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週刊スモールトーク (第229話) 幻の日本本土上陸作戦~ダウンフォール作戦~

カテゴリ : 戦争歴史

2013.10.20

幻の日本本土上陸作戦~ダウンフォール作戦~

■五分後の世界

もし、大平洋戦争で日本本土決戦が行われていたら、今も戦争が続いていたかもしれない・・・ありがちな歴史改変SFにみえるが、芥川賞作家の村上龍が書くと出色の出来映えになる。タイトルは「五分後の世界」・・・

この世界では、日本は5個の原子爆弾を落とされ、それでも降伏しない。地下帝国を築いて徹底抗戦するのである・・・一見、荒唐無稽にみえるが、村上龍の文才のせいだろうか、見てきたかのようにリアルだ。とはいえ、「リアル」は文才のせいだけではないかもしれない。日本は建国以来2000年、一度も戦争に負けたことがなかった。ところが、1945年8月15日、日本はアメリカに無条件降伏したのである。その日本史上初の「敗北」がなければ、「五分後の世界」が現実になっていた可能性が高い。今も戦争が続いていたかは別として。だから、五分後の世界は荒唐無稽どころか、リアルな歴史シミュレーションなのである。では、日本が降伏しなかったら、どんな歴史になっていたのだろう?

アメリカ軍の日本本土上陸と、ソ連軍の北海道上陸は確実である。まず、アメリカ上陸部隊が南九州を占領し、そこから日本本土を爆撃する。そこで天皇の英断があれば降伏、なければ、アメリカ軍が関東に上陸し、首都「東京」が占領される。その時点で、天皇の英断があれば日本は降伏、なければ、そのまま「五分後の世界」に突入する。つまり・・・日本の降伏はひとえに、天皇の決断にかかっていたのである。軍部の指導者たちは、降伏するつもりなどさらさらなかったのだから。もちろん、彼らを一方的に責めることはできない。彼らは大日本帝国軍人として叩き込まれた教育に従っただけなのだから。

では、軍人教育を施した国が悪い?そうでもない。当時、欧米列強、さらにロシアはアジアを植民地にしようと躍起だった。そして、日本とタイを除くすべてのアジア諸国がそうなった。そんな現実を目の当たりにすれば、何をすべきかみえてくる。身ぐるみはがれたくなかったら、奴隷に落とされたくなかったら、些細な理由で殺されたくなかったら、自分は自分で守る、つまり、軍事大国を目指すしかなかったのである。しかし、結局、日本は無条件降伏した。天皇の英断によって。前日、天皇は閣僚たちにこう訴えた・・・私はこれ以上国民を苦しませることには耐えられない。戦争の続行は、数万、いや数十万の国民に死をもたらすであろう。国全体が灰燼と帰すだろう。そうなればわが皇祖の願いをいかに維持できようか(※1)。この英断によって、「日本本土決戦」は歴史から消えたのである。

■日本本土決戦

それにしても、陸・海・空の圧倒的な兵力、さらに、原子爆弾までちらつかせるアメリカ相手に、日本はどう戦うつもりだったのだろう?女子供にも竹槍持たせて、進め一億火の玉!日本人全員、玉砕?あー、不毛の精神論ここに極めり、だから、日本は負けたのだ、と嘆いてはならない。話はそう単純ではないのだ。冷静に考えてみよう。日本本土決戦に突入し、首都東京が陥落したら、日本の指導部は拠点を地方に移し、ゲリラ戦に切り替えるだろう。それでも、勝ち目はないのでは?イエス。ただし、日本はアメリカ軍に勝つつもりはない。硫黄島の戦いのように、一人でも多くの敵を倒す、消耗戦、心理戦にもちこむのだ。アメリカは民主主義の国である。すでに戦闘力を失った日本にとどめをさすために、なぜ、何万、何十万ものアメリカの若者が犠牲にならなければならないのか?

その疑念は、やがて厭戦気分に変わり、議会も戦争続行に反対するようになる。それを見計らって、停戦にもちこむのであるこれはありえない話ではない。アメリカと北ベトナムが戦ったベトナム戦争もそうだった。ベトナム戦争は、1960年12月に始まり、15年も続いた。この戦争で、アメリカは北ベトナム軍のゲリラ戦に巻き込まれ、甚大な損害をだした。あげく、最終的に全面撤退したのである。だから、日本本土決戦は不毛の精神論とは言い切れないのだ。もちろん、日本本土決戦になれば、アメリカ軍の日本本土上陸は避けられない。では具体的にどんな経緯をたどったのだろう。

じつは、実史において、アメリカ軍で「日本本土上陸作戦」が立案されていた。この時期、戦いのルールを決めていたのはアメリカなので、日本本土決戦はこの作戦に沿って進行した可能性が高い。アメリカの日本本土上陸作戦は「ダウンフォール作戦」と呼ばれた。ところが、日本空爆の責任者カーチス・ルメイ将軍は、ダウンフォール作戦は不要だと考えた。実際、彼は軍上層部にこう言い切っている。

「空爆だけで日本の軍事インフラを完全に破壊できる。1945年10月1日までに」

一方、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルはこれに否定的だった。彼は戦後こう語っている・・・我々は沖縄戦で苦い経験をしたばかりだった。82日間わたる戦闘でアメリカ側は1万2500人以上の犠牲者をだした。日本人は決して降伏せず、死ぬまで戦うのだ。だから、日本本土における抵抗はさらに激しいものになるだろう。我々は一夜の爆撃で10万人の市民を殺したのに、何の影響もないように思われた。日本の都市をつぎつぎに破壊したが、彼らの士気が衰えた気配はまったくなかった(※2)。結局、アメリカ統合作戦本部は、完全な勝利を得るためには、膨大な犠牲を払ってでも、日本本土上陸作戦「ダウンフォール作戦」をやるしかないと結論づけたのである。ただし、その前に日本をできるだけ弱らせておこう。そのための作戦が無差別都市爆撃と海上封鎖だった。

■空爆と飢餓作戦

アメリカ軍は、1944年後半、日本本土への激しい空爆を開始した。ところが、日本側にはなすすべがない。防空体制がすでに崩壊していたのである。それを象徴するような目撃談がある。当時少年航空兵だった父の話・・・太平洋戦争末期、父は一度も飛行機に乗ることなく、倉敷に駐屯していた。ある日、父の部隊が山頂で、B-29の空爆を目撃した。遠方から、しかも、高い所から見るので、状況が丸わかりだ。そのとき、父は心底落胆したという。日本軍が高射砲で応戦するのだが、砲弾がB29のはるか下で、放物線の頂点を描いて落下していく。これでは当たるはずがない・・・翌日、目撃した住民から苦情が殺到したという。

つまり・・・アメリカ空軍はやりたい放題。太平洋の島々から、昼夜をとわず爆撃機が往来し、無数の爆弾を落としまくる。まるで、郵便配達のようだと日本人は恐怖を冗談にしたという。さらに、1945年3月から「飢餓作戦」が開始された。アメリカ軍は、日本の沿岸に1万2000基以上の機雷を敷設し、日本本土を海上封鎖したのである。この機雷は、160機の改良B-29により投下され、一部は潜水艦によって敷設された。結果、約670隻の日本の船舶が撃沈された。日本の被害総トン数は125万トン以上、日本の主要輸送路はほぼ壊滅したのである(※2)。

■ダウンフォール作戦

1945年5月25日、日本本土上陸作戦「ダウンフォール作戦」はトルーマン大統領によって正式に認可された。上陸軍の総司令官はダグラス・マッカーサー大将、海上支援艦隊の総司令官はチェスター・ニミッツ提督である。当時、マッカーサーは日本の戦力を正確に分析していた。

1.日本の艦隊は実質壊滅している。

2.日本の航空兵力はバラバラの自爆攻撃に頼るだけの存在である。

3.沖縄の空軍基地と空母が連携すれば、九州上陸の空からの支援は可能。

4.九州に空軍基地を建設すれば、日本本土の制空権を確保できる。

ダウンフォール作戦の作戦資料によれば(※2)・・・全体目標は「日本の全面降伏」、作戦は2段階に分けて実行される。

【第一段階】

制空権と制海権を確保し、日本本土を封鎖する。さらに、集中空爆によって日本の抵抗力を粉砕する。

【第二段階】

日本本土へ侵攻し、重要地域を制圧する。第一段階は「オリンピック作戦」、第二段階は「コロネット作戦」と命名された。

■オリンピック作戦

「オリンピック作戦」の目的は、九州南部に空軍基地を確保し、日本本土全域を空爆すること。ところで、なぜ九州南部なのか?九州南部を中心に半径2000kmの円を描くと、日本全土がすっぽりおさまる。一方、アメリカの戦略爆撃機「B-29」の航続距離は5000km超。つまり、九州南部を基点にすれば、日本全域が射程距離内に入る。さらに、九州南部は・・・

1.開放湾と自然港があり、多数の艦船が停泊できる。

2.北部に山岳地帯があり防御に適している。

3.広い平野があり、空軍基地が築きやすい。

オリンピック作戦の開始日は、1945年11月1日とされた。上陸に先立ち、九州南部に空爆を実施する。32隻からなるアメリカ空母艦隊の艦載機1900機、さらに、沖縄の基地から2700機の航空機が出動する。空母32隻に、航空機4600機?九州南部を無力化するのになぜこんな大兵力が必要なのか?そもそも、日本の防空体制は潰滅していたのでは?これが「アメリカの工業力」なのだ。普通に頑張ったら、これだけの戦力になりましたという話。別に日本の軍事力を恐れたわけではない。ただほんの少し、「カミカゼ特攻」を警戒したかもしれない。

じつは、日本側はアメリカ軍の本土上陸を正確に予測していた。そこで、訓練機から偵察機にいたるあらゆる航空機を、カミカゼ特攻機に改造していたのである。7月までに8000機、さらに、9月には2500機が追加されるはずだった(※2)。これは半端な数ではない。もし、1万機が特攻すれば、アメリカ軍も無傷ではすまない。そして、このような日本の防衛強化を、アメリカ側は暗号傍受で把握していた。だから、アメリカ側が怖れたとすれば防衛強化「カミカゼ特攻」ぐらいだろう。

そして、空爆の後は・・・アメリカ海兵隊と陸軍の14個師団が九州南部に上陸する。総兵力は40万人超、輸送船と揚陸船は1300隻。規模において、史上最大の作戦「ノルマンディー上陸作戦」の連合軍を上回る。それで結果は?難なく成功するだろう。その後、日本本土への本格的な空爆が始まる。防空体制が潰滅しているので、被害は甚大、地上のインフラはほぼ壊滅する。しかし、人的被害はそれほどでもない。空爆は事前に分かるし、地下にもぐれば安全だから。だから、空爆だけでは日本は降伏しないだろう。そこで、第二段階の「コロネット作戦」が始まる。

■コロネット作戦

コロネット作戦の開始日は1946年3月1日と決定された。目標は首都東京の占領と「日本の制圧(日本の降伏)」である。この作戦では、アメリカ海兵隊と陸軍は、湘南海岸と九十九里浜に二手に分かれて上陸する。その後、関東平野を挟み込むように進撃し、首都を制圧する。動員される兵力は25個師団、総兵力50万人。これは、第一段階のオリンピック作戦の兵力を上回る。しかし・・・東京は占領できるだろうが、その後は?天皇の決断がない限り、軍主導で徹底抗戦するだろう。東京が占領されても、地方に拠点を移し、ゲリラ戦が始まる。その場合、アメリカ軍は拠点を一つ一つ潰していくしかない。さらに、硫黄島の戦いのように、地下に潜れば、拠点を特定することも難しくなる。つまり・・・日本側はどんな犠牲を払っても降伏しない。グアムやサイパンの玉砕をみれば明らかだ。軍人のみならず、民間人までが自決する国なのだから。

この頃、日本国民は必要摂取カロリーの1/3しか口にしていなかった。米の配給は極度に制限され、魚の摂取など問題外だった。ところが、日本は降伏の気配すらない。それどころか、本土防衛に国民を総動員し、「進め一億火の玉」で、竹槍で対抗しようというのだ。では、その結末は?誰にもわからない。少なくとも、天皇が武装解除を命じないかぎり、戦争は続く。つまり、ダウンフォール作戦は行き着くところ「日本人の殲滅」なのである。そうなれば、作戦は数ヶ月から数年、あるいは、ベトナム戦争のように10年以上つづくかもしれない。アメリカの優位は揺らがないが、「完全な勝利」がどのような形でもたらされるか、アメリカ側は想像もつかなかったのである。こうして、時間が経つにつれ、「コロネット作戦」の目標はぼやけていった。当初の勇ましい目標「日本の制圧」が何の根拠もないことが判明したのである。

その結果、「コロネット作戦」の目標は、「日本列島の組織的抵抗を終結させるために必要となりうる作戦」に変更された。「必要となりうる作戦」?なんとも歯切れの悪い・・・そんな作戦で日本が降伏するはずがないではないか。というわけで、アメリカは本音では「ダウンフォール作戦」はやりたくなかった。負けることはないが、犠牲が大きいし、いつ終わるとも分からないから。ところが、1945年7月16日、アメリカ指導部に思わぬ吉報が届く。マンハッタン計画(原子爆弾製造)が成功したのである。それから、1ヶ月後、広島と長崎に原子爆弾が投下され、日本は無条件降伏した。このとき、アメリカ統合作戦本部は胸をなで下ろしたことだろう。7万~50万人と想定された「アメリカ兵の犠牲」が回避されたのだから。つまり・・・日本本土決戦が行われた世界は、現実世界と紙一重だった。その分水嶺が1945年8月15日の「ポツダム宣言の受諾」だった。その歴史の壇上では、日米あわせて数百万人が生死の天秤にかけられていたのである。

参考文献:
(※1)原子爆弾の誕生(下)リチャードローズ(著),RichardRhodes(原著),神沼二真(翻訳),渋谷泰一(翻訳)出版社:紀伊國屋書店
(※2)第二次世界大戦秘録幻の作戦・兵器1939-45マイケル・ケリガン(著),石津朋之(監訳),餅井雅大(翻訳)出版社:創元社

by R.B

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