコロコロ変わる。

特に燃費が変動するのは問題だった。燃費が予測できないと、石炭の搭載量が計算できない。積載量を間違えると、太平洋のど真ん中で燃料切れ・・・そのため、当時の蒸気船は帆も備えていた。つまり、蒸気船といいながら、「蒸気力+風力」のハイブリット船だったのである。

とはいえ、大砲とエセ蒸気船の「威圧力」は絶大だった。アジア諸国はなすべもなく植民地や属国にされていった。ところが、日本だけは違った。明治維新をなしとげ、欧・米・露に敢然と立ち向かったのである。その後、日本は帝国主義が吹き荒れる中、5つの大戦争を戦った。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争である。

ところで、これらの戦争が学校で教わるように「日本の責任」なのか?

隣国が言うように「日本の侵略戦争」なのか?

精査してみよう。

ただし、「先制攻撃=侵略戦争」のような単純な発想も、旧社会党と日教組のような「何でも日本が悪い」式の決めつけもしない。ひたすら事実にフォーカスする。

基本ロジックは3つ、

1.国家戦略は、地政学によってつくられる。

2.国家戦略の衝突は、戦争の火薬を精製する。

3.国家戦略の衝突の因果の長さは、数百年におよぶ。

つぎに、対象となる戦争は、

1.日清戦争(日本Vs.中国・清朝):1894年~1895年

2.日露戦争(日本Vs.ロシア):1904年~1905年

3.日中戦争(日本Vs.中国・中華民国):1937年~1945年

4.太平洋戦争(日本Vs.連合国):1941年~1945年

の4つ。

ちょっと待った、第一次世界大戦は?

たしかに、日本は連合国側で戦ったが、自主的に参戦したわけではない。同盟国のイギリスから、ドイツに宣戦布告するよう懇願されたから。

中国の青島(チンタオ)を基地とするドイツ東洋艦隊が、インド洋を航行するイギリス商船を攻撃する通商破壊に打って出たからである。というわけで、大戦を通じて日本はイギリスのヘルプに徹している。

たとえば・・・

イギリス軍と協働で、青島のドイツ軍基地を攻略したり、地中海に艦隊を送って、イギリス艦隊を支援したり・・・日本が投入した戦力は最小限で、日本本土が戦場になったわけでもない。だから、失ったものは意外に少ない。

ところが、得たものは巨大だった。

戦争経済で景気は回復するわ、連合国の主要メンバーとして、勝利をかたどった銀の皿を贈呈されるわ・・・エビで鯛を釣るようなものだった。

日本は、おもにドイツの権益を受け継いだ。青島を含む中国・山東半島の権益、マーシャル諸島をはじめ太平洋上の島々を委任統治領として譲り受けた。さらに、国際連盟の常任理事国に名を連ね、世界の一等国に仲間入りしたのである。

思い起こせば、65年前、ペリーの黒船来航で、日本は震え上がり、チョンマゲ文化を捨てた。緩やかな連合国家(江戸幕府)から、強力な中央集権国家(明治政府)に移行したのである。そして、わずか半世紀の間に、極東の島国から世界の五大国(英・仏・伊・米・日本)にまでのしあがったのである。このような短期間で、このような大発展をとげた国は、歴史上類を見ない。

さらに、日本は、青島で捕虜になったドイツ人を丁重に扱った。日本に送られたドイツ人捕虜は住民との交流も許され、ドイツ料理、ビール(青島ビールはマジで美味い!)など、ドイツ文化が日本に伝えられた。日本は、国際法を遵守する騎士道精神を世界に示したのである。

そして、あまり知られていないが、日本はドイツの世界最先端技術も手に入れた。

地中海に派遣された日本海軍が、戦後、ドイツの潜水艦を戦利品として持ち帰ったのである。日本はそこから潜水艦に関する多くの技術を学んだ。第二次世界大戦の日本海軍のイ号潜水艦とドイツUボートが酷似しているのはそのためである。

さらに、日本はドイツの潜水艦技術を大きく発展させた。その集大成が、太平洋戦争末期の1944年12月に竣工した潜水艦「イ400型」である。この潜水艦は「特潜型」とよばれ、全長は122mで世界一、3機の航空機を艦載することができた。

つまり、史上初の「潜水空母」!

実物の写真が何枚も残っているが、どうみても駆逐艦だ。こんなデカいものが海に潜るなんて・・・想像するだけでゾクゾクする。しかも、この「イ400型」で太平洋を横断し、アメリカ本土を爆撃する計画まであったのだ。航空機は3機なので、戦果はさておき、なんとも壮大な話ではないか。ところが、出航する前に終戦・・・

そんなこんなで、第一次世界大戦は日本にとっていいことずくめだった。一方、ドイツは最悪だった。それまで獲得したカネ、モノ、植民地のすべてを失ったのだから。さらに、神様でも払えない天文学的な賠償金をかせられ、ドイツ国民の不満は爆発寸前だった。それが第二次世界大戦の原因になるとは、誰が想像できただろうか。

とはいえ、第一次世界大戦の原因が日本にあるわけではない。さらに、日本軍が決定的な役割を果たしたわけでもない。だから、第一世界大戦は除外したのである。

■グローバル戦争の起源

ところで、「戦争」とは何か?

「正当化された殺人」では身もフタもないので、もう一ひねりして・・・

文系には「外交の破綻」、理系には「爆発」である。

そして、爆発を支えるのは「引き金」と「火薬」。

「引き金」はトリガー、つまり直接原因・・・政治、紛争、事故、必然、偶然、何でもあり。一方、「火薬」は、国家戦略の衝突によって精製される燃料。これには長い年月がかかるので、偶然はない。つまり、必然のみ。

ところで、「国家戦略の衝突」はなぜ起こるのか?

国家は資源(ヒト・モノ・カネ)を必要とするが、地球上の資源は限られているから。そこで、資源の争奪戦が始まるわけだが、そのグランドデザインが国家戦略なのである。

つまり、国家戦略は国の安全保障に依存している。早い話が、国が存続するか滅ぶか?これは大問題だ。そこで、若者の血を流してまで、「国境線」に執着するのだが・・・

じつは、「国境線」は存在しない。

宇宙船から地球を見ても、そんなものどこにもない。人間が机上で引いた線にすぎないのだ。裏を返せば、いくらでも書き換えることができる。ただし、書き換えることができるのは勝者のみ。

だから、「国家戦略の衝突」は、根拠のない国境線の書き換え作業、しかも、国境線が定まる日は永遠に来ない。地面に穴を掘っては、埋める。アメリカの刑務所の罰の一つだが、それと同じこと、空しい限りだ。

「国家戦略」は、言葉をかえれば、地政学的弱肉強食が生んだ「国家の生存欲」だが、それが地球規模で具現化されたのが19世紀の「帝国主義」だった。帝国主義とはカンタンに言えば「ジャイアン」。相手の都合は顧みず、俺のモノは俺のモノ、人のモノも俺のモノ、そして、いつでもどこでも「力ずく」。こんなジャイアンが、この時代、いっぱいいたのである。

じつは、帝国主義の起源は、15世紀末の大航海時代までさかのぼる。

大航海時代以前、地球の文明は外洋で分断されていた。この時代の脆弱な舟では、太平洋や大西洋を横断することはできなかったのである。外洋の高波は2、3メートル、場合によっては30メートルに達する(巨大波)。21世紀の船でも、直撃されば転覆か破砕はまぬがれない。中世のやわな木造船ならひとたまりもないだろう。

だから、この時代、航海といえば、陸地を横目で見ながらの沿岸航海だったのである。

さらに、文明は陸地でも分断されていた。移動手段が徒歩か馬では、大陸を横断するのに何年もかかる。そのため、文明の相互干渉は隣国、ないし近国に限られた。ましてや、世界を股にかける侵略「帝国主義」など夢のまた夢・・・

ところが、大航海時代が始まると、ヨーロッパでガレオン船が発明された。堅牢な船殻をもつ大型帆船で、外洋をなんとか航海することができた。ヨーロッパ人はこのガレオン船に大砲をたくさん並べて、世界に乗り出していった。まずはアフリカ、つぎに南北アメリカ、そして、アジアへ。

大航海時代は200年続いたが、この間、覇者はコロコロ入れ替わった。ポルトガル海上帝国に始まり、オランダ海上帝国と続き、最後にイギリスが立った。七つの海を支配するといわれた「大英帝国」である。大英帝国・イギリスは、アフリカ、インドを植民地にした後、中国に進出したが、これ以降を「帝国主義の時代」とよぶ。

■帝国主義の時代

19世紀後半、イギリス・フランス・ドイツのヨーロッパ列強、アメリカ合衆国、ロシアがアジアに殺到した。欧・米・露の熾烈な植民地競争が始まったのである。その草刈り場となったのが清国(中国・清朝)だった。領土が広く、近代化が遅れていたので、侵略しやすかったのである。先鞭を切ったのは大航海時代の最終勝者イギリスだった。

ところが、まもなく、イギリスは清国と衝突した。清国がイギリスの金の成る木「アヘン貿易」を取り締まったからである。総責任者は林則除、ワイロが一切効かない高潔な人物だった。林則除は、アヘンの密売を徹底的に取り締まり、イギリス商人のアヘンをことごとく焼き払った。当然、イギリス側は激怒した。その結果起こったのが、アヘン戦争である(1840年~1842年)。

愛国心に燃える林則除は、徹底抗戦を主張した。ところが、イギリス艦隊が首都・北京に近い天津に姿を現すと、清国の道光帝は気が動転し、林則徐を解任してしまった。結局、アヘン戦争は2年続き、清国は敗北した。そして、屈辱的な南京条約を強いられたのである。

それから10年後、今度は、災いは日本に降りかかった。有名な「黒船来航」である。

1853年、アメリカの東インド艦隊司令官のマシュー・ペリー提督が、艦隊を率いて来日し、日本に開国を迫ったのである。さらに、翌1854年には、ペリー艦隊は江戸湾に進入し、無理矢理、日米和親条約を締結させた。黒船で威圧した不平等条約なので、「ペリーの砲艦外交」ともいわれる。

時代をさかのぼって、16世紀、織田信長の時代・・・

日本は世界有数の鉄砲生産国だった。信長公記によれば、長篠の戦いで、

「佐々成政、前田利家らに鉄砲1000挺持たせ、布陣させた」

とある。この時代、鉄砲1000挺を装備した軍団は世界でも珍しかった。日本は世界有数のハイテク国家だったのである。ところが、本能寺の変で織田信長が討たれた後、日本は鎖国へと進む。政治も経済も技術も、すべてが停滞したのである。

そして、300年後・・・黒船来航。

黒塗りの不吉な蒸気船が来航し、大砲をぶちかましたのである。そして、隣国を見れば、欧米列強に蚕食される清国・・・

300年間、惰眠をむさぼった報いと、今さら後悔しても始まらない。このままでは、日本は欧米列強の植民地になる。

ところが、日本は座して死を待つようなことはしなかった。国全体が「チェンジ」したのである。

未曾有の国難をのりきるには、強力な中央集権体制を打ち立てるしかない。武器も近代化が必要だ。そこで、緩やかな連合国家「江戸幕府」を倒し、天皇の親政による明治政府を樹立したのである。

ただし・・・

明治政権は天皇による独裁制ではない。政体はイギリスと同じ、立憲君主制。国家元首は世襲制で、強力な権限をもつが、議会が機能している。国が危機的状況にあるなら、これがベストだろう。

まず、のるかそるかの状況なら、スピードが第一。近場に侵略者がうろついているのに、「のんびり議論」ほど愚かなことはない。どんな立派な解決策を見つけても、間に合わなかったら、「おしまい」だから。

民主制は個人の自由度が高まり、国民は大喜びだが、コンセンサスを得るのに時間がかかる。一方、独裁制は、スピードは速いが、決断の精度に問題がある。何をするにも、独裁者一人の資質におんぶにだっこだから。というわけで、日本が、この時期に立憲君主制を選択したは賢明だった。

こうして、明治政府は猛烈なスピードで富国強兵を推し進めた。このような迅速かつ強力な対応ができたのはアジアで日本だけだった。そして、日本だけが、植民地をまぬがれたのである。

しかし、出る杭(くい)は打たれる・・・

このような日本の成長を快く思わない国があった。アメリカ合衆国とロシアである。

■太平洋戦争は500年前に始まった

まずは、アメリカ合衆国。

アメリカ合衆国は、1776年に生まれた新しい国である。ところが、アメリカ大陸には、1万年前からインディアン(先住民・ネイティブアメリカン)が住んでいた。彼らは、自然と共存する独特の文明を築き、平和に暮らしていた。

ところが、1620年11月、一艘の不吉な帆船が、プリマス(現マサチューセッツ州)に着岸した。イギリス人が新天地を求めて移住してきたのである。ところが、北アメリカの環境は彼らには厳しく、最初の越冬で多くの移民が死んだ。それでも、イギリス移民はインディアンに助けられながら、少しづつ人口を増やしていった。

そして、1776年にアメリカ合衆国を建国する。

ところが、それから恐ろしい侵略が始まった。

1830年5月28日、アメリカ合衆国大統領ジャクソンが「インディアン移住法」を制定し、それに従わないインディアン部族を絶滅させる「インディアン絶滅政策」を推進したのである。

こうして、1860年以降、アメリカ西部開拓が始まった。開拓といえば聞こえはいいが、先住民のインディアンを殺し回りながら、土地を奪っていくのである。しかし、アメリカ人はこれを、

「マニフェスト・デスティニー(明白な天命)」

とよんで正当化した。貧しい農民でも、タダ同然の土地を得て、豊かな暮らしを手に入れることができる。それが、アメリカの「天命」だというわけだ。

では、虐殺され、土地を奪われるのが、インディアンの「天命」?

いずれにせよ、これがアメリカの思想の源流となった。つまり、アメリカの自由と民主主義は、インディアンの屍(しかばね)の上に築かれているのである。そして、その思想と意識は現在のアメリカにも継承されている。それが、アメリカのトレードマーク「フロンティア・スピリッツ」である。

1960年代、アメリカTVドラマ「宇宙家族ロビンソン」が大ブレイクした。ロビンソン一家が、宇宙移民第一号として、宇宙を放浪する物語である。そこには、恐ろしげなエイリアンがいて、それをやっつけながら生き抜いていくのである。エイリアンをインディアンに見たてれば、西部開拓と相似である。

ところが、当時、このドラマを観て、子供心にアメリカの開拓精神に憧れたものだった。事実、アメリカのフロンティア・スピリッツは、世界に類を見ない画期的なテクノロジーを生みだしている。また、自殺に等しい危険な大西洋単独無着陸飛行に成功したリンドバーグの偉業も、フロンティア・スピリッツの賜物である。

インディアンの悲惨な歴史を知りつつも、アメリカ文明に感嘆するのはそのためだろう。とくに、子供の頃に刷り込まれた感動は決して消えることはない。そもそも、人類1万年の歴史は戦争の歴史。つまり、侵略と征服は地球の大ルールなのである。だから、アメリカだけ責めるわけにはいかない。

じつは、今から80年前、日本も同じような非難を浴びた。日本が建国した満州国である。

1932年3月1日、日本は清朝のラストエンペラー・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を擁立し、満州国を建国した。ところが、実態は日本の傀儡政権だった。それに猛反発したのがアメリカ合衆国である。日本が満州を侵略したと非難し、満州から撤退せよと勧告したのである。そして、国際連盟も認めた日本の「満州の特殊権益(正式な条約に基づいている)」も、アメリカだけは認めなかった。

こうして、追い込まれた日本はアメリカに宣戦布告せざるをえず、太平洋戦争に引きずり込まれたのである。

冷静に考えてみよう。

満州はもともと満州族の土地である。

だから、満州族に「日本は我々の土地を侵略した」と言われても、日本は弁解の余地はない。しかし、アメリカに非難されるいわれはない。アメリカは傀儡政権どころか、先住民を追っ払い、虐殺し、完全に乗っ取ったのだから。アメリカの方が100倍ひどいではないか。

ところで、今は満州はどうなったのか?

中華人民共和国領となり、満州族は漢族と同化してしまった。そのため、現在、満州語を読み書きできる人はほとんどいない。100年前には、中国全土を支配していた民族なのに。

とはいえ、これは満州族に限った話ではない。同化によって、言語も習慣も文化も消滅した、あるいは、現在消滅つつある民族は枚挙にいとまがない。

だから、

地球は弱肉強食が支配するアリーナなのである。

それを忘れて、「話せば分かる」なんてノー天気なことを言っていると、満州族と同じ道をたどることになる。1932年の五・一五事件で、時の首相、犬養毅が拳銃を突きつけられ「話せば分かる」と訴えたが、「問答無用」の一言で射殺された。

銃を持った相手に、話せば分かるって?

そんな戯言が通用するなら、歴史上、紛争も戦争も起こっていない。古代ローマの賢人たちもこう戒めている。

「もし、平和を望むなら、戦争に備えよ」

・・・・・

アメリカの西部開拓に話をもどそう。

開拓者たちは、1890年頃、西海岸に達した。その前に広がるのは太平洋。ついに、アメリカ人は北アメリカを乗っ取ったのである。

ところが、征服事業はそれで終わらなかった。

でも、その先は海しかないのでは?

地球儀を眺めると・・・太平洋を囲むように、陸地が配されている。東の南北アメリカ大陸、西のユーラシア大陸とオーストラリア・・・アメリカは、これを「環太平洋地域」とよんだ。そして、この地域で主導権を握ろうとしたのである。ところが、この戦略は日本がアジアを主導しようとする「大東亜共栄圏」と衝突する。

結果・・・

アメリカにとって、日本は最大の仮想敵国になった。事実、これを起点として、アメリカの日本に対する敵意は火薬として精製されていく。

つまり、太平洋戦争の「引き金」を引いたのは、ルーズベルト大統領だが、

太平洋戦争の「火薬」は、アメリカの「環太平洋圏」構想と日本の「大東亜共栄圏」構想の衝突だったのである。

というわけで、太平洋戦争の起点は、間接的には大航海時代、直接的にはアメリカの西部開拓時代までさかのぼる。

そして・・・

相手がこっちが嫌いなら、こっちも相手が嫌い・・・アメリカは日本の仮想敵国になったのである。特に、アメリカ軍を最初に迎え撃つ日本海軍にとっては、一番の仮想敵国。それを暗示したのが、ペリーの黒船来航だった。

一方、日本陸軍にとって最大の仮想敵国はロシアだった。

■ロシアの南下政策

明治維新が始まった頃、ロシアはロマノフ王朝が支配していた。これを「帝政ロシア」とよぶ。あの凄惨な社会主義革命が起こる前である。もっとも、革命前のロシアも農民は惨めなものだった。「農奴」とよばれる半奴隷状態で、重税、強制労働であえいでいたのである。絶望のあまり、逃亡する農民も後を絶たなかった。革命は必然だったのである。

ところが、革命後、レーニンが死んで(暗殺されたかも)、スターリン体制が始まると、農民の暮らしはさらに悪化した。裕福な農民はことごとく殺され、農地を取り上げられ、メチャクチャな集団農法が強制された。結果、虐殺と餓死で、数千万人が死んだのである。ロシアほど民が圧政に苦しんだ国はないだろう。

一方・・・

ロシアの領土は広い(世界一)。そして、資源も豊富(世界一)。さらに、人口は日本の2.5倍、アメリカ合衆国も凌駕する。ロシアは欧米列強に比肩する大国だったのである。

ところが、そのロシアに足りないものがあった・・・一年中凍らない港「不凍港」。ロシアの領土は広大だが、北方に偏在している。そのため、冬場は海も河も港も凍り付き、海軍の活動も停止する。”冬眠する”海軍なんてシャレにならない。そこで、ロシアは「南下政策」を国家戦略をかかげ、南方に領土を拡大しようとしたのである。

しかし、南下政策は、ヨーロッパではうまくいかなかった。イギリス、フランス、プロイセン(後のドイツ)、オスマン帝国・・・ライバルが多すぎたのである。実際、1853年~56年のクリミア戦争で敗北して、バルカン半島への南下政策は頓挫した。そこで、ロシアは、強敵がいないアジアに目をつけた。極東で南下政策を強行し、不凍港を手に入れるのである。

1891年、ロシア皇帝アレクサンドル3世は、モスクワから極東のウラジオストクを結ぶシベリア鉄道の建設を命じた。その後、満州縦貫鉄道の建設まで企てたのである(満州はロシア領にあらず)。

「モスクワ→極東→満州→朝鮮半島」

を鉄道で一気通貫で結ぶ壮大な計画である。それが実現すれば、ロシアは大軍を満州・中国・朝鮮に迅速かつ大量に送り込むことができる。さらに、満州と朝鮮を支配下におけば、念願の不凍港も手に入る。メデタシ、メデタシ。

ところが、日本は全然メデタクナイ。

ロシアの大艦隊が、年中、日本海をうろつくのである。国家安全保障を揺るがす一大事だ。

■朝鮮の独立を巡って

一方、朝鮮半島を狙っているのは、ロシアだけではなかった。

当時、朝鮮は李朝が支配していたが、清国を宗主国と仰いでいた。逆に、清国は朝鮮を属国視していたのである。

もし、ロシアまたは清国が、朝鮮半島を支配下におさめれば、朝鮮半島南端から日本の対馬まで「55km」、日本本土の博多まで「200km」。目と鼻の先どころの話ではない。だから、日本の国家安全保障にとって、一大事だったのである。

大げさ?

とんでもない。

それが現実の脅威であることは、歴史が証明している。有名な「元寇」である

13世紀、中国と朝鮮の連合軍が日本を侵略したのである。

この頃、朝鮮・高麗王朝は中国・元朝の完全な支配下にあった。そこで、中国が日本征服を計画すると、朝鮮もそれに従ったのである。

1274年10月3日、中国軍2万と朝鮮軍6000が、朝鮮半島南端の合浦(がっぽ)を出航した。対馬、ついで壱岐を荒らし回り、10月19日には博多湾に侵入した。元寇の第一回戦「文永の役」である。

日付をみればわかるが、朝鮮半島南端から日本本土まで、対馬・壱岐の攻略を含めて、わずか2週間。しかも、脆弱なジャンク船で。

19世紀末の軍艦なら、巡航速度は10ノット(時速18km)は出るので、日本本土までは、半日の距離。これでは敵国と国境を接しているのと変わらない。だから、日本政府が、朝鮮半島情勢に神経質になるのはあたりまえ・・・

ところが、日本の望みはつつましいものだった。朝鮮が清国やロシアに依存しない独立国であること、さらに、国内が安定することだった。朝鮮半島が中立化すれば、清国やロシアの緩衝材になるからである。

ところが、日本は何もできなかった。清国は潜在的脅威、ロシアは差し迫った脅威と知りながら。というのも、その頃、日本は明治政府が樹立されたばかりで、準備ができていなかったのだ。清国はヨーロッパ列強に蚕食されているとはいえ「眠れる獅子」、ロシアはヨーロッパ列強と肩を並べる強国、そんな難敵と事を構えるのは夢のまた夢・・・

そこで、明治政府はひたすら富国強兵につとめた。そして、日清戦争の直前の1894年に、清国を凌駕する艦隊をつくりあげた。最新鋭の高速艦を含む55隻からなる精鋭艦隊である。

■日清戦争の原因

そんなおり、朝鮮で一揆が起こった。1894年5月の甲午農民戦争である。宗教団体「東学党」が指導する農民一揆だったが、国の鎮圧軍が農民軍に撃退される有様だった。そこで、困り果てた李朝は宗主国の清国に軍隊の派遣を要請をしたのである。

清国は、ただちに2400の兵を派遣した。ところが、これに危機感を持ったのが日本だった。

清国が朝鮮を支配下におくつもりではと疑ったのである。

じつは、日本と清国は、1885年に天津条約を締結し、日清両国が朝鮮に出兵する場合は相手方に通知する取り決めがあった。清国の通知を受けた日本は、ただちに朝鮮に出兵した。名目は日本の公使館警護と在留邦人保護だったが、最大の目的は、清国が朝鮮半島を牛耳るのを阻止することにあった。

これにあわてたのが、李朝だった。清国軍と日本軍、外国の軍隊が国内をウロつくのである。そこで、李朝は反乱軍と手打ちをし、反乱を収束させた。そして、清国と日本に軍を撤退させるよう要請したのである。

ところが、両国はそれを受け容れず、対峙を続けた。お互いの腹の中がミエミエだったから。そこで、日本は清国に対し、朝鮮の独立援助と内政改革を共同で行うことを提案した。ところが、清国は「日本のみ撤兵が条件」と断固拒否した。そもそも、清国にしてみれば、朝鮮の独立なんてとんでもない!

そこで、日本は朝鮮・李朝に対し、「朝鮮の自主独立を侵害する」清軍の撤退と、清国と朝鮮間の条約破棄(朝鮮の独立)を申し入れた。この申し出の行間には、もし、朝鮮が清軍を退けられないのであれば、日本が代わって駆逐してあげる、が含まれていた。

それに対し、李朝はこう回答した。

改革は自主的に行う、乱がおさまったから、日清両軍は撤退するように。

ところが、ここで、朝鮮政権内でクーデターが発生する。閔氏政権が倒れて、金弘集政権が立ったのである。

金弘集政権は、内政改革をすすめることを約束し、日本に対して、牙山に布陣する「清国軍の掃討」を依頼した。清国側は激怒し、日本と清国は一触即発の状態に陥った。そして、1894年8月1日、ついに、日本と清国は互いに宣戦布告したのである。

こうして、日清戦争が始まった。

ところが、戦況は一方的だった。

陸海軍ともに、装備に優れ、訓練が行き届いた日本軍は、清国軍を次々と撃破した。日本軍は、瞬く間に、朝鮮全土を掌握し、つぎに、鴨緑江をこえて、満州に入り、大連と旅順を占領した。なぜ、満州まで進軍したかというと、旅順は清国艦隊の根拠地だったからである。

海上の戦いでも、豊島沖海戦、黄海海戦に勝利し、清国艦隊は壊滅した。こうして、戦争は1年足らずで終わった。日本の圧勝である。

■日清戦争の影響

その後、下関で講和会議が開かれ、1895年4月17日、日清講和条約(下関条約)が締結された。

その内容は、

1.清国は朝鮮の宗主権を放棄する(朝鮮の独立)。

2.清国から日本へ、遼東半島(大連・旅順)、台湾、澎湖列島を割譲する。

3.清国は日本に、賠償金2億テールを支払う(当時の日本の国家予算の3.8倍)。

4.日本に最恵国待遇を与える(貿易関税などの優遇措置)。

こうして、日本は、目先の脅威を取り除き、極東で唯一の独立国家となった。

さて・・・

ここで、本題にもどろう。

このような「歴史の因果関係」をみても、

「日清戦争は日本の侵略戦争だった、戦争の責任はすべて日本にある」

と言えるだろうか?

冷静に考えてみよう・・・

この時代、日本にとって、第一の脅威は南下政策を強行するロシア。第二の脅威は元寇という実績を持つ中国。もし、このどちらかが、朝鮮半島を完全に支配すれば、日本の安全保障が脅かされるのは明らかだ。

しかも、当初の日本の望みは、「朝鮮・李朝の独立=朝鮮半島の中立化」。それでも、日清戦争は日本の侵略戦争?戦争の責任はすべて日本にある?

こんなトンチンカンな歴史観を、反日しか頭にない隣国ならまだしも、当事者の日本人までが信じているのだから、驚きだ。

学校で習った歴史とは違う?

それはそうだろう。

戦後の日本の歴史教育は、「道徳的価値判断」が混入している。歴史を道徳で解説するようなもので、歴史というよりは童話。そもそも、歴史の分析に道徳を持ちこんで、真実が見えるはずがないではないか。

では、歴史とは何か?

原因と結果の原理・・・「因果律」こそが歴史なのである。

日清戦争の原因がわかったところで、結果について見ていこう。

じつは、日清戦争がもたらした影響はとてつもないものだった。

東アジアの情勢が一変したのである。そして、日本の運命も・・・

まず、朝鮮だが、清国が駆逐され、大韓帝国として独立を宣言した。朝鮮半島が中立化されたのである。さらに、日本は、不凍港の旅順と大連を含む遼東半島を獲得した。

ここで面白くないのがロシア・・・

大枚はたいてシベリア鉄道を建設し、満州・朝鮮・不凍港(大連・旅順)を丸取りするつもりが、日本に邪魔されたのだから。もちろん、ロシアは指をくわえて我慢するつもりはなかった。日本恐れるに足らず、日清戦争で日本が勝ったのは、日本が強いからではない。清国が弱すぎたのだ。そこで、ロシアは満州と朝鮮の奪還を目論んだのである。

こうして、日本とロシアの「国家戦略の衝突」は深刻なものになった。火薬は精製され、あとは引き金を待つばかり。「日露戦争」が勃発するのは時間の問題だったのである。

by R.B

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