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週刊スモールトーク (第139話) アイパッド・iPadⅠ~未来のデジタル生活~

カテゴリ : 社会科学

2010.02.28

アイパッド・iPadⅠ~未来のデジタル生活~

■DSフォーン

2010年1月27日、後世、歴史的な日になるだろうこの日に、米国アップル社は「iPad(アイパッド)」を発表した。かねてより噂されていたタブレットPCである(正確にはタッチパネルPC)。ちょっと見には、スマートフォンとノートパソコンのすき間を埋めるだけのデバイスにも見える。

さっそく、任天堂のトップは、iPadをこう皮肉った。
iPod touchが大きくなっただけ
「iPod touch(アイポッド タッチ)」とは、アップル社のスマートフォン「iPhone(アイフォーン)」から通話機能を省いた情報端末のことである。一見、的を射た指摘にもみえるが、
「携帯電話?公衆電話が小さくなっただけ」
と言っているようなもの。サイズが違っただけで、まったく新しい価値が生まれることを忘れている。

任天堂のやっかみにもみえるが、本質が見えていない可能性もある。なぜなら、iPadは次世代の「デジタル生活」の中核になるかもしれないから。いずれにせよ、任天堂がアップル社に警戒心を抱いているのは確かだ。すでに、テレビゲームの主流はモバイルゲームにシフトしており、その世界で、iPod touch(iPhone)が任天堂DSを脅かしているからだ。

現在、DSのソフトは、任天堂製以外ほとんど売れていない。そのため、自社ブランドを捨てて、任天堂に企画を持ち込むパブリッシャーまでいる。いわんや、中小の開発会社は悲惨だ。消去法で、7号業界(パチンコ・パチスロ)に賭けるか、iPhone(iPod touch)でお茶をにごすか、現場ではこんなボヤキが聞こえてくる。

だが、どっちに転んでも勝ち目は薄い。7号業界は、演出や絵に独特の文法があり、1年や2年でマスターするのはムリ。一方、iPhone(iPod touch)は、すでに粗製濫造(そせいらんぞう)の世界だ。コンテンツを供給するApp Storeには、17万タイトルものアプリケーションがひしめきあう。しかも、その25%が無料で、80%が3ドル以下。3万本売っても、売り上げ800万円!個人ならいざ知らず、会社の事業としては成り立たない

もし、このまま、DSの寡占化(かせんか)が進めば、ソフトの多様性は失われ、ユーザーはDSへの興味を失うだろう。その先にあるのはDS市場の崩壊だ。任天堂は、DS2を開発中といわれるが、モバイルゲーム市場で生き残るには、通話機能を組み込むしかない。今後、ゲーム産業は縮小し、専用機(ゲーム機)を維持できなくなり、コミュニケーション端末に便乗するしかないからだ。つまり、DSフォーン。とはいえ、時間はほとんど残されていない。すでに、アップル社がiPhoneで成功しているから。

■ゲームの未来

では、今後、ゲーム業界はどうなっていくのだろう。テレビゲーム機の主戦場は、据え置き型(Wii・PS・XBox)から、モバイル(DSやPSP)に移っている。もはや、据え置き型のとりえは美麗なグラフィックしかない。スクエニの「ファイナルファンタジーXIII」は、そんな暗い未来を暗示している。

あんなグラフィックを出してしまえば、もう後戻りはできない。人間の目はすぐに慣れるからだ。ファイナルファンタジーXIIIは、1本道のつまらない筋書きに、美麗だけがとりえのムービーを貼り付け、ミニゲームでお茶をにごす ・・・ まるで、できの悪いCG映画じゃないか!

以前、任天堂の開発部門のリーダーから、こんな説教をされたことがある。
顧客満足度とはユーザーの期待と現実とのギャップなんです。それが大きいほど、顧客満足度は低くなるんですよ」
そんなことは分かってる。任天堂みたいにヒトもカネをかけられないから、みんな苦しんでるんだぞ!ところで、ファイナルファンタジーXIIIは?

期待と現実のギャップが大きいのは、ネットの評価を見れば明らか。一方、映画並みに開発費がかかっている。カネの効果がそのままでるのがCGだが、結果、すさまじいCGインフレだ。カネにあかせた力技と言うか、芸がなというか ・・・

もっとも、カネをかければ売れるというものでもない。絵の美麗さとゲームの面白さは関係ないから。とはいえ、限度を超えてケチると、ゲーム性を直撃し、結果はもっと悲惨になる。ということで、ファイナルファンタジーXIIIは、過去の名声とCG愛好家に支えられている

もちろん、スクエニといえども、他のタイトルでこれをやれば大ヤケドだ。もはや、メーカー名で売れる時代ではなくなっている。「一攫千金(いっかくせんきん)」どころか「千攫一金」、まさにハイリスク・ローリターン。これが、据え置き型ゲーム機の現状、そして、来るべき未来だ。

では、モバイルゲーム機はどうか?DSやPSPは、そもそもハードが非力なので、グラフィックに凝ろうにも凝りようがない。そこで、ゲーム本来の面白さを追求する、と言いたいところだが、そうはなっていない。非力なハードにかまけて、グラフィックもストーリーも手抜き?そこに割り込んできたのが、iPhone(iPod touch)だ。

iPhone(iPod touch)のソフトは、思いっきり、ヒマつぶし的なのだが、それが集中力が低下した現代人の、
「短時間で気軽に楽しむ」
にマッチしている。しかも、ほとんどが300円以下、DSより1桁安い。結果、中途半端に作り込んだDSのゲームは、ますます売れなくなった。さらに、
モバイルゲームはDSからiPhone(iPod touch)にシフトする
という不吉な予言もある。任天堂がナーバスになるわけだ。

じつは、DSにはもう一つハンディがある。ソフトの供給方法だ。DSはROMだが、主流はすでにネット配信。ROMは、ネット配信にくらべ高くつくし、バグの修正やデータの更新もできない。とはいえ、任天堂の利益の源泉は、ソフトベンダーから徴収するROMの製造費にある。つまり、任天堂がネット配信に切り替えた瞬間、濡れ手に粟のビジネスモデルは瓦解(がかい)する。

ということで ・・・

おいしそうなアメがつまったツボに手を突っ込み、アメを握りしめたところ、手が抜けなくなった。アメを離せば、手は抜けるのだが、それでは、何のために手を突っ込んだかわからない ・・・ さて、どうしたものか?任天堂も頭の痛いところだ。

■混合から融合へ

どうみても、ゲーム業界は、据え置きもモバイルも四面楚歌。では、テレビゲームは消えてなくなる?そんなことはない。これまでのように、娯楽の中心ではなくなるだけだ。ただし、ハード(ゲーム機)は別。今後は、
「プレステ → プレステ2 → プレステ3」
のように、一定のサイクルで新機種が開発されることはなくなるだろう。

大金を投じて新型ゲーム機を開発しても、ソフト会社は技術についてこれなくなっている。結果、タイトル数は減り、ハードが売れなくなり、さらにタイトルが減り ・・・ という負のスパイラルに。そうなれば、ライトなゲームは、普及台数の多い携帯電話、スマートフォンに流れ、3Dを駆使するヘビーなゲームはパソコンに回帰するかもしれない。

そして、娯楽そのものも新しい時代に入る。1983年にファミコンが登場し、オモチャ屋さんが一変した。色とりどり、ドキドキするような仕掛けのオモチャが売れなくなり、遊びはゲーム一色になった。その後、
「遊び=テレビゲーム」
という寒々しいモノカルチャーの時代に。ところが、2005年頃から、ゲーム業界に閉塞感が出始め、2007年にはピークをうった。ネタ切れもあるが、娯楽が多様化したことが大きい。

電車の中を見るとわかりやすい。昔は読書、その後DS、今は携帯電話。日本人はいつでもどこでも電話中。それほど、人間はコミュニケーションに飢えている。人とつながっていないと、不安になるのだ。携帯電話の普及によって、娯楽の中心が、テレビゲームからコミュニケーション(通話・メール)に移っているのは確かだ。

じつは、テレビゲームもコミュニケーションの一つなのだが、しょせん、相手はコンピュータ。ちょっとプレイするだけで、相手の反応が予測できるようになる。ゲームに飽きるのはそのためだ。一方、生身の人間相手なら予測は難しい。そのため、新鮮で、なかなか飽きない。人間相手のコミュニケーションが、コンピュータ相手のゲームに優るのは明らかだ。

今後、コミュニケーションはさらに多様化し、娯楽の中心にのしあがり、従来型のゲームは廃れるだろう。その兆候もある。オンラインゲームが普及し、ネット上には、ブログ(意見)、チャット(おしゃべり)、ツイッター(つぶやき)など、新しいコミュニケーションの形態が続々と生まれている。

人間は遊ぶ動物、である。だからこそ、様々の遊びを生み出してきた。音楽、演劇、映画、テレビ、読書、他愛もないおしゃべり ・・・ ところが今、情報端末の驚異的な進化によって、新しいライフスタイルが生まれようとしている。新・デジタル生活だ。

これまでは、音楽を聴くにはオーディオ、映像ならテレビ、小説や漫画は紙媒体、コミュニケーションは電話、という具合に「遊び」ごとに異なる道具が必要だった。そのため、それぞれの「遊び」は独立、孤立していたのである。ところが、携帯電話は、本来のコミュニケーションにくわえ、音楽、映像、ゲーム、小説、漫画までとりこもうとしている。

携帯電話が目指しているのは、あれこもこれも詰め込んだ「遊びの混合」。だが、異質の「遊び」を思考の中断なく、シームレスに楽しめるようになれば、「遊びの融合」がおこるかもしれない ・・・ だから?

水素と酸素は、見ることも触れることもできないが、融合(化学反応)すると「水」になる。無色透明で美しく、触れると心地よい、生命の源泉だ。ここで注目すべきは、「融合」によって、別のものが生じること。

遊びもしかり。複数の異質な「遊び」をシームレスに楽しんでいるうちに、「遊びの混合」から「遊びの融合」に次元変移し、新しい価値が生まれる。人間の精神や知性を拡大させる「知の革命」、新しい「デジタル生活」。そんな未来を予感させた体験を紹介しよう。

■新・デジタル生活

金沢から東京へ行く方法は2つある。危険な空の旅と、退屈な列車の旅だ。一長一短あるが、時間を有効利用できるのは列車の旅。特急と新幹線を乗り継いで4時間ちょっと。退屈にもみえるが、できることが限られるので、そのぶん集中しやすい。そこで、最近はノートパソコンを利用している。たとえば、前回の出張では ・・・

撮りためた映像ライブラリーの中から、フランシス コッポラ監督の映画「ドラキュラ」を観る。冒頭いきなり、歴史の話 ・・・ さては、史実に忠実なドラキュラ?ドラキュラのモデルは、実在したワラキア公ヴラド・ツェペシュと言われるので、そこにこだわっているのかもしれない。さらに、映画の中盤に、ドラキュラをさして「不完全な死」というセリフがある。一度死んだものの、完全な死を迎えたわけではなく、人の生き血を吸って半生半死 ・・・ それゆえ、不完全な死。いい脚本だ。「史実ドラキュラ」に興味がわいたので、インターネットで検索する ・・・

原作は、アイルランドの作家ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」。ドラキュラはルーマニア語で「ドラゴンの子供」という意味らしい。ドラゴン(龍)は、ヨーロッパでは「不死身でおバカな悪者」という役回りなので、つじつまが合う。さらに、小説執筆時の題名は「不完全な死」? 映画のセリフと同じだ!さすが史実に忠実なドラキュラ、思わぬ発見にちょっと得した気分。

その時ふと、昔観た映画「ドラキュラ」を思い出した。主演は、確か、クリストファー××。さっそく、インターネットで検索。あった!クリストファー・リーだ。すぐに、Youtubeで映像を観る。懐かしい ・・・ だけど、こっちは史実のシの字もない。とはいえ、尖った歯むき出しのドラキュラ顔を見ていると、
「ドラキュラ役=クリストファー・リー」
で決まり。

そんなこんなで、3時間ほどで「ドラキュラ」通に。せっかくだから、ドラキュラのブログも更新しとこう。それに、もう一つ ・・・ コッポラの映像は仕事で使えそうな演出がゴロゴロ。そこで、EXCELを起動して、使えそうなカットを、コメント付きで入力。あー、忙しい忙しい。ところが、そこでふと魔がさした。RPGゲーム「DiabloⅡ」を思い出したのだ。コッポラのドラキュラと世界観が酷似していたからだ。あの世界観はたまらんなぁ~、ちょっとだけプレイしよう ・・・

セーブポイントからスタートすると、いきなり、ボスキャラ!アドレナリン大量放出で、新幹線の座席が一瞬、戦場に。
その時、けだるい車内アナウンスが、イヤホンの外側から聞こえた。
「次は終点の東京です。お忘れ物のないように ・・・」
おいっ、もっと後にしてくれ!(口には出さなかったが)

さて、この4時間は一体何だったのだろう?ムービー観て、ネット検索して、ブログを更新して、お仕事も少し、そして最後はゲーム ・・・ ただの暇つぶしじゃん。 たしかに。だけど、ちょっと違うと思う。

4時間の間、遊び、調べもの、仕事を意識していたわけではない。意識の中枢にあったのは「ドラキュラ」のみ。その意識の流れの中で、ムービーやネットやEXCELやゲームが、現れては消えていく、それだけ。すべてが、ドラキュラというくくリの中で融合し、1本の流れとなり、よどみなく流れていく。それは新鮮な感覚で、新しい価値、新・デジタル生活を予感させるものだった。

1つのテーマで、映像・音・テキストを駆使し、遊び・趣味・教養・仕事を一気通貫で楽しむ。その過程で、それぞれの要素が融合し、新しい「知の価値」が生まれる。これこそ、人間の精神と知性を拡大させる新・デジタル生活ではないだろうか。だが、そのためには強力な情報端末が必要になる。

■究極の情報端末

ここで、新・デジタル生活をささえる情報端末を考えてみよう。
1.ムービー、音楽、インターネット、ビジネス&ゲームソフトが使えること。
2.居間、書斎、職場、電車、トイレで、ストレスなく操作できること。
3.ウェブや電子書籍が読めるほど画面が大きく、なおかつ、かさばらないこと。
4.バッテリーは最低、数時間はもつこと。

今、使用しているノートパソコンは、パナソニックのレッツノート(Let’s note)。バッテリーは6時間もつし、画面も12インチと広く、1.3kgでなんとか持ち歩ける。だが、列車やトイレのような不安定な場所で、キーボード&タッチパッドで操作するのはつらい。ムービー再生やウェブ閲覧は、文字入力がほとんどない。であれば、タブレットPCのように、画面に直接タッチするほうがいい。また、狭い場所では、キーボードと液晶の2つ折り(ノートパソコン)より、1枚板(タブレットPC)のほうが扱いやすい。

さらに、携帯電話なみの普及を狙うなら、優れたユーザー・インターフェイスが必要だ。具体的には、子供が20分ほどで操作を覚えられること。おそらく、ココが一番の難関だ。それとわかるアイコンをタッチするだけで、すべて操作できること。ノートパソコンやNetbookでは、どう改良してもムリ。元が悪すぎるので。使う前から、面倒なインストールを強いられるし、起動は遅いし、反応は鈍いし、操作はわかりにくい。

Windows7になって、高速になり、分かりやすくなった?冗談!そんなこと、誰も信じちゃいない。「スタート」の中の「コントロールパネル」を開いてみるといい。こんな意味不明のアイコンをすべて理解しろと?
「いいえ、全部知らなくても使えますよ」
じゃ、どれが必要で、どれが不要なのか、教えてくれよ!

パソコンは、プロが仕事で使うには低機能で、パーフォーマンスが低く、システム構造が醜悪で、ストレスがたまる。一方、生活道具にしては、分かりにくいし、反応は鈍いし、見た目、愛嬌がない。だから、もっとストレスがたまる。パソコンは中途半端な道具なのだ。それもこれも、頭の固いインテルとマイクロソフトが独占してきたから。もっと、洗練された、スマートな進化があったはずなのに ・・・ OS9やBeOSのように。今となっては、どうしようもないけど。

■iPadの使命

だが、アップル(Apple)なら、なんとかしてくれるかもしれない。そう、「iPad(アイパッド)」のことだ。任天堂にはけなされるし、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツにいたっては、
「Netbookのほうがまだマシ」
なるほど、ビル・ゲイツは機能しか見ていない。マイクロソフトがオリジナル商品を一つも作れなかったわけだ。それはさておき、iPadの前評判はよろしくない。
「iPod touchがでかくなっただけ」
は1番の酷評だが、好意的な意見をさがしても、
電子書籍端末としてなら ・・・」
ぐらい。

みんな、iPadのことを、機能でしか見ていない。
「木を見て森を見ず?」
iPadは、機能ではなく、使っている情景をイメージしないと本質が見えてこない。書斎で使った後、リビングでテレビを見ながら使い、その後、トイレで踏んばりながら使い、旅先にも携帯する。そういう使い方から、何が生まれるのか?おそらく、携帯電話やゲーム機やパソコンからは生まれない何か ・・・ 来るべき「新・デジタル生活」、iPadの使命はそこにある。

《つづく》

by R.B

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