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週刊スモールトーク (第178話) 日中尖閣戦争(1)~滅ぼさんかな、カルタゴ~

カテゴリ : 戦争歴史

2012.09.29

日中尖閣戦争(1)~滅ぼさんかな、カルタゴ~

■戦争はなぜ起こるのか?

一旦、戦争が始まれば、建物、道路、電力、水道、あらゆるインフラが破壊され、たくさんの人が死ぬ。それが自分かもしれないし、家族や恋人かもしれない。それでも、人間は戦争をする。

なぜか?

一旦、「譲歩」したら最後、「譲歩」を続けるしかなくなるから。しかも、それが破滅の日まで続く。これは歴史的事実であり、地球のルールでもある。

だから、戦争が起きるのは、人間のDNAが「好戦的」だからという主張は、一理あるが、核心ではない。我々人間は、
一度、譲歩したら、破滅するまで譲歩が続く
ことを知っているからだ。

では、お互いに譲歩しなければ、何が起こるのか?

戦争。

つまり、戦争は「自由人として生きる(隷属ではなく)」ための最終手段なのである。ゆえに、戦争は永遠になくならないし、戦争を忌み嫌う、あるいは、恐れる者は、地球上で存続することは難しい。これは、地球の歴史をみれば明からだ。だから、戦争を善悪、あるいは、イデオロギーで論じるのは的外れである。

それが、誇張かどうか、実際の歴史でみてみよう。ここに紹介するのは、戦争を忌み嫌い、軍事を他人任せにし、目先の安楽を求め、譲歩を繰り返したあげく、地上から抹殺された大国の物語である。かつて、地中海世界でローマ帝国と覇権を争った「カルタゴ」である。

■滅ぼさんかな、カルタゴ

紀元前219年、陸の王者「ローマ帝国」と海の王者「カルタゴ」が、地中海世界の覇権を争って戦った。歴史に名高い(第二次)ポエニ戦争である。カルタゴ軍を率いたハンニバルはアレクサンドロス大王に比肩する名将で、緒戦はカルタゴがローマを圧倒した。

ところが、カルタゴは一枚岩ではなかった。カルタゴは、今の日本同様、
商売最優先、危ない目にあうのはご免
の貿易立国だった。そのため、日本がアメリカの軍事力に頼ったように、カルタゴは傭兵に頼っていた。その傭兵軍を率いたのがハンニバルだったのである。

緒戦で圧倒したカルタゴだったが、ローマの同盟都市の切り崩しに失敗、戦線は膠着した。そこで、カルタゴ政府はハンニバルの責任を問うため、彼を本国に召還した。すると、ハンニバル頼みのカルタゴ軍はすぐに弱体化した。そのすきを突いて、ローマ軍は攻勢に転じ、最終的に勝利したのである。

間の抜けた話だが、歴史的事実である。そもそも、アッシリアやヒッタイトのような軍事大国はもちろん、エジプト王国、ペルシア帝国、ローマ帝国など古代の大国で軍事をおろそかにした国はない。カルタゴを除いて。

その結果・・・

敗北したカルタゴは、領土の大半を奪われ、高額な賠償金を科せられた。ところが、さすがは、地中海貿易で財をなした経済大国である。カルタゴは目覚ましい経済復興をとげ、賠償金を前倒しで完済したのである。まるで、戦後の日本のように(日本の賠償金は間接的だったが)。

ところが・・・

この驚異的な復興と、圧倒的な経済力は、ローマに「カルタゴ脅威論」を植えつけた。その急先鋒となったのが、ローマの元老院議員カトーである(日本人ではなく生粋のローマ人)。彼は偏屈なローマ至上主義者で、カルタゴを滅ぼすべし、と公言してはばからなかった。実際、彼は元老院で演説を行うと、必ずこうしめくくった。
「それはさておき、滅ぼさんかな、カルタゴ

ところで、なぜ、カトーはカルタゴを目の敵(かたき)にしたのか。当時のカルタゴは、外交権と軍事権をローマに握られていた。今の日本のようなもので、実質、属国である。だから、カルタゴがローマに刃向かうわけがない。いや、刃向えなかったのである。

ではなぜ、カトーはカルタゴを滅ぼそうとしたのか?たぶん、嫉妬。カルタゴの繁栄が気に入らなかったのである。元々、カトーにはそういう気質があった。

先の(第二次)ポエニ戦争で、最終的にローマを勝利に導いたのは、ローマの将軍スキピオ・アフリカヌスである。スキピオは優れた人物だった。17歳のとき、ポエニ戦争に兵として参加し、敵将ハンニバルの天才的な用兵を目の当たりにした。連敗につぐ連敗、何度も死地をくぐりぬけ、最後にローマ軍を率いて、ハンニバルを打ち破ったのである。

スキピオはその功績で、独裁官に推挙されたが辞退、さらに、不倶戴天の敵ハンニバルさえ助命した。自ら軍を率いては生涯無敗、しかも、謙虚にして寛大、非の打ちどころのない人物である。当然、ローマ市民の人気は絶大であった。その後、スキピオは執政官(ローマの国家元首)にまでのぼりつめる。

ところが・・・

カトーはそれが気に入らなかった。裏で画策し、反スキピオ網を形成し、スキピオを取るに足らない贈収賄で失脚させたのである。ローマを滅亡から救いながら、公職を追われたスキピオは、イタリア南部のカンパニアに居を移し、2度とローマには入らなかった。そして、自分の墓石にこう刻まさせたという。
「恩知らずの我が祖国よ、お前に我が骨はわたさない」

スキピオの心情は察するに余りあるが、問題はそこではない。嫉妬や憎悪に起因する「執着」が国を滅ぼすこともあるということ。

さて、ここで想像力を働かせてみよう。今、起こっている尖閣諸島問題である。

中国当局みずから、金銭と法律、両面からデモを支援し、日本企業の工場や店舗を破壊し、焼き払い、金目の物品を略奪し、在留邦人の生命を危険にさらしている主因が、単なる「ガス抜き」でなかったとしたら。カトーのような、嫉妬・恨みを根に持つ「執着」だったとしたら・・・これまでのように嵐が過ぎ去るのを待とう、では身を滅ぼす。

なぜか?

その答えは、カルタゴの歴史にある・・・

ローマは、法と合理性を重んじる国である。だから、カトーのような過激な意見に反対する者もいた。先のスキピオの一族、スキピオ・ナシカ・コルクルムもその一人である。彼はカトーに対抗して、演説の最後をこうしめくくった。
「それはさておき、存続させんかな、カルタゴ」

しかし、カトーは執念深かった。信じられないような陰湿な行動にでたのである。スキピオを葬り去ったときのように。

じつは、(第二次)ポエニ戦争の講和条約によれば、
・カルタゴの境界紛争は、全てローマが調停する
・カルタゴが武装したり傭兵を雇ったりする時は、ローマの承認を得ること

ところがその後、隣国のヌミディアが、カルタゴの国境を侵犯した。そこで、カルタゴは軍を編成し、応戦した。ところが、ローマは、これを条約違反だと非難した。もちろん、カルタゴは自衛のためのやむえない戦い、と主張したが、ローマはとりあわない。それもそのはず、ヌミディアをたきつけたのはローマ(カトー)だったのだから。

ローマは大軍を召集し、臨戦態勢にはいった。ところが、不思議なことに、カルタゴは、卑屈なまでに「譲歩」を繰り返す・・・

カルタゴの貴族の子息300人をローマに人質に差し出し、命乞いをしたのである。ローマは一旦承諾したが、人質が送還されると、ローマ軍をカルタゴに上陸させた。そして、全ての武器を引渡すよう要求したのである。

普通は、ここで気づいても良さそうなものだが、カルタゴはまたもや譲歩する。武器をすべて引き渡したのである。

そして、ついに、ローマはカルタゴに最後通牒を突きつけた。

カルタゴの全市街を焼き払うので、住民は内陸に移れ」

ここにおよんで、カルタゴは初めてローマの真意に気づいた。どの道、国が滅ぶのだから、戦った方がマシ。カルタゴは戦うことに決めた。だが、時すでに遅し、武器もないのだから・・・

今からみれば、愚行の極みだが、カルタゴは当時、地中海世界でローマと並ぶ大国だった。だから、断じてバカではない。ではなぜ、こんなバカなことが起こりうるのか?

どんな経済大国でも、軍事をないがしろにすれば、国が滅ぶ」ということ。

ちなみに、現在、中国、北朝鮮、韓国をはじめ、アジア諸国は軍事費を増大させている。ところが、日本だけは減少中。そのくせ、尖閣諸島を国有化し、結果として、中国を戦争に引きずり出そうとしている。ところで、軍備は大丈夫か?現実感がないというか、トンチンカンな国である。

話をカルタゴにもどそう。カルタゴの行く末を見れば、おのずと、日本の未来も見えてくる。

紀元前149年、カルタゴの包囲戦がはじまった。戦いは3年間つづいたが、最後は悲惨を極めた。完全に包囲されているので、物資の補給がない。多くのカルタゴ人が餓死していった。紀元前146年、カルタゴは降伏した。生き残った住民はすべて奴隷として売り飛ばされ、町は焼き払われた。全市が燃え尽きるまでに1ヶ月かかったという。最後に、草も育たぬよう、塩がまかれた。

こうして、経済大国カルタゴは地上から完全に抹殺されたのである。

金儲けと享楽に我を忘れ、戦う勇気、人間の尊厳を捨てて、譲歩をくりかえせば、どうなるか?

カルタゴの歴史がそれを物語っている。

■カルタゴの歴史に学ぶ

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ・・・

では、カルタゴの歴史から何が学べるのか?

カルタゴ滅亡のポイントは3つある。

1.ローマ(カトー)は初めからカルタゴを滅ぼすつもりだった。

2.ローマ側の要求の真の目的は「カルタゴ抹殺」(だから理不尽は当たり前)。

3.ゆえに、戦争は避けられず、「譲歩」は戦いを不利にしただけ。

高校時代、カルタゴの歴史を初めて読んだとき、カルタゴを日本、ローマをアメリカに読みかえて、日本の行く末を危ぶんだが、尖閣諸島問題をみるかぎり、ローマ(カトー)は中国かもしれない。となると、油断は禁物だ。アメリカが中立を決め込めば、中国は必ず、尖閣諸島を武力制圧する。そのとき、日本はお決まりの「譲歩」に徹するのか、それとも反攻するのか、決断に迫られる。

では、どうすればよいのか?

まず、カルタゴを日本、ローマを中国におきかえ、カルタゴの歴史をイメージしながら、2国の歴史をふりかえってみよう。

今日(2012年9月29日)から、ちょうど40年前の1972年9月29日、日中国交正常化が成立した。その後、日本政府は日中戦争のひけめから、中国を刺激しないように友好関係に努めてきた。ところが、中国側は、閣僚の靖国参拝、教科書問題など、次々に日本に問題を突き付け、内政干渉もいとわなかった。

それでも、日本は卑屈なまでに、土下座外交をつづける。鄧小平の要望にこたえ、松下電器(現パナソニック)は日本企業として初めて中国の青島に工場を建設した。それが、中国経済の発展、中国人民の生活にどれだけ貢献したことか。ところが、その”象徴的”工場までが、今回の暴動で破壊されてしまった。

さらに、日本は、多額の政府開発援助(ODA)や、超低利の円借款、様々な経済協力をおしまなかったが、今となれば、中国には感謝のカケラもなかったことがわかる。つまり、この40年の日本の援助は、中国の経済と軍事を強大化させただけなのである。あげく、日本が援助し育てたその力が、今、日本に牙をむいている。なんと、間の抜けた話だろう。

そして、とどめが尖閣諸島問題。

1968年、国連の海洋調査で、尖閣海域に豊富な海底資源があることがわかった。中国が尖閣諸島の領有権を主張しだしたのはその頃からである。中国は、1971年12月30日付の「釣魚島(尖閣諸島)に関する中国外交部声明」で明確に領有権を主張している。にもかかわらず、日本は日中国交正常化を優先し、この問題にふたをしてきた。

さらに、1979年1月、鄧小平が来日し、「尖閣諸島の問題は、次の世代、またその次の世代で解決すればいい」と発言した。ところが、あろうことか、日本側はそれを真に受けた。そして、1992年2月、中国は「領海法」を制定し、尖閣諸島を中国の領土としたのである。

事は、国の安全保障にかかわる領土問題、だました中国側を責める気にはなれない。だまされた日本側がマヌケなのだ。その結末が、今回の反日暴動というわけだ。

日本が、どれだけ援助しても、譲歩しても、中国の攻撃的な要求はやまないのは、なぜか?このままでは、日本が丸裸になって、中国に完全に隷属するまで続く?

そのとおり。

中国の要求の最終目的はここにあるのだから。ローマのカトーのように。

だから、もし、日本が尖閣諸島問題で譲歩すれば、事はそれだけではすまない。次に中国は、沖縄本島、宮古島、石垣島、西表島、与名国島を要求してくるだろう。これらの有人島をとれば、浮沈空母となり、尖閣諸島海域の防衛は万全になる。しかも、日本と台湾は完全に射程距離内だ。もし、アメリカの国力が低下すれば、間違いなく現実になる。

おおげさ?

沖縄が中国領だと主張する中国高官がすでにいる。それが、ローマのカトーだったらどうするのだ?

これが、40年におよぶ日本の卑屈な「譲歩外交」の成果

日本の外交史上、最大の失態である。

時が明治なら、当時の首相と外交官は夜道も歩けないだろうが、まぁ、過去を悔やんでもしかたがない。これからは、カルタゴの二の舞にならないよう官民あげて対処していくしかない。

では、これからはイバラの道がつづく?そうでもない。楽観するのは危険だが、悲観する必要もない。なぜか?

今の日本は、

1.GDP世界第2位(中国のデータを真に受ければ3位)

2.世界最高水準のテクノロジー

3.安定した民意

4.世界ベスト5に入る軍事力(海軍に限ればアメリカに継ぐ)

これだけ底力があるのだから、政治さえバカをやらなければ、隣国にコケにされることもないだろう。ただし、マスコミも含めて我々は「政治・軍事・歴史」にもっと興味をもつべきだ。でないと、バカな政治家と役人が国を滅ぼすから。

《つづく》

by R.B

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