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週刊スモールトーク (第114話) 大航海時代Ⅳ~乳香と没薬/沈香木と麝香~

カテゴリ : 歴史

2008.10.17

大航海時代Ⅳ~乳香と没薬/沈香木と麝香~

■楊貴妃の匂い

傾国とは、「国を傾ける絶世の美女」をさす。国王を色香で惑わし、政(まつりごと)を忘れさせ、美女の一族が大出世し、忠義の家臣が意気消沈。やがて、反乱が起こり、最後には国が滅ぶ ・・・ なんとも、恐ろしい力である。

このような傾国は、歴史上、枚挙にいとまがない。語源となった中国では、殷王朝の妲己(だっき)、夏王朝の末喜(ばっき)、越国の西施(せいし)、そして、唐王朝の楊貴妃(ようきひ)がいる。中でも、楊貴妃は東洋美人の代名詞だが、じつはペルシャ系だったという説がある。

楊貴妃は中国の蜀出身だが、純粋な漢民族ではなく、ペルシャ人との混血だったというのだ。つまり、白人の美女?情報源は、怪しいウェブサイトからアカデミックな書籍(※1)まで、玉石混合。ところで、その根拠は?詳細な家系図なんかあるわけがないし、写真もない、あるのは塗り絵のような美人画のみ。ところが、面白い証拠がある。体臭だ。

記録によると、楊貴妃は、エキゾチックな体臭で玄宗皇帝をまどわせたという。楊貴妃はたいそうな汗かきで、その汗が、えもいわれぬ匂いを漂わせていた ・・・ この楊貴妃の体臭の記録と、アジア人より白人のほうが体臭が強いという事実から、楊貴妃はペルシャ系だったという説が生まれたらしい。

ただ、楊貴妃の「そそる匂い」の秘密は、「ペルシャ系」だけではないらしい。ある時、玄宗皇帝は、楊貴妃とその妹に、匂い袋を与えたという。贅をこらした絹布の中には、世にも珍しいアイテムが入っていた。絶品中の絶品の「瑞竜脳(ずいりゅうのう)」と「麝香(じゃこう)」である(※1)。この2つは、媚薬の最高級品と言われる。

「媚薬」を辞書で調べると、「性欲を増進させる薬」と身もふたもない。ところが、他の情報源を調べても、
・媚薬とは、性的興奮を高める作用を持つ薬の総称。
・精力のつく薬や食品の総称。
・恋愛感情を自在に操る薬。

とまぁ、やはり、身もふたもない。そもそも、こんな妖しいアイテムを、一言で説明しろと言う方がムリ。こういう場合、やはり、物語だろう。

■楊貴妃と玄宗

8世紀の中国、唐の玄宗皇帝は、息子の妃に一目惚れし、そのまま奪うのは恥ずかしいので、一旦後宮にいれ、後に自分の妃とした。これが楊貴妃である。今では聞かない話だが、古代中国では珍しくない。紀元前6世紀、呉越戦争の時代、楚の平王も、太子の妃を横取りしている。

それはさておき、楊貴妃は、名君の誉れ高い玄宗さえ惑わすほどの美形だった。ここで、楊貴妃のスペックを列挙すると、
・エキゾチックな容貌
・豊満な肢体
・妖艶でそそる体臭
・才知をそなえ、舞踊も得意

なるほど、政(まつりごと)に飽き、暇をもてあました全能の皇帝なら、自然の成り行き ・・・ こうして、傾国が始まった。玄宗は楊貴妃にうつつを抜かし、彼女を喜ばせたい一心で、楊一族を重用した。当然、古参の家臣は面白くない。まして、自他とも認める実力者なら、よからぬ邪心を抱いても不思議ではない。そして、755年、楊貴妃の縁戚の楊国忠が宰相になったとき、それが現実となった。楊国忠のライバル、安禄山(あんろくざん)が反乱をおこしたのである。歴史の教科書にも登場する有名な安史の乱である。

安禄山は、唐王朝の有力な節度使(せつどし)だった。節度使とは、中国の唐の時代に設置された官職で、元々は辺境の軍司令官だった。ところが、
「田舎になんか転勤したくない」
という今も昔もかわらぬ勤め人事情が、節度使の力を強大化させた。なぜか?

中央の役人にしてみれば、何かあるたびに辺境の地まで出張するのはメンドー。そこで、地方行政は節度使に丸投げ。こうして、中央の行政権が辺境の節度使に移行していった。さて、ここで、心理学の問題。中央の目が届かない辺境の地で、軍事・行政の両権を握れば、何を考えるか?

やがて、強大化し、半独立勢力となった節度使は、「軍閥」と呼ばれるようになった。中でも悪名高い軍閥が、袁世凱(えんせいがい)だ。袁世凱は、20世紀初頭、打倒清王朝で吹き荒れる中国にあって、清の総理大臣の立場にあった。この頃、中国の革命家、孫文は中華民国を創設し、臨時大総統になっていたが、あろうことか、袁世凱は敵の孫文と裏取引をしたのである。自分の主(あるじ)の清朝皇帝を退位させる見返りに、自分を大総統にしろと ・・・ 結局、孫文はのまざるを得なかった。袁世凱率いる北洋軍閥が恐ろしかったのである。

ということで、節度使が反乱の温床であることは明々白々。ではなぜ、歴代の皇帝は、こんな物騒な官職を温存したのか?一も二もなく、崩壊した兵制度を立て直すため。唐は、中国史上最も成功した王朝だが、その分、支配地も増えた。領土防衛に大量の兵を必要としたのである。特に、北方騎馬民族と接する辺境の地で。

ところが、ここで問題発生 ・・・ 農民が妻子と田畑を残して、遠く離れた辺境の地に赴任したいか?しかも、中国は広い。

それまで、中国は兵農一致「農民=兵士」だった。日本でも、豊臣秀吉が刀狩りを実施するまでは、兵農一致だった(織田信長をのぞく)。この制度では、農民は国から土地を給付されるかわりに、収穫の一部を納税する。これが均田制だ。この仕組みにより、農民は土地と関連づけられ、国の台帳に登録される。そして、この管理台帳をもとに、農民は徴兵され、兵役につく。これが府兵制だ。つまり、兵農一致は、均田制と府兵制という2つの制度で支えられていたのである。

ここで、先の問題。役人が田舎への転勤を嫌がるのと同様、農民も辺境の地なんか行きたくなかった。しかも、農民には重税まで課せられていた。この二重苦から逃れる方法は一つ。故郷を捨てて、行方不明になること。これなら、重税からも、兵役からも逃れられる。こうして、台帳の上の「農民=兵士」は減っていた。

徴兵できる兵数が減ると、その分、一人当たりの兵役期間が長くなる。すると、農民はますます嫌になり、逃亡者の数も増える。それを見た辺境の騎馬民族は、チャンスとばかり、攻勢にでる。すると、ますます兵が不足する。絵に描いたような負のスパイラルだった。こうして、新しい兵制度が必要になったのである。

玄宗は、この問題を見事に解決したが、それが節度使だった。節度使の指揮下に入る兵は、府兵制によって徴兵された農民ではない。募兵制、つまり、自らの意志で志願した専門兵である。また、基本は屯田(とんでん)なので、食糧は自給自足。兵にとって、辺境の赴任地こそが、彼らの故郷だったのである。さらに、国から給料も支給されるので、逃亡兵は激減する。だが、いいことずくめとはいかない。中央から独立している分、兵の忠誠心は国より節度使へ、節度使のココロは国より私利私欲へと傾いていった。

話を安史の乱にもどそう。3つの州の節度使を兼任し、大軍を擁した安禄山は、やすやすと唐の都まで進軍した。都を追われた玄宗と楊一族は、四川まで逃げのびたが、そこで、兵士たちの抵抗にあう。兵士たちが、災いの原因は楊一族にあり、楊一族を処刑すべきだと迫ったのである。こうして、楊貴妃と楊一族は処刑された。このとき、楊貴妃はまだ38歳であった。

757年、安禄山の反乱が平定され、玄宗は無事都にもどることができた。危機も去って一息つくと、思い出されるのは楊貴妃との愛欲の日々。玄宗は、四川に使者をやって、楊貴妃の遺体を回収させた。すると、かつて玄宗が楊貴妃に贈ったあの「匂い袋」も届けられた。瑞竜脳の突き抜けるようなすがすがしい匂い、麝香の妖艶な香りが、玄宗の心を激しく揺さぶった。よみがえる楊貴妃との懐かしい思い出。写真がまだない時代、匂い袋は思い出を記録する貴重なメディアだったのである。

■媚薬の正体

ここまでは、人文科学系の「媚薬」、つぎに自然科学から見た「媚薬」。媚薬の価値は、”特殊用途”の匂いにあり、古代では、「竜・麝」「沈・檀」が重用された。前者は動物系、後者は植物系だが、効き目は動物系が断然上。

まずは、効果絶大の動物系からみていこう。

【竜涎香(りゅうぜんこう)】
「竜・麝」の「竜」は、竜涎香を意味し、「アンバル」ともよばれる。マッコウクジラの腸内に生成される分泌物で、しみるような甘い香りを放つ。特に、アラビア人はアンバルを好み、灯油にアンバルをまぜて燃やしたり、香油に含ませて、身体に塗り込んだりした。

【麝香(じゃこう)】
「竜・麝」の「麝」は、麝香を意味し、「ムスク」ともよばれる。ムスクは、ヒマラヤ山脈の高原に生息するムスク・ディーア(鹿)のオスの生殖腺分泌物である。小さな粒状の物質で、小出しにして、メスをさそう。匂いは鼻を突き抜けるほど強烈で、はるか遠くからでもそれとわかるという。まさに媚薬。

【霊猫香(れいびょうこう)】
霊猫香はジャコウネコの分泌物で、別名「シベット」、ムスクの代用品あるいは偽物ムスクとも言われる。日本ではあまり聞かないが、エチオピアではシベットを採取するためにジャコウネコを飼育しているという。それなりの需要があるのだろうが、香水や漢方薬の一成分として使われるので、単品でお目にかかることはない。

つぎに植物系の媚薬。

【香木(こうぼく)】
読んで字のごとし「香りを放つ木」である。葬儀、墓参り、仏壇で使われるお香、ハイソな世界では、香道(こうどう)というのもある。香木を焚き、香りを楽しみ、香りの道を究めるのである。香木の代表が「沈・檀」で、「沈」は沈水香木(ぢんすいこうぼく)の樹脂、「檀」は白檀の油である。沈水香木は「沈香(ぢんこう)」ともよばれる。

沈香で、歴史的名声を得たのが「蘭奢待(らんじゃたい)」である。東大寺正倉院に納められた巨大な香木で、長さ156cm、最大径43cm、重さ11.6kgもある。正式名は「黄熟香(おうじゅくこう)」。この名香木は、神様よりも金持ちでも、手に入れることはできない。歴史上、蘭奢待を切り取ったのは、足利義満、足利義教、足利義政、織田信長、明治天皇 ・・・ 歴史的権力者のみ。ところが、他に50回以上切り取った跡があるという。一体、誰が切り取ったのだ?

【竜脳(りゅうのう)】
植物系媚薬の最後を飾るのは、楊貴妃の匂い袋にも使われた「竜脳(りゅうのう)」。竜脳は他の植物系媚薬同様、薬用としても利用される。竜脳樹の芯に、極めてまれに見つかる白色結晶性の粒が「竜脳」、その油分が「竜脳油」である。竜脳樹は、スマトラの西北部、マレー半島の南部、ブルネイの海岸線の限られた地域にしか生育しない。大航海時代のチョウジ(丁子)なみの”レアもの”である。そのため、インド人、アラビア人は、この世の至宝と言い、中国人はあらゆる薬物の王者であると記している(※1)。

竜脳は、すがすがしく、優雅で、澄み切って、突き通るような匂いを放つという。ネット通販でも買えるが、ホンモノかどうか識別するのが難しい。そもそも、ホンモノの竜脳を知らないので。ただ、竜脳は樟脳(しょうのう)をとびっきり上品にした匂いだと言う。そういえば、昔、樟脳はひな人形や衣服の防虫剤として使われた。あの匂いを思い出し、とびっきり上品にアレンジすれば竜脳 ・・・ ん~、難しい。匂いの編集は、音や映像のようにはいかない。

■生活品としての香料

楊貴妃の匂い袋に入っていたのは、絶品中の絶品の竜脳と麝香。おそらく、植物系と動物系の至高のブレンドだったのだろう。一方、このような匂い袋を身につけることは、唐代の上流階級の女性のエチケットだったという。現代のコーヒー同様、匂い袋のポイントはブレンドにあったようだ。

また、大航海時代、東アジアでは貴人の死体に竜脳油を塗る習慣があったらしい。ブルネイで、貴人の死体に竜脳と竜脳油を塗るのが、スペイン人によって目撃されているからだ。また、マゼラン隊の生き残りの一人ピガフェッタは、フィリピンのセブ島でも同じような風習を目撃している(※1)。竜脳は、死体の腐臭の緩和剤としても使われたらしい。

■聖書と香料

香料の歴史は古く、新約聖書にも登場する。マタイによる福音書・第2章11節、
「そして、家にはいって、母マリアのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた」

「幼な子」とはイエス キリストのことで、イエスにひれ伏したのは、東方から来た博士である。イエス誕生にまつわる有名なエピソードだ。乳香と没薬が、古代では、聖なる贈り物として使われていたことがわかる。そこで、乳香と没薬を詳しくみていこう。

【乳香(にゅうこう)】
乳香は、ムクロジ目カンラン科の樹木から分泌される樹脂で、インド、南アラビア、東アフリカに産する。樹皮が傷つくと、そこから樹液が分泌し、空気に触れ、乳白色の個体となる。つまり、乳香は樹木の自己修復機能の産物なのである。それにしても、「乳の香り」とはうまい命名だ。また現在、商業ベースの高品質な乳香は、オマーンで栽培されている。

【没薬(もつやく)】
没薬は、フウロソウ目カンラン科の樹木から分泌される樹脂で、ミルラとも呼ばれる。生成のプロセスは乳香と同じだが、色は赤褐色である。産地は、インドから南アラビア、東アフリカ、マダガスカルに限られる。没薬は、殺菌作用もあるので、鎮静薬や鎮痛薬としても使われる。また、古代エジプトでは、ミイラの防腐処理にも使われので、
ミイラの語源はミルラ
という説もある。

■匂い文化の黄昏

このように、香料は、人類の「匂いの文化」を支えてきた。古代エジプトから大航海時代まで、香料が重要な交易品だったのもうなづける。ところが今、香料の価値は下がりつつある。貿易品をみれば、一目瞭然。幅をきかせているのは、液晶テレビ、デジカメ、ビデオカメラ ・・・ 文化の中心は「匂い」から「ビジュアル」へと移り変わりつつある

考えてみれば、昔は、視覚や聴覚を刺激・記憶できるメディアは限られていた。ところが、匂いなら、焚くだけで知覚でき、「匂い袋」で記録することもできる。かつて、栄えた匂いの文化が、時代とともに、ビジュアル文化へと移り変わったのは、テクノロジーのせいかもしれない。

とはいえ、香料の歴史は古くて奥深い。ネット通販で、香料を試して、香道を極めるのも一興だ。それに、仕事で役立つ可能性もある。とくに、気難しい得意先を接待するとき。ハイソなネタだし、知ってる人は少ないし、薬用と健康をからめれば、年寄りに受けること間違いなし。安価で、手軽で、ムダなエネルギーも使わない。こんなお得で粋な趣味はないだろう。

《つづく》

参考文献:
(※1)「スパイスの歴史」山田憲太郎 著法政大学出版局
(※2)「世界食物百科」マグロンヌ・トゥーサン=サマ 玉村豊男=監訳 原書房

by R.B

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