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週刊スモールトーク (第221話) ポツダム宣言Ⅱ~原子爆弾とマンハッタン計画~

カテゴリ : 戦争歴史

2013.08.25

ポツダム宣言Ⅱ~原子爆弾とマンハッタン計画~

■トリニティ実験

1945年7月16日、午前5時29分45秒、ニューメキシコのロスアラモスで世界初の原子爆弾が爆発した。その閃光は凄まじく、遠く離れた場所にいた目の見えない人でさえ光を感じたという。この爆発をみて、オッペンハイマーはインドの聖典の一節を引用して、こう口ずさんだという。

「(これで)わたしは死神になった。世界の破壊者だ」
(Now I am become Death, the destroyer of worlds.)

それを聞いた同僚のケン ベインブリッジは、オッペンハイマーの耳元でこうささやいたという。

「(これで)われわれは全員、道を踏みはずした」
(Now we’re all sons of bitches.)

こうして、アメリカ合衆国の「マンハッタン計画」は成功したのである。

その3年前 ・・・

1942年10月、アメリカのルーズベルト大統領は、原子爆弾開発プロジェクト「マンハッタン計画」を承認した。計画の総責任者はアメリカ軍のレズリー・グローヴス准将である。グローヴスはMIT出身の軍人で、技術に明るく、大規模なプロジェクト管理に長けていた。マンハッタン計画にはうってつけだったのである。

さらに、1943年にはマンハッタン計画の科学技術を担当するロスアラモス国立研究所が設立された。初代所長は「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーである。彼はマンハッタン計画の科学部門の責任者でもあった。じつは、彼はこのポジションを自ら買って出たのである。ところが、オッペンハイマーには問題があった。

彼の元カノ、妻、義理の兄弟が共産党のメンバーだったのである。しかも地下に潜伏中。そのため、軍事政策委員会はオッペンハイマーの採用に難色をしめした。ところが、グローヴスはオッペンハイマーに執着した。彼の並外れた頭脳と原爆への熱い思いが気に入ったのである。戦後、グローヴスは記者達にこう語っている。

「オッペンハイマーは天才だ。本当の天才だ。彼は何でも分かっている。どんな問題を持ち出しても彼なら話ができる。正確に言うと、彼にも分からないことが少しあると思う。彼は、スポーツのことは何も知らない」(※)

結局、オッペンハイマーはマンハッタン計画に採用された。しかも、科学技術部門の最高責任者として。

マンハッタン計画は、のべ5万人の科学者と技術者が投入され、20億ドルの資金を使い切った。20億ドルは現在の貨幣価値で2兆円、当時の日本の一般会計の約35倍である。その結果、製造不可能と思われた原子爆弾がわずか3年で完成したのである。他の国からみれば、奇跡か魔法にしか見えなかっただろう。

そのため、ルーズベルトの後を継いだトルーマン大統領は、ソ連が原子爆弾を造ることはありえないと思っていた。ソ連が「原子爆弾の秘密」を盗み出さない限り。そこで、マンハッタン計画は徹底した秘密主義が貫かれた。プロジェクトは小さなタスクに分割され、タスク間のコミュニケーションは禁じられた。5万人のスタッフは自分の仕事以外まったく見えなかったのである。つまり、誰かが秘密を漏らしたとしても、バレるのは5万分の1。

ところが、それから4年後の1949年8月29日、ソ連は核実験に成功した。

一体、どうなっているのだ?

じつは、ロスアラモス研究所にソ連のスパイが潜入していたのである。それも一人や二人ではなく、大勢。しかも、彼らは施設を清掃して回る作業員などではなかった。研究の中枢を占める科学者だったのである。中には、18歳でハーバード大学を卒業した(入学ではない)切れ者もいた。

こうして、原爆製造の秘密は世界中に広がっていた。その結果、人類は2万発の核弾頭を保有するにいたった。まんべんよくバラまけば、地球の生態系を完全に破壊できる数である。その災いの起源が、冒頭の原爆実験だったのである。

この実験は「トリニティ実験」とよばれた。

「トリニティ」といえば、4世紀、アレクサンドリアの主教アタナシウスが主張した「三位一体(トリニティ)」を彷彿させる。この説によれば、
「『父』と『子』と『聖霊』という3つの位格(ペルソナ)が1つとなって神の存在とする」

ただし、「トリニティ実験」がキリスト教の「トリニティ」にちなむかどうかはわからない。

もし、ちなむとすれば ・・・

『破壊』と『殺戮』と『災い』の三位一体 ・・・ 神は神でも、「死神」の方だろう。

このトリニティ実験で使われたのは、プルトニウムを燃料とする「爆縮型」の原子爆弾だった。放出するエネルギーはTNT火薬「1万8600トン」に相当する。長崎に投下された原子爆弾「ファットマン(TNT2万2000トン)」もこの方式である。

この爆発で、直径600mの巨大な火球が出現したという。こんな恐ろしいものを、人間が住む都市の上空で爆発させたのである。火球の中にあったものは ・・・ 一瞬で気化蒸発しただろう。

だから ・・・

トリニティ実験は、いつの日か、全面核戦争が起こったとき、人類が必ず思い起こすことになる「呪われた実験」だったのである。

一方、実験を成功させたグローヴズとオッペンハイマーは上機嫌だった。さっそく大統領に知らせようと、報告の準備に大忙しだった。

■ポツダム会議

その頃、アメリカ合衆国の戦争指導者、トルーマン大統領、バーンズ国務長官、スチムソン陸軍長官は、ドイツのポツダムにいた。歴史上有名なポツダム会談に出席するためである。この会議は、第二次世界大戦の戦後処理のために開催された。日本に対する無条件降伏の勧告「ポツダム宣言」もこの会議で決定されている。

ポツダム会談は、トリニティ実験が成功した7月16日に開催される予定だった。ところが、ソ連のスターリンが心臓発作で到着が遅れため、7月17日に延期されていた。

その空白の7月16日の夕方、ポツダムに「トリニティ実験成功」の知らせが届いた。トルーマン、バーンズ、スチムソンは素直に喜んだが、バーンズには別の企てが閃いた。原子爆弾が完成した以上、あわてて日本に降伏を勧告する必要はないのではないか?それに、「天皇制の存続」を保証する必要もないのでは?

バーンズはこう考えた ・・・

まず、実戦用の原子爆弾を準備する。その後で、日本に「無条件降伏」を勧告する。日本は「無条件降伏」など呑むはずがないから、降伏勧告は無視される。その時点で、原子爆弾を使う大義名分が立つ。

そこで、原子爆弾を日本に落として、都市を丸ごと壊滅させる。強気の日本も恐れおののき、無条件降伏を呑むだろう。そうなれば、ソ連は満州を制圧するのが精一杯で、日本本土へ侵攻する時間はない。日ソ戦争の期間が短くなるぶん、ソ連の取り分も減るわけだ。つまり、原子爆弾はアメリカにとって一石二鳥だったのである。

こうして、「原子爆弾の使用」が大前提となった。というより、アメリカは原爆を使いたかったのである。当初は、ドイツに使う予定だったが、ドイツは2ヶ月前に降伏している。
「20億ドル使い切ったけど、間に合いませんでした」
では関係者のメンツが立たない。だから、唯一残った敵「日本」に使うしかなかったのである。

一方、アメリカには、それに反対する軍人もいた。ヨーロッパ戦線の最高司令官のドワイト・D・アイゼンハワーである。彼は「アイク」の愛称でよばれ、アメリカ国民と連合国軍の将兵に絶大な人気があった。度量が広く、バランス感覚に優れていたからである。戦後、アイゼンハワーは第34代アメリカ合衆国大統領に選ばれたが、原子爆弾についてこう回想している ・・・

そのこと(日本に対する原爆使用)を考えるだけで気分が重くなった。私は2つの点でそれには反対だった。第一に、日本は降伏寸前で、そんな恐ろしい兵器で彼らをやっつける必要はない。第二に、私は我が国がそのような兵器を使う最初の国になるのをみたくなかった(※)。

さらに、アイゼンハワーは米ソの冷戦時代にこんな格言を残している。

「核戦争は、敵を倒すことと、自殺することが一組になった戦争である」

軍人として、政治家として、「核兵器」の重要性を認識しながらも、その本質を見抜いていたのである。

しかし、このような考え方は少数派だった。アメリカ政府内では、原爆使用は大前提になっていたのである。トルーマン大統領も、私的日記にこう書いている ・・・

「ロシアが参入するまえに、ジャップス(日本人への蔑称)は潰れるものと確信する。マンハッタンがやつらの本土の上に出現するとき、そうなるはずだ」(※)

■原子爆弾の目標地

原子爆弾の使用が決まると、次はどこに落とすか?

最初の攻撃目標リストが、マンハッタン計画の責任者グロ-ヴズ准将によって作成された。ところが、思わぬところからクレームがついた。陸軍長官のスチムソンである。彼はリストに「京都」が入っていることが気に入らなかった。ただちに、グロ-ヴズに強圧的かつ有無を言わさぬ指示を出している ・・・

私が決定した特別な場所(京都)を常に排除するように。その決定は最高権威により確認済みである。

「最高権威」うんぬんは怪しいが、スチムソンが「京都」を気に入っていたことは確かだ。ところで、その理由は?

スチムソンは戦前に京都を訪れたことがあり、日本的風情が大そう気に入ったという。それを理由にする説もあるが、当たらずとも遠からずだろう。他にこれといった理由も見あたらないので。

最初に候補に挙がったのは、広島、小倉、長崎、新潟、横浜。その後、3つの都市に絞られた。

優先度の高い順に、
1.広島
2.小倉
3.新潟

ところが、その数日後、優先順位は次のように変更された。
1.広島
2.小倉
3.長崎

「新潟」が削除され「長崎」が追加されている。

なぜか?

原子爆弾は絶大な破壊力をもつが、しょせん「点」の爆発である。通常の空爆のように爆弾を「面」にバラまくことができない。そのため、正確に目標の真上で爆発させないと、効果が激減する。そこで、爆撃の精度を上げるため、有視界爆撃(目視)が優先されたのである。

その場合、第一目標(広島・小倉)が悪天候なら、すぐに第二目標に変更する必要がある。ところが、新潟までは燃料がもたない。一方、長崎ならテニアン基地への帰路にあるので燃料の問題はない。さらに、長崎はまだ焼き払われずに残された数少ない主要都市の一つだった。

この事実をみても、原爆投下の目的の一つが「実験」にあったことは間違いない。目的が日本を降伏させるための「脅し」なら、目標が多少ずれても何の問題もないではないか。

7月24日、スチムソンは原爆投下の具体案をトルーマンに報告した。大統領はそれに満足し、原爆をいかに有効利用しようか考えていた。

ここで、スチムソンは再び「天皇制の存続」を持ち出している。日本側に、「天皇制の存続」を保証してやるべきだとトルーマンに進言したのである。それに対し、大統領は肯定も否定もしなかった。

トルーマンは私的日記のなかでこう書いている ・・・

彼(スチムソン)と私は一致している。目標は純粋に軍事的なものとし、ジャップスには命を大切にして降伏するよう警告文をだそう。彼らは降伏しないだろうが、チャンスは与えたことになる。この原子爆弾をヒトラーやスターリンの仲間が発明しなかったのは、世界にとってよいことだったのは確かだ(※)。

「原子爆弾の使用」を前提にしているのは明らかだ。しかも、何の罪もない女子供まで道連れにしようとしているのだ。もっとも、このような非人道的なやり方は、前アメリカ大統領のルーズベルトの指示による。彼は、戦争末期、こう命令しているのだ。

「戦争を早く終わらせるなら、どのような手段でも取り入れてもよい

こうして、ドイツと日本に対する無差別爆撃、つまり、一般市民の大量殺戮が許可されたのである。つまり、戦争で「無差別大量殺戮」をやらかしても、勝者なら正義、敗者なら大犯罪というわけだ。もちろん、「人の道に外れている」ことに変わりはない。

■ポツダム宣言

1945年7月26日、占領下のドイツで、アメリカ大統領、中華民国総統、英国首相の連名でポツダム宣言が発表された。

以下、その内容の要約である。

1.世界征服に導いた者たちを永久排除する(戦争指導者・A級戦犯)。

2.日本の領土は占領される

3.日本の海外植民地はすべて没収される。

4.日本軍は武装解除される。

5.戦争犯罪人に対しては厳重処罰する(戦場での犯罪人・B級およびC級戦犯)。

6.基本的人権、言論、宗教および思想の自由は保証される。

7.日本に平和的な政府が樹立されたら、占領軍は日本から撤退する。

8.日本政府はただちに、無条件降伏せよ

9.さもなくば、迅速かつ完全な壊滅あるのみ。
※ここで、「完全な壊滅」とは原子爆弾の使用を意味するが、それは明記されなかった。

この不吉な宣言文が日本側に届いたのは7月27日だった。

日本の指導者たちはポツダム宣言には反対だった。軍首脳にしてみれば、戦争が続く限り「指導者」でいられるが、降伏すれば「永久排除=死」が確定する。どうせ死ぬなら、徹底抗戦したほうがマシ ・・・

さらに、降伏に傾いていた外務大臣の東郷でさえ、
・ 日本が占領される。
・ 海外の植民地が没収される。

が気に入らなかった。

そこで、東郷は返答する前に、和平工作を依頼したソ連の回答を待つことにした。日本はソ連に連合国との和平の仲介を頼んでいたのである。つまり、この時点で、日本はまだソ連に望みをかけていた ・・・ すでにスターリンは対日参戦を決意し、その旨をアメリカのトルーマンに伝えていたのに。

情報がなかったから仕方がないのでは?

それは言い訳にしかならないだろう。

この場合、情報など不要だ。ソ連の行動は簡単に予測がつく。日本の敗北は確定しているのだから、日本が降伏する前に、できるだけ日本の領土を奪おうとするだろう。戦争が終わってからでは遅いから。立場が逆なら日本も必ずそうする。だから、気づかない方がおかしいのだ。

つまり、ソ連の対日参戦は必然で、それも早いほどソ連に有利になる。そのぶん、征服地が増えるから。こんな状況で、ソ連が日本との中立条約を遵守し、連合国との和平工作に骨を折ってくれることを期待していたのである。

首相の鈴木貫太郎もソ連の回答を待つ方針に同意した。一方、軍首脳ははなから降伏するつもりはない。こうして、翌日、日本の回答が発表された。

これ(ポツダム宣言)を黙殺して、勝利するまで断固戦う!

一方、日本の黙殺は、アメリカにしてみれば想定内、むしろ、原子爆弾を使う良い口実になった。ここで、降伏されては、原子爆弾が使えなくなるから。

このようなやり方は、トルーマンの前任者ルーズベルトの常套手段だった。つまり、先に相手に銃を抜かせて、正当防衛を担保し、その後はやりたい放題 ・・・

太平洋戦争の勃発もそうだった。まともな主権国家なら到底呑めない条件をつきつけ(ハルノート)、アメリカ国内の日本の金融資産を凍結し、原油輸出を停止し、追い込むだけ追い込んで、先に銃を抜かせ(真珠湾攻撃)、焼夷弾で日本の都市を焼き払い、原子爆弾で30万人の一般市民を殺害する。そして、最後には胸を張ってこう言うのである。
「以上すべて正当防衛、われわれは正義である」

アメリカのジャーナリストのリチャード・ローズも著書「原子爆弾の誕生」の中で、ひかえめにこう書いている ・・・

原子爆弾は日本人が「降伏」を拒絶したからでなく、「無条件降伏」を拒絶したために正当化されたのである(※)。

ただし、アメリカのこのようなやり方は、一概には責められない。「正義」の天秤にかければ「悪」だが、「生存」の天秤にかけば「善」なのだから。だから、アメリカの国民もルーズベルトを支持したのである。実際、ルーズベルトはアメリカ大統領の中で唯一4選されている。

では、アメリカ国民は一般市民を含む大量殺戮を支持した?

イエス。ただし、これはアメリカに限ったことではない。

なぜなら ・・・ 人間という種は、牧歌的な平和よりも、英雄的冒険、最終的には勝利と栄光を求めるものだから。

話をもどそう。

こうして、日本への原子爆弾投下が決まった。

7月26日、アメリカ海軍の旧式巡洋艦インディアナポリス号が原子爆弾の部品とウラン燃料をテニアン島に運び込んだ。ところが、その後、インディアナポリス号は日本の潜水艦「伊58」に撃沈される。驚いたのはアメリカ側だった。

日本は原子爆弾の輸送を知っていたのではないか?

あれほど厳重に管理していたのに、最高機密が日本側にもれた?

これが「インディアナポリス事件」で、日本の潜水艦映画の秀作「ローレライ」のモチーフにもなった。

テニアン島のアメリカ軍基地では、原子爆弾が組み立てられていた。完成した爆弾は、長さ3.2m、直径74cm、重量は4400kg、こんなちっぽけな爆弾が、都市を一つ壊滅させたのである。

アメリカの爆撃機B-29「エノラ・ゲイ」は、史上初の実戦用原子爆弾「リトルボーイ」を抱え、広島に向け飛び立った。

■原子爆弾投下

この日、広島は良く晴れていた。8月6日、8時16分2秒、リトルボーイは放たれた。43秒後、「相生橋」の上空580mで爆発した。TNT火薬1万2500トンに相当する凄まじい爆発だった。広島の7万6000戸の建物のうち7万戸が破壊された。ほぼ壊滅である。さらに、最終的に20万人の市民が死んだ。

この時点で、日本が無条件降伏を受けいれていれば、長崎は救われただろう。また、ソ連が日本に宣戦布告することもなかった。

ところが ・・・

ここにおよんでも、日本側は降伏する気配はなかった。軍の指導者たちは降伏を断固拒否し、外務大臣の東郷も、8月8日になってもなおソ連の調停をあてにしていた。

そして、その日の午後 ・・・

ソ連の外相モロトフは佐藤大使に対し「宣戦布告」を伝えた。翌8月9日、午前0時、160万人のソ連の大軍が満州国境になだれ込んだ。南方戦線に兵を引き抜かれ、弱体化した関東軍はなすすべがなかった。

8月9日、午前3時47分、2個目の原子爆弾「ファットマン」を載せたB-29「ボックスカー」がテニアンを飛び立った。目標は北九州の「小倉」である。ところが、小倉は霞(かすみ)と煙で目標が確認できなかった。そこで、機長のスウィーニー少佐は、躊躇することなく、目標を第二候補の長崎に決めた。有視界爆撃を厳命されていたからである

ところが、長崎も曇りだった。目をこらしても、雲の切れ間はない。とはいえ、4トンの原子爆弾を抱えてテニアンに帰還するには燃料が足りない。

レーダーによる爆撃しかない、とあきらめた瞬間 ・・・ 偶然、雲の合間にぽっかりが穴が空いた。有視界爆撃が可能になったのである。その瞬間を逃さず、ファットマンは放たれた。午前11時2分、長崎上空約500mで爆発した。TNT火薬2万2000トンの爆発エネルギーだった。

しかし ・・・

それでも、日本の指導者たちは降伏しようとしなかった。そこで、天皇は宮内庁に命じて非常手段を講じた。降伏の意志をスイスを通じて伝えたのである。8月10日、そのメッセージはワシントンに到着した。日本はポツダム宣言を受託する、ただし、「天皇制の存続」を排除しないこと。

トルーマンは、すぐに閣僚を招集した。このとき、スチムソンはこれで戦争が終わると確信した。「天皇制の存続」は取るに足らないことだから(アメリカにとって)、認めればいい。それで、日本が降伏し、日本本土上陸作戦が避けられるのだから。

ところが ・・・

バーンズはこれに猛反対した。原子爆弾もソ連の対日参戦もなかった時でさえ、譲歩しなかったのに、なぜ、今譲歩しなければならないのか!

戦争終結というアメリカの国益より、メンツと憎悪を優先していることは明らかだ。ただし、戦時においては、アイゼンハワーのように冷静になれる人物はまれなのである。

結局、バーンズが回答書を作成することになった。もちろん、内容は「無条件降伏」。ただし ・・・

「天皇と日本政府の権限は連合軍最高司令官が決定する

という一文が付け加えられた。「天皇制の存続」を否定しないが肯定もしない。早い話が連合軍最高司令官(ダグラス・マッカーサー)の腹一つ。

■3個目の原子爆弾

この日、日本にさらなる災いが降りかかろうとしていた。

戦略空軍司令官のカール スパーツが、3個目の原子爆弾を東京に落とすことを提案したのである。東京はすでに焼け野原なのに、なぜ「東京」なのか?

すでに、ウラン原子爆弾は広島で、プルトニウム原子爆弾は長崎で、それぞれ実験済みである。3個目はプルトニウム型なので、あえて「実験」する必要はない。そこで、日本の政治と軍事の中枢を壊滅させて、日本人に心理的打撃を与える方が有効だと判断したのだろう。

こうして、3個目の原子爆弾が投下されようとしていた。

マンハッタン計画の責任者グローヴズ准将も、「3個目の原爆」を使いたくてウズウズしていた。彼は陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルに3個目の原子爆弾を急かすため、威勢のいい報告をしている。

いわく ・・・

8月12日から13日には、3個目の原子爆弾(燃料と部品)をニューメキシコからテニアンへ輸送できる。8月17日か18日以降ならいつでも(日本に)投下できる(※)。

つまり、長崎への原爆投下から、わずか9日後に、3個目の原爆が投下されようとしていたのである。

しかし、マーシャルは、トルーマンが「3個目の原子爆弾の使用」を躊躇していると伝えた。そこで、グローヴズは原爆の輸送を見合わせることにした。

8月12日、日本の指導部はバーンズの回答書を受け取った。外務省は降伏に傾いたが、軍部は断固拒否し、会議は紛糾した。このままでは、3個目の原子爆弾が投下される。

ところが ・・・

8月14日、天皇は閣僚を召集し、ポツダム宣言を受諾することを伝えた。そして、彼らにこう訴えたのである ・・・

私はこれ以上国民を苦しませることには耐えられない。戦争の続行は、数万、いや数十万の国民に死をもたらすであろう。国全体が灰燼と帰すだろう。そうなればわが皇祖の願いをいかに維持できようか(※)。

こうして、日本はポツダム宣言を受託した。天皇の英断で3個目の原爆投下は避けられたのである。

《つづく》

参考文献:
(※)原子爆弾の誕生(下) リチャード ローズ (著), Richard Rhodes (原著), 神沼 二真 (翻訳), 渋谷 泰一 (翻訳) 出版社: 紀伊國屋書店

by R.B

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