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週刊スモールトーク (第143話) 大洪水時代(2)~ギルガメシュ叙事詩~

カテゴリ : 歴史終末

2010.06.13

大洪水時代(2)~ギルガメシュ叙事詩~

■ノアの方舟伝説

はるか遠い昔、地球を丸呑みにする大洪水がおこり、1つの家族と動物1つがいづつが生きのびた。彼らは神の命に従い、舟を造り、難を逃れたのである。これが「ノアの方舟伝説」。

しかし・・・

ノアの方舟(旧約聖書・創世記)は、史料としては信用できない。同時代の目撃者によるいわゆる「一次資料」ではないからだ。後世、誰かが、何かを元に、編纂した可能性が高い。根拠は2つ。第1に、創世記は紀元前5世紀~紀元前10世紀に成立したが、その間に明らかな追記がある。第2に、創世記より古い資料の中に「ノアの方舟」そっくりの話が見つかっている。さては、パクリ?

まずは、追記の件。ノアの方舟が記された「創世記」は旧約聖書のモーセ五書の1つだが、複数のバージョンが存在する。たとえば、
1.ヤハウェ資料(J):紀元前8世紀~紀元前10世紀に編集
2.祭司資料(P):紀元前5世紀~紀元前6世紀に編集
上記の祭司資料(P)にはノアの方舟の”寸法”まで記されているが、より古いヤハウェ資料(J)には記されていない(※)。つまり、追記。

次に、パクリの件。メソポタミアで「ギルガメシュ叙事詩」が発見されたが、その第11番目の書版に「ノアの方舟」そっくりの記述がある。というか、ほぼまんま。こんなオリジナリティの高い、しかも、具体的な話が、別々に創作されたとは思えない。ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」が偶然、地球上で同時多発?まぁ、ありえない。

■ギルガメシュ

「ギルガメシュ」は言葉の響きがいいのか、ゲームやコミック、TV番組のタイトルにまで使い倒されている。エンターには欠かせないキャラだ。ところが、ギルガメシュは実在した可能性が高い。シュメールの都市シュルッパクから、「シュメール王名表」が出土しており、そこに「ギルガメシュ」の名があるからだ。この王名表によれば、大洪水の後、シュメールにウルク第1王朝が興り、その第5代王がギルガメシュだったという。

さらに、発見された他の資料からも、ギルガメシュの存在がうかがえる(※)。もっとも、シュメール王名表はうのみにはできない。大洪水が起こる前の王の在位期間が異常に長いからだ。具体的には、1万8000年~4万3000年!シュメール創設期の王たちは天から舞い降りたエイリアンだ、と騒ぐ人たちにスキを与える結果になっている。もっとも、ふつうは、王を神格化したと考えるべきだろうが。

ところが・・・

大洪水の後、王の在位期間はどんどん短くなっていく。たとえば、シュメール末期のウルク第4王朝では、王の在位期間は5~25年。大洪水の前と後で、王の寿命が3000倍も違う。どうせ神格化するなら、大洪水の前も後もないだろうに、なぜ?さては、地球を襲った謎の大洪水でエイリアン王が死に絶え、その後、人間王の時代が始まった?これならつじつまが合う。なんか、面白い映画ができそうだ。

それはさておき、ギルガメシュ王の冒険を描いたのが「ギルガメシュ叙事詩」だ。ところが、派手なゲームやコミックと違い、本家「ギルガメシュ叙事詩」は地味。

「我々はどこから来て、どこへ行くのか」

的にストイックで、哲学っぽいのだ。文学的だ、詩的だ、という評価もあり、否定するつもりはないが、とにかく「重い」。類似の古代ギリシャの「オデュッセイア」や、古代インドの「マハーバーラタ」と決定的に違うところだろう。

このギルガメシュ叙事詩の舞台となったのがシュメールだ。紀元前3500年頃、メソポタミアで興った地球最古の都市文明である。ここで、「都市」とことわりがつくのは、「村」ならもっと古いものがあるから。アナトリア高原で見つかった「チャタル・ヒュユク」だ。時代はなんと、紀元前8000年。灌漑農耕が行われ、小麦や大麦が栽培されていたという。この頃、古代エジプトでも農耕が始まったが、ナイル川の氾濫にまかせた天水農耕。人工的な灌漑農耕なら、たぶん、チャタル・ヒュユクが一番古い。

この文明には面白い特徴がある。ふつう、居住区というものは、家々が並び、その間を道路が通る。ところが、チャタル・ヒュユクには道が一本もない。ウソのような話だが本当だ。もちろん、理由はある。面積効率はいいし、防衛という点ではピカ一。では、どうやって、家々を行き来したのか?屋根が道路だったのである。古代人の知恵もなかなか侮りがたい。

話をギルガメシュ叙事詩にもどそう。今から100年前までは、
地球最古の洪水伝説=ノアの方舟
が通説だった。ところが、それをひっくり返したのが「ギルガメシュ叙事詩」。しかも、その発見にいたる歴史は、小説や映画ようにドラマチックだ。

■アッシリア学

1786年、フランス革命の3年前、フランスのミショーは、メソポタミアから不思議な石をもちかえった。石の表面には、見たこともない記号(くさび形文字)が彫られていたが、誰にも理解できなかった。その後、ヨーロッパでオリエント(東洋)ブームがおこり、フランス人やイギリス人がメソポタミアに押し寄せた。そして、地面を掘りまくり、発掘した遺物を本国へ持ち帰ったのである。

そんな盗掘まがいの発掘人の中に、イギリスのレヤードがいた。1849年、レヤードはアッシリア帝国の都ニネヴェで大発見をする。「アッシュールバニパル宮廷図書館」址から、2万枚を超える粘土板を発掘したのである。アッシュールバニパルは紀元前7世紀頃のアッシリアの王で、武勇と知性を兼ね備えた偉大な王であった。そんな王が建設したのが、先の宮廷図書館である。

レヤードが発掘した2万枚の粘土版はイギリスの大英博物館に運び込まれた。その後、粘土板の研究は進み、1860年までには、古代メソポタミアの「くさび形文字」はほぼ解読された。結果、生まれたのが「アッシリア学」である。研究対象は、古代オリエントの言語とそれを使用した文明圏。その後、ヨーロッパで、「アッシリア学」ブームが起こり、やがて、ギルガメシュ叙事詩第一の功労者が登場する。イギリスのラッサムだ。

■ジョージ・スミスの発見

1872年、ラッサムは、ニネヴェから歴史的な粘土板を発掘する。粘土板は、いつものように大英博物館に送られたが、それに異常な興味を示す人物がいた。遺物修復係のジョージ・スミスである。彼は、くさび形文字への執着があり、すぐに粘土板に夢中になった。そして、板面に驚くべき一文を発見する。
船がニシルの山にとまった・・・鳩を放したが、やがて戻ってきた
「ノアの方舟」のラストシーンそのまま。スミスはこの発見を公表、ヨーロッパ中が大騒ぎになった。キリスト教徒が信じるバイブル(旧約聖書)が、部分的とはいえ、パクリだった?

一躍有名になったジョージ・スミスは、資金をかき集め、一路、ニネヴェにむかった。みずからの手で発掘するためである。そして、1873年5月、奇跡のような発見をする。先の「ノアの方舟」そっくり書版で欠落していた部分、さらに、新たに、11枚の書版を掘り当てたのである。「ギルガメシュ叙事詩」発見の瞬間だった。

現在、ギルガメシュ叙事詩は、全体の55%が復元されているが、第11番目の書版に限れば、ほぼ完全に解読されている。そして、この第11書版こそが「シュメールの大洪水伝説なのである。

偉業を成し遂げたジョージ・スミスだったが、彼の「運」もそこまでだった。厳しい気候に命をそがれ、異国の地で死んだのである。だが、彼の努力は報われた。その後、翻訳がすすみ、1930年頃には、ギルガメシュ叙事詩は広く一般に読まれるようになったのである。

■ギルガメシュ叙事詩のバージョン

ここまでが、ギルガメシュ叙事詩発見の物語。ここで、問題提起、
「ギルガメシュ叙事詩は旧約聖書・創世記より古いか?」
ところが、これがけっこうややこしい。ギルガメシュ叙事詩には複数のバージョンがあり、さらに、同じバージョンでも複数の呼称があるからだ。

たとえば、ジョージ・スミスが発見したギルガメシュ叙事詩。ちまたでは「アッカド語版」、「アッシリア語版」、「ニネヴェ版」などの名で呼ばれている。前の2つは言語で、最後は地名で命名されている。一体、どんなバージョン管理をしているのだ?まぁ、人文科学の世界だし、コンピュータソフトのバージョン管理とはいかないだろうが、混乱の元。ということで、バージョンをスッキリさせよう。

ジョージ・スミスのギルガメシュ叙事詩は、発掘場所がニネヴェなので、「ニネベ版」。これは問題ナシ。また、ニネヴェはアッシリア帝国の都で、実際、アッシリア語で書かれている。なので、「アッシリア語版」もOK。つまり、
ニネヴェ版=アッシリア語版

だけど、なんで、「アッカド語版」?この問題を解くには、古代メソポタミアの歴史を知る必要がある。ということで歴史探索開始・・・5500年前にタイムスリップしよう。

■メソポタミアの歴史

【図.1】は紀元前3500年~紀元前1000年頃のメソポタミアの地名である。図かMesopotamiaMapらわかるように、メソポタミアは、北部のアッシリア、南部のバビロニアからなる。さらに、バビロニアの北部がアッカド、南部がシュメールである。そして、これらの地名は、そこを起源とする王朝名に一致する。つぎに、【図.1】を参照しながら、メソポタミアの歴史を時代順に見ていこう。

【シュメール・初期王朝の時代】

紀元前3500年頃、メソポタミア最南部で、シュメール文明が興った。この文明は、統一国家ではなく、複数の都市の集合体だった。後に興るインダス文明(モヘンジョダロ)や古代ギリシャと同じ。また、文明の担い手となったシュメール人は、どこから来て、どこへ行ったのか、まだ分かっていない。しかも、彼らが使ったシュメール語は、地球上のどの言語系統にも属さない。日本語同様、地球文明から孤立した言語なのだ。

紀元前2600年頃、ギルガメシュ王がウルクを統治する(シュメールから出土した王名表による)。

紀元前2500年頃、シュメール語の文字「くさび形文字」が成立する。絵文字から段階的に進化したと考えられている。

紀元前2350年頃、ウルク第3王朝のルガルザゲシ王が、シュメールの諸都市を統一する。これが、シュメールで最初で最後の統一王朝。一方、その頃、シュメール北方のアッカドで、新しい国が台頭していた。

【アッカド王国の時代】

紀元前2300年頃、アッカドのサルゴン王は、シュメールのルガルザゲシ王を破り、シュメールを併合した。これがアッカド王国である。領土は、【図.1】の「アッカド+シュメール=バビロニア」の部分。この王国を担ったアッカド人は、シュメール人とは異なる民族である。アッカド人は、シュメールの高度な文化や、くさび形文字を継承する一方、独自のアッカド語をあみだした。

その後、アッカド王国は、地中海やアナトリア半島(現トルコ)まで侵出し、広大な版図を築いた。結果、アッカド語はオリエント・地中海世界の共通語になったのである。ところが、アッカド王国の繁栄は長くは続かなかった。異民族の侵入が続き、紀元前2250年頃に大混乱におちいった。

シュメール諸都市は、このチャンスを見逃さなかった。アッカド王国に対し反旗を翻したのである。中でも有力だったがウルクのウトゥへガル王で、その配下にウルナンムという将軍がいた。ウルナンムは有能な軍人で、ウルの軍司令官の地位にあった。

【シュメール・ウル第3王朝の時代】

紀元前2200年頃、ウルの軍司令官ウルナンムは独立し、ウル第3王朝を創設した。ところが、この王朝も異民族の侵入を食い止めることはできなかった。紀元前2004年、隣接するイランのエラム王国がウルに侵攻、ここにシュメールは完全に滅亡した。それ以降、シュメール人もシュメール語も、歴史には一切登場しない。彼らは、どこから来て、どこへ行ったのだろう?

じつは、ギルガメシュ叙事詩には「シュメール語版・ギルガメシュ伝承」とよばれる原典がある。完全版にはほど遠いが、写本の断片が見つかっている。そして、この「ギルガメシュ伝承」を文学にまで高めたのが、ギルガメシュ叙事詩なのである。

問題は、この原典がいつ書かれたか?ピンポイントは難しいが、時代の範囲なら特定できる。まず、ギルガメシュ王の在位が紀元前2600年頃、そして、シュメールのくさび形文字が成立したのが紀元前2500年頃。なので、原典「シュメール語版・ギルガメシュ伝承」が成立したのは、紀元前2500年以降ということになる。

一方、シュメールがアッカド王国の支配下に入ったのは紀元前2300年頃。当然、その前に書かれていたはずだ。ということで、「シュメール語版・ギルガメシュ伝承」が成立したのは紀元前2500年~紀元前2300年だろう。つまり、原典に限れば、ギルガメシュ叙事詩は、旧約聖書・創世記よりはるかに古い。

つぎに、「ギルガメシュ叙事詩」本編。これまでに発見されたギルガメシュ叙事詩の最古のバージョンが「古バビロニア版」。もちろん、書かれたのはバビロニア王国時代だ。

【バビロニア王国の時代】

紀元前1900年頃、メソポタミア南部で、バビロン第一王朝が興った。これがバビロニア王国である。この王国は、1200年後に興る「新バビロニア」と区別するため、「古バビロニア」ともよばれている。先のギルガメシュ叙事詩「古バビロニア版」は、この時期に書かれたもの。ただし、使用された言語はアッカド語。バビロニア語じゃない?いや、バビロニア語でもある・・・

バビロニア王国は、シュメールとアッカドをのみこんで成立したが、この時代のオリエント・地中海の共通語は「アッカド語」だった。そのため、バビロニア王国は、アッカド語をそのまま自国語としたのである。つまり、

バビロニア語=アッカド語

つぎに、ギルガメシュ叙事詩「古バビロニア版」はいつ書かれたのか?もし、旧約聖書・創世記より古ければ、原典のみならず、本編も、ギルガメシュ叙事詩の勝ち?

バビロニア王国が興ったのは紀元前1900年頃、そして、アッシリア帝国の支配下に入るのが紀元前1400年頃。であれば、ギルガメシュ叙事詩「古バビロニア版」の成立時期は紀元前1900年~紀元前1400年。つまり、原典のみならず、本編も、ギルガメシュ叙事詩は旧約聖書・創世記より古い。

【アッシリア帝国の時代】

紀元前1400年頃、バビロニアの北方にアッシリアが台頭し、紀元前700年頃には全オリエントを征服した。これがアッシリア帝国である。つづく、紀元前668年、先のアッシュールバニパル王の統治が始まる。このインテリ王が建設したのが、先のニネヴェの宮廷図書館。そして、そこから出土したのが、ジョージ・スミスのギルガメシュ叙事詩だ。

ここで、歴史探索の原点にもどろう。
「ジョージ・スミスのギルガメシュ叙事詩=ニネヴェ版=アッシリア語版」
は問題ナシ。

でもなんで、「アッカド語版」もOK?

アッシリア帝国は、初めてメソポタミア全土を統一した帝国である(【図.1】)。ために、アッカド王国とバビロニア王国の文化をのみこんだ。一方、アッカド王国成立以降、アッカド語はオリエント・地中海世界の共通語となった。そんな経緯で、バビロニア語とアッシリア語は、アッカド語を共通の祖先とし、方言の差しかないのである。スペイン語とポルトガル語みたいなもの。つまり、

アッカド語=バビロニア語≒アッシリア語

■歴史初のベストセラー

ということで、ジョージ・スミスが発見したギルガメシュ叙事詩のバージョンは、

1.発掘場所なら「ニネベ版」

2.直接言語なら「アッシリア語版」

3.元祖言語なら「アッカド語版」

さらに、現代の翻訳版のスタンダードなので「標準版」ともよばれることもある。なんと、ややこしい。そこで、混乱をさけるために、ジョージ・スミス版を「ニネベ版」で統一することにする。

ところで、「ニネヴェ版」はいつ成立したのか?ニネヴェ版を記したアッシリアが自国の「アッシリア語」で記録を量産するのは紀元前1300年以降。とすれば、成立時期は、早くて紀元前1300年頃だ。

また、アッシリアが、新バビロニア&メディア連合軍に首都ニネヴェを占領されたのは紀元前612年。なので、それ以前に書かれていなければならない。よって、「ニネヴェ版」の成立時期は紀元前1300年~紀元前612年。ちょうど、旧約聖書・創世記の成立時期と同じだ。

ということで、創世記のノアの方舟が、ギルガメシュ叙事詩をパクった(編纂?)ことは間違いないだろう。ところで、創世記を編纂したユダヤ人は、どうやってギルガメシュ叙事詩を知り得たのか?ユダヤ王国は、紀元前597年に新バビロニアに滅ぼされたが、その時、一部のユダヤ人は新バビロニアに連行された。有名な「バビロン捕囚」である。

その後、ユダヤ人は、開放されるまでの60年間、新バビロニアで過ごした。その間、彼らがギルガメシュ叙事詩「古バビロニア版」あるいは「ニネヴェ版」に接した可能性は十分ある。実際、ユダヤ人は、新バビロニア滅亡とともに開放され、祖国に帰還した後、旧約聖書とユダヤ教を確立している。

ここで、ギルガメシュ叙事詩を総括しよう。紀元前3000年~紀元前2600年頃、古代シュメールで大洪水が起こり、後に、ギルガメシュ王が統治した。このギルガメシュを讃えたのがシュメールの「ギルガメシュ伝承」である。アッカド人は、この原典を巧みにアレンジし、詩人リルケが絶賛するほどの叙事詩を創りあげた。これが「ギルガメシュ叙事詩」である。

まだTVもケータイもなかった時代、この壮大で格調高い文学作品は、オリエント世界の様々の言語に翻訳された。そして、史上初の国際的ベストセラーとなったのである。それは、世界の中心が西洋ではなく、まだオリエントにあった頃の話。

さて、すべて状況証拠とはいえ、

「ギルガメシュ叙事詩は創世記より古い」

ことは確か。あとは、内容が、

ギルガメシュ叙事詩の洪水伝説≒ノアの方舟

なら、ノアの方舟のパクリ?は証明される。ということで、次にギルガメシュ叙事詩の内容を精査することにしよう。

《つづく》

参考文献:
(※)「ギルガメシュ叙事詩(ちくま学芸文庫)」矢島文夫著/筑摩書房

by R.B

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