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週刊スモールトーク (第220話) ポツダム宣言(1)~原子爆弾と日本本土決戦~

カテゴリ : 戦争歴史

2013.08.15

ポツダム宣言(1)~原子爆弾と日本本土決戦~

■終戦記念日

今年の夏も異常気象がつづく。7月前半は水不足、その後は一転してゲリラ豪雨。8月に入ると、北陸と東北は洪水、九州南部は日照り・・・法則性がまるでみえないが、あえて結論づければ、各地で気象が多様化し、日本全体が亜熱帯化しているということだろう。暮らしにくくなるが、相手は自然、受けいれるしかない。

ところで、今日は終戦記念日。

今から68年前、1945年8月15日、日本は連合国に無条件降伏した。この日をもって、4年間続いた太平洋戦争は終わったのである。

終戦に至る「1ヶ月」は、毎日が激動の歴史だった。他の時代なら取るに足らない事件も、この時だけは歴史を一変させる可能性があったのである。つまり、この「1ヶ月」は日本史上、最も長い1ヶ月だった。歴史の天秤にかければ、この「1ヶ月」は日本の歴史2000年分と釣り合う重みがあったのだ。

なぜなら・・・

建国から2000年、日本は初めて戦争で負けたのである。

しかも、広島と長崎に原子爆弾を投下され、初の核兵器被害国となった。

さらに、経験したことのない日本本土決戦に直面したのである。もし、現実に起こっていれば、日本列島は焦土と化していただろう。1945年5月のドイツのように。

だから、この「1ヶ月」は日本にとって、2000年に一度の大事件だった。

ではなぜ、日本はそこまで追い込まれたのか?

その答えを知るために、大平洋戦争末期、日本で一番長かった「1ヶ月」まで時計を巻き戻してみよう。

■ポツダム宣言と原子爆弾

1945年7月、沖縄戦を制したアメリカ軍は、勝利を確信していた。とはいえ、日本が降伏するまでの道のりは遠い。沖縄戦の死闘をみるまでもなく、日本人は降伏しない。死ぬまで戦い抜くのだ。兵士のみならず民間人までも。だから、もし、日本本土決戦になれば、アメリカ軍は甚大な損害をこうむることになるだろう。

そこで、アメリカの指導者たちは日本を降伏させるために、3つの方法を同時進行させた。

1.原子爆弾の開発

2.ソ連の対日参戦

3.日本本土上陸作戦

「原子爆弾」と「ソ連の対日参戦」は、日本の戦闘意欲を消失させ、降伏にもちこむための策。そして「日本本土上陸作戦」は最終的な強硬手段・・・これが我々が教えられた歴史、今知りうる歴史である。

ところが・・・

現実はもっと複雑だった。

そもそも、この「1ヶ月」には不可解な点が多い。

まず、この時期の歴史を時間軸にそってみよう。

・1945年7月26日:米英中が連名でポツダム宣言を通達する(日本政府は黙殺)。

・1945年8月6日:広島に原子爆弾が投下される。

・1945年8月9日:長崎に原子爆弾が投下される。ソ連が対日参戦。

ここで、「ポツダム宣言」とは連合国が日本に通達した「無条件降伏の勧告」である。この時点で、日本の敗北は決定的だった。主要都市は空爆で壊滅的な打撃をうけ、海上封鎖で食糧と物資は枯渇し、日本が飢餓列島と化すのは時間の問題だった。

ではなぜ、アメリカは、降伏するしかない日本に原子爆弾を使ったのか?

アメリカ側の言い分・・・

日本側がポツダム宣言を黙殺した以上、日本本土上陸作戦を敢行するしかない。その場合、アメリカ軍の犠牲者の数は膨大なものになる。そこで、原子爆弾を使って日本を脅し、降伏させ、日本本土決戦を回避する。

つまり、原子爆弾を使った目的は「脅し」、最終的にはアメリカ兵の命を救うためだった。だから、仕方がなかったのだと・・・

しかし・・・

原子爆弾投下の目的が「脅し」なら、なぜ立て続けに2回も使う必要があったのか?

広島の原爆投下から長崎の原爆投下まで、わずか3日。脅すもなにも、3日では、ろくに討議する時間もないではないか。

それに・・・

広島に投下された原子爆弾「リトルボーイ」と長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」は種類が違う。「リトルボーイ」は燃料が濃縮ウランで構造がシンプルな「砲身型」、一方のファットマンは、燃料がプルトニウムですべてが複雑な「爆縮型」。だから、2つとも試したかったのでないか?

そのため、3日間の猶予しか与えなかった。十分な時間を与えて、ヘタに降伏されると「プルトニウム・爆縮型」が試せないから。

しかも・・・

原子爆弾を投下する候補地となった広島、長崎、小倉、新潟は空爆の被害が少なかった。

なぜか?

すでに、空爆で被害をうけた都市に原子爆弾を落としても、どこまでが、原子爆弾の成果かわからないから。つまり、「原子爆弾」の破壊力を確認したかったのだ。

そもそも、「脅し」目的なら、どこかの軍需施設に落としても良いではないか。なぜ、わざわざ何十万人もの市民が住む大都市に落とす必要があるのか?

どう考えても、広島・長崎への原子爆弾投下は「大量殺戮の実験」としか思えない。

とはいえ、もし日本やドイツが先に原子爆弾を開発していたら、同じことをやっていただろう。それが戦争というものなのだ。もちろん、だからといって、原子爆弾の使用が正当化できるわけではない。それとこれとは別問題だから。

実際、アメリカ側にも、「原子爆弾の使用」に否定的な軍人もいた。

いわく・・・

日本の降伏は時間の問題だった。それに、原子爆弾を使わなくても、日本本土決戦を回避する方法は他にもあった。海上封鎖をそのまま続ければ、日本は深刻な飢餓に陥り、降伏せざるをえなくなるから。

つまり、アメリカが原子爆弾を使った本当の理由は「人体実験」だった?

もちろん、アメリカ側は「人体実験」など絶対認めない。世界に冠たる民主主義国家なのだから。一方、日本側は空想的平和主義者は除き、「人体実験」に興味をもつだろう。

では、どっちが真実なのか?

その手掛かりとなる本がある。

1986年に出版されたノンフィクション「原子爆弾の誕生」だ。

著者はアメリカのジャーナリストのリチャードローズ。内容はタイトルどおり、原子爆弾の歴史である。

その概要は・・・

1939年、核分裂が発見され、その連鎖反応によって膨大なエネルギーが取り出せることが確認された。物理学者レオ・シラードは、それが都市を壊滅させるほどの超兵器につながることに気づいた。もし、ナチスドイツがその超兵器を完成させれば世界を征服するかもしれない。そこで、アインシュタインを通じ、アメリカのルーズベルト大統領に原子爆弾の開発を訴えたのである。

紆余曲折をへて、マンハッタン計画が始動、3年後に原子爆弾が完成した。そのわずか20日後に、原子爆弾は広島に投下され、20万人の市民が犠牲になった。その後、原子爆弾の開発に関わった科学者たちは、それを悔いる者と賛美する者にわかれた。前者は核兵器開発から去り、後者は水爆へと向かった。こうして、新たな核兵器競争が始まったのである。

この本の特徴は、感情、推測、批評を捨てて、事実にフォーカスしている点だろう。多くの文献と証言をもとに、科学的視点、歴史的視点から、事実だけが淡々とつづられている。読者層を広げようと、面白ネタをちりばめたり、難しい内容を誤魔化したり、そんな「あざとさ」は微塵も感じられない。

ところが、ネットの評価では、ハラハラドキドキで面白いとか、分かりやすいとか・・・この本は科学者しか読んでいないのだろうか?量子力学や原子爆弾の説明にしても手抜きはないし、正直、地味で難しい本だと思う。大学時代「量子力学」の単位を落とした人間の言うことなのであてにはならないが。

というわけで・・・

「原子爆弾の誕生」は、より正確に、より緻密に、より詳細に・・・日本語訳で1300ページを超える大作だ。実際、ピューリッツァー賞を始め、多くの賞を受賞している。「原子爆弾」の原理と歴史を知る上で、最良の書の一つだろう。

そこで、ローズの「原子爆弾の誕生」を中心に、日本で一番長い1ヶ月の「不可解」を解いていこう。

まず、この「不可解」には3つのキーワードがからんでいる。

・ポツダム宣言

・原子爆弾

・日本本土上陸作戦

そして、肝心の「不可解」だが、全部で3つある。

1.広島と長崎に原子爆弾を投下した理由は?

2.原爆投下は回避できなかったのか?

3.原爆投下は正当性できるか?

■降伏勧告案

一つ確かなことがある。

アメリカは「日本本土上陸作戦」には乗り気ではなかったこと。

特に多数の犠牲者が予想される海兵隊と陸軍は。アメリカは民主主義の国である。異国の土地でアメリカの若者が大勢死ねば、政府と軍は国民の非難をあびる。最悪の場合、辞任に追い込まれる。最高位のアメリカ大統領でさえ、期限付き、制限付きの権力なのだから。

じつは、それが被害妄想でないことが、3ヶ月前に証明されていた。沖縄戦の直前に行われた硫黄島の戦いである。

アメリカ海兵隊が硫黄島に上陸した4日目の2月22日、ニミッツ元帥は、上陸51時間後の死者は644名、負傷者が410名、行方不明560名と発表した。すると、即座にアメリカ国内から非難の声があがった。歴史上最大の作戦といわれたノルマディー上陸作戦より犠牲者が多いではないか!

硫黄島の戦いでは、最終的にアメリカ軍の戦死者は6800人にのぼり、アメリカ海兵隊史上最悪の結果となった。さらに、それに続く沖縄戦では1万2000人。日本本土決戦ともなれば、犠牲者の数はそれをはるかに上回るだろう。

そこで、アメリカ政府は、日本への降伏勧告を行うことにした。日本が早々に降伏してくれれば、日本本土決戦は避けられるから。

この降伏勧告の原案は、三人委員会で策定された。メンバーは、アメリカ陸軍長官のヘンリー・スチムソン、アメリカ海軍長官ジェームズ・フォレスタル、元駐日大使ジョセフ・グルーである。

1945年5月、「天皇制の存続を保証する」降伏勧告案が、スチムソンからトルーマン大統領に提出された。

天皇制を存続させる?

同じ時期、1945年5月、ドイツは連合国に「無条件降伏」していた。もちろん、「ナチス体制の存続」など論外である。

ではなぜ、日本だけが特別扱いなのか?

スチムソンは、「天皇制の保証」は日本が降伏する最低条件だと考えていたのである。もちろん、彼は「無条件降伏」でないことには不満だった。アメリカが勝っているのに、なぜ譲歩する必要があるのか?

とはいえ、このまま、日本が降伏しなければ、日本本土上陸作戦は避けられない。その場合、犠牲者の数は、ドイツ侵攻作戦を大きく上回るだろう。

アメリカがこのような悲観的な予測をした理由は4つあった。

1.日本軍の忠誠心はドイツ軍より高い(カミカゼ特攻を見るまでもなく)。

2.日本の地形は山が多く、入り組んで狭く、ドイツより守るに適している。

3.日本は四方海に囲まれているので、陸続きのドイツより補給が難しい。

4.国民は総動員され竹槍を武器に徹底抗戦する。つまり、一億総玉砕

では、半年前に行われた「ドイツ本土侵攻作戦」はどうだったのだろう?

1945年1月、ソ連軍は初めてドイツ領(東プロイセン)に侵攻した。それから、首都ベルリンが陥落するまでの5ヶ月間に、ソ連軍の戦死者は8万人。この数字には、西方から侵攻したアメリカ・イギリス軍の犠牲者は含まれていない。

では、日本本土上陸作戦が行われた場合のアメリカ軍の損害は?

じつは、この頃すでに、アメリカ側は日本本土上陸作戦を立案していた。この作戦は、1945年2月に、マルタ島で開かれたアルゴノート連合参謀長会議において提案され、同年5月25日に始動している。これが「ダウンフォール作戦」である(※2)。

「ダウンフォール作戦」の本土侵攻の総司令官は、大平洋陸軍総司令官ダグラス・マッカーサー大将、海上支援の総司令官は大平洋軍総司令官ニミッツ提督が任じられた。

日本本土上陸「ダウンフォール作戦」は、二段階で構成されていた。

第一段階が「オリンピック作戦」。1945年11月1日、九州南部に上陸し、空軍基地を築き、制空権を確保する。その後、この基地を基点に日本全土を空爆する。第二段階は「コロネット作戦」。1946年3月1日、湘南海岸と九十九里浜に2軍にわけて上陸し、関東平野を挟撃し、首都を制圧する。

しかし・・・

第一段階のオリンピック作戦は成功するだろうが、第二段階のコロネット作戦が成功するかどうかは怪しい。そもそも、目的は?東京は制圧できるだろうが、その後どうするのだ?

日本の指導部が東京を脱出し、長野のような山間部に潜行すれば、ゲリラ戦になる。そうなれば、戦闘は泥沼化し、「完全な勝利」が得られるまで1年、場合によっては数年かかるかもしれない。ひょっとすると、ベトナム戦争のようにアメリカが敗退することになるかもしれない。

そもそも、日本は、ドイツとは違い、老若男女を問わず竹槍で武装し、「進め一億火の玉」で、降伏するつもりはないのだから。

アメリカ統合参謀本部は、このような状況を考慮し、日本本土決戦をシミュレーションした。その結果、アメリカ軍の犠牲者の数は7万~50万人と推定された。

戦死者50万人!?

アメリカ史上最悪の戦役はアメリカ全土を巻き込んだ内戦「南北戦争」である。その時でさえ戦死者は「62万人」。日本本土決戦はそれと同規模の犠牲が出るかもしれない?

さらに・・・

ゲリラ戦が本格化すれば、戦いは長期間におよび、犠牲者はさらに増えるだろう。すでに、反撃力を失った日本にとどめを刺すために、アメリカの若者50万人を犠牲にする?しかも、そのほとんどが「陸軍」・・・割に合わない・・・「陸軍長官」スチムソンがそう考えたとしても不思議ではない。

つまり、この時点で・・・

「天皇制の存続を保証する」スティムソン案がポツダム宣言になる可能性が高かった。その場合、日本側はポツダム宣言を受諾していた可能性がある。なぜなら、日本の天皇は戦争の速やかなる終結を望んでいたから(証拠は後述)。

もし、この時点で、日本側がポツダム宣言を受諾していれば、広島と長崎に原子爆弾は投下されなかっただろう。民主主義国家アメリカが、降伏した国にそんな恐ろしい兵器を使うわけにはいかないから。

ところが、1945年7月3日、状況は一変する。

ジェームズ・F・バーンズが新たな国務長官に就任したのである。バーンズは対日強硬派で、最終的に「天皇制の存続を保証する」条項を巧妙に削除した。その結果、日本の降伏が遅れ、広島と長崎に原子爆弾が投下されたのである。では、アメリカ政府の人事移動がもとで、広島と長崎の30万人の市民が犠牲になった?

この部分だけみればそうなるが、直接原因とはいえないし、国務長官がバーンズでなくても、原子爆弾が使われた可能性が高い。この問題は複雑なのである。真実を見極めるために、この「1ヶ月」をさらに精査しよう。

■「天皇制の存続」条項

1945年7月2日、バーンズが国務長官に就任する前日、スチムソンはトルーマン大統領に対日計画を進言している(※1)。

いわく・・・

日本の状況は絶望的である。日本には盟友がいない。中立条約を結んでいるソ連でさえ、日本に攻め込もうとしている。海軍はすでに壊滅し、海上封鎖で食糧の確保さえままならない。我々の空爆で、大都市や軍需工場は大損害をうけている。

日本人は愛国的で、狂信的な抵抗の呼びかけに動かされやすい。そのため、アメリカが日本本土に侵攻を試みれば、ドイツの場合より、さらに大変な終結戦になるだろう。

そこで、それに代わる方法がある。

日本はこのような危機にあっても、我々が想像するよりはるかに道理に感じやすいと私は信じている。日本は気の狂った狂信者だけで構成された国家ではない。それどころか、日本は過去1世紀のあいだに、きわめて知的な人々を有し、前例がないほどの短期間で西洋文明の複雑な技術をとりいれ、固有の文化と政治的、社会的な概念を創り上げた。日本の発展は史上最も驚嘆すべき偉業の一つである。

それゆえ・・・

日本に対しては、時機を逸することなく、警告を与えるべきである。その際、天皇制のもとで立憲君主制は排除しない、ということをつけくわえるべきである。それが受諾の可能性を高めることになるから。

しかし・・・

他の高官たちはそう思わなかった。日本に譲歩しすぎだと憤慨する者さえいたのである。

ところが、この時点では、トルーマン大統領とバーンズ国務長官はスチムソン案に傾いていた。
「天皇制の存続は日本が降伏を受けいれる最低条件」
に同意していたからである。

というのも、この頃、アメリカ情報部は東京とモスクワを行き来する暗号を解読していた。その中に、日本政府がモスクワの佐藤大使にあてた指令があった。

「(日本の)降伏の件で、ソビエトに調停してもらうよう工作せよ」

さらに、7月12日に外務大臣の東郷重紀が佐藤大使あてた電信には・・・

陛下の御心はすみやかな戦争終結を御覧になりたいということである。しかし米英が無条件降伏を主張する限り、祖国の存続と名誉のため、徹底抗戦するしかない」

つまり・・・

「天皇制の存続」を保証すれば、日本は降伏する可能性がある。逆に、それがないと決して降伏しない。これが、トルーマン、バーンズ、スチムソンの共通認識だったのである。

ところで、日本を降伏させるための他の手段はどうなっていたのだろう?

つまり、

1.原子爆弾の開発

2.ソ連の対日参戦

まず、「原子爆弾」だが、海の物とも山の物ともつかなかった。理論的には成り立つのだが、現実に製造するのは不可能だと考えられていたのである。実際、ノーベル賞を授賞し、ドイツの原子爆弾の開発責任者だったハイゼンベルクも、

原子爆弾の製造は不可能

と結論づけていた。日本の研究者グループも同様だった。そもそも、ほとんどの国では、「原子爆弾の可能性」すら認知されていなかった。だから、「1945年の原子爆弾」は「オーパーツ(場違いな物)」だったのである。

一方、「ソ連の対日参戦」は効果絶大だし、ソ連もやる気満々なので、問題はなさそうにみえた。ところが、この銀の弾丸はアメリカのトルーマン大統領をひどく悩ませていた。

たしかに、ソ連が対日参戦すれば、日本は絶望的になり、降伏が早まるかもしれない。しかし、それでも日本が降伏しなかったら、やっかいなことになる。降伏が長引けば長引くほど、ソ連は日本の領土を侵食するだろうから。満州はおろか、北海道、東北まで占領するかもしれない。

そうなれば、日本はアメリカとソ連で二分割される、東西ドイツのように。もっとも、ドイツを降伏させた功績はソ連にもあるのだから、ドイツならあきらめはつく。

しかし、日本はアメリカが単独で打ち破ったのだ。何の功績もないソ連が、日本の領土をむしり取るのは我慢ならない。まるで、火事場泥棒ではないか。そもそも、ソ連が対日参戦するのは、連合国のためでもアメリカのためでもない。ただ、戦利品の分け前にあずかろうとしているだけなのだ。

というわけで、トルーマンにとって、ソ連の対日参戦は痛しかゆしだった。

ところが・・・

ここで、トルーマンの悩みを一気に解決する歴史的事件が発生する。

《つづく》

参考文献:
(※1)原子爆弾の誕生(下)リチャードローズ(著),RichardRhodes(原著),神沼二真(翻訳),渋谷泰一(翻訳)出版社:紀伊國屋書店
(※2)第二次世界大戦秘録幻の作戦・兵器1939-45マイケル・ケリガン(著),石津朋之(監訳),餅井雅大(翻訳)出版社:創元社

by R.B

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