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週刊スモールトーク (第232話) 世界は作り物である(3)~奇人変人天才ニュートン~

カテゴリ : 人物思想科学

2013.11.17

世界は作り物である(3)~奇人変人天才ニュートン~

■円か楕円か?

1683年、ロンドンのとあるレストランで3人の男が議論に熱中していた。

題目は・・・「なぜ、惑星の軌道は、円ではなく楕円なのか?」こんな無粋な話題をレストランに持ち込むのは科学オタクか科学者ぐらいだろう。ちなみに、この3人、名をハレー、フック、レンといった。ハレー彗星のハレーはともかく、あとの2人は聞いたこともない。とはいえ、この時代、それなりに知られた科学者だった。

ところで、この3人、なぜこんな話題で盛り上がっていたのだろう?惑星の軌道が、円だろうが楕円だろうが、どうでもいいではないか?科学者というのは、元来そういうものなのだろう。自分の身の回りの問題より、何百万kmかなたの星の軌道が円とか三角とか(それはない)、そっちの方が気になるのだ。でも、それで、社会生活はうまくいくのだろうか?人のことは言えないな。地球の裏側の、しかも、430年前の人間の心配をしているわけだから。

話を惑星の軌道にもどそう。地球(惑星)が太陽の周りを回るという「地動説」は、16世紀、コペルニクスによって唱えられた。じつは、それまで、太陽を含む星々は地球を中心に回っていると信じられていた。この傲慢不遜なご高説は、地球を中心に天が動くことから「天動説」とよばれた。一体、何をどうしたら、こんな珍説がまかり通るのだ?と、祖先をバカにしてはいけない。もし暇があったら、日がな一日、天空を観察してみよう。すべての星々はあなた(地球)を中心に回って見える。これを見て、地球の方が回っているのだ、と言い出す人がいたら、頭がおかしいのだ。でも、本当は正しい。どっちやねん?だから、天才となんとかは紙一重というのである。

というわけで、「天動説→地動説」は原理はカンタンなのだが、頭を切り替えるのが難しい。コペルニクスの偉大さはここにある。というわけで、物事の見方が180度変わることを「コペルニクス的転回」とよんでいる。最近、「パラダイム転換」という言葉をよく聞くが、ほぼ同じ意味である。ところが・・・コペルニクス以前に、地動説を発見した学者がいるという。5世紀エジプトの女流科学者ヒュパティアもその一人だ。彼女はエジプトの大都市アレクサンドリアで活躍した教育者・科学者だった。

当時、アレクサンドリアはエジプト最大の都市で、学問のメッカとして知られていた。古代世界最大のアレクサンドリア大図書館を擁し、世界七不思議の一つ「アレクサンドリアの大灯台」もここにあった。ところが・・・この頃、地中海世界は暗雲がたちこめていた。古代ギリシア・ローマの科学や哲学が否定され、キリスト教が文明と文化を支配したのである。これを「暗黒の中世」とよんでいる。早い話が・・・「聖書を信じよ、それ以外は偽りである」たとえば、「地動説」は聖書の記述と矛盾するから、神の教えに反する。そんなトンデモ説を吹聴するのは、魔女に違いない。火あぶりにしなくては・・・そんな仰天の三段論法で、ヒュパティアはキリスト教徒から弾圧され、殺されたのである。それも、ありきたりの「火あぶり」ではない。体を切り刻まれ、見世物にされ、焼かれたのである。

それにしても、こんな酷(むご)い罰に見合った罪とは何なのだ?「地動説」を説いたから、神の教えに反したから?では、聖書を確認してみよう。右の頬(ほお)を打たれたら、ほかの頬も向けなさい※マタイ福音書・第5章38節あなたがたの敵を愛しなさい※マタイ福音書・第5章44節さて、この矛盾はどう考えたらいいのだ?それに、マタイ福音書は新約聖書の中でも重要な「4福音書」の一つ。しかも、イエスの言行録とされているのだ(本当かどうかは分からないが)。そして、ここが重要なのだが、ヒュパティアは極めつけの美人だ(肖像画によれば)。

冷静に考えてみよう。地動説を思いつくほど頭が良くて、信念もあって、しかも美人。そんな素晴らしい女性をなぜ殺す必要があるのだ?地動説、天動説、それがどうしたというのだ!それが、美人の命とどんな関係があるのだ?と、正義感半分、私情半分で憤慨した人がいたのだろう。じつは、ヒュパティアの半生を描いた映画が制作されている。2011年、日本でも公開されたスペイン映画「アレクサンドリア」だ。一般論として、スペイン映画は秀作が多いが、これもその一つ。しっかり作り込まれているし、壮大感もあるし、テイストもハリウッド映画に近い。だから、日本人にも抵抗はないだろう。ちなみにヒュパティア役のレイチェル・ワイズは肖像画と瓜二つだ。この映画の中で、ヒュパティアは地球(惑星)の軌道が「真円」ではなく「楕円」であることを発見する。そこにたどり着くプロセスも”らしく”描かれているが、これは疑わしい。

この時代、まだ、望遠鏡は発明されていなかった。肉眼の観測と初歩的数学で、「楕円」を見破るのは至難だろう。実際、「地動説と楕円」が証明されたのはそれから1000年後のことだった。というわけで、この「地動説と楕円」の問題が冒頭の三人組のトークにつながるのである。じつは、この熱い議論の64年前に、天文学者ケプラーは、惑星の周回軌道が「楕円」であることを発見していた。ケプラーは、天体観測者ティコ・ブラーエが残した精度の高い観測結果(肉眼)をもとに、3つの法則を導き出したのである。

【第1法則】惑星は太陽を一つの焦点とする「楕円軌道」を描く(円軌道ではない)。

【第2法則】惑星は太陽に近いほど速く、遠いほどゆっくり動く。正確には、惑星と太陽を結ぶ直線が単位時間に描く面積は一定(面積速度一定)。

【第3法則】太陽から遠い惑星ほど一周する時間(公転周期)が長い。正確には、惑星が太陽を一周する周期の2乗は、惑星と太陽との平均距離の3乗に比例する。

これが、有名な「ケプラーの法則」である。ただし、この法則は、観測結果からの推測で、厳密に方程式を解いて導かれたものではない。というわけで、冒頭の三人組は、この法則をたたき台にして、「惑星の軌道は本当に楕円?もしそうなら、証拠は?」を熱く議論していたのである。中でも、”熱かった”のはハレーだった。ハレーは彗星の出現を計算によって予知した出来物だが(ハレー彗星)、さすがに、この問題は手に余った。そこで、ケンブリッジ大学の変人教授に教えを請うことにした。かの有名なアイザック・ニュートンである。

■奇人変人天才ニュートン

1684年、ハレーは、アポも取らず、ケンブリッジ大学のニュートン教授の元におしかけた。そして、お愛想程度の前置きの後、本題に入った。

「惑星はどのような周回軌道を描くのか?」

ニュートンの答えは、「真円」ではなく「楕円」だった。我意を得たり、ハレーはドキドキしながら、その理由を聞いた。ニュートンは素っ気なく答えた。

「そりゃあ、計算したからだよ」

狂喜したハレーは、その計算をみせてくれとせがんだ。ところが・・・いくら捜しても出てこない。結局、ニュートンは計算書を見つけることができなかった。つまり、こういうこと・・・この変人教授は、天体の運行を解き明かす神の方程式を導きながら、どこへしまったか思い出せないのだ。ありえない!いや、ありうる。じつは、ニュートンの変人奇人ぶりはこんなものではなかった。

ニュートンは、大数学者ガウスに匹敵する集中力の持ち主だったのだ。まずは、ガウスの変人ぶりから・・・ある日、ガウスが2階の自室で数学の問題を解いていると、「奥さんが臨終です。すぐに下に来てください」と誰かが呼びに来た。すると、ガウスは、「今は手が離せない。これがすんだら行くよ」と答えたという。問題を解き終えて、奥さんのもとに行くと、すでにこときれていた。その時、誰かが、「首尾良く問題は解けたかい?」と皮肉を言ったかどうかは知るよしもないが、ガウスが尋常でないことは確かだ。

ところが、ニュートンの集中力はこんなものではなかった。朝ベッドから出ようと足を床におろしたとたん、突然何かが閃いて、「ピクリともせずに何時間も座っている」のが何度も目撃されているのだ(※1)。もちろん、朝起きるのを忘れたわけではない。きっと、自分だけが知りうる宇宙の大問題を解いていたのだろう。紙もペンも使わずに。このような異常な集中力が、並外れた思考力と掛け算して、人智を越えた成果を生むことがある。このときもそうだった。ニュートンの不注意とハレーの熱意が世紀の大発見をもたらしたのである。ニュートンの不注意?そう、神の計算書を紛失したこと。じつは、この信じられないようなポカが、万有引力の法則と、それを包含する「ニュートン力学」を生むきっかけになったのである。

■プリンキピア

ハリーはニュートンのポカに心底ガッカリしたが、あきらめはしなかった。もう一度計算してくれるよう、ニュートンに懇願したのである。ニュートンはそれに同意し、ハレーの期待に立派に応えた。彼は神懸かり的な集中力を2年間も持続させ、歴史的な科学論文を書き上げた。「自然哲学の数学的原理」、世に言う「プリンキピア(Principia)」である。

プリンキピアは「3つの運動法則」と「万有引力の法則」で構成される力学大系で、科学史上、最も重要な論文の一つである。いわゆる「ニュートン力学」で、その発展型の「解析力学」は、現在も、力学運動と機械装置の基礎理論になっている。ところが、「プリンキピア」が世にでるまでには紆余曲折(うよきょくせつ)があった。ニュートンの能力の問題ではなく、お金の問題で。完成間際になって、出版の約束をしていたイギリス王立協会がドタキャンしたのである。

というのも、その前年、王立協会は「魚の歴史」という本を後援して、大失敗していた。タイトルからして予想はつきそうなものだが、実際、さっぱり売れなかった。「魚」でダメなら、「数学原理」が売れるわけがない、と判断したのだろう。王立協会はお金を出すのを辞めたのである。ハレーは仰天した。あの気まぐれなニュートン教授をなだめすかし、やっと論文が完成したというのに、土壇場でキャンセル?冗談じゃない!(気持ちは分かります)というわけで、哀れなハレーは自腹を切るはめになった。もちろん、ニュートンは一シリングも出さない。

ところが、悪いことは重なるものだ。この頃、ハレーは王立協会の事務職についたばかりだったが、こんな通達が届いた・・・「ハレー殿、当王立協会は予算不足のため、約束の年50ポンドの俸給を支給することができなくなりました」かわりに、ハレーの元に「魚の歴史」が届けられた(※1)。

それでも、ハレーはグチ一つこぼさなかった。それどころか、ニュートンとプリンキピアをこう讃えたのである・・・「これ以上近づきえないほど、人間が神々の世界に近づいた」科学者、知識人、さらに、政治家までがハレーの意見に同意した。実際、ニュートンはイギリスで初めて科学的業績でナイトの称号を授けられたのである。それから現代に到るまで、ニュートンの名声は地球上で燦然と輝いている。で、ハレーは?ハレー彗星。

■錬金術師ニュートン

ニュートンは天から降ってきたような天才だった。

ところが、ニュートンはそれをひけらかすことも、世間に認めさせることにも興味がなかった。陰気な質(たち)で、神と対話し、宇宙の謎を解き明かすと、後は野となれ山となれ、世間に公表しないことさえあった(たとえば微分積分)。つまり、ハレーがいなかったら、プリンキピアはこの世に存在しない。

そもそも、ニュートンの一番の関心事は数学や物理ではなかった。錬金術と宗教。「錬金術」は早い話が鉛を金に変える技術。25世紀の元素変換技術か、それとも、魔術か?当時の科学水準なら後者だろう。天才ニュートンがこんな人の道に外れた怪しい疑似科学に取り憑かれていたのである。

さらに・・・ニュートンが熱中した「宗教」というのが、キリスト教「異端」のアリウス主義だった。なぜ、異端かというと、キリスト教の「三位一体」を否定したから。「三位一体」とは、父と子と聖霊という3つの位格が1つとなって神の存在とする説。つまり、アリウス派は「子・イエス」の神性を否定したのである。コワイコワイ。

ではなぜ、理系のニュートンが、文系の宗教に熱中したのか?その昔、学問には理系と文系の区別がなかった。古代ギリシャで真理を追究する「哲学」がおこり、そこから「科学」が派生した。哲学は抽象的で上等、科学は具体的で格下というすみわけがあったものの、基本はボーダレスだった。

たとえば、17世紀に活躍したデカルトは数学と哲学の両刀使いだった。しかも、どちらも一流というから、イヤミな話だ。ちなみに、高校で習う「デカルト座標(XY座標)」も、哲学の命題「我思う、ゆえに我あり」も彼の産物だ。大学時代の心理学の教科書(※2)を引っ張り出すと、デカルトのIQは「180」とある。まぁ、天才なのだろう。

■ニュートンVs.デカルト

デカルトはニュートンより46年早く生まれたが、ニュートン同様、天体の運行に関する業績を残している。ただし、アプローチは真逆。デカルトは天体が「なぜ」動くか?に執着し、ニュートンは「どう」動くか?で折り合いをつけたのである。デカルトは、天体が動くのは、目に見えない何かが天体を押しているからだと考えた。目に見えない何か?「エーテル」という物質が空間を満たし、それが渦巻いて、天体を引き込み、その結果、天体が動くというのである。つまり、直接触れる力がない限り、物体は動かない・・・これを「近接作用説」という。

ところが、ニュートンはこのような考え方を嫌った。なぜ動くか?は神の領分だから、せんさくしない。人間は、どう動くか?を考えばいい。たとえば、天体の運行は、ニュートン流で考えると・・・太陽の質量を「m1」、惑星の質量を「m2」、その距離を「r」とすると、太陽と惑星は互いに力「f」で引き合う。これが重力(引力)で、次の式で表される。

f=G×m1×m2/(r×r)
※G:重力定数。宇宙の通常空間ならどこでも一定。

この式の意味するところは、2つの物体に働く力は、質量に比例し、距離の2乗に反比例する。つまり、ニュートンは「なぜ力が働くか」ではなく、「どんな力が働くか」にフォーカスしたのである。そもそも、「なぜ」を忘れれば、エーテルのような怪しい物質をでっちあげる必要もない。触れずに働く力があっても、いいではないか。このように、遠く離れていて、しかも、媒体がなくても力が働くという考えを「遠隔作用説」とよんでいる。

というわけで・・・ニュートン流の科学は「原因」ではなく「結果」を重視する。神の方程式を見つけ出し、それを解くことで答を出すのである(解析的に解く)。こうして、「近代科学」が始まった。科学は「法則化」の道を歩み、やがて、哲学から枝分かれした。そして、驚異の科学文明を築き上げるのである。現在、数学や物理は「自然科学」、哲学や宗教学は「人文科学」と、別の科学大系に分離されている。では、この二つは何が違うのか?「自然科学は具体的で唯物的、人文科学は抽象的で唯心的」だから、どっちが上というわけではない(たぶん)。

《つづく》

参考文献:
(※1)人類が知っていることすべての短い歴史(著),BillBryson(原著),楡井浩一(翻訳)
(※2)真辺春蔵「心理学の基礎」朝倉書店

by R.B

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