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週刊スモールトーク (第197話) 中国共産党の歴史(9)~太平洋戦争がない世界~

カテゴリ : 戦争歴史

2013.03.10

中国共産党の歴史(9)~太平洋戦争がない世界~

■胡適の予言

「西安事件がなければ、中国共産党は消滅していただろう・・・西安事件がわが国に与えた損失は取り返しのつかないものだった」~胡適(こせき)~

「胡適」は、1930年代、中国最高の戦略家だった。学者出身で、北京大学の学長まで務めた知の巨人だが、柔軟で現実的な問題解決力も持ち合わせていた。

胡適の最大の業績は、日中戦争を中国の勝利に導いたことだろう。1938年、蒋介石政権のもと、駐米大使に転じ、決定的な役割を演じている。日米を戦わせ(太平洋戦争)、アメリカ合衆国を日中戦争に引きずり込んだのである。国益を最優先におき、あらゆる手だてを講じる徹底ぶりは外交官の鏡で、日本のパーティ系外交官も見習うべきだろう。それにしても、この時期、日本の外交官は一体何をしていたのだ?

じつは、胡適は日中戦争の本質と未来を正確に見抜いていた。まず、日本の侵略を中国単独で防ぐのはムリと考え・・・

日本とはガチで戦わない。致命傷にならないなら、負け続けてもいい。日本が華北から手を引くなら、満州を日本にくれてやってもいい。そのかわり、中国が被害者だということを世界にアピールする。とはいえ、国連は無力だし、イギリスとソ連はドイツとの戦争でそれどころではない。あてにできるのはアメリカぐらいだろう。だから、アメリカを日中戦争に引きずり込むのだ。中国が勝利するにはそれしかない。胡適はそう信じ、忠実に実行したのである。

実際・・・

胡適がいなかったら、ハル・ノートは存在しなかった。もちろん、太平洋戦争もない。この場合、世界は今とはずいぶん違ったものになっていただろう。ハル・ノートとは、1941年11月、アメリカ政府が日本政府に送りつけた外交文書だが、ほぼ最後通牒である。まともな、主権国家なら、絶対に呑めない内容だったから。こうして、日本は太平洋戦争しか選択肢がなくなったのである。

■太平洋戦争がない世界

では、もし太平洋戦争がなかったら、どんな世界になっていたのか?

シナリオは無数にあるが、可能性が高いのは・・・

まず、日米が戦わないので、「南進」が消える

実史では、
「ハル・ノート→アメリカの石油禁輸が継続→大平洋戦争」
と日本は戦争まっしぐらに突き進んだ。ところが、石油がなくては、軍艦も戦車も飛行機も動かない、ただの鉄クズだ。そこで、日本は石油資源が豊富な南方に侵攻した。これを「南進」という。

じつは、この時期、日本にはもう一つの選択肢があった。「北進」である。満州を超えて、ソ連領に侵攻するのである。もちろん、「北進」と「南進」の同時進行という勇ましい選択もあるが、あまり勧められない。危険な「両面作戦」になるから。

両面作戦・・・確かに時間の節約にはなるが、負けたらどうするのだ?両面から挟み撃ちにされ、逃げも隠れもできない。つまり、全滅!というわけで、両面作戦は古代より愚策とされてきた。そこで、実史では、日本は「南進」を選び、「北進」をあきらめたのである。さらに、「北」の憂いをなくすため、日ソ中立条約が結ばれた。

ところが、この世界では、「ハル・ノート」がない。結果、
「アメリカの石油禁輸が継続→大平洋戦争」
も消える。そうなれば、日本は、地政学上の不倶戴天の敵「ソ連」に向かうだろう。つまり、「北進」。

では、その後どうなる?

当時、ソ連軍と対峙していたのは満州の関東軍である。関東軍は、ピーク時に総兵力65万人を擁する大軍団だった。実史では、関東軍は、南進のために兵力を割かれたが、この世界では南進がないので兵力は温存される。さらに、中国や朝鮮に展開された軍も含めると、満州に動員できる日本の兵力は、

・兵数:120万人

・戦車:1200両

・火砲:5400門

・航空機:2000機

これはかなりの大軍だ。史上最大の作戦とされる「ノルマンディー上陸作戦」でさえ、連合国側が動員した兵数は300万人だったのだから。ただし、ドイツがソ連に侵攻した「バルバロッサ作戦」も、ドイツ軍、ソ連軍、それぞれ300万の兵士を動員している。激戦の度合いを考慮すれば、真の史上最大の作戦は「バルバロッサ作戦」だろう。

一方、ソ連軍は極東の日本軍に備え、3つの「極東方面軍」を展開していた。第1極東方面軍(沿海州)、第2極東方面軍(アムール)、ザバイカル方面軍(モンゴル)である。

その兵力は、

・兵数:150万人

・戦車:5万5000両(砲塔が回転しない自走砲を含む)

・火砲:2万6000門

・航空機:4000機

兵数は拮抗しているが、火力(戦車・火砲)は桁違い。まともに戦えば、1939年のノモンハン事件の二の舞だろう。ノモンハン事件とは、日本軍とソ連軍が戦ったモンゴルと満州の国境紛争である。この戦いで、日本軍はソ連軍の機械化部隊に完敗した。「機械化部隊」とは、ライフル歩兵ではなく、戦車や火砲を主力とする機械式部隊のことである。だから、単独で戦えば日本は負ける。

ただし、日本軍は士気が高いし、ノモンハン事件で機械化部隊の恐さを学んでいる。さらに、ドイツ軍と挟み撃ちにできるので、一方的な敗北にはならない。

■独ソ戦

実史では、1941年6月22日、バルバロッサ作戦が始動され、ドイツ軍はソ連に侵攻した。緒戦は、ドイツ軍が連戦連勝、首都モスクワまであと40kmにまで迫った。ところが、新手のソ連軍に反撃され、最終的には敗退している。この新手のソ連軍の中核をなしたのが先の「極東方面軍」だった。日ソ中立条約のおかげで、日本の脅威が消滅し、極東方面軍を独ソ戦に回せたのである。

ところが、「太平洋戦争がない世界」では・・・

日本が北進を選択しているので、日ソ中立条約は存在しない。ゆえに、ソ連は、極東方面軍を引き抜けない。では、ドイツが勝っていた?

きわどいところだろう。

じつは、独ソ戦で、ソ連が勝利した一番の理由は「極東方面軍」でも「ロシアの酷寒の冬」でもない。アメリカ合衆国が援助してくれたから。アメリカは、1941年から1945年にかけて、イギリス、ソ連、中国に大量の武器、軍需物資を貸与していた。これを、「レンドリース法(武器貸与法)」とよぶ。実際は、貸与ではなく贈与だったのだが。

ところが・・・

貸与とか贈与とか、そんななまやさしいものではなかった。規模がハンパではないのだ。

ソ連は兵員と軍需物資の輸送を鉄道に頼っていたが、アメリカがソ連に贈った機関車は約2000両。ソ連の全機関車のじつに95%である。早い話が全部。さらに、ソ連空軍が受領した航空機は約2万機。ちなみに、日本でもっとも多く生産されたゼロ戦で約1万機。つまり、ソ連はもらった分で、日本の作った分を凌駕しているわけだ。さらに、毛皮のブーツまでもらったというから、至れり尽くせり。だから、日本が「北進」を選択したとしても、ドイツが勝つとは限らない。

とはいえ、ソ連は実史以上に、ドイツに苦戦するのは確かだ。ドイツと日本の両面作戦を強いられるから。負けはしないが、勝てる見込みもない消耗戦が延々と続くわけだ。そうなれば、独ソの和平、日ソの和平が成立するかもしれない。特に前者の可能性は非常に高い。その場合、ドイツの手強い敵はイギリスだけになる。

では、いよいよ、ドイツ軍がイギリス本土に上陸?

ところが、話はそう簡単ではない。ドイツ軍自慢の機甲師団(機械化部隊)をイギリスに上陸させるには、英仏海峡の制海権をとる必要がある。さもないと、イギリス艦隊の餌食(えじき)になるから。じゃあ、ドイツ艦隊を投入して、イギリス艦隊をやっつければ?ところが、海軍力では、ドイツはイギリスに逆立ちしても勝てない。特に、海の肉弾戦に欠かせない駆逐艦で大きな差をつけられていた。

では、どうすればよいのか?

実史では、1940年7月~8月、イギリス本土上陸作戦「アシカ作戦」が計画された。ところが、早々に問題発生。軍団を輸送する「揚陸用船舶」がゼンゼン足りないのだ。そこで、河川用の小型船舶まで引っ張り出されたが、イギリス艦隊に遭遇すればひとたまりもない。それを回避するため、陽動作戦も考えられたが、どれもこれもリスキーで、現実性に乏しかった。

1940年7月、「アシカ作戦」の前哨戦として「バトル・オブ・ブリテン」が始まった。制海権の前に、制空権をとろうと、ドイツ空軍がイギリス空軍に挑んだのである。ところが、最終的にドイツ空軍は敗北する。というわけで、1940年9月、「アシカ作戦」はひっそりと撤回された。「アシカ」は海を渡らなかったのである。

実史では、ドイツ軍は、バトル・オブ・ブリテンの後、ソ連に侵攻しているので、独ソ停戦が成ったとしても、「イギリス本土上陸作戦」は実施されない。同じ過ちをおかすほど、ヒトラーは愚かではないから。

では、ドイツはどうでるのか?

ナチスドイツのナンバー2「ヘルマンゲーリング」の案が採用されるだろう。ゲーリングは、ヒトラーの忠実な僕(しもべ)を演じていたが、信念もイデオロギーもない、愛想のいい享楽主義者だった。ただし、青年時代は凄腕の撃墜王で、戦術はさておき、戦略立案は侮れないものがあった。そのゲーリングが執着したのが「地中海作戦」である。

というわけで、「太平洋戦争がない世界」で、独ソ和平が成ったら、「地中海作戦」が実施されるだろう。実史では、地中海のイギリス軍にたいし、急ごしらえの「アフリカ軍団(ロンメル軍団)」があてられたが、この世界では、独ソ戦を戦い抜いた強力な機械化軍団が投入される。その結果、アフリカ沿岸や中東に展開するイギリス軍は大打撃をうけるだろう。結果、地中海は「枢軸国(ドイツ・イタリア)の海」になる。

これはイギリスにとっては致命的だ。中東に展開するイギリス軍への補給ルート、
「ジブラルタル海峡→地中海→中東」
が断たれ、アフリカ周回ルートに頼るしかなくなるから。つまり、大航海時代のバーソロミューディアスが発見したアフリカ周回航路に先祖返りするわけだ。

これでは、兵站は絶たれたも同然で、イギリスは狭いブリテン島に引きこもるしかない。そうなれば、イギリスの世論も議会もドイツとの和平を求めるようになるだろう。たとえ、チャーチルが気合いの入った演説で戦意を煽ってみたところで、不信任投票で追い出されるか、次の選挙で落とされるだけだ。第二次世界大戦後のように。

一方、イギリスがドイツと和平すれば、アメリカで「レンドリース法」の風当たりが強くなる。ただでさえ、
「なんで、他国の戦争にアメリカが援助するのだ」
と評判が悪かったのだから。この世界では、独ソも和平しているので、援助の対象になるのは中国の蒋介石政権のみ。そうなれば、「レンドリース法」は打ち切られる可能性が高い。

■もう一つの第二次世界大戦

ということで、第二次世界大戦は、奇妙な小康状態に陥る。この場合の勢力図は、

ドイツ:フランスのボルドーからバクー油田のあるカスピ海まで支配。

ソ連:カスピ海からウラジオストクまで支配。

日本:満州を支配し、華北をめぐって中国と小競り合いが続く。

中国:華北をめぐって日本と小競り合いが続く。

アメリカ:他国への干渉が弱まる。

イギリス:弱体化する。

つまり、ドイツ、ソ連、日本、アメリカで、世界は4極化する。ただし、ヒトラーが生きている限り、必ず、ドイツはソ連に侵攻する。なぜなら、ヒトラーの究極の目標は、
「東方生存圏の拡大」
つまり、東方(ロシア)の資源と土地、そして、奴隷労働力(スラヴ人)を確保することにあったから。そのときは、また新しい歴史がつづられることになる。

一方、日本は大日本帝国が延々と続く。そうなれば、こんな悠長なものは書いていられない。非国民とかなんとかで、特高(戦時中の日本の秘密警察)に引っ張られ、痛い目に合わされるに違いない・・・コワイコワイ。

■西安事件

ということで、胡適が駐米大使でなかったら、太平洋戦争は起こらず、ドイツと日本は勝利はしないものの、敗北もしなかった。そう考えると、胡適の「歴史の役割」は超弩級で、ルーズベルト、チャーチル、ヒトラー、スターリンに匹敵する。

さて、そんな歴史の巨人「胡適」が吐いた冒頭のセリフ・・・西安事件がなければ共産党は消滅していた。西安事件が我々の国家に与えた損失は取り返しのつかないものだった・・・

西安事件とは、蒋介石の中国国民党内で起こった無血クーデターである。とはいえ、蒋介石が死んだわけでもないし、中国国民党が崩壊したわけでもない。敵対していた中国国民党と中国共産党が一転して同盟し(国共合作)、日本と戦うようになっただけ。

では、胡適が言うところの
「西安事件が我々の国家に与えた損失は取り返しのつかないものだった」
とはどういう意味なのか?

「もし、西安事件がなかったら」・・・このシミュレーションがすべてを明らかにする。

IFの歴史学」へようこそ。

《つづく》

by R.B

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