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週刊スモールトーク (第128話) 北朝鮮と韓国の戦争 ~朝鮮戦争~

カテゴリ : 戦争

2009.07.05

北朝鮮と韓国の戦争 ~朝鮮戦争~

■朝鮮戦争、勃発

1950年6月25日早朝、南北朝鮮を分かつ北緯38度線で、突如、轟音がとどろいた。北朝鮮軍が韓国に向け、砲撃を開始したのである。砲撃が終わると、240輛の戦車部隊を先頭に、10万を超える北朝鮮軍が38度線を突破した。その後、ピョンヤン放送の気合いの入った一報が世界に発せられた。

「我々は、アメリカ帝国主義の傀儡(かいらい)、李承晩(イ・スンマン)政権から、韓国人民を解放する」

Koreaこの電光石火の大攻勢に対し、韓国側はなすすべがなかった。この時期に、北朝鮮が侵攻するなど想定外だったのである。勘違い、誤報、意図的な偽情報が韓国中を飛びかい、何が事実なのか誰も分からなかった。驚くことに、この侵攻が大統領の李承晩に知らされたのは、砲撃開始から数時間たった後であった。混乱の極み、韓国側がどれほど油断、混乱していたかが分かる。

この間、北朝鮮軍は恐ろしいスピードで南下をつづけた。開城(ケソン)はたった数時間で陥落。その60km南は、首都ソウルだ。防衛ラインは次々と突破され、韓国軍はひたすら敗走を続けた。このようなワンサイドな戦いとなったのは奇襲によるが、軍事力でも圧倒的な差があった。

韓国軍は、総兵力10万、戦車ゼロ、大砲91門。一方の北朝鮮軍は、総兵力20万、戦車240両、大砲552門と圧倒した。しかも、北朝鮮の主力戦車は、第二次世界大戦の傑作、ソ連のT34である。韓国軍の火砲は、T34の分厚い装甲を撃ち抜くことができなかった。陸上戦を制するのは、火力と機動力である。つまり、重火器と戦車。この2つにおいて、北朝鮮軍は韓国軍を圧倒した。くわえて、北朝鮮軍は、この日に備え、猛訓練を重ね、一方の韓国軍は戦争が起こるなど夢にも思わなかった。つまり、練度と戦意においても天地の差があったのである。

6月27日、アメリカ大統領トルーマンが主導し、国連安保理が開催され、北朝鮮非難決議が採択された。しかし、その間にも、北朝鮮軍の侵攻はつづいた。T34戦車が戦場に現れると、韓国軍は一戦も交わさず逃散、戦況は絶望的だった。重戦車と軽歩兵の戦いは、針でバターを刺すようなものである。韓国政府はソウルを捨て、33km南方の水原(スーウォン)に首都を移した。

トルーマン大統領は、韓国への支援を決定、矢継ぎ早に命令を発した。在日米軍を釜山(プサン)に派遣し、海軍を韓国海域に出動させた。さらに、台湾を中国から守るため、第7艦隊を派遣。そして、この作戦のすべての指揮権を、東京にいたマッカーサー元帥に与えた。トルーマンは、前任のルーズベルト大統領とは違って、反共意識が強く、決断も行動も迅速だった。

アメリカ陸軍士官学校は、通称ウェストポイント、士官を養成するエリート校である。ダグラス マッカーサーは、このウェストポイントで歴史的成績をおさめた極めつけの秀才だった。卒業後も出世街道を驀進し、最年少で少将に昇進、50才でアメリカ陸軍参謀総長に上りつめる。太平洋戦争では日本軍と戦い、終戦後は、GHQ最高司令官として、日本の占領業務にあたっていた。極東で突然勃発した事件の解決は、70才の老将軍にゆだねられたのである。

■ソウル陥落

6月28日、韓国の将兵と市民が、首都ソウルを脱出し、漢江の橋に殺到した。このとき、韓国軍は北朝鮮軍の追討を防ぐため、橋を爆破した。ところが、渡橋はまだ終わっておらず、数百人が犠牲になった。さらに、橋が破壊されたため、多くの市民がソウルに取り残された。この日の夕方、北朝鮮軍はソウルを完全制圧した。

このときの様子は、三星グループの創業者、李秉喆(イ・ビョンチョル)氏の著書にも記されている。三星(サムスン)グループは、2007年の売上高が20兆円を超える巨大企業体である。李会長(故人)が三星を創業し、会社が軌道にのった頃、この戦争が起こった。以下、李会長の著書「市場は世界にあり」(※1)からの引用 ・・・

早くも2日後の夜には、ラジオのニュースが、水原(スーウォン)を臨時首都とするとの政府発表を突然伝えました。韓国軍が、共産軍の攻勢に圧迫されていたのです。私たちは、逃げる機会を失ってしまいました。28日の朝、赤旗をひるがえした共産軍が、ソウルに入城。ソウルと仁川(インチョン)にあった三星物産公司の倉庫の商品は、ことごとく消え去り、私の事業は無に帰しました

戦争は悪だから、軍隊を放棄して、攻められたら降伏すればいい、という考え方がどれほど甘く危険なことか。李会長の体験は無抵抗でもタダではすまないことを証明している。ところが、さらに悲惨な歴史もある。1945年4月、ドイツの首都ベルリンは東方からソ連軍、西方から連合国軍に攻め込まれ、10万人ものドイツ人女性が、ソ連兵に強姦されたのである。そのうちの10%が性病をうつされ、心的傷害で1万人が自決したという。なすがままに殺されるか、戦って死ぬか?戦争は二者択一を迫るものなのである。

6月29日、マッカーサーは、専用機で東京から朝鮮半島に飛んだ。自分の目で、状況を確認するためである。前線を視察したマッカーサーは、韓国軍主導では勝ち目はないと判断した。そして、直ちに、アメリカ本国に地上軍の派遣を要請したのである。ところが、よい返事が得られない。ソ連側が、
朝鮮の内政問題に外国が介入すべきではない
と主張したため、ホワイトハウスが躊躇したのである。

いずれ、国連軍は出動するだろうが、それまで韓国はもたない、マッカーサーはそう確信した。すでに、首都ソウルが占領されたのである。マッカーサーは、本国に爆撃の許可を申請し、回答を待たず爆撃を敢行した。このような超法規的な決断は、古今東西、名将に共通する。一瞬の迷いや決断の遅れが、国家の命運を左右するのだ。もし、司令官がマッカーサーでなかったら、1950年8月末に戦争が終わっていた可能性がある。北朝鮮軍が朝鮮全土を制圧し、韓国が降伏する”Another World”。

6月30日、北朝鮮軍は、漢江を渡河し、南進を再開した。朝鮮半島最南端の釜山(プサン)までわずか330km。「東京~大阪」の距離である。釜山が陥落すれば、戦争は終わる。北朝鮮軍は、韓国の臨時首都、水原(スーウォン)に猛攻撃をくわえた。韓国軍の指揮・連絡網はズタズタになり、水原の陥落は時間の問題だった。マッカーサーは、再びトルーマンに地上軍投入を迫り、ついに認めさせた。

■在日米軍、出動

7月1日、臨時首都の水原は崩壊し、李承晩は釜山に避難した。この日、在日米軍が釜山に上陸、北上を開始した。同時に、沖縄基地から爆撃機B29が発進、北朝鮮軍を爆撃した。ようやく、韓国側の反撃が始まったのである。

7月2日、北上していた在日米軍が、大田(テジョン)に到着した。大田は、ソウルと釜山をむすぶ要衝である。在日米軍は、ここに強固な防衛線を築き、北朝鮮軍を食い止める作戦だった。ところが、ここで、異変が起こる。台湾の対岸の福建省に中国軍が集結したのである。アメリカ第7艦隊は、台湾海峡に割って入り、中国軍を牽制した。

中国福建省の厦門(アモイ)沖わずか2.3kmに、金門島(チンメン島)がある。金門島は島全体が要塞化された軍事拠点で、蒋介石の時代から、台湾国民政府の「大陸反攻」の最前線だった。1958年には、対岸の中国軍と激しい砲撃戦が行われている。朝鮮戦争は、台湾と中国の対立まで蒸し返したのである。

7月3日、漢江の橋の修復が終わると、北朝鮮の戦車が漢江南岸に殺到し、韓国の防衛線は崩壊した。小火器で重戦車に挑むのは、どだいムリな話なのである。ところで、なぜ韓国は戦車をもたなかったのか?じつは、1年後に、アメリカからM26戦車を受領する予定だった。北朝鮮がもう少し待ってくれたら、戦況は変わっていただろう。

M26戦車は、第二次世界大戦末期、ドイツの「タイガー戦車」に対抗するめに開発された重戦車である。大戦中、アメリカのM4シャーマン戦車は、ドイツのタイガー戦車に歯が立たなかった。タイガー戦車の主砲は、1400mかなたのM4シャーマン戦車を撃ち抜いたが、M4シャーマン戦車の砲弾は、55m先のタイガー戦車に跳ね返された。タイガー戦車の主砲の口径は88mm、M4シャーマン戦車は75mm。さらに、タイガー戦車の最大装甲の厚さは100mm、M4シャーマンは75mm。スペックを見れば、何が起こるかは一目瞭然だ。

■国連軍、出動

7月7日、七夕の日、アメリカをはじめ16カ国が参加し、国連軍が編成された。総司令官はマッカーサーである。しかし、こうしている間にも、北朝鮮軍の南進はつづいていた。在日米軍は、大田から北上を試みたが失敗、逆に押し返されてしまう。その後、国連軍も合流したが、7月中頃までに兵数は半減、大田の維持すら困難になった。そこで、韓国政府は大邱(テグ)まで後退する。

7月20日、北朝鮮軍の猛攻で大田が陥落した。さらに、8月末までに、韓国・国連軍は、大邱と釜山、朝鮮半島南部に押し込まれた。このままでは、全軍が日本海に追い落とされる。しかし、背水の陣となった国連軍は必死だった。アメリカ軍の将軍たちは高らかにこう宣言した。

「朝鮮半島からの撤退はありえない。我々は最後まで戦う」

一方、北朝鮮側にもアキレス腱はあった。快進撃の結果、兵站(へいたん)が伸びきっていたのである。平壌(ピョンヤン)から大邱まで、直線距離にして400km。兵站とは、戦闘部隊の後方支援で、燃料・弾薬・食料の補給、兵員や兵器の補充をおこなう。兵站が長いほど補給は難しくなり、兵站線を途中で絶たれる可能性もある。当然、絶たれた先には補給は届かない。兵站は軍隊の血管なのだ。

北朝鮮軍は優勢だったが、最後の一撃が打ち込めなかった。一方、国連軍は、防戦一方で、反撃する余力はなかった。そこで、マッカーサーは戦況を一転させる奇襲を断行する。兵站線の真ん中、仁川に強襲上陸し、北朝鮮軍を南北から挟撃するのである。単純明快、鮮やかな作戦だが、包囲殲滅される可能性もある。奇策、どちらかというとバクチに近い。これが、歴史に残る「仁川上陸作戦(クロマイト作戦)」である。

9月15日、国連・韓国軍は仁川を奇襲した。危険な敵前上陸を任務とするアメリカ海兵隊を先頭に、7万人が上陸に成功。このとき、M26重戦車をはじめ、重火器も大量に持ち込まれた。北朝鮮軍は、国連・韓国軍に挟撃され、算を乱して逃走した。戦局は一変したのである。

■中国軍、出動

9月28日、国連・韓国軍はソウルを奪還、翌日には韓国政府がソウルに入城した。かねてより、南北統一をもくろんでいた李承晩にとって、願ってもないチャンスだった。10月1日、韓国軍は、はやる気持ちを抑えきれず、単独で38度線を突破。つづいて、国連軍も北上した。危機感をつのらせた中国は、ここで参戦を決定する。志願兵の名目で、20万もの兵力を投入したのである。

10月20日、何も知らない国連・韓国軍は、北朝鮮の平壌を制圧、さらに、北朝鮮軍を追った。先鋒の韓国軍は、鴨緑江(おうりょっこう)に達したが、そこは、中国との国境である。ここで、中国軍の猛反撃が始まった。圧倒的な人海戦術、面の攻撃が国連・韓国軍を襲ったのである。倒しても倒しても、大地からわき出るような無数の中国兵。アメリカ兵は恐怖に駆られた。これがトラウマになり、、アメリカの将軍たちは中国軍と戦いたくないと考えるようになった。たとえ、日本を見捨てでも。

中国軍の人海戦術は、津波のように国連・韓国軍をのみこんだ。12月5日には、中国・北朝鮮軍は平壌を奪回、翌年、1951年1月4日にはソウルを再奪回した。ところが、旧式兵器と人海戦術に頼る中国軍は、最後の打撃力に欠いていた。強力な重火器を補充し、態勢を立て直した国連軍は、再度攻勢に転じる。そして、3月14日には、ソウルを再々奪回したのである。結局、ソウルは1年で4回も占領されたことになる。朝鮮戦争は、軍人より民間人のほうが犠牲者が多いのはそのせいである。

その後、38度線を境に、両軍はにらみあった。業を煮やしたマッカーサーは、中国への原子爆弾の使用を提案した。ところが、1951年4月11日、全面核戦争を恐れたトルーマン大統領は、マッカーサー総司令官を解任する。1953年7月27日、板門店で、北朝鮮、中国、国連の3軍の間で休戦協定が結ばれた。ところが、韓国の李承晩はこの協定が気に入らず、調印を拒否した。

つまり、朝鮮戦争はまだ停戦中である。

■朝鮮戦争はなぜ起こったか?

朝鮮戦争は、別名「朝鮮動乱」、韓国では「6・25動乱」、北朝鮮では「祖国解放戦争」とよばれている。国家間の紛争にみえて、じつは内戦だからである。さらに、開戦後、60年経った今も、停戦中。また、犠牲者の数も尋常でない。これらの事実が、朝鮮戦争を歴史上特異なものにしている。

ところで、朝鮮戦争はどういう経緯で起こったのか?1910年、韓国併合以来、朝鮮半島は日本の統治下にあった。その後、第二次世界大戦で日本が敗北すると、北緯38度線を境に、南側がアメリカ、北側がソ連の占領管理下に入る。そして、1948年8月13日、南側は大韓民国(韓国)を宣言、つづく9月9日には、北側が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を宣言した。

韓国の李承晩も、北朝鮮の金日成も、自らを元首とする朝鮮統一をもくろんだが、先手をうったのは金日成だった。北朝鮮の侵攻は、無謀にみえるが、勝算はあった。以下、その根拠 ・・・
1.奇襲すれば、アメリカが参戦する前に、朝鮮半島を制圧できる(可能性大)。
2.一旦、制圧すれば、内政問題と言い張れる(可能性低)。
3.アメリカが参戦しても、中国が助けてくれる(事実)。
4.中国が負けたら、ソ連が助けてくれる(可能性大)。
5.ここまでくれば全面核戦争だが、アメリカにそんな度胸はない(事実)。

北朝鮮の金日成は、ソ連に侵攻の許可を得ようと、スターリンを熱心にくどいた。ところが、第二次世界大戦で深手を負ったソ連は、復興に手一杯で、大国アメリカと事をかまえる気はなかった。南に侵攻すれば、アメリカは出てくるだろうし、そうなれば勝ち目なしと、スターリンは読んだのである。

そこで、金日成は、次に中国をくどいたが、これがなんと成功する。中国は軍事援助を約束したのである。それを聞いたスターリンは、出兵はしないけど、やりたければ勝手にどうぞ、と消極的に侵攻を許可した。実現不可能なミッションにみえたのに、周囲をそそのかし、巻き込み、実現させた点で、金日成は一代の英傑である。しかし、その代償はあまりにも大きかった。

朝鮮戦争の犠牲者の数は、南北朝鮮合わせて400万人、総人口の20%にあたる。つまり、国民の5人に1人が戦死したのである。一方、第二次世界大戦の日本の犠牲者は300万人で、総人口の4%。朝鮮戦争がいかに凄まじい戦闘だったかがわかる。ところが、朝鮮戦争を知る日本人は少ない。たった60年前、目と鼻の先で起こった大戦争なのに、すでに風化しているのだ。

視野が狭い、国際感覚がない、危機意識が低いという以前に、日本人は国民としてのリアリティが感じられない。ある中国の高官が、こう言い放ったという。
「日本?そんな国、10年後にはなくなっている」
中華人民共和国・日本省?
いまさら、中国語なんてムリ。

《つづく》

参考文献:
(※1)李秉喆(イ・ビョンチョル)著「市場は世界にあり」 講談社

by R.B

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