BeneDict 地球歴史館

BeneDict 地球歴史館
menu

週刊スモールトーク (第208話) ナチスのサブカルチャー(3)~メンゲレの人体実験~

カテゴリ : 娯楽思想

2013.05.26

ナチスのサブカルチャー(3)~メンゲレの人体実験~

■人体実験

ナチスのサブカルチャーは、オカルト、ホラー、ミリタリー、歴史改変SF、レトロフューチャー、萌えアニメ(ホントだぞ)・・・と、主流文化以外のほとんどをカバーしている。だから、サブカルチャー(非主流)なのだが。

しかも、ナチスのサブカルはいわくつきだ。というのも、ナチスの歴史は、史実でありながら、ドイツの歴史と連続することを許されていない。ドイツの正史から切り出され、不浄な神話として封印されているのだ。

ところが・・・

ナチスは完全に封印されたわけではない。月面の裏側にナチスの秘密基地がある的な楽しいヨタ話(アイアン・スカイ)はさておき、ナチス戦犯のアイヒマンがアルゼンチンで捕まったり、ヒトラー生存説まで飛び出す始末。

つまり、ナチスは今でも、リアルタイムで進行中・・・

実際、イスラエルの情報機関「モサド」がナチスの戦犯を追っているのは周知の事実だし、中には背筋が凍るような話もある。

アウシュヴィッツ強制収容所といえばナチスの悪の象徴で、「負の世界遺産」にも認定されている。ユダヤ人、政治犯(主にドイツ共産党員)、精神異常者、戦争捕虜などが収容され、苛酷な労働を強いられるか、ガス室で殺された。ところが、アウシュヴィッツ強制収容所には、さらに陰惨な歴史がある。人体実験(生体実験)だ。

アウシュヴィッツ強制収容所では、様々な人体実験が行われたが、主任医師ヨーゼフ・メンゲレの実験は恐るべきものだった。

双子の量産

それで、何かいいことがあるの?

一度の出産で2人産まれる。

だから?

ヒトラーが目指す千年王国を担う「アーリア人」を量産できる!

ナチス特有の気持ち悪さが漂う、ナチスのサブカルそのものだ・・・

メンゲレが、本当にヒトラーのためにやったのか、己の好奇心を満たすためにやったのかはわからないが、双子に異常な関心を示したことは確かだ。メンゲレは、収容所に送り込まれる囚人に目を光らせ、双子がいると強引に自分の管轄に引き入れた。そして、猫なで声で可愛がり、翌日には残酷な実験で殺したのである。メンゲレが「死の天使」とよばれるゆえんだ。

1945年5月、ヒトラーは自決し、ドイツは無条件降伏した。ナチスの幹部は次々に逮捕され、ニュルンベルク裁判で裁かれ、重罪犯は絞首刑に処せられた。

ところが・・・

メンゲレは脱出に成功する。数年間、国内に潜伏した後、アルゼンチンに逃亡、ナチハンターの追跡をかわしながら、南米各地を転々とした。結局、メンゲレは逃げ延びたのである(死亡は確認された)。

人の命を救うべき医師が、いびつな野望や好奇心を満たすために、子供を人体実験にかけて殺す。自分の命一つで償(つぐな)える罪ではない。こんな未来永劫呪われるべき人間が、天寿を全うしたのである。ところが、メンゲレ伝説はそこで終わらない。

メンゲレは、逃亡先のブラジルで「双子の量産」の実験を続けていたというのだ。奇々怪々、ナチスのサブカルチャーを彷彿させるような話である。

■双子の町

ブラジルの奥地に「カンディド・ゴドイ」という小さな町がある。ドイツ系移民がつくった農業コミュニティで、今は7000人ほどが暮らしている。ほとんどが、金髪・碧眼(青い目)のアーリア人だ。とはいえ、マニアが期待するようなナチスの秘密基地があるわけでもなく、戦犯の隠れ家になっているわけでもない。どこにでもあるような平凡な町だ。ところが、一つだけ「異常」がある・・・

双子の出生率が世界平均の「10倍」!

特に、町の中心部から10キロほど離れたリニャ・サン・ペドロの出生率が突出している。現在、80世帯が暮らしているが、双子はなんと44組。つまり、2組に1組が双子

ありえない・・・

コインを10回投げて、「表」が9回でたら、何か仕掛けがあるのだ。難しい確率論など不要、日常生活の延長で理解できる。それと同様、双子の出生率が10倍なら、何か原因があるのだ。

では、何が原因だったのか?

2009年、「ナショナルジオグラフィックニュース」にこんな記事がのった。アルゼンチンの歴史学者ホルヘ・カマラサ氏が先のカンディド・ゴドイの町を調査したろころ・・・

アウシュビッツ強制収容所の主任医師ヨーゼフ・メンゲレは、1960年代、南米で双子の実験を続けていた。メンゲレは内科医や獣医として身分を偽り、カンディド・ゴドイの妊婦にホルモン薬を組み合わせた双子誘発剤のようなものを与えていた。同氏はインタビューした地元住民から、
「ドイツ人医師が尋ねてきて得体の知れない薬をくれた」
という証言を得たという。メンゲレの写真を見せると話を聞いたどの住民も、
「ああ、この人です」
と同じ反応を見せたという。

さらに、ブラジルのリオ・グランデ・ド・スル連邦大学の遺伝学者ラビニア・シューラー・ファッチーニ氏によれば・・・

あの医者はメンゲレだったというウワサに、地元の人々は不安を感じたようだ。双子の出生率が高い理由を突き止めてほしいと、連邦大学に研究調査の依頼があった」

この研究は、ブラジル政府の支援の下に進められ、米ナショナルジオグラフィックチャンネルのドキュメンタリー番組の中で公開された。

その結果・・・

1927年からの「住民の洗礼記録」を精査すると、昔から双子の出生率が高いことがわかった。つまり、メンゲレが実験を行ったとされる1960年代前から。さらに、現在でも双子の出生率が高いままだという。

それが本当なら・・・

最初に移住した集団が、双子が産まれやすい遺伝子を持っていた。それが、外界から孤立した社会の中で、継承された可能性が高い。

一方、環境要因説もある。たとえば、水、食物、大気に地域特有の成分が含まれていた。さらに、牛乳や乳製品を多く摂取する女性は双子を産みやすいという説もある。

でも・・・

牛乳飲んで、2組に1組が双子が産まれるなら、メンゲレも苦労しない。

ここで、事実を確認しよう。

1.メンゲレは、逃亡期間(1949~79年)の大半をブラジルで過ごした。

2.メンゲレは、カンディド・ゴドイの町に出没していた。

3.カンディド・ゴドイの双子の出生率は今でも異常に高い

この3つの事実をもとに、真相を追求しよう。

まず、「3.」に注目。

今でも双子の出生率が高いなら、カンディド・ゴドイの住民の「双子遺伝子」フラグは既に立っている。決して、牛乳や双子誘発剤のような一過性のものではない。

つまり、こういうこと。

もし、双子多産の原因がメンゲレにあるとすれば、1960年代に彼は遺伝子操作に成功していたことになる。これほど短期間に種を操作するには、悠長な「品種改良」ではムリなので。しかし、50年も前に、その日暮らしの逃亡生活を送りながら、21世紀のハイテク技術をものにできるだろうか?

あくまで仮説だが、メンゲレは、カンディド・ゴドイの異常な双子出生率を聞きつけ、この町で調査していただけなのでは?とすれば、カンディド・ゴドイの住民は、入植した時点で「双子多産」の遺伝子をもっていたことになる。

とはいえ・・・

100年前、ドイツを旅だった移民団が、たまたま双子多産の血族だったというのも不思議な話だ。しかも、並の多産ではない。自然妊娠で双子が生まれる確率は1%前後なのに、その10倍。特に、リニャ・サン・ペドロ地区では50%にも達する!何か原因があるはずだ。

では、こんな仮説はどうだろう・・・

見知らぬ異国の地は、疫病、飢饉、天災、原住民との抗争など、激しい「人口減」の圧力にさらされる。そこで、移民団は双子が産まれやすい家系からメンバーを選んだのではないか?単純計算で2倍の人口増加が見込めるから。

というわけで・・・

この事件をメンゲレに押しつけるのはムリがある。ただ、このドタバタは、
人体実験=メンゲレ
が「世界の常識」化している証拠にはなるだろうが。

ところが、この「世界の常識」の証拠は他にもある。

■ブラジルから来た少年

1978年に公開された映画「ブラジルから来た少年」は、ナチスものでは5本の指に入る名作だ。知名度の高さと、出来の良さにおいて。ストーリーは、SFというよりカルトに近い。とはいえ、いわゆるB級SFではない。荒唐無稽のトンデモストーリーではないし、アカデミー賞主演男優賞のグレゴリー・ペックも出演しているから。

この映画の主役は、そのグレゴリー・ペック演じるメンゲレ医師だ。映画の中では、実名の「ヨーゼフ・メンゲレ」で登場し、南米のパラグアイで怪しい秘密基地をかまえ、気色の悪い人体実験を続けている。

ある日のこと、ナチハンターのレンダーマンに、奇妙な情報がもたらされた。メンゲレがナチスの元幹部を集めて、謎めいた命令を下したというのだ。その命令というのが、2年半以内に、60~65歳の老人94人を殺害せよ、しかも、事故に見せかけて。

メンゲレがパラグアイに住んでいたことは事実だし、人体実験を継続していた可能性もある。この映画はそれをネタにしているわけだ。ただし、映画のメンゲレの実験は「双子多産」ではない。なんと、「ヒトラーのクローン人間」の創造。原作(小説)が発表された1970年代という時代を考慮すれば、かなり大胆な設定だ。

1943年、メンゲレは、ヒトラーから皮膚と血液をもらいうけ、クローンを94体創造した。その後、94人の赤子は世界中に養子として出された。養子先は、ヒトラーの両親と同じ条件で選ばれた。環境も同じにしないと、本物のヒトラーに育たないから。

ということは・・・

ヒトラーの父親も史実どおり、65歳で死なねばならない・・・これが、先の「60~65歳の老人94人の殺害」命令につながるわけだ。

映画の中のメンゲレは、観る者の期待を裏切らない。人の命をなんとも思わない冷徹な鉄面皮、自分以外はすべてバカ、自分は常に正しい、だから、みんなオレに従え的な天上天下唯我独尊・・・そんなメンゲレを、名優グレゴリー・ペックが見事に演じている。ところが、彼は本来は悪役ではない。ハリウッドを代表する二枚目スターなのだ(だった)。

甘いマスクで、善良を地でいくような風貌。不朽の名作「ローマの休日」では、主演のオードーリー・ヘプバーンをささえる準主役を好演している。

それにしても・・・

「ローマの休日」はいい映画だ。

美しい王女としがない新聞記者の1日だけの冒険恋愛・・・といえば、ロマンス、アドベンチャー、コメディーを想像してしまうが、いずれでもない。国籍不明ならぬ、ジャンル不明の映画なのだ。

しかも・・・

設定が面白いし、脚本はいいし、キャスティングも最高。特に、アン王女役のオードーリー・ヘプバーンは素晴らしい。彼女はこの映画に出るために生まれてきたのではないか(ちょっと失礼かな)。「ベンハー」の巨匠ウィリアム・ワイラー監督が有力候補のエリザベス・テイラーに代えて、彼女を選んだのもうなづける。

オードーリー・ヘプバーンの魅力を一言で言うと、
「100m離れていても、ひと目で彼女だとわかる」

くるりんとした愛らしい目、屈託のない笑顔、弾けるような可愛い仕草、背筋をピンと伸ばした美しい立ち振る舞い・・・彼女が立っているだけで、そこを行き交う人々も、お店も、道路も、背景すべてが輝いてみえる。そんな現実か幻想からわからないような不思議な世界なのだ。

鮮明なビジュアル、イベントてんこ盛りの息が詰まるようなストーリー、ド派手な演出・・・そんなガツガツした現代映画とは真逆の、古き良き時代の心安まる映画だ。

この「ローマの休日」で、グレゴリー・ペックが演じるのが、アメリカの新聞社のしがない記者。お忍びで大使館を抜け出したアン王女に目をつけ、特ダネをものにしようと、彼女をローマ観光に連れ出す。ところが、いっしょに過ごすうちに、彼女に好意を抱くようになり、結局、特ダネをボツにしてしまう。ちょっと善良でハンサムなおじさんという役柄で、当時のグレゴリー・ペックにピッタシだった。

ところが、カルト映画の金字塔「オーメン」に出演した後、グレゴリー・ペックは新境地を開く。その極めつけが、「ブラジルから来た少年」のヨーゼフ・メンゲレ役だった。この映画の成功で、グレゴリー・ペックは、本格派?カルト映画のキングにのしあがったのである。

この映画で、ナチハンターのレンダーマンは、メンゲレをこう断罪している。

「(メンゲレは)染料を注射して、青い目にしたり、数千人の手足や器官を麻酔もかけずに切り取った。アーリア人の優秀性を高らかにほこり、ミュータントやらを作るために!

メンゲレの悪業を一撃で言い当てた名セリフだが、じつは、史実にもとづいている。

と、ここまでは上出来なのだが、最後の2カットで、この映画の価値を半減させている。それでも、トータルでみれば良い映画なのだが。

そのカットというのが・・・

メンゲレとレンダーマンは、奇しくもヒトラーのクローン少年の家ででくわした。互いに見知った仲、さっそく、死闘になるのだが、そこに、ヒトラー少年が現れる。ヒトラー少年は、メンゲレが自分の父親を殺したことを知り、飼っているドーベルマンをたきつけて、メンゲレを殺してしまう。そのスキに、レンダーマンはメンゲレの内ポケットから、94人の「ヒトラーのクローン」の住所リストを手に入れた。

そして・・・

ケガで入院していたレンダーマンのもとに、ユダヤ人の青年が現れる。彼もまた、ナチスの戦犯を追っていたのだ。彼は、レンダーマンから「ヒトラー少年」の住所リストを手に入れようとする。それを察知したレンダーマンは、やんわりと青年に問いただす。

レンダーマン:「子供たちをどうする気だ?」

ユダヤ人青年:「殺します」

それを聞いたレンダーマンは、青年の目の前で、リストを燃やしてしまう。ナチスは非人道的だが、我々は、たとえヒトラーのクローンであっても、子供は殺さない・・・それまで、淡々と事実だけを追うドキュメンタリー風で、そのくせ、ドロドロしたナチスのサブカルを漂わせ、独特の世界観を出していたのに、このカットで、どこにでもあるような陳腐なナチスものに変質してしまった。

そして、最後のカット・・・

ヒトラー少年は、先のレンダーマンとメンゲレの死闘を写真におさめていた。それを現像し、メンゲレの死体写真をみて笑みを浮かべるヒトラー少年・・・ヒトラーは子供の頃から残虐でグロの性癖があったというわけだ。

しかし・・・

ヒトラーは生涯を通じて、健康的で力強い「美」を求める傾向があり、「グロ」とは無縁だった。この映画と同じ13歳の頃には、大ドイツ主義(ドイツ統一にオーストリアを含める)に傾倒し、すでに、政治に興味が移っていた。

人種差別、侵略主義に凝り固まった悪人は、残虐、グロ、悪いことは何でもやる、みたいな安易な「悪のモノトーン化」は非常に危険である。ヒトラーのように、世界統一か破滅かを迫るような真の勝負師は、エログロのようなちゃちな悪で装飾すると、かえって、本質を見失ってしまう。

そもそも、ヒトラーは少年時代、聖職者になろとしていた時期があるのだ。

ありえない?

では、ヒトラーの著書「わが闘争」の一部を引用しよう・・・

「わたしは、暇なときにラムバッハの修道院で歌を習っていたから、非常にきらびやかな教会の祭典の厳粛な点に、しばしば陶酔する絶好の機会をもった・・・わたしには修道院長がもっとも努力するねうちのある理想に思えたのも当然であった」(※1)

だから・・・

レンダーマンとメンゲレの格闘シーンでは、メンゲレを殺さず、正義と慈愛に満ちた対応をする・・・そんな少年が長じて、あんな大それたことをしでかす・・・この方が、よほど恐いと思うのだが。

《つづく》

参考文献:
・(※1)わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)アドルフ・ヒトラー(著),平野一郎(翻訳),将積茂(翻訳)
・ヒトラーと第三帝国(地図で読む世界の歴史)リチャードオウヴァリー(原著),永井清彦(翻訳),秀岡尚子(翻訳),牧人舎(翻訳)河出書房新社

by R.B

関連情報