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週刊スモールトーク (第15話) 小泉純一郎と信長とヒトラー

カテゴリ : 人物

2005.09.25

小泉純一郎と信長とヒトラー

■歴史的大勝利

2005年9月11日の衆院選挙は、小泉首相率いる自民党の歴史的大勝利となった。

公明党とあわせ全議席の2/3を獲得、政治的独占といっていい。選挙戦もかつてないほどの盛り上がりを見せた。街頭演説では1万人もの群衆がつめかけ、まだ”熱かった”昭和40年代を彷彿させた。アメリカ大統領選の”お祭り騒ぎ”は日本人にとっては理解しがたいが、それが日本でも起きたのである。投票率も前回を大きく上まわり、選挙そのものが”熱かった”。冷めた日本人にこれだけのエネルギーが残っていたのだ。閉塞感で窒息しそうだった民衆は、これで日本が変わるかもしれない、と期待した。

自民党のリーダー、小泉純一郎は、「自民党をぶっ壊す」と公言する珍しい政治家だった。従来の慣習をやぶり、派閥のリーダーたちに相談することなく、独断専行。そのため、独裁者ヒトラーとまで言われた。さすがにヒトラーでは気が引けたのか、最近では織田信長ということになっている。

会社の研修会に参加すると、これからのリーダーは「調整力」ではなく「リーダーシップ」と諭(さと)される。ところが、実行した途端、小泉純一郎のように独裁者よばわりされるわけだ。まぁ、この手の研修会はトレンドがあって、けっこういい加減。たとえば、10年前の研修会では、
「朝令暮改は現場を混乱させるからダメ」

※朝令暮改:朝、命令して、夕方に変更すること。

ところが、最近の研修会では、
「朝令暮改はドンドンやるべし。スピード第一!」
どっちや?ということで、リーダーは気が抜けない。

■ヒトラーとの類似

不名誉かもしれないが、小泉純一郎は信長よりヒトラーに学んでいるように思える。郵政民営化法案が参院で否決されると、他にも方法があるのに、解散という大勝負に出た。国会ではなく、国民に自分の信任を問うたのである。それを見た国民は「我らが大将」と大喜びで、小泉純一郎の株はさらに上がった。しかし、この手法は小泉純一郎のオリジナルではない。 70年前のドイツでも同じようなことが起こっている。主役はアドルフ ヒトラー。

1933年1月30日、ドイツのヒンデンブルク大統領は、嫌々ヒトラーを首相に任命した。ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は第一党にはなったが、まだ過半数に達していない。入閣者もまだ3人で、独占にはほど遠い状態だった。この時点で、旧勢力は、ヒトラーは自分たちに妥協し、最後はいいなりになるだろう、とタカをくくっていた。

ところが、旧勢力の甘い観測は吹き飛ぶ。ヒトラーは国会を解散し、国民に信任を問うたのである。選挙で負ければ、やっと手に入れた首相の座を失うかもしれない。ヒトラーがそこまでやるとは誰も思わなかった。ところが、ヒトラーは勝負に出て、それに勝ったのである。解散総選挙で勝利したヒトラーは、余勢をかって、議会を解散し、独裁を確立した。内政を固めたヒトラーは、次に意識を外に向ける。ユーラシア大陸の征服である。こうして、第二次世界大戦が始まった。

冷静に考えれば、日本やドイツのような大国で、首相まで上りつめるのは大変である。だからこそ、首相の座に執着する。1日でも長く首相でいられるよう、妥協もするし、悪魔とも手を結ぶ。首相になることが政治家の最終目標だからだ。政治の歴史年表はそんなイベントで埋めつくされている。ところが、小泉純一郎もヒトラーも、「首相の座」は目的達成の手段に過ぎなかった。目的は別の場所にあったのである。小泉純一郎は「己の美学」、ヒトラーは「ユーラシア大陸征服」であった。これは善し悪しでなく、自我のありようである。

2人は、選挙戦の戦い方も似ている。
大衆は中途半端なものや迫力のないものに対しては一切鈍感である
ヒトラーの言葉である。ヒトラーの演説は迫力満点で、シャガレ声でガンガン迫ってくる。だが注意深く聞いていると、ただまくしたてているわけではない。区切りが良く、言葉に響きがあって、分かりやすい。焦点をしぼって、象徴的なフレーズで、何度も同じ事を繰り返している。小泉純一郎の演説も、郵政民営化1本にしぼり、他の問題もすべてこの一点に帰着させた。これは見事だ。演説の間の取り方もいいし、内容のわりに説得力がある。1万人の聴衆の前で、彼は異様なオーラに包まれていた。これをカリスマというのだろう。

小泉純一郎は、民意が自分にあることを見抜いていた。つまり、国民が自分に熱狂していることを知っていたのだ。ここで、ヒトラーの言葉をもう一つ、
狂信的になった大衆だけを操作できる
国民が狂信的になったのは、小泉純一郎の覚悟を見抜いたからである。いかに民意を得ようと、選挙に負けたらおしまい。小泉純一郎の解散総選挙は、どうみてもバクチだった。万馬券(首相の座)を当てた後、もう1回バクチをうつバカはいない。解散などせず、民営化失敗を参議院になすりつければ、首相に居座れるし、それなりの美学も保てる。ところが、小泉純一郎は、ベターを捨てベストに賭けた。こういう腹のくくり方は、明治維新の政治家に似ている。国民はそれを見抜いたのだろう。

一方、今回の選挙には、「大衆迎合政治」の臭いがした。つまり、大衆の望んでいることを察知し、それに迎合することで政権を維持するのである(じつは、ヒトラーもこれ)。小泉純一郎は、山積した重要な問題をさておき、郵政民営化1本にしぼり、国民を熱狂させ、政治的独占を目論んだ。これは、70年前のドイツのヒトラー政権に酷似している。もっとも、ヒトラーの公約のほうがまだ理にかなっている。公約のほとんどが、ドイツ国民にとって恩恵(目先の)があったからである。だから、郵政民営化とは次元が違う。

それにしても不思議だ。こんな手法が冷めた日本で通用したのだから。小泉純一郎の資質はさておき、この人の背負った運命(ほし)の大きさには驚かされる。国民のみならず歴史もまた小泉純一郎こ味方したのである。あの時の小泉純一郎は、間違いなく、日本の真ん中に立っていた。

■織田信長との類似

今回、小泉純一郎の信長に似た”冷酷さ”も話題になった。郵政民営化に反対した議員を、自民党から事実上解雇したからである。1つの案件で反対しただけなのに、解雇するのはおかしい、という意見もあった。組織は同じ志を持つ者の集まりだが、意見がすべて一致するとは限らない。だから、一つの問題で対立したからといって、組織を追い出すのは確かに”冷酷”?

とはいえ、反対側にも問題はあった。議論百出はいいとして、一旦決まったら、組織の決定に従うのがルール。最終決定に従わないなら、出て行くべきだ。これは組織の常識。そして、党もまた組織なのである。民主主義を標榜しながら、自分の少数意見が通らないからと、暴君よばわりするのは、いかがなものか。

小泉純一郎は、残された任期を全うして、キッパリ辞めると公言している。長く居座って、新たな手柄を立てることに興味はなさそうだ。変動する今の瞬間を楽しんでいるようで、永続性にも究極性にも関心が無いように見える。ここで、ヒトラーの言葉をもう一つ、
永続性も究極性も存在しない。あるのは変動のみ
やはり、小泉純一郎はヒトラー?

ただ、小泉純一郎とヒトラーが似ているのは手法であって、目的ではない。小泉純一郎の目的は自分の美学、つまり、意識は内側に向いている。一方、ヒトラーの意識は外側に向いていた。つまり、ユーラシア大陸の征服。ということで、小泉純一郎とヒトラーの目的は質も量も違うのである。

■小泉純一郎の功績

今回ほど、国民が政治に関心をもった選挙はなかった。もちろん、そうあるべきなのだが。我々の文明で最も重要な部分は「政治」である。アフリカの内戦で、多くの民が命をおとすのも、政治が不安定だからである。政治の混乱は、技術や文化、そして良心さえ破壊する。

政治は世界の中心にあり、人間の念(おもい)がつくりだしている。ここが、科学や技術と違う点だ。だから、好むと好まざるにかかわらず、国民は政治に興味を持つべきである。そういう意味で、小泉純一郎の功績は大きかった。政治を日本の中心に置いたのだから。こんな面白い人物が首相になるなら、日本にもまだ未来はありそうだ。

by R.B

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