BeneDict 地球歴史館

BeneDict 地球歴史館
menu

週刊スモールトーク (第210話) ナチスのサブカルチャー(5)~20世紀最後の真実~

カテゴリ : 娯楽思想

2013.06.09

ナチスのサブカルチャー(5)~20世紀最後の真実~

■ナチスの秘密基地と空飛ぶ円盤

1980年代だったと思う。本屋で面白そうな本を見つけた。表紙の真ん中に挑発的なハーケンクロイツがドーン、その横に空飛ぶ円盤、そして、タイトルが・・・「20世紀最後の真実」。こりゃ、買わなきゃね。

まだ、凶悪な宇宙人が地球侵略を企てていて、それとは関係ないのだが、ナチスの残党が世界中で秘密基地を作っていると、半分信じていた頃、まだ残っていた少年の心をおさえきれず、この本を買ったのだった。

ちなみに著者は作家の落合信彦氏。後で知ったのだが、この頃、彼は有名な国際ジャーナリストだったという。ところが、内容は奇想天外・・・第二次世界大戦後、ナチスの残党がチリでコロニー(秘密基地?)を建設し、空飛ぶ円盤を製造しているというのだ。

さらに・・・

チリ共和国の「パレル」と、場所まで特定されていた。

当時、ナチスの戦犯が南アメリカに潜伏しているのは周知の事実で、1960年代、元ナチス親衛隊のアドルフ・アイヒマンがアルゼンチンで捕まっている。その後、アイヒマンはイスラエルに連行され、裁判の末、絞首刑台の露と消えた。

さらに、「死の天使」の異名をとり、人体実験で悪名をはせたメンゲレも、南アメリカに潜伏しているというウワサだった(後に事実と判明)。だから、「ナチスの残党が南アメリカにいる」は秘密でも何でもない。

とはいえ・・・

「コロニー(植民地)」となると話は別だ。戦犯がコソコソ逃げ回る次元の話ではない。道路網、水道網、電力網、住宅、学校、病院を一式備えた町を建設するのだから。しかも、空飛ぶ円盤の工場まであるというのだ!莫大な資金がいるし、目立つだし、そもそも、そんな物騒なものを、なぜ、チリ政府は放置しているのだ?

というわけで、この本を読んだとき、著者の比類なき冒険心とたくましい想像力には感服したものの、20世紀最後の「真実」とは思えなかった(信じたかったけど)。

ところが・・・

21世紀に入り、驚くべき事実が明らかになった。チリ共和国に、ナチスの残党がコロニー(植民地)を建設していたというのだ。

では、落合信彦氏の「20世紀最後の真実」は本当だった!?

■ナチスと南アメリカの関係

今回明らかになったのは、「コロニア・ディグニダッド」というドイツ人のコロニーである。もっとも、南アメリカでは「ドイツ人コロニー」は珍しくない。入植の歴史は16世紀までさかのぼるし(この時は失敗)、ナチス政権が成立する前からコロニーは存在した。

たとえば、ブラジルの奥地にある「カンディド・ゴドイ」。ドイツ系移民が20世紀初頭に建設したコロニーで、最近、マニアックな話題で世界を騒がせている。この町の双子の出生率が世界平均の10倍だというのだ。金髪・碧眼(青い目)のアーリア人に双子の多産とくれば、ナチスのマッドサイエンティスト「ヨーゼフ・メンゲレ」を思い出す。実際、メンゲレの人体実験だったと主張する学者もいる。

さらに、第二次世界大戦後、ナチス党員が多数、南アメリカに逃亡したこともわかっている。ところが、捕まることはまれだし、捕まっても、逮捕するのは大抵イスラエルの諜報機関モサド。現地の政府や警察は見て見ぬふり・・・というわけで、ナチスと南アメリカの関係は意味深だ。

そもそも、世界中で悪のシンボルにされ、当のドイツ政府でさえ全否定したナチスが、なぜ南アメリカに逃げ込めるのだ?

戦後、アルゼンチンのペロン大統領が公然とナチスを支持したから、さらに、ドイツ内部の秘密組織やバチカン(カトリックの総本山)がナチス党員の脱出を手助けしたから、などが取り沙汰されている。

前者は周知の事実として、後者はどこまで本当なのか?

じつは、嘘か真実か簡単に見分ける方法がある・・・ミクロの嘘はバレにくいが、マクロの嘘はバレやすい。マクロの事象は複数の要素が絡みあい、全部嘘で塗り固めるのは難しいからだ。

そこで、マクロ視点でみると・・・

まず、アメリカ合衆国と南アメリカ諸国は昔から仲が悪い(今も)。

なぜか?

アメリカ合衆国はいつも、南アメリカに高ビーだから。

それに・・・

アメリカ合衆国は、第二次世界大戦でドイツの天敵だったので、反ナチス。よって、南アメリカ諸国は、親ナチスとは言えないが、反ナチスではない。敵の敵は、敵ではないというわけだ。

さらに、南アメリカの国々は、ブラジルがポルトガル、その他の国はスペインの植民地からスタートしている。つまり、すべてカトリック教国。なので、親ナチス。

え?カトリックとナチスは仲良し!

当たらずとも遠からず。

握手をかわしながら、テーブルの下では蹴り合い・・・実際、ヴァチカンとナチスは腹の底では嫌悪しながら、1933年7月に友好条約を締結している。

ありそうもないこの事実は、ある歴史的事件に起因している。ヒトラーの独裁を確立し、最終的に第二次世界大戦を引き起こした「全権委任法」である。

■ナチスとヴァチカンの関係

1933年1月30日、ヒトラーが首相になったとき、ナチスは単独政権にほど遠く、連立内閣を組まざるをえなかった。そこで、ヒトラーは権力を独り占めにしようと、「全権委任法」をもくろんだ。「全権委任法」とは、本来、立法府に帰属する立法権を、ヒトラー(行政府)に譲渡する法案である。もし可決されれば、ヒトラーはどんな法律も思いのまま、ドイツを殺すも活かすもヒトラー次第・・・恐ろしい話である。

ただし、法案を通すには、国会議員の2/3以上が出席し、出席者の2/3以上の賛成が必要だった。そこで、ヒトラーは法案に賛成するよう他の政党にアメとムチを使った(ほとんどがムチ)。

当時、ドイツのカトリック教派が支持していたのが中央党である。共産党、社会民主党につぐ大きな政党で、全議席の10%を占めていた。ヒトラーはこの10%を懐柔しようとしたのである。

共産党と社会民主党は?

妥協の見込みがないので、はなから大砲で粉砕した。

では、中央党はどうやって懐柔した?

懐柔にあたって問題が一つ。

ナチスとカトリックの「敵の扱い方」が違うこと、
ナチス:「反逆者め!今日のうちにも縛り首だ!」
カトリック:「自分を迫害する者のために祈りなさい」

・・・

妥協点を見つけるのは難しそうだ。

この頃、ナチスの「ムチ」を担当していたのがナチスの私軍「SA(突撃隊)」である。SAの隊員は、徒労をくんで街をねり歩き、気に入らないことがあると、暴力に訴えた。見かねた警官が制止に入ると、逆に袋だたきにされる有様で、取りつく島がない。元々、SAの隊員(特に若手)は路上で暴れ回っていた連中なのだ。

SA(突撃隊)は、ナチスの党集会の警備から始まった。その後、組織は急拡大し、党の汚れ役(騒動・恫喝・暗殺)を引き受けるようになった。ところが、ナチスの革命が成功し、警察と国防軍を手に入れると、私軍(SA)はいらなくなった。とはいえ、体制に反抗することでしか、自らを正当化できないSAがそう簡単には変われない。ここに、SAの悲劇があった。

そもそも、SAの指導者エルンスト・レームからして怪しい人物だった。ドイツ国防軍(正規軍)の将校によれば・・・

「レームは信頼できそうな印象をほとんど与えなかった。まったく野蛮な乱暴者で、警察の犯罪者写真集から抜け出てきたようだった」(※1)

というわけで、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」のキリスト教派としては、ごろつき同然のナチスには加担したくはなかった。

ところが・・・

最終的に、中央党は全権委任法に賛成した。結果、1933年3月23日、全権委任法が可決され、ヒトラーの独裁が確立されたのである。もっとも、中央党が賛成しようがしまいが、法案は可決していたのだが(狡猾な策士ヒトラーにぬかりはない)。

ではなぜ、神に仕えるカトリック教派が、暴力の常習犯ナチスに加担したのか?

見返りがあったから。具体的には、

①学校教育でキリスト教を重んじる(後に反古にされた)。

②中央党の国家公務員の身分を保障する(後に反古にされた)。

③ナチスがヴァチカンと「コンコルダート(政教協約)」を締結する。

ここでいう「コンコルダート(政教協約)」とは、ナチスとヴァチカン(ローマ教皇庁)の友好条約をさす。この協約により、ドイツ国内のキリスト教の布教と、教会と信者の安全が保証される(はずだった)。そして、その4ヶ月後、1933年7月20日、ナチスとヴァチカンのコンコルダートは締結された。

ところが・・・

その2週間前の7月5日、中央党は、ひっそりと政治の舞台を降りた。ドイツのカトリック教会(宗教界)を守る代わりに、カトリック政党(政界)を犠牲にしたのである。

これだけみれば、ヴァチカンは教義を捨てて、保身に走ったようにみえる。しかし、事はそう単純ではない。かつて、ローマ帝国でキリスト教が弾圧された時代、信者はコロッセウムで虎の餌食にされ、観衆の慰み者にされた。ところが、教会は「敵を愛しなさい」の一点張りで、救いの手をさしのべようとしなかった。それからみれば、ずっと信者思いではないか?

それに、もう一つ、ヴァチカンがナチスと妥協した理由がある。ヴァチカンには、「全体主義(ナチス)」より手強い敵が存在したからだ。「共産主義」、つまり、ボリシェヴィキ(ロシア共産党)

というのも、共産主義の根底には、物質しか信じない「唯物論」がある。だから、非物質の象徴「神」は共産主義的には「存在しない」ことになる。水と油どころの話ではない。ボリシェヴィキがいかに難敵かわかるだろう。幸い、そんな難敵にも天敵がいた。ナチスである。だから、敵の敵は味方、でくっついたわけだ。

一方、ナチスがカトリック教派と妥協できたのは、ヒトラー個人によるところが大きい。というのも、ヒトラーの側近たちは、ヴァチカンの聖職者など牢にぶち込んでしまえとか、ヴァチカンを空爆しようとか、およそ思慮に欠いていた。こういう罰当たりな連中は、たいてい、後がよろしくない。実際、戦後開かれたニュルンベルク裁判で、一人は絞首刑、もう一人は自決している。

では、ヒトラーはなぜカトリックを擁護したのか?

自叙伝「わが闘争」によれば、ヒトラーは少年期に修道院の聖歌隊に入ったり、修道院長に憧れたり、キリスト教に好意をもっていた。それが少なからず作用したのだろう。もっとも、一番の理由は「常識」がヒトラーに備わっていたこと、ヴァチカンとキリスト教を粉砕すれば何が起こるかわかっていたのだ(わからない方が不思議だが)。

■コロニア・ディグニダッド

話を元にもどそう。チリで見つかったドイツ人コロニーである。前述したように、「南アメリカのドイツ人コロニー」そのものは珍しくはない。問題は場所と中身だ。

まずは場所・・・

コロニア・ディグニダッドは、チリ共和国の「パラル」市から南東35kmにあるという。「パラル」は英語で「Parral」なので、スペル的には落合信彦氏の「パレル」と同一!?

つぎに中身・・・

このコロニーは、1961年、元ナチス党員パウル・シェーファー率いるドイツ人移民によって設立された。設立当初の名称は、
「尊厳・慈善・教育協会(DignityCharitableandEducationalSociety)」

怪しいネーミングだが、中身はさらに怪しい。

敷地は137平方キロメートル、世田谷区の2倍もあるのに、移民の数は200~300人。ところが、学校や病院や発電所はもちろん、飛行機の滑走路まで備えていたという。

もちろん、設立から50年間も秘匿されたので、コロニーの秘密主義は徹底していた。コロニーの周囲には有刺鉄線が張り巡らされ、なんと、兵器まで隠し持っていたという。

2005年6月、チリ警察がコロニア・ディグニダッドの敷地内で機関銃、自動小銃、ロケット砲、さらに大量の弾薬を発見した。さらに、地下に戦車まで隠し持っていたという。コソ泥を追っ払うのに戦車はいらない。戦争でも始めるつもりだったのだろうか。それにしても、こんな重火器をどうやって持ち込んだのだ?

さらに・・・

こんな大それたことが、何十年も放置されていたことが不思議だ。チリ政府は知らなかったのだろうか。

じつは、チリ政府はすべてを知っていた・・・

チリは、元々、インカ帝国の支配地で、先住民のマプチェ族が住んでいた。ところが、1533年、スペインの征服者フランシスコ・ピサロがこの地を征服した。その後、スペイン人の南下が始まり、現在のチリ全域が征服された。19世紀にはスペインから独立し、紆余曲折の末、1973年9月、ピノチェト軍事政権が誕生した。

そして・・・

その独裁政権下で、チリ国家情報局「DINA」の関与のもと、コロニア・ディグニダで政治犯への人体実験が行われたという。さらに、コロニーの敷地内から、チリの反体制派メンバーの死体も発見されている。つまり、コロニア・ディグニダは軍事政権から汚れ役を請け負い、その見返りに、目こぼししてもらった?

コロニア・ディグニダでは、創設者パウル・シェーファーが絶対権力者として君臨し、異常な管理社会を実現していたという。住民はコロニーから離れることが許されず、テレビ、電話は禁じられ、外部からの情報はシャットアウトされた。あげく、中世さながらの質素な農民服を身にまとい、ドイツ民謡を歌いながら農作業に精を出していたという。また、子供たちへの日常的な虐待もあったらしい。

つまり、コロニア・ディグニダは、ナチス・ドイツの劣化コピーだった!

というのも・・・

肉体労働を重視し、個人の自由を奪い、「全体(民族共同体)」のために「個(個人)」を犠牲にする典型的な全体主義。そんな教義に人も社会も同質化させたのだから、ナチス・ドイツそのもの。

一方、ナチスの最終目標は「ユダヤ民族の抹殺」と「東方生存権の拡大」で、被害の大きさは地球規模。一方、コロニア・ディグニダの被害は、コロニーの子供たちの虐待規模・・・そういう意味で「劣化コピー」なのである(結果的には良かったのだが)。

じつは、それを裏付ける事件も起きている・・・

コロニア・ディグニダの指導者パウル・シェーファーが男児の性的虐待でコロニーから逃亡し、2005年、アルゼンチンで逮捕されたという。結局、コロニア・ディグニダの仰々しい全体主義は、パウル・シェーファーの歪んだ趣味を満たす方便だったのである。

その後、コロニア・ディグニダは指導者がかわり、コロニーの近代化もすすんだという。名称も「ビジャ・バビエラ」に変わり、住民も大学に行けるようになった。一方、チリ政府は、今後もコロニア・ディグニダの調査を継続し、これまでの政権の責任を追及していくという。

そして・・・

冒頭の「20世紀最後の真実」の空飛ぶ円盤だが、本体はもちろん部品も発見されていない。今後の調査に期待したいところだが、こっちはムリかな?

《つづく》

参考文献:
・(※1)ヒトラー権力掌握の20ヵ月グイドクノップ(著),高木玲(翻訳)中央公論新社
・わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)アドルフ・ヒトラー(著),平野一郎(翻訳),将積茂(翻訳)
・ヒトラーと第三帝国(地図で読む世界の歴史)リチャードオウヴァリー(原著),永井清彦(翻訳),秀岡尚子(翻訳),牧人舎(翻訳)河出書房新社

by R.B

関連情報