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週刊スモールトーク (第166話) 2012年人類滅亡説(1)~太陰暦と太陽暦~

カテゴリ : 歴史終末

2012.02.05

2012年人類滅亡説(1)~太陰暦と太陽暦~

■ノストラダムスの大予言

マヤの予言によれば、

2012年12月21日人類は滅亡する

もし、本当なら大変だ。あと1年もない。勉強、仕事?ご冗談でしょ!腹をくくって、遊びまくるか、それとも、ノアの方舟を作るか?でも、地球丸ごと大破壊なら、ロケットで地球を脱出するしかない。そんなロケットをどうやって作るか、どこへ行くかの問題はあるが。

でも、たしか・・・40年前も、似たような話があった。「ノストラダムスの大予言」である。16世紀のフランス、ノストラダムスの予言集というのがあって、ヨハネの黙示録なみに抽象的なのだが、それをいいことに、テキトーに解釈し、「1999年7月に恐怖の大王が降臨し、人類は滅亡する」と言い切ったものだから、世は大騒ぎになった。これが、五島勉の「ノストラダムスの大予言」である。ところが・・・1999年8月1日になっても、何も起こらなかった(交通事故や火事はあったと思う)。

とはいえ、「人騒がせな詐欺」と切り捨てるわけにもいかない。「ノストラダムスの大予言」は3ヶ月で100万部を突破したし、「これが最後」を惜しげもなく連発し、最終的には10巻までいったのだから。著者の五島勉は大儲けしたし、読者も世紀末のハラハラドキドキを堪能できた。しかも、最終的に人類は滅亡しなかったわけで、みんなハッピーだったのだ!これこそ、究極のエンターテインメント。だから、詐欺なんてとんでもない(たぶん)。

では、今回のマヤの予言は?「ノストラダムスの予言」なみに盛り上げるには、まず、疑い深い「科学派」と、信じることから始める「宗教派」が、ガチで論争する必要がある。でないと、世論に火はつかない。もっとも、盛り上がるだけ盛り上がって、最後に「人類滅亡」ではシャレにならない。では、今回の結末は?まぁ、そんなに結論を急ぐ必要もないだろう。あと1年で、答えは出るし、万一、「地球丸ごと大破壊」なら逃げも隠れもできない。今さらバタバタしても始まらないのだ。

ということで、マッタリ、話をすすめよう。

まずは、「マヤの予言」と「ノストラダムスの大予言」の違いから。前者は個人の霊感により、後者は「暦(こよみ)」によっている。つまり、ノストラダムスの大予言は”怪しい”占いで、マヤの予言は”真っ当な”サイエンス?とすれば、今回の予言は見込みがあるかもしれない。では、まず、暦(カレンダー)からみていこう。

■太陰暦

人間が、毛皮のパンツをはいて、歩き回っていた頃、暦などどうでもよかった。動物を狩ったり、植物の実を採ったりの生活に、「今日は何日か?」は必要ない。ところが、農耕が始まると、そうはいかなくなった。種まきや収穫の時期を知る必要があるからである。そこで、朝夜の周期を「日」とし、月の満ち欠けの周期を「月」とし、季節の周期を「年」とする暦が生まれた。いわゆるカレンダーである。

暦(こよみ)には、大きく、「太陰暦」と「太陽暦」がある。「太陰暦」は、月の満ち欠けの周期を1ヶ月とし、1年を12ヶ月とする暦法である。ちなみに、月の満ち欠けの周期は平均で29.53日。なぜ、平均かというと、月の軌道は複雑で、周期がばらつくからである。ただ、平均29.53日なら、29日の月と、30日の月を交互にくりかえせばいいので、運用するには都合がよい。

太陰暦の歴史は古い(たぶん最古)。アフリカで発見された3万7000年前のヒヒの骨には29個の印が刻まれていた。さらに、イギリスのストーンヘンジの外側のサークルは、29個の石柱と、ハーフサイズの石柱1本で構成されている。29.5?月の満ち欠けの周期ではないか!ただ、神秘主義者を喜ばす「オーパーツ(場違いのハイテク)」とまではいかない。月の満ち欠けと、朝と夜の区別ができて、30まで数えることができれば良いので。

ところが、太陰暦には問題がある。1年の日数だ。太陰暦は、1ヶ月が29.53日で、1年が12ヶ月なので、「1年=29.53日/月×12月=354日」1年354日?我々は、1年が365日(平年)と366日(うるう年)であることを知っている。これは、季節(春夏秋冬)の周期で、太陽年、または、回帰年とよばれる。正確には、1太陽年(1年)は365.2422日なので、4年に1度、うるう年を入れて、補正している。ところが、太陰暦の1年は354日で、11日少ない。10年で「10年×11日=110日」、4ヶ月もズレる。これでは、暦として使い物にならない。では、なぜ、ズレるのか?

ズレてあたりまえ。

そもそも、月と太陽の運行に因果関係はない。月が動いて、その結果をうけて、太陽が動く(本当は地球が太陽の周りを回っている)とか、そういうからみは一切ない。完全に独立して運行しているのである(お互いの引力は受けるが)。だから、月の満ち欠けの周期(月が地球の周りを回る)と、季節の周期(地球が太陽の周りを回る)は、ズレて当たり前なのである。そのカラクリを、別の視点からみてみよう。

■太陰太陽暦

季節の周期(太陽年)は365.2422日、月の満ち欠けの周期(月期)は29.53日。ここで、1太陽年を月期で割ってみよう。もし、割り切れれば、季節の周期(太陽年)と、月の満ち欠けの周期(月期)は、シンクロ(同期)する。計算すると、1太陽年=365.2422日÷29.53日=12.3685月期ゼンゼン割り切れない。

というわけで、季節の周期(太陽年)と月の満ち欠けの周期(月期)はシンクロしない。そこで、期間を19年にのばすと、19太陽年=365.2422日×19=6939.6日これを月期(29.53日)で割ると、6939.6日÷29.53日=235.0017月期・・・①今度はほぼ割り切れる。つまり、19年に1度、「19太陽年=235月期」となり、地球の公転と、月の満ち欠けがシンクロする。

具体的には、新月が全く同じ月日に現れる(満月でも同じ)。この周期を、紀元前5世紀のギリシャの天文学者メトンにちなんで、「メトン周期」とよんでいる。ただし、この周期を最初に発見したはメトンではないらしい。紀元前1500年頃の中国の殷、紀元前2500年頃のイギリスのストーンヘンジですでに使用されていたからだ。

ここで、「メトン周期」の月数を計算してみよう。現在使われているグレゴリオ暦では、1太陽年(回帰年)は12ヶ月なので、メトン周期=12月/年×19年=228ヶ月一方、太陰暦は、①から235ヶ月。なので、その差は、235ヶ月-228ヶ月=7ヶ月つまり、19年の期間でみると、太陰暦の月数は、グレゴリオ暦より7ヶ月多い。

そこで、19年の間に7回だけ、太陰暦の1年を13ヶ月(普通は12ヶ月)にすれば、月数は一致する。この1ヶ月を「うるう月」と呼んでいる。また、うるう月の命名は、前月の月名の前に「うるう」をつける。たとえば、4月の次に挿入されるうるう月は「うるう4月」。この暦法を「太陰太陽暦」とよんでいる。太陰、太陽、どっちや?とツッコミが入りそうだが、一応、「広義の太陰暦」ということになっている。ということで、現在のグレゴリオ暦は「うるう年」で、太陰太陽暦は「うるう月」で、割り切れない端数を補正しているわけだ。

■メソポタミア文明の暦

つぎに、暦の歴史をみていこう。まずは、最古の都市文明メソポタミアから。紀元前3500年頃、メソポタミア南部でシュメール文明が興った。この文明も、最初は太陰暦が使われた。その後、紀元前3000年までに、1ヶ月が30日、1年が12ヶ月と定められた。

この暦法だと、1年=30日/月×12月=360日グレゴリオ暦より5日少ない。一応、季節の周期を狙っているが、シュメールの季節は「春・夏・秋・冬」ではなく、「雨季・乾季」の2つしかなかった。メソポタミア南部でシュメールが滅んで、バビロン第1王朝が興ると、再び太陰暦にもどった。前述したように、1年に11日不足する分は、うるう月で補正された。ただし、うるう月が挿入されるのは8年に3回だった(前述の太陰太陽暦は19年に7回)。その後、紀元前500年頃までには、うるう月が19年に7回の太陰太陽暦に改訂された。

■太陽暦

エジプトといえば太陽暦だが、最初に使われたのは大陰暦だった。古代ギリシャのヘロドトスによれば、「エジプトはナイルの賜物」この言葉どおり、古代エジプトの繁栄は「ナイル川の洪水」によっていた。毎年、同じ時期にナイル川が氾濫し、養分が大地に沈殿し、肥沃な土壌をつくる。ところが、この天の恵みを利用するには、洪水が起こる時期を正確に予測しなければならない。もちろん、素の太陰暦では誤差が大きく、季節は測れない。では、太陰暦の改良バージョン「太陰太陽暦」?

ノー、一気に「太陽暦」に進化したのである。太陽暦は、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)にもとづく暦法で、現在のグレゴリオ暦の始祖にあたる。では、なぜ、エジプトは他の文明に先がけて、太陽暦を発明できたのか?神官と恒星シリウスのおかげ・・・古代エジプトには、読み書きソロバンに長けた知的エリート「神官」がいた。彼らは、夜空にひときわ明るく輝くシリウスが、日の出直前に初めて見えた日から数日後に、ナイル川の洪水が始まることに気づいた。1年周期(季節の周期)の”端”を見つけたのである。端さえ見つければ、「1年365日」はカンタンにわかる。端と端の間の、日の出、または日没の数を数えればいいのだから。

エジプトの神官たちは、紀元前2500年頃までに、新しい暦「太陽暦」を制定した。1ヶ月を30日、1年を12ヶ月とし、最後に暦日とは関係のない5日(挿入日)を加えた。つまり、1年=30日/月×12ヶ月+5日=365日この暦は、エジプトでは神聖なものとして扱われ、民のみならず、歴代の王もこれに従った。ところが、「1太陽年=365.2422日」なので、1年に「0.2422日」の誤差が生じる。そこで、4年に1度をうるう年とし、「うるう日」を1日追加し、366日とした。神官は、この精度の高い暦を年中行事の管理に使った。ところが、民間では、紀元前239年まで、うるう年のない365日暦が使われたという。暦の改訂は神への冒涜とされたからである。

■ユリウス暦とグレゴリオ暦

エジプトの太陽暦を改良したのがユリウス暦である。紀元前46年、ローマ皇帝ユリウス・カエサルによって制定された。ユリウス暦は、1年を12ヶ月として、・1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月は「31日」。

・4月、6月、9月、11月は「30日」。

・2月は平年が「28日」、4年に1度のうるう年は「29日」。

ところが、それでも、1年に11秒遅れるので、16世紀には、積もり積もって、誤差は10日になった。そこで、1582年10月4日にユリウス暦を終了し、翌日を10月15日として、グレゴリオ暦が始まった。グレゴリオ暦は、基本、ユリウス暦と同じだが、うるう年の決め方が違う。精度を高めるためである。ユリウス暦では、平年は1年365日、4年に一度、うるう年(1年366日)が入る。

つまり、ユリウス暦の1年=365+1/4=365.25日・・・

ところが、1太陽年(実際の1年)は、365.2422日なので、ユリウス暦の誤差=365..25-365.2422=0.0078日128年に1日の誤差が生まれる(1÷0.0078=128.2)。これは、無視できない。一方、グレゴリオ暦では、400年に97回がうるう年。つまり、グレゴリオ暦の1年=365+97/400=365.2425(日)・・・

すると、グレゴリオ暦の誤差=365.2425-365.2422=0.0003約3000年に1日の誤差。これなら実用上問題はないだろう。それまで、人類が生存しているかどうかは別として。ここで、ユリウス暦とグレゴリオ暦のうるう年の違いを明確にしよう。②と③で青色で示した部分が、うるう年の部分である。

ユリウス暦のうるう年は、「1/4」なので、4年に一度がうるう年。一方、グレゴリオ暦は「97/400」なので、400年に97回うるう年となる。つまり、4年に一度がうる年だが、3回だけ例外的に平年になる。その3回とは?

・100年に一度(100で割り切れる)が平年(これで平年が4回)。

・ただし、400年に一度(400で割り切れる)はうるう年(これで平年は1回減って3回)

つまり、400年に97回がうるう年になる。最後に、グレゴリオ暦のうるう年の決め方を整理しよう。

1.4で割り切れる年は、うるう年。

2.ただし、100で割り切れるなら、平年。

3.ただし、400で割り切れるなら、うるう年。

4.それ以外は平年。

■マヤ暦

さて、いよいよ「マヤの暦」。冒頭の不吉な予言「2012年12月21日人類滅亡」は、マヤの暦によっている。暦で予言?暦に何がわかるのだ?たかが、月の満ち欠け、太陽の運行ではないか?

ところが・・・マヤの暦は、他の暦とは一線を画す。一言で言うと、複雑なのだ。たとえば、太陽・月にくわえ、「惑星」の運行までからんでいる。惑星も月も、楕円軌道を描くので、宇宙視点でみれば動きは相似、同じに見える。ところが、地球からの視点で見ると、惑星は複雑な動きをする。なぜか?地球は太陽を中心に回っている。そのため、地球から見ると、太陽が地球を回っているようにみえる。

一方、月は地球を中心に回っているので、そのまま、地球を回っているようにみえる。一方・・・太陽系の惑星(地球も含む)は、太陽を中心に回り、一周する周期も異なる。このように回転している惑星同士が相手を見れば、動きが複雑にみえるのは当然だ。ではなぜ、マヤ人はこんなメンドーな惑星運行を暦にからませたのか?残念ながら、納得できる答えはでていない。マヤ暦の特異性はまだある。グレゴリオ暦は、宇宙の誕生から最期の日まで、年・月・日の3つのパラメータで特定できるが、マヤ暦はそれができない。

マヤ文明には、「歴史は繰り返す」という概念があり、異なる周期をもつ複数の暦が存在する。しかも、これらの暦は互いにシンクロ(同期)しない。また、うるう年がないので、季節の周期とも一致しない。つまり、マヤ暦は、複数の暦がバラバラに進行し、季節とのつながりもない。一体、何のための暦なのだ?おそらく、宗教、儀式、運命のため・・・であれば、「暦の周期の終わり=人類滅亡」もありうる?

たしかに、マヤの歴史や神話には、「世界滅亡」への畏れと執着が強く感じられる。神秘主義者が、マヤ暦を賞賛してやまない理由がここにある。ところが、フルスペックのマヤ暦は、文明のピークを過ぎた後古典期(900~1521年)以降、使われなくなる。マヤ文明を継承したトルテカ文明やアステカ文明では、マヤ暦の一部しか使われていないのだ。複雑すぎて扱えなくなったのか、宗教・儀式・運命を測る必要がなくなったのか?

真相はわからない。マヤは謎の多い文明だ。精緻で複雑な暦、それにからむ不吉な「生贄(いけにえ)の儀式」。しかも、行きつくところは「世界の終り」。つまり、社会全体が、「滅び」を前提としているのだ。地球上の生物は多種多様、そして、地球の文明も多様性に満ちている。

《つづく》

参考文献:
「古代マヤの暦」ジェフ・ストレイ著駒田曜訳創元社

by R.B

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