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週刊スモールトーク (第174話) 世界の名言(3)~歴史編~

カテゴリ : 思想歴史

2012.08.04

世界の名言(3)~歴史編~

■外交編

世界の名言を、偉人編人生編でみてきたので、次は風呂敷を広げて「歴史編」でいこう。

まずは外交から。第二次世界大戦前夜、ドイツのヒトラーはチェコスロバキアのズデーテン地方の割譲をもくろんでいた。ズデーテン地方はチェコ領だったが、隣国ドイツからの移住者が多く、ヒトラーはそこに目をつけたのである。日に日に、ヒトラーの言動がエスカレートするにつれ、イギリスとフランスは不安を覚えた。そこで、ヒトラーに会談を申し込んだのだが、これが歴史上有名なミュンヘン会談である。

1938年9月、ドイツのミュンヘンにて、首脳会談が行われた。出席者は、イギリスの首相チェンバレン、フランス首相ダラディエ、ドイツ首相ヒトラー、そして、ヒトラーと仲良しこよし以外本件と何の関係もないイタリア首相ムッソリーニ。一方、当事者のチェコスロバキアは呼ばれていない・・・何のこっちゃ?(でもこの時代、小国の扱いはこんなものだった)それはさておき、会談の結果・・・「もう二度と領土要求はしません」というヒトラーの空手形を信じて、ズデーテン地方がドイツに割譲されたのである。もちろん、チェコスロバキアには何の見返りもない。あっと驚く軟弱外交・・・というか、それ以前に言語道断、メチャクチャな取引である。外交なんてこんなもの、と言えばそれまでだが。

ところで、この話には後日談がある。出席した指導者たちが、声高に、あるいは陰に回って本音を語ったのである。面白いので紹介しよう。

【イギリス首相チェンバレン】

イギリスのヘストン飛行場に降り立ったチェンバレンは、ヒトラーがサインした協定書をヒラつかせながら、得意満面でこう叫んだ。「大成功だ!上出来だ!」(その時のモノクロ映像が残っている)

【ドイツ首相ヒトラー】

「チェコスロバキアが、まさか隣りの友人たちによって差し出されようとは夢にも思わなかった」(!?!)

【フランス首相ダラディエ】

ダラディエは国民からひどく罵られるだろうと、恐る恐る飛行機から降り立ったところ、「平和が守られた!」と民衆から大歓迎を受けた。そのとき、ダラディエはこうつぶやいたという。「なんという馬鹿者どもだ」(おいおい)

【チャーチル(後のイギリス首相)】

「すべては終わった。我々は戦わずして敗北したこと、その敗北が後にまで尾をひくことを知れ。これは終わりではない。やがて我らに回ってくる大きなつけのはじまりにすぎないのだ」まさに十人十色だが、その後起こった歴史(事実)は一つしかない。翌1939年9月1日、ドイツがチェコスロバキア全土を併合、同時に第二次世界大戦が勃発、その後、ヨーロッパ全土がドイツに征服されたのである。チャーチルの予言が的中したわけだ。

この歴史は、日本の尖閣諸島、北方領土の腰抜け外交が何をもたらすかを示唆している。尖閣諸島を中国にプレゼントすれば、やがて、沖縄も中国領になるだろう。賢者は歴史に学び、凡人は経験に学び、愚者は何も学ばない。さて、我々の指導者はどのタイプ?この歴史イベントから、チャーチルは有能だったから「ヒトラーの本性」を見抜くことができた、と安易に考えてはいけない。また、済んだことを非難するのは「後出しジャンケン」だと、分かったようなことを言ってはいけない。先入観を捨てて、論理的に考えれば、大抵のことは予測できるものだ。

あの時代、政治に関心をもって、新聞さえ読んでいれば、「ヒトラーが何を狙っているか?」は普通にわかったはず。とくに、1928年11月のクーデーター未遂事件(ミュンヘン一揆)以降のヒトラーの言動をみれば、明らかだ。実際、当時の多くのドイツ人がヒトラーの狙いを見抜き、不安を感じていたのである。余談だが、ヒトラーはこんな言葉も残している。「条約が有効なのは、私にとって有益な間だけだ」(もっと早く言ってくれ)

■戦争編

戦争は、行きつくところ、命の取り合い。そして、戦後は、理不尽な懲罰が待っている。戦争はたいてい、「国家安全保障」にもとづくが、最後は勝者の復讐裁判と化す、正義の名のもとに。

1945年8月、太平洋戦争が終ると、日本の指導者たちは戦犯として裁かれた。「平和に対する罪」、「人道に対する罪」などの理由で。ところが、この2つの罪は、当時の国際法では法令化されていなかった。つまり、やった後で、法律を作られ、裁かれるようなものだ。これは、法の原則に反しているため(法の不遡及)、インドのパール判事は、極東軍事裁判で被告人全員の無罪を主張した。また、戦地では、捕虜・民間人の虐待など「人道に対する罪」で、多数の将兵が処刑された。

しかし、戦争という極限状況を、平和時の常識で裁けば、誰でも有罪になる。戦争は国を挙げての命の取り合いなのだから。どうしても、裁きたければ、勝った側の指導者や軍人も裁くべきだろう。法の根幹は「公正」にあるのだから。しかし、勝者側が「人道に対する罪」で裁かれることはない。「復讐裁判」の根拠はここにある。

戦後の日本では、「太平洋戦争」は悪とされ、軍人は頭の固い精神論者と決めつけられた。さらに、それを示すエピソードが選択的に喧伝された。たとえば、大平洋戦争の名戦闘機「零戦」もその一つだろう。1937年10月5日、日本海軍は96式艦上戦闘機の後継機(零戦)の計画要求書を三菱と中島飛行機に交付した。ところが、要求されたスペックが尋常ではない。そのため、中島飛行機は競争試作を断念してしまう。

さらに、三菱の設計主任の堀越二郎もこう言っている。「(スペックが)我々の技術水準に対して、非常に高かった。生易しいやり方では不可能と思われた」最終的に、三菱は海軍の要求仕様を満たす「零戦」の開発に成功するが、戦後、堀越二郎のこんな言葉が選択的に喧伝された。「軍はムチャしか言いません。零戦でムチャが通ったもんだから、さらにムチャクチャな要求をしてきます。彼らは根性で空を飛べると思ってるんですよ」軍の精神論、ここに極めり、というわけだ。

もちろん、これを示唆する証拠は枚挙にいとまがない。ただ、それがすべてではないと言いたいのだ。実際、海軍の”ありえないスペック”の零戦は完成し、敵国の戦闘機を圧倒したのだから。つまり、初期の零戦に限れば、タダの精神論とはいえない。そもそも、これを精神論と決めつけるなら、

家族以外はすべて変えろ!

の大号令の元、日本の電機メーカーを圧倒したサムスンの奇跡の成功をどう説明するのだ?これも、不毛の精神論?話を「頭の固い軍人」にもどそう。世に流布された常識によると、海軍より、陸軍の方が「精神論」指数が高いことになっている。不毛の「バンザイ突撃」はその象徴というわけだ。

だが、「陸軍=精神論」を否定する証拠もある。陸軍大将、山下泰文の遺言である。山下大将は、大平洋戦争の緒戦でシンガポールを攻略し、「マレーの虎」の異名をとった。兵を小出しにせず、戦力を集中投下する王道をいく名将だった。しかし、1944年、フィリピン方面軍最高司令官に任命され、そのまま終戦をむかえる。そして、戦犯として死刑判決をうけ、マニラで処刑されたのである。その直前に、口述した遺言が残っている。

「予はフィリピン方面陸軍最高司令官として、隷下各部隊を指揮統率せり」

に始まり、第1に義務の履行、第2に科学教育の振興、第3に女子の教育について述べている。ただし、「女子の教育」は処刑の時間が来て、口述が間に合わなかった。この中で、注目すべきは、「科学教育の振興」について。以下、その要約である。

現代の日本の科学水準は、ごく一部を除いて世界の水準に極めて遠い。日本人全体が非科学的な生活で合理性を持たない排他的な日本精神で真理を探究しようとした。優勢な米軍を食い止めるに、我々は百万金でもあがなえない国民の肉体を弾丸にした。資材と科学の貧困を人間の肉体で補う前古未曾有の過失を犯したのである。この一事を以てしても、我々職業軍人は罪万死に値する。太平洋戦争を指導した軍人の言葉とは思えない・・・

そう感じたとしたら、我々の軍人に対する先入観は深刻だ。山下大将が例外というわけではないから。硫黄島の戦いでバンザイ突撃を禁じ、善戦した栗林忠道中将もその1人だろう。もちろん、その真逆の軍人が多かったことも事実だが。ただ、一般論として、国の存亡がかかれば、国の指導者たちは、限られた資源と時間で、決断・実行しなければならない。ときには、無茶な精神論も必要だろう。だから、重箱をつつけば、どんな聖人君主でも「悪」になりうる。指導者は結果責任はまぬがれないが、60年も経てば、生身の人間としての評価をしても良いのではないだろうか。

将官ともなれば、いざという時の覚悟はできているだろう。だが、若い軍人ならそうはいかない。追い詰められれば、天下国家より、おのれの人生に目が向く。山下大将とおなじく、シンガポールで戦犯として処刑された28歳の将校の遺言がのこっている。

吸う一息の息、吐く一息の息、食う一匙(さじ)の飯、これら一つ一つすべてが今の私にとっては現世への触感である。昨日は一人、今日は二人と絞首台の露と消えてゆく。やがて数日のうちには私へのお呼びもかかってくるのであろう。それまでは何の自覚もなくやってきたこれらの事が味わえば味わうほどこのようにも痛切なる味をもっているものであるかと驚くばかりである。泣きたくなることがある。しかし、涙さえ今の私には出る余裕はない。極限まで押しつめられた人間には何の立腹も悲観も涙もない。ただ与えられた瞬間瞬間をありがたく、それがあるがままに享受していくのである。~木村久夫~(※1)

将校としての職務、その延長上の行為で、ここまで追い詰められる。戦争とはなんと残酷な世界なのだろう。一方、真意は不明だが、真逆の言葉をのこした軍人もいる。太平洋戦争中、最初の神風特別攻撃隊の隊長として戦死した関行男大尉である。彼は、特攻を命じられた後、記者にこう語っている。

日本もおしまいだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて。ぼくなら体当たりせずとも敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。ぼくは天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(妻を意味する隠語)のために行くんだ。命令とあらばやむをえまい。日本が敗けたら、KAがアメ公に強姦されるかもしれない。ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだすばらしいだろう

粋な漢(オトコ)だ。

■宇宙編

宇宙開発の歴史は、V2ロケットに始まる。V2ロケットは、第二次世界大戦中、ナチスドイツが開発した弾道ミサイルで、10年未来をいく超ハイテク兵器だった。プロペラ飛行機が地上数kmをはい回っていた時代に、成層圏を突き抜けて、高度90kmに達したのだから。第二次世界大戦が終わると、V2ロケットを開発したフォン・ブラウンらは、アメリカに亡命した。戦争で荒廃したドイツにいても、大好きなロケット開発ができないから。これに飛びついたのがアメリカだった。

やがて、NASAが設立され、フォン・ブラウンらはアメリカの宇宙開発に組み込まれていく。1969年、フォン・ブラウンを中心とするマーシャル宇宙飛行センターは、強力なサターンV型ロケットを完成させる。そして、1969年7月16日、アポロ11号を乗せたサターンV型ロケットはケネディ宇宙センターから発射された。その4日後の7月20日、人類はついに月に降り立った。それ以降、NASAは、数回にわたり、人間を月に送り込んだ。

ところが、その異世界で、不思議な体験をした宇宙飛行士たちがいた。作家の立花隆は著書「宇宙からの帰還(※2)」の中で、次のようなエピソードを紹介している。アポロ9号の宇宙飛行士だったラッセル・シュワイカートは、あるテレビ番組で、バックミンスター・フラーと対談した。フラーは、欧米では現代のレオナル・ド・ダヴィンチと畏敬される知的巨人である。シュワイカートは番組の中で、自分の宇宙体験を語りながら、何度も上とか下とかという表現を使った。すると、フラーは宇宙には上も下もないといって、対談中に、即興の詩をサラサラと走り書きにし、それを番組が終わった後で、シュワイカートに渡したという。

Environment to each must be ”All thatis, excepting me.”(めいめいにとっての環境とは、”私を除く”すべての存在に違いない)

Universe in turn must be ”All that is in cluding me.”(一方、宇宙とは、”私を含む”すべての存在に違いない)

The only difference between environment and universe is me…(環境と宇宙の唯一の違いは、”私”・・・)

The obserber, doer, thinker, lover, enjoyer.(見る、為す、考える、愛する、楽しむ、”私”である)

この詩を何度も読み返して、シュワイカートは目を開かれた思いがしたという。

「宇宙からの帰還」には、さらに興味深いエピソードものっている。アポロ15号の宇宙飛行士ジムアーウィンは、月面で3日間にわたって探検し、175ポンドの岩石を持ち帰った。そのとき、霊的な経験をしたという。スーパークレーターのところまで行って車を止めた。そして辺りを見回したときに、すぐにこの石が目に入った。そしてこの石はどの石とも違っていた。まるで、私はここにいます。さあ、取ってくださいと、その石が我々に語りかけているように見えた・・・私には、その石がそこにそうしてあったこと自体が神の啓示と思われた

さらに、アーウィンは、宇宙で、月で、神がすぐそこに臨在していることを実感したという(「振り向けば、すぐそこにいるのではないかと思われるくらい、神は近くにいた」という)。アーウィンは、月から帰ると洗礼を受け直し、残りの人生を神に捧げることを誓ったという。そんなアーウィンの体験をそのまま再現したような詩がある。ジョンギリスピーマックギーというカナダ空軍のパイロットが書いた詩だ(第二次世界大戦で戦死)。空を飛ぶ喜びをつづったもので、最後は次のように結ばれている。

And, while with silent, lifting mind(そして、静かな高揚した心をもって)

I’ve trod The high untrespassed sanctity of space,(前人未踏の高見の宇宙の聖域に足を踏み入れたとき)

Put out my hand and touched the face of God.(私は、手をさしのべて、神の顔に触れる)

この無名のパイロットも、アーウィンと同じような体験をしたのだろう。人間は、生と死のはざまで、秘密のセンサーが起動するのかもしれない。神は実在するか否か、それ以前に、そんな問いが妥当なのかどうかもわからない。しかし、一部の科学者が主張するように、「宇宙は神の一撃で始まった」とすれば、人間の認知を超えたところで、「宇宙を創造した主体=創造主(神とは限らない)」が存在する可能性も否定できない。

宇宙飛行たちは、そんな異世界からメッセージを受け取ったのかもしれない。それが真実か、錯覚かはさておき。

《つづく》

参考文献:
※1:「別れの名文句愛と死の鎮魂歌」編著・赤塚行雄KKベストセラーズ※2:「宇宙からの帰還」立花隆著(中公文庫)

by R.B

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