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週刊スモールトーク (第2話) マイクタイソン伝説

カテゴリ : 人物娯楽

2005.06.24

マイクタイソン伝説

■ストリートファイター

2005年6月12日、プロボクシング元世界ヘビー級チャンピオン、マイク・タイソンがマットに沈んだ。対戦相手は世界チャンピオンでも、元チャンピオンでも、将来を嘱望される新人でもなかった。試合後、笑みをうかべるほど余裕だったが、流れ落ちる汗に混じって、一筋の涙が見えた。なぜか、汗ではなく、涙だと確信できた。一世を風靡した英雄がたどるありがちな末路である。マイク・タイソンは少年時代、スラム街のストリートファイターとしてならした。そんなすさんだ生活の果てに何が待っているのか?成人する前に、道ばたで死体で転がるか、少年院か?13歳のタイソンに待っていたのは後者だった。

ところが、タイソンにとって終着駅のはずのその場所に、思わぬ幸運が待ち受けていた。ボクシングトレーナーのカス・ダマトである。ダマトは、すでに2人の世界チャンピオンを育てあげ、世界的な名声を得ていた。ダマトはタイソンを一目見るや、彼に潜在する恐るべき資質を見いだしたのである。ダマトは、タイソンの法的保護者となり、ボクシングのみならず、人生のあり方まで教えた。人を疑うことしか知らないタイソンが初めて心を開いたのか、ダマトの教えだけは従ったという。それは、タイソンのファイトにもあらわれている。攻撃と防御の完璧なバランス、それを脳ではなく、筋肉が記憶している。ボクシングの基礎を徹底的に仕込まれたに違いない。天賦の資質に完璧な基本・・・プロボクシングの世界で新しい歴史が刻まれようとしていた。

■栄光

1985年、タイソンは18歳でプロデビューした。その年は、15戦全勝15KO、11戦が1ラウンドKOという凄まじいものだった。その人間離れした破壊力を怖れ、ひたすら逃げまどうボクサーもいた。そして翌年、史上最年少の世界ヘビー級チャンピオン、その翌年には、ボクシングヘビー級史上初のWBC、WBA、IBFの統一世界チャンピオンに上りつめた。タイソンをかこむ時空はすでに伝説になりつつあった。このころのタイソンは、まさに映画「グラディエータ」の主人公マキシマスだった。観衆は、どちらが勝つかではなく、どうやって倒すかを想像し、興奮した。早送りのような異様なスピード、ガードもろとも撃ち砕く大ハンマーのような破壊力。すべてが衝撃的だった。それは破壊を超えて、装甲もろとも粉砕する全破壊の世界である。

■グラディエータ

初めて映画「グラディエータ」を観たとき、マイク・タイソンを思い出した。映像の魔術師リドリー・スコットと、特撮のキング、ドリームワークスによってつくられた戦闘シーンは、現実以上のリアリティがあった。と同時に、タイソンの試合で感じた、あのやけにリアルな恐怖感もあった。吹き飛ぶ、ひしゃげる、壊れる・・・物理的大破壊である。じつは、グラディエータものの映画はこれが初めてではない。有名どころでは、カーク・ダグラス主演の映画「スパルタカス」がある。「スパルタカス」はかつてハリウッドで量産された歴史大作の典型だ。兵士と馬が駆けめぐる迫力の戦闘シーン、お約束の愛とロマンもあって、よく分からないうちにエンディング・・・後で思い出そうにも、細切れのカットしか思い出せない。一体何が言いたいのだろう?

ところが驚くなかれ、「スパルタカス」の監督は、かのスタンリー・キューブリックなのである。世界核戦争を描いた名作「博士の異常な愛情」、SF映画のカリスマ「2001年宇宙の旅」、意味不明の「時計じかけのオレンジ」、その後のキューブリックの作品とは一線を画す(悪い意味で)。一体何があったのか?じつは、この頃、主演のカーク・ダグラスの名声は新人監督のキューブリックをはるかにしのいでいた。つまり、キューブリックの意見はほとんど通らなかったのである。ということで、「スパルタカス」は完全主義者キューブリックの珍しい一品。

■転落

どんな世界もそうなのだが、早すぎる成功は後がよろしくない。若くして頂点を極めたマイク・タイソンには、目標は一つしかなかった。前人未踏の防衛記録をうち立てて、無敗で引退すること。ヘビー級以外の階級なら、5階級、6階級制覇の夢もあるだろうが、ボクシングにはヘビー級の上がない。ウェイトを下げてチャンピオンになっても、誰も喜ばないだろう。つまり、マイク・タイソンの未来は果てしなく続く「防衛」あるのみ。モチベーションをたもつのは至難だ。とはいえ、タイソンはまだ24歳、当面、防衛は続くだろう、と誰も信じて疑わなかった。ところが、その後、不吉な出来事が続く。まず、ボクシングの師であり人生の師であったカス・ダマトがこの世を去る。タイソンは心と身体の支えを失い、人生の坂を転がり始めた。

1990年、東京ドームで10回KO負け。その後、婦女暴行で逮捕。次に、イベンダー・ホリフィールドに敗北。さらにそのリターンマッチで、ホリフィールドの耳に噛みつき、再び敗北。このとき、破損したホリフィールドの耳はチョコレートとなって店にならんだ。ボクシングの歴史を刻むはずの英雄が、ケチな商売人の商売ネタになったのだ。人生の師ダマトと死別して10年、タイソンの魂は迷走を続け、「スラム街のストリートファイターへ」へと還っていった。それでも、観衆はグラディエータ、マイク・タイソンを求めていた。彼は何度負けても、観衆の親指は下に向けられることはないのだ。いつも、最期のトドメは保留されたのである。そして2005年6月12日、運命の日がやってきた。その日のタイソンは「強いヒト」であって「破壊の神」ではなかった。彼は簡単にノックアウトされたのである。それでも試合の後は、カムバックがとりだたされた。何はともあれ、タイソンは金を生む。リングの外で労せずして稼ぐ輩にとって、タイソンは金の卵なのだ。

■もう一人のタイソン

ボクシングの歴史年表をひもとくと、1970年代にタイソンに酷似したボクサーがいた。ジョージ・フォアマンである。メキシコオリンピックの金メダリスト、37戦全勝、34KOで世界タイトルに初挑戦。そして、あのモハメド・アリをうち倒した強打者ジョー・フレージャを、まるで「ボロ雑巾」のように吹き飛ばしたのである。これは、喩えではなく、本当に、リングの端から端へ6度も吹き飛ばされたのだ。こうしてフォアマンは「象をも倒す」とまで言われ、半ば神格化されていく。ところがその後、モハメドアリに敗れ、立ち直ることができなかった。ところが、長い年月をへて、フォアマンはカムバックした。史上最年長の45歳で世界ヘビー級チャンピオンに返り咲いたのである。まさに、奇跡。かつて、フォアマンはアリに敗れたとき、失意のあまり、牧師に転向したが、その御利益かどうかは知らないが、まさに神の一撃による大逆転であった。

■黄昏

だが、マイク・タイソンはジョージ・フォアマンにはなれないだろう。身体が小さいからである。「運動エネルギー=破壊力」は、質量(体重)に比例し、スピードの2乗に比例する。もちろん、スピードは年齢とともに落ちていく。破壊力を体重で稼げるボクサーはいいが、身体が小さいボクサーはどうにもならない。スピードが半分になれば破壊力は1/4になるのだ。フォアマンの身長は192cm、タイソンは180cm。身体の小さいタイソンがかつての破壊力を取り戻すのは不可能である。歴史を変えるほどの英雄でも、物理の法則までは変えられない。それにしても、ボクシングの世界は無情だ。すでに、観衆はつぎのグラディエータを求めているのだから

by R.B

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