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週刊スモールトーク (第23話) 潜水艦Ⅰ~日本海軍イ号とUボート~

カテゴリ : 戦争科学

2005.11.20

潜水艦Ⅰ~日本海軍イ号とUボート~

■映画「ローレライ」

2005年3月、映画「ローレライ」が公開された。邦画では珍しい潜水艦ものである。時は第二次世界大戦、アメリカは広島と長崎に原爆を投下し、さらに3発目の原爆投下をもくろんでいた。それを察知した日本軍は、超兵器「ローレライ システム」を搭載した潜水艦「伊507」を出撃させる。向かうは、原爆機B29が待機するテニアン島。

戦記マニアなら、ここで、ある歴史的事件を思い出すだろう。アメリカ巡洋艦インディアナポリス号の撃沈事件である。1945年7月16日、アメリカ海軍の巡洋艦インディアナポリスは、サンフランシスコ港を出港した。原子爆弾の燃料ウラニウム235をテニアン島に運ぶためである。無事テニアン島に着いたウラニウム235は、原子爆弾に注入され、B29に搭載される。そして、このB29が向かったのが広島であった。1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下される。

ところが、任務を遂行した巡洋艦インディアナポリスは、その後、日本の伊号潜水艦「伊58」に撃沈される。これに驚いたのが、アメリカ海軍だった。日本は原子爆弾の輸送を知っていて、巡洋艦インディアナポリスを撃沈した?最高機密が日本側にもれたのかもしれない。アメリカ海軍は緊張した。

■インディアナポリス号撃沈事件

映画「ローレライ」は、実史「巡洋艦インディアナポリス撃沈事件」からヒントを得たのかもしれない。ところが、実のところ、日本海軍のイ号潜水艦「イ58」は原子爆弾の存在すら知らなかった。たまたま、巡洋艦インディアナポリスに遭遇し、撃沈しただけ。史実をからみれば、日本海軍のイ号潜水艦イ58と原子爆弾の接点は全くない。ところが、この事件は別の大事件へと発展していく。

巡洋艦インディアナポリスが沈没した時、アメリカ軍の捜索がおくれ、多数の死者を出した。海に投げ出された多くの水兵がサメの餌食になったのである。アメリカは民主主義の国である。制海権と制空権を握っているのに、なぜ、多くの犠牲者が出たのか?アメリカ国内から非難の声があがった。そして、巡洋艦インディアナポリスの艦長マクベイ大佐が軍法会議にかけられるという事態にまで発展した。当時のアメリカ軍では考えられない処置だった。

軍法会議では、艦長マクベイ大佐が対潜水艦の定石「ジグザグ コース」をとったかどうかが争点となった。それを確認するため、事態は日本にまで波及する。インディアナポリス号を撃沈したイ号潜水艦「イ58」の橋本艦長が証言台に立たされたのである。その証言で、マクベイ大佐はジグザグ コースをとらなかったことが判明した。その結果、職務怠慢で有罪が確定した。ただ、それまでの軍功が考慮され、降格ですんだが、もはや昇進の見込みはなかった。

しかし、冷静に考えれば、事件の本質は、救助が遅れたアメリカ海軍にあり、巡洋艦インディアナポリス号が撃沈されたことではない。失意のマクベイ大佐は、退役後20年たったある日、自殺した。彼は20年間も苦しみ続けたのである。しかし、50年後、11歳の少年がマクベイ大佐の無実を訴え、有力者を巻き込み、名誉回復が叶った。本まで出版され、映画化まで決まったという。このあたりは、まさにアメリカ。

■潜水艦の歴史

このように、潜水艦はドラマや映画には欠かせないモチーフだ。潜水艦の歴史は意外に古く、レオナルド ダ ヴィンチのスケッチノートにも描かれている。とはいえ、実用化された潜水艦とは別モノ。時代はまだ15世紀である。また、南北戦争では、南軍が潜水艦を実戦投入し、それなりの成果があったという。だが、潜水艦というより、水面下をはい回る奇怪な船といった方がいいだろう。

まともな?潜水艦が初めて歴史に登場するのは「ルシタニア号事件」だろう。第一次世界大戦のさなか、1915年5月7日、ドイツの潜水艦が英国客船ルシタニア号を撃沈した事件である。1200名もの人命が失われたが、この中に128名のアメリカ人が含まれていた。問題はアメリカが当時中立国だったことである。イギリス・アメリカ政府はドイツに激しく抗議したが、ドイツはルシタニア号には軍事物資が積まれていたから軍用船だと反論した。事実はさておき、この事件を契機に、アメリカは第一次世界大戦に参戦することになる。その結果、第一次世界大戦の趨勢は決定的となった。潜水艦から発射された2本の魚雷が、歴史を変えたのである。

この時代、イギリスは世界に冠たる海軍国だった。もちろん、それには理由がある。イギリスは島国で、資源、物資に恵まれていない。そこで、イギリスは広大な植民地ネットワークを築きあげ、世界中から物資を収奪していた。当然、海上輸送ルートはイギリスにとって生命線になる。つまり、「シーレーン(海上交通路)」を守るため、イギリスには強大な海軍力が必要だった。

一方、ドイツは地政学的にも歴史的にも大陸の国である。物資は大陸を通して収奪できるからだ。そのため、ドイツにとって海軍は二の次だった。とはいえ、イギリスと事を構えた以上、イギリスのシーレーン(海上交通路)を断つ必要があった。

ところが、ドイツの軍艦の数はイギリスの35%、海戦ではとてもかなわない。そこで、ドイツは軍艦ではなく、輸送船を狙うことにした。最強の海軍国イギリスでも、輸送船なら恐くはない。ただ、軍艦に見つかれば勝ち目はない。そこで、考えられたのが隠密作戦だった。輸送船団にこっそり忍び寄り、撃沈、軍艦に見つかる前に退却する。この作戦に最適なのが「潜水艦」だった。「潜水艦=ドイツ」のイメージが定着したのはこのような事情による。

第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、潜水艦の代名詞になったのがドイツの「Uボート」である。この「Uボート」をモチーフにした映画が、1981年に公開された。旧西ドイツが制作した「Uボート(Das Boot)」である。アメリカでも好評で、アカデミー賞6部門にノミネートされた。おそらく、潜水艦映画の傑作である。

映画「Uボート」では、潜水艦という「非日常」が日常的に描かれている。閉塞感ただよう艦内、薄汚い乗組員、けたたましいエンジン音、海の底にはどこにも逃げ場はない。艦長役のユルゲン プロフノウのあの形相と相まって、結局のところ、この映画は
潜水艦=絶望
を言いたかったのではないか。また、この作品とよく比較されるのがアメリカの「U-571」だが、良くも悪くもハリウッド映画。潜水艦の”持ち味”が全く活かされていない。

■潜水艦の誤解

誰でも知る潜水艦だが、一つ大きな誤解がある。この頃の潜水艦は「潜水」はおまけで、ほとんど水上を航行していた。つまり、「潜水もできる船」と言ったほうが正しい。少なくとも、1944年2月まではそうだった。

そもそも、潜航するときエンジンが使えない。潜水艦の「ディーゼルエンジン」は重油を燃料とするが、重油を燃やせば、酸素を消費する。当然、艦内の酸素はまたたくまに無くなり、クルーは窒息死。そこで、潜航するときは、電気モーターが使われた。

つまり、この頃の潜水艦は ・・・

通常は、ディーゼルエンジンで水上を航行し、発電機で発電した電気をバッテリーに充電する。獲物を発見、あるいは、軍艦に発見されたら、モーターを回して潜航し姿をくらます。原理は、現代のハイブリッド自動車とほぼ同じ。

ところが、1回の充電で潜航できるのはわずか「37時間」。しかも、潜航中の速度は軍艦より遅いので、見つかったら最後、逃げ切れない。ということで、航空機や軍艦に見つからないよう、コソコソ水上を航行するのが潜水艦の実態であった。

ところで、潜水艦はどうやって潜ったり、浮上したりできるのだろう。潜航するときは、艦内のバラストタンクに海水を注入し、その重さで沈む。逆に浮上するときは、バラストタンクから圧縮空気で海水を排出し、軽くして浮上する。この浮き沈みの原理は、現代の原子力潜水艦も同じ。

■ドイツ潜水艦Uボートのスペック

ここで、第二次世界大戦中の潜水艦の詳細をみていこう。例にあげるのは、ドイツ潜水艦「UボートⅦC型」。歴史を刻む潜水艦で、当時のドイツ潜水艦のスタンダードだった。

まずは、スペック。潜水艦の全長67m、全幅6m。そのせまい空間に、大量の物資が積み込まれる。燃料の重油114トン、食糧3.5トン、真水2.2トン、魚雷14本。一旦、海にでると補給が困難なので、物資が優先して詰め込まれた。残されたわずかな空間に、乗組員44名が割り込むという具合である。

主動力のディーゼルエンジンは2基で、出力2800馬力。また、潜航時に使用する電気モーターは2基で 750馬力。水上では最高時速31km(17ノット)、潜航時の最高時速14km(7.6ノット)。水上航行なら、輸送船か低速の軍艦なみ。意外に長いのは航続距離だ。水上航行でエコノミー速度22km(12ノット)なら、12028kmも航行できた。東京からキューバーまでの直線距離に等しい。

ドイツ潜水艦Uボートの1回の作戦期間は1ヶ月~2ヶ月。軍需物資の補給は水上でも可能だが、潜水艦のメンテナンスもあるし、乗組員のストレスもある。これくらいが限界なのだろう。次に、潜水艦の生活。潜水艦での暮らしはつらいものだった。真水は貴重で、風呂に入れない。そのため、皮膚病が蔓延したが、皮膚を洗浄するには真水が必要だ。つまり、どうどう巡り。

また、艦内は密閉されているので、湿気が多く、なんでも腐った。生鮮食品はたちまち底をつき、ビタミンCが不足する。ビタミン剤で補給しても限界がある。さらに、ビタミンが不足すると、ちょっとした傷でもなかなか治らない。そこで手術が必要になるが、潜水艦には軍医が乗っていない。なぜか?

じつは、ドイツ潜水艦Uボートの生還率は30%だった。つまり、3人に2人が海で死ぬ。陸上戦では考えられない死亡率だ。そんな物騒なものに貴重な医師を乗せるわけにはいかない。それでも、ドイツ潜水艦Uボートの乗組員たちは、果敢に戦域にむかった。無事帰還すれば、英雄として迎えられるからだ。

■Uボートの戦い

ドイツ潜水艦Uボートの任務は、大西洋を航行する連合国の輸送船を沈めること。当初、この作戦はうまくいった。Uボートの群れは、狼のごとく輸送船団を襲い、月に75万トンも沈めることもあった。この報告を聞いたイギリス首相チャーチルは、戦争の敗北を覚悟したという。こうして、Uボートは連合国側から「灰色の狼」と怖れられた。

ところが、1943年5月、状況は一変する。Uボートの戦果が月30万トンと、全盛期の半分に落ち込んだのだ。逆に、撃沈されたUボートは月40隻に達し、損失は10倍に膨れあがった。何かが起こっているのだ。ところが、原因が分からない。それもそのはず、
「潜水艦の敗北 = 海底のもくず」
つまり、生還者が一人もいないのだ。だから、敗因を知るすべがない。ドイツ海軍の状況は深刻だった。

じつは、ドイツ潜水艦Uボートの劣勢は連合国側の作戦によっていた。輸送船団の護衛船の一部を分離し、遊撃隊として運用したのである。Uボートにとって、最も危険な瞬間は攻撃した直後。敵に位置を知られるからである。遊撃隊はこの瞬間をとらえ、Uボートを執拗に追跡した。

つまり、輸送船を護衛するのではなく、輸送船をおとりにしてUボートを殲滅する。潜水艦の優位は、潜って見えないことだが、Uボートの潜水能力は中途半端だった。ドイツ海軍は、常時潜航できる潜水艦の開発に迫られた。

■潜水艦革命「スノーケル」

1944年2月、ついに、ドイツ海軍は「常時潜航」の解決策を見つけた。「スノーケル」である。原理はマリンスポーツのスノーケルとほぼ同じ。給気と排気のマストを海面上に出し、空気を吸い込み、排気ガスは水中に吐き出す。排気ガスを空中に出さないのは、航跡が哨戒機から見えるからである。排気ガスのほとんどは二酸化炭素なので、海中に排気すれば水にとけて、航跡が残らない。

こうして、Uボートは主動力のディーゼルエンジンで潜航できるようになった。バッテリーが切れる心配もない。スノーケルが有効な深度であれば、燃料の重油がなくなるまで潜り続けられる。スノーケルは潜水艦の歴史に光明をさすものであった。

ところが、何ごともいいことずくめとはいかない。スノーケルは、空気を吸い込む管なので、そこから海水が入ると大変だ。そこで、スノーケルには海水が侵入しないように弁がついていた。ところが、これがクルーにとっては地獄だった。

海が荒れ、一時的に弁が閉じると、艦内には空気が入ってこない。一方、ディーセルエンジンはかまわず稼働する。艦内の酸素はどんどん減り、気圧が下がり、眼球が飛び出さんばかりになる。耳鳴りがする、鼓膜が破れそうになる。さらに排気まで遮断されると、排気ガスの一酸化炭素で、頭痛や吐き気が襲う。相手は一酸化炭素、ヘタをすると死ぬ。こうなると、潜水艦の中はまるで地獄。潜水艦の乗組員がこの地獄から解放されるのは、原子力潜水艦が発明された後である。

とはいえ、多少の問題はあるにしろ、スノーケルで、Uボートの劣勢は挽回できそうにみえた。ところが、連合国側は新たな対潜水艦兵器を開発する。対潜爆弾とソナーを備えた高速駆逐艦である。スノーケルをあげて潜航すると、スピードに制限がある。スピードを出しすぎると、スノーケルが水の抵抗で破損するからである。そのため、時速11km(6ノット)が限度とされた。一方、高速駆逐艦は、海面の条件さえ良ければ時速55km(30ノット)で航行できた。つまり、駆逐艦に見つかれば万事休す、逃げ場は海底しかない。

とはいえ、深く潜れば、スノーケルは使えない。結局、電気モーターに切り替えるしかなかった。ところが、非力なバッテリ駆動では最大時速14km(7.6ノット)。駆逐艦の時速55km(30ノット)には遠く及ばない。しかも、潜水深度はせいぜい100m、逃げ回るにも限度があった。さらに、海底からでは、魚雷も発射できない。駆逐艦があきらめてくれるよう祈るしかなかった。

■潜水艦の窮地

ドイツ潜水艦Uボートにさらなる災いがふりかかる。連合国側が対潜水艦用の新しい装置を開発したのだ。潜水艦は鉄、つまり磁性体の塊である。そのため、潜水艦が移動すれば海中に磁気の変化が生じる。それをとらえるのが「磁気探知機」だった。これを使えば、たとえ潜水艦が潜航していても、スノーケル有効深度なら簡単に発見できる。

もっとも、この装置には欠点もあった。センサーの射程が短く、真下しか探知できない。そのため、潜水艦の真上で探知したら、すぐに爆弾を投下しないと間に合わない。ところが、それでは命中しない。慣性力のため、投下した爆弾は航空機の速度で水平方向に移動する。だから、真下には落下しないのだ。そこで、後方にむけて発射するレトロ ロケット弾が開発された。航空機と同じ速度でロケット弾を後方に発射すれば、前進速度と相殺され真下に着弾する。ドイツ潜水艦にしてみれば、悪魔のような兵器だった。

悪いことはかさなるものだ。今度は、連合国側は輸送船団に護衛空母をつけたのである。これは、連合国側が護衛空母の量産に成功したことを意味していた。本来、空母は高価で、量産はムリ。ところが、それはあくまで正規空母の話。潜水艦相手の護衛空母なら、貨物船を改造した空母で十分だった。

実際、護衛空母のスペックは、全長150m、艦載機は20機程度。一方、艦隊決戦の主役の正規空母ともなれば、全長250m、艦載機も100機前後。対空防衛の兵装は天地の開きがあった。護衛空母の敵は海中をコソコソ逃げ回る潜水艦。航空機が離着陸できれば十分だった。護衛空母は航空母艦というよりは、「航空輸送艦」とよぶ方が正しいだろう。

■幻の潜水艦「エレクトロボート」

ドイツ潜水艦の劣勢の原因は一つ、まともに潜航できないこと。スノーケル有効深度を超え、長時間潜航する、それしかドイツ潜水艦の生き残る道はなかった。やがて、ドイツ海軍はその切り札を開発する。新型潜水艦「ⅩⅩⅠ型」である。この新鋭潜水艦が潜水艦の歴史をかえるはずであった。

ドイツ潜水艦「ⅩⅩⅠ型」は、一度充電すれば、電気モーターで88時間も潜航できた。先の旧UボートⅦC型の2倍以上。潜航時の最大速力は時速32km(17.2ノット)で、UボートⅦC型の2倍。さらに、安全深度は230mで、こちらも、UボートⅦC型の2倍。この劇的なスペックアップは、2500馬力というUボートⅦC型の3倍のパワーをもつ電気モーターと、巨大バッテリーによっていた。

つまり、潜水艦ⅩⅩⅠ型は電気の塊、それにちなんで「エレクトロボート」と命名された。ドイツ海軍はこの新型潜水艦に多大な期待をかけた。実際、1944年以降、100隻も建造されている。ところが、出撃したのはたったの2隻。なぜか?その直後、ドイツが降伏したからである。

結局、1939年9月から1945年5月までに、ドイツ海軍は1020隻のUボートを出撃させ、685隻を失った。損失率はじつに70%。乗組員の3人に2人が死んだことになる。戦いは非情なものだが、潜水艦の場合、
「敗北=海底のもくず=全滅」
これほど過酷な戦いはないだろう。こうして、潜水艦の歴史には、Uボートの悲惨で暗い記録だけが刻まれたのである。

■人間魚雷「回天」

日本もイギリス同様、海軍国であった。そのため、海軍の主力は空母や戦艦で、潜水艦はあくまでも補助ユニットだった。一方、日本は特異な歴史と文化をもつ国である。それを反映してか、潜水艦も他国と違う進化をとげた。

その最たるものが「回天」だ。1944年7月に採用された海の特攻兵器である。魚雷を改造した1人乗りの潜水艇で、人間が操縦し敵艦に体当たりし、自爆する。全長14.75m、直径1m、最高時速55km(30ノット)。いわば「人間魚雷」である。

先端には通常の魚雷の3倍の1..55トンの火薬が搭載された。これは、ドイツが開発した大陸間弾道ミサイルV2ロケットの2倍の火薬量である。ちなみに、V2は都市を破壊するための兵器だが、その3倍?回天が命中すれば、たいていの軍艦は、一撃で沈んだという。そして、この回天を、戦域まで運んだのが潜水艦だった。つまり、日本の潜水艦は、回天の母艦も兼ねたのである。

■世界最大の伊号潜水艦「伊400型」

1944年12月に竣工したイ号潜水艦「イ400型」も、日本ならでは潜水艦である。「特潜型」ともよばれたこの潜水艦は、3機の航空機を艦載していた。地球上で唯一の「潜水空母」である。艦載された攻撃機「晴嵐」は、翼が折り畳み式で、場所をとらなかった。とは言っても、航空機3機分のスペースが必要になる。そのため、イ400型は全長122mもあった。駆逐艦なみのサイズである。写真を見ると、異様にデカイ。

そこで、ドイツのUボートⅦC型と大きさを比較してみよう。イ号潜水艦「イ400」の全長は122mで、Uボートの約2倍。艦の体積をあらわす排水量は6560トンで、Uボートの約8倍。体積は、長さの3乗に比例するので納得。メインのディーゼルエンジンは4基で7700馬力、Uボートの2.8倍もある。電気モーターは、2基2400馬力で、Uボートの3.2倍。最高速力は、水上で時速35km(18.7ノット)、水中で時速12km(6.55ノット)で、UボートⅦC型と大差はない。

ところが、イ号潜水艦「イ400」の航続距離は69450kmで、Uボートの5倍もある。地球を軽く1周できる。乗員は157名で、Uボートの4倍。まさに、歴史を刻む巨大潜水艦であった。後にミサイル型原子力潜水艦が登場するまで、世界最大の潜水艦として君臨した。

ところで、航空機3機で、何をしようとしたのか?アメリカの戦意をくじくつもりだったらしい。イ号潜水艦「イ400」で太平洋を横断し、アメリカ東部の沿岸都市を爆撃する。物理的ダメージは皆無に近いが、アメリカ人に精神的ダメージを与えられる?

ところが、戦局の悪化とともに、計画もしぼんでいき、そのまま終戦となった。実戦に投入されることはなかったのである。この巨大潜水艦は、戦後、アメリカ軍により接収され、沈められた。

このように、この時代、どこの国でも、潜水艦は脇役で、乗組員の環境も劣悪であった。ところが、原子力潜水艦が潜水艦の歴史を一変させる。核戦争で生き残るのは原子力潜水艦で、地球上で最も新鮮な空気が吸えるのも原子力潜水艦なのである。

《つづく》

参考文献:
「伊号潜水艦」学習研究社
「Uボート戦全史」学習研究社
出射忠明「兵器メカニズム図鑑」グランプリ出版

by R.B

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