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週刊スモールトーク (第130話) ユダの福音書(1)~ナグ・ハマディ文書~

カテゴリ : 思想

2009.08.15

ユダの福音書(1)~ナグ・ハマディ文書~

■チャコス写本

ユダは、主イエスを銀貨30枚で売った罪で、2000年の呪いがかけられている。今でも「ユダ」は裏切り者の代名詞だ。ダンテの「神曲」によれば、歴史上の裏切り者たちは地獄の最下層を流れる嘆きの川「コーキュートス」に氷漬けにされているという。シーザーを裏切ったブルータス、そして、ユダもその一人だ。だが、ユダの呪いはもうすぐ解けるかもしれない。エジプトで発見された古文書によって。

1978年、エジプトの洞窟で、古いパピルス文書が見つかった。エジプトで古美術商をいとなむハンナは、このパピルス文書を手入れ、一儲けをもくろんだ。ところが、間の悪いことに、転売する前に盗まれてしまった。その後、ハンナはこの文書をなんとか取り戻したものの、買い手はなかなか見つからない。法外な高値をふっかけたからである。

2000年4月、スイスの古美術商チャコスはこのパピルス文書を購入し、アメリカ・アイビーリーグの名門エール大学に鑑定を依頼した。結果、伝説の「ユダの福音書」が含まれていることが判明した。驚くべき発見だったが、その後も、無知な古美術商の手に渡り、パピルスは劣化しつづけた。紙に記された情報は、光にさらすだけで薄くなり、消えていく。さらに、紙媒体の寿命も温度と湿度次第。条件が悪ければ、700年で朽ち果てる。

昔、八重洲ブックセンターの1階に、「パピルス」を売っていた。マニアックな風貌のおじさん店長によれば、これはエジプトで売っている「お土産物」とは別物、正真正銘のパピルスだという。「正真正銘」の意味をはかりかねたが、熱意にほだされ、3枚ほど買った。表には古代エジプトの神々が描かれ、触ると、いかにもパピルスっぽい。薄くのばしたセンベイのようで、鋭く曲げると割れそうだった。

じつは、パピルスも紙媒体の1つで、紙の弱点をすべて備えている。つまり、温度・湿度次第で、劣化が加速する。ちなみに最適な条件は、温度25℃、湿度55%だという。ところが、先の古美術商はパピルス文書を冷凍保存していたという。マグロじゃあるまいし。結局、この古美術商は代金が払えず、パピルス文書は、再び、チャコスの元にもどった。以後、このパピルス文書は「チャコス写本」とよばれるようになった。古美術商チャコスの功績が認められたのである。もちろん、先の冷凍保存の古美術商の名はどこにもない。

2001年、チャコス写本の所有権は、スイスのマエケナス古美術財団に移り、2002年から復元作業がはじまった。24年間もひどい扱いを受けた写本はボロボロだったが、熱心に修復が進められた。そして、2006年に作業が完了し、全体の85パーセントが復元されたという。その成果は、日本でも「原典・ユダの福音書」(※)として出版された。

■ユダの福音書

チャコス写本は、古代エジプトのコプト語で書かれ、全文66ページで、4つの文書からなる。

1.ピリポに送ったペテロの手紙

2.ヤコブ

3.ユダの福音書

4.損傷が激しく、題名も消失

上記の1.と2.は、1945年に発見された「ナグ・ハマディ文書」にも含まれるので、新しい発見とはいえない。価値があるのは「3.ユダの福音書」、歴史上初めて確認されたからだ。そのため、この写本は「ユダの写本」ともよばれる。じつは、「ユダの福音書」のウワサは、チャコス写本が発見される前からあった。

フランスのリヨンは、古代よりキリスト教色の強い町である。一時期、キリスト教の大司教が為政者だったこともある。紀元2世紀、このリヨンの司教エイレナイオスは、有名な「異端反駁(いたんはんばく)」を著したが、その中に、奇妙な一節がある。他の誰も知りえない真実に到達しているのがユダであり、それゆえ、彼は裏切りという神秘を完遂することができた。地上と天上のあらゆるものは、ユダによってひとつに混ざり合ったのだという。そしてこのグノーシス派の一派はその教えのよりどころとして、「ユダの福音書」と題される文書をねつ造したのである(※)。

「裏切りという神秘」?

いかにも神秘主義的な言い回しだが、内容は衝撃的だ。

・ユダは、ただの裏切り者ではない。

・ユダは、この世界の真実を知る人物で、特別の使命をもっていた。

・グノーシス派はユダを崇拝し、「ユダの福音書」なる書をねつ造した。これは、我々が知るユダではない

また、「ユダの福音書」にはユダの秘密が記されていることも示唆している。皮肉なことに、司教エイレナイオスは、「ユダの福音書」を封印しようとして、逆に、その存在を知らしめたのである。その伝説の「ユダの福音書」が、ついに発見された?この世界に身をおく宗教学者なら、さぞかしドキドキしたことだろう。

■キリスト教異端

ところで、司教エイレナイオスは、何のために、「異端反駁」を書いたのか?グノーシス派を、邪悪で危険な異端として糾弾するためである。ここで、グノーシス派とはグノーシス主義を信奉する一派で、キリスト教世界では超弩級の異端とされる。キリスト教の異端とは、悪魔信仰のように分かりやすいものから、儀式の方法、神学論争まで含む。要は、キリスト教正統派が認めないものすべて。キリスト教の異端騒動で、歴史上有名なイベントが「ニカイア公会議」だ。

325年、時のローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって開催され、主題は大胆に、「イエス・キリストは神性をもつか?」この会議で、アレクサンドリアの司祭アリウスはこう主張した。

「神は絶対の存在であるがゆえに、始まりはなく、生まれることもない。しかし、キリストは生まれた者であるゆえ、神と同一ではない。キリストは神の子、つまり神の意志によって存在するのであり、それゆえ、神のような絶対的な神性をもつものではない」

異教徒でもスンナリ入る明快さだ。これに対し、アレクサンドリアの主教アタナシウスはこう反論した。

「父である神と、子であるキリストは、同じ神性をもつ」

これは、父と子と聖霊の3つの位格が1つとなって神の存在とする「三位一体」を支持するもので、以後、キリスト教の正統派となった。一方、アリウスは異端の烙印を押され、リビアに追放された。アリウスは、主観でしか確認できない「神」を、客観的に理解しうる「絶対の存在」として定義し、理屈っぽい連中の非難をかわしている。さらに、彼が採ったのは「普遍的な因果法則」のみ

一方のアタナシウスは、父と子と聖霊という「主観でしか確認できない事象」を大前提にしている。アリウスの思考軸は「真実」で、アタナシウスのそれは「イデオロギー」にみえる。さらに、アリウスの起点は「疑う」で、アタナシウスの起点は「信じる」。たぶん、アリウスは学者で、アタナシウスは信者だったのだろう。

17世紀の偉大な科学者にして、人々をして、「これ以上近づきえないほど、人間が神々の世界に近づいた」と言わしめた偉大な論文「プリンキピア」の作者アイザック・ニュートンもアリウス主義の信奉者だったが、それもうなずけるというものだ。

■ナグ・ハマディ文書

話を、キリスト教グノーシス派にもどそう。グノーシス派にくらべれば、アリウス派の異端などかわいいものだ。グノーシス派は、新約聖書のみならず旧約聖書までかみついている。唯一絶対の創造神さえあざ笑っているのだから。

この異端の聖書は、1945年、上エジプトのナグ・ハマディ村で見つかった。宗教学者たちを興奮させた「ナグ・ハマディ文書(ナグ・ハマディ写本)」である。そのほとんどが、グノーシス主義の文書で、暗中摸索状態だったグノーシス主義の研究を大きく前進させた。そのため、宗教考古学史上、20世紀最大の発見と言われている。

キリスト教の聖書は大きく2つある。ユダヤ教の聖書「旧約聖書」と、キリスト教オリジナルの「新約聖書」だ。旧約聖書は、アダムとイブの天地創造から始まり、古代ヘブライ人の歴史や思想が記されている。一方の新約聖書は、イエス・キリストの言行が中心。ただし、イエス自身による書はなく、すべて使徒たちが書いたものである。新約聖書は、「4福音書」、「使徒の言行録」、「使徒の手紙」、「ヨハネの黙示録」で構成される。文書は、全部で27。

この中で特に重要なのが、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの「4福音書」である。このすべてがイエスの言行録で、キリスト教徒にとって信仰の道標になっている。ところが・・・キリスト教の聖書はこれだけではなかった。イエスの死後、キリスト教は急拡大し、1~3世紀にかけて、多数の聖書が生まれた。それを苦々しく思ったのが、キリスト教正統派である。ここで、正統派とはキリスト教における勝ち組で、本来の「正統」を意味するわけではない。具体的には、ペトロ(ペテロ)を筆頭とするイエスの「12使徒」から現在のバチカンに到る本流をさす。彼らは、玉石混合?の聖書の中から、先の27の文書を選び出し、正典とした。これが、新約聖書である。それ以外の聖書は外典とよばれ、焼かれるか、書き写される前に朽ち果てた。それゆえ、外典が現代まで生きのびるのは奇跡に近い。その奇跡の1つが、ナグ・ハマディ文書である。

ナグ・ハマディ文書は52の文書を含み、大きく4つに分類される。

1.キリスト教系の文書(グノーシス版・新約聖書)

2.ユダヤ教系の文書(グノーシス版・旧約聖書)

3.ヘルメス文書(古代エジプトの神秘主義思想で、占星術、錬金術を含む)

4.その他(プラトンの著書など)

以上の4つの文書に共通するのが「オカルティズム」である。ただし、ここでいう「オカルティズム」は、本来の「隠されたもの」の知識体系をさし、世間を騒がすカルト集団とは関係ない(直接的には)。簡単に言えば、この宇宙には物質世界と霊世界があり、後者に重きをおく思想(ちょっと簡単すぎるか)。

■埋めたのは誰か?

ナグ・ハマディ文書は壺に入れられ、土の中に埋められていた。一体、誰が、何のために埋めたのか?壺の中には、プラトンの著書まで入っていたという。2000年前、ナグ・ハマディ村の村民が、プラトンを愛読していたとは思えない。発見現場近くに、キリスト教の修道院があったらしいが、それと関係があるかもしれない。

紀元6世紀、キリスト教最古のベネディクト修道会が創設された。多数の修道院が建設され、修道士たちは、日々祈りと労働に勤しんだ。その労働の一つが写本の制作だった。新約聖書を中心に、神話や歴史書、たとえば、カエサルの「ガリア戦記」も書き写されている。つまり、修道院は、人類の「知識の宝庫」だったのである。その中に、グノーシス派の書があったとしても不思議はない。ところが、先の「ニカイア公会議」で勝利したアタナシウス派は、その後、徹底的な焚書を実施した。エジプト中のキリスト教会に、正典以外のすべての聖書を焼きすてるよう命じたのである。

もし、ナグ・ハマディ村の修道院がグノーシス派だったとしたら?あるいは「隠れグノーシス派」の修道士が紛れ込んでいたら?異端の修道士が、異端の書を後世に伝えるために、土に埋めたとしても不思議ではない。

《つづく》

参考文献:
(※)「原典ユダの福音書」ロドルフ・カッセル、マービン・マイヤー、グレゴール・ウルスト、バート・D・アーマン編集/日経ナショナルジオグラフィック社

by R.B

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