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週刊スモールトーク (第105話) 植物工場と自給自足

カテゴリ : 社会

2008.04.01

植物工場と自給自足

■食品が消える!

「コミケ」は、毎年、東京ビッグサイトで開催される同人誌即売会である。正式名称はコミックマーケット。3日間でのべ40万人、都市1個分の人口が集結する。人口密度は推して知るべしで、自販機でジュースを買うのも大変だ。中には酸欠で倒れる人もいる。昼の弁当を買うため、コンクリートのような人混みをかきわけ、やっとコンビニに着くと、タナはからっぽ。異常な人口密度が何を引き起こすかは明らかだ。

2008年の東京都の人口は、およそ1300万人。毎日3900万食が必要だが、不思議なことに、1日も欠かさず供給されている。もし、生産・流通に、重大なトラブルが発生すれば、食料供給はストップする。また、コンビニやスーパーの食料在庫は基本1日分だし、都市には食料の生産能力がない。もし、混乱が1週間つづけば、2億8000万食が不足する。

ところが、田舎なら話は別。店のタナから食品が消えても、食いっぱぐれることはない。畑に行けば作物があるし、山に行けばウサギやキツネ、最近は熊もよく見かける。つまり、食材にはことかかない。もっとも、相手が熊なら、こっちが食料にされるので、注意が必要だ。また、農家なら納屋があるので、多少の食料在庫もある。都市と田舎で、食糧事情はこうも違う。効率と利便性を追求した都市の食料事情はすでに綱渡り

■遺伝子組み換え

地球人類4万年の歴史は、王族や特権階級をのぞけば、つねに飢餓(きが)との闘いだった。つまり、人類は4万年も腹ぺこだったのである。歴史年表には、飢饉(ききん)イベントが散乱しているし、疫病、干ばつ、洪水も飢饉をもたらす。人類が食糧で一息ついたのは、1950年に入ってからである。

小麦、米、トウモロコシは、世界の3大穀物と言われるが、その収穫量の推移を見るとそれが分かる。1950年には、それぞれ1億トンだった収穫量が2000年までに6億トンに急増している。50年でじつに6倍。その主因は化学肥料にあるといわれている。たしかに、その間に、化学肥料の使用量が10倍になっている。穀物の収穫量と強い相関関係があるわけだ。

ところが、順調に伸びてきた穀物収穫量もここ10年は停滞している。ひょっとすると、化学肥料も、抗生物質同様、もう効かないのかもしれない。一方、世界の人口は恐ろしいペースで増えつづけている。何か不安だ。「食糧問題を解決するには『遺伝子組み換え』しかない」と断言する専門家もいる。「遺伝子組み換え」は、これまでのぬるい品種改良とは違い、遺伝子を直接書き換える荒技だ。遺伝子は、宇宙の創造主が創り出した生命の設計図。それを書き換えるには勇気がいる。何がどうからんでいるか読み切れないからだ。

ニュートンの方程式によれば、道に転がっている石ころでさえ、月の運行に関与している。だから、神の設計図を書き換えるには、すべてのからみを読み切る必要がある。たとえ1ページでも、シェークスピアの戯曲を思いつきで書き換えれば、何が起こるかは明らかだ。ところが、世界はこのリスクに目をつむっている。

遺伝子組み換え作物の作付け面積は、2007年で1億1430万ヘクタール、商業栽培が始まった1996年の70倍に達している(国際アグリバイオ事業団調査)。これは、世界の耕地面積の8%にあたり、遺伝子組み換えが、すでに実用段階に入ったことを示している。また、作付け面積の51%は大豆で、ついで、トウモロコシが31%。遺伝子組み換え作物が重宝されるのは、収穫量がアップするだけでなく、疫病に強い作物がつくれるからだ。作物につく菌や害虫は侮れない。深刻な飢饉を引き起こす可能性があるからだ。

■作物の疫病

農作物につく疫病は、天候不順よりタチが悪い。一過性ですまないからだ。たとえば、寒冷地でも栽培できるジャガイモは人類を何度も飢餓から救ってきた。ところが、歴史上、ジャガイモが原因で大惨事を引き起こしたことがある。

1845年、アイルランド。収穫期をむかえたある日の朝、ジャガイモ畑が一変していた。畑のジャガイモすべてが、一夜にして腐ったのである。すぐに、飢饉(ききん)がはじまった。栄養不足で衰弱した人々は、コレラなどの伝染病で次々と死んでいった。その頃、アイルランドの人口は800万人だったが、ジャガイモが回復するまでの4年間に、200万人が死んだという。人類を破滅させるのは、ヒトに感染する疫病だけではないのだ。

■驚異のチナンパ農法

メキシコ高原は標高1000mの高地にあり、乾燥地帯と湿地帯が混在する特異な地域である。そして、文明の宝庫でもある。紀元前2世紀に興ったテオティワカンは最盛期には人口20万人の世界屈指の大都市であった。町は完全な都市計画に基づいて建設され、幅数十m、長さ数kmの死者の大通りを中心に、太陽のピラミッド、月のピラミッドなど巨大建造物が配置された。生活の臭いがせず、宗教的の強い、特異な町である。

また、14世紀には、アステカ文明が興り、帝都テノチティトランは、テオティワカンに負けず劣らずユニークな町だった。町はテスココ湖の孤島に建設され、陸側の湖岸と複数の橋で結ばれた。また、町には水路が張りめぐらされ、町中をカヌーで移動することができた。1520年頃、テノチティトランはスペインの征服者エルナン・コルテスによって破壊されたが、彼らの証言によれば、「テノチティトランはそれまで見たどの町よりも美しい」このアステカ文明を支えたのがトウモロコシだった。

メキシコ高原で、初めて野生のトウモロコシの採集が始まったのは紀元前2600年頃、紀元前1000年にはトウモロコシの栽培がはじまった。そして、紀元1300年、狩猟民のアステカ人がこの地に到来し、建設したのが先のテノチティトランだった。高度な文明をささえるのは余剰食糧である。9人で10人分の食糧を生産できれば、1人が職人や祭司になれる。これが文明につながるわけだ。

アステカ文明は農業において、驚異的な生産量を誇ったが、それを支えたのが「チナンパ農法」だった。その方法は非常にユニークである。まず、湖の岸近くに、アシやイグサで作ったイカダを湖上に浮かべる。つぎに、湖底から泥をくみあげ、イカダの上に積みあげ、周囲に樹木を植える。最初は、湖上を漂うだけだが、月日がたつと、樹木の根っこが湖底とつながり、浮島が固定される。この人工の浮島が耕地なのである。チナンパ農法の一番の長所は、水に不自由しないこと(湖上の浮島なので)。そのため灌漑設備がいらない。というか、チナンパは耕地と灌漑が一体化されたモノリシック農場なのだ。

一般に、灌漑は水源地から水路を引き、農地に水を引きこむ。当然、大がかりな工事が必要だ。ところが、チナンパは、浮島をつくるだけなので、手間もカネもかからない。しかも、土壌は湖底の泥なので、プランクトンをはじめ豊富な養分を含む。なので、肥料もいらない。また定期的に、湖底の泥を補充すれば、土壌が枯れなることもない。まさに、理想の農地である。

チナンパは、現地のナワトル語では「ショチミルコ」と呼ばれるが、「畑と花の場所」を意味するらしい。なんとも、しゃれたネーミングである。養分たっぷりの湖底の泥と、無尽蔵の湖水を利用したチナンパ農法は、生産性がきわめて高い。同じ環境なら、生産性は通常の農法の2~3倍になるという。

ある調査によれば、化学肥料なら1ヘクタール当たり収穫が14トン対し、チナンパでは21トンだったという。チナンパは、主食のトウモロコシだけでなく、インゲン豆、カボチャ、ピーマン、トマト、タバコ、草花類まで栽培できる万能の農地だ。まさに「アステカ文明はチナンパのたまもの」である。もちろん、今も現役。アステカ人は、テスココ湖の岸近くに、いくつもチナンパを作った。これが帝都テノチティトランの胃袋を支えたのである。

ところが、この湖は塩分を含んでいた。塩分が作物を害することは良く知られている。かのシュメール文明も海水が農耕地に侵入し、衰退の一因となった。そこで、アステカ人は、テスココ湖に堤防や水門が築き、チナンパに真水を供給した。また、都テノチティトランの周辺のショチミルコ湖とチャルコ湖にもチナンパがつくられたが、淡水のため、堤防は築かれなかった。チナンパは700年も前の農法だが、「農業=肥沃な大地+灌漑+恵みの太陽」という固定観念をうちやぶった。過去のしがらみを捨てれば、物騒な「遺伝子組み換え」にこだわる必要がないかもしれない。

■南極で野菜栽培

地球の最南端にある南極は、とにかく寒い。ケッペンの気候区分では「氷雪気候」。月の平均気温は0度~マイナス20度で、マイナス89度という記録もある。まさに氷の世界。もちろん、自生植物はなく、人間が居住した記録もない。

第二次世界大戦末期、ヒトラーがUボートで南極に逃亡したという説もあるが、残念ながら隠れ家はまだ見つかっていない。ところが、そんな酷寒の地にある昭和基地で、2008年春から、生野菜が食べられるようになった。南極探検隊は、基地に入る時、生野菜も持ち込むが、すぐに底を突く。あとは、冷凍野菜の日々。

ところが、2008年から食卓が一変した。「完全制御型植物栽培システム」のおかげで、毎日、生野菜が食べられるようになったのだ。完全制御型植物栽培システムとは、平たく言えば、植物工場。基地内に設置された1坪ほどのスペースに、野菜を栽培するのである。ただし、栽培できるのは、レタス、水菜などのお手軽野菜だけ。

ところで、完全制御型植物栽培システムとは、たいそうな名前だが、水耕栽培とどう違うのか?収穫量が最大4倍!これは凄い。その仕掛けというのが、「はれ物にさわるがごとく、野菜の世話をする」具体的には、隊員が種を蒔いて、野菜の栽培状況を毎日メーカーに報告する。それを専門家が分析し、栽培の詳細な指示を昭和基地に送り返す。その指示に従い、隊員が光量や肥料を微調整するのである。この過保護栽培で、収穫量4倍を実現しているわけだ。ただ、都度、情報をメーカーに送り、指示を仰ぐというのはメンドーだ。ここが、メーカーの付加価値なのだろうが。

昔、エキスパートシステムという人工知能っぽいテクノロジーがあった。医師などの専門家がもつ知識をコンピュータ化しようとしたのである。うまくいけば、医者の代わりにコンピュータが診察してくれるはずだった。エキスパートシステムを構築するKE(ナレッジエンジニア)まで登場し、世間を騒がせたが、結局、ものにならなかった。だが、野菜栽培ならうまくいくかもしれない。医療と比べれば、必要な知識は少ないし、やることも限られる。

ということで、このメーカーの次の目標は、野菜の気持ちを読むノウハウのコンピュータ化だろう(個人的意見)。もし、このソフトと工場設備をセットで販売すれば、使用者はいちいちメーカーに問い合わせる必要がない。売り上げは急増し、アメリカンドリームならぬ、ベジタブルドリーム・・・

■植物工場

ここで、農法を整理しよう。チナンパは発想が素晴らしいし、生産性も高いが、天災からは逃れられない。一方、植物工場は工場が物理的に破壊されない限り、天災の影響は受けない。外界から完全にシールドされているからだ。ということで、植物工場のポイントは2つ。

1.農地を自然界から完全に隔離する。

2.農作物に最適の環境を創り出す。

まず、第1の自然界から隔離。このまま温暖化がすすめば、日本の亜熱帯化は避けられない。そうなれば、かつてない巨大台風が発生し、農作物を根こそぎにするだろう。ところが、自然界からシールドされた室内農場なら大丈夫。それに、室内なので、害虫や菌もシャットアウトできる。つぎに、第2の最適化された人工環境。われわれは、「人工は悪で、自然が善」と思いこんでいる。たいていはアタリなのだが、農作物の場合、そうとは限らない。たとえば、薔薇(バラ)。バラは二酸化炭素濃度が高いと、色が鮮やかになることがわかっている。実際、大気中の2倍の二酸化炭素濃度で栽培するハウス栽培が普及している。

良いことずくめの植物工場だが、問題もある。たとえば、現在の植物工場は、光合成を蛍光灯で行っているが、寿命が短く、電気代も高くつく。今後は、信号機同様、LED(発光ダイオード)が主流になるだろう。寿命と消費電力で有利だからだ。一般に、光量が半分になるまでを「寿命」と呼ぶが、LEDは4万時間を経過しても70%の光量を維持する。ざっくり、他の光源の20倍の寿命である。また、消費電力も1/5~1/6。今のところ、LEDの問題は価格のみ。解決するのは時間の問題だ。やがて、「光るもの」の大半がLEDに取ってかわられるだろう。

じつは、LEDを農業に利用する試みは、すでに始まっている。石川県の能登町の赤崎いちご生産組合は、いちごの冬場の日照不足をLEDで解消しようとしている。もし、実験に成功すれば、年中いちご狩りが楽しめるわけだ。子供たちもさぞ喜ぶことだろう。もっとも、室内栽培には、照明エネルギーの他に、熱エネルギーも必要だ。たとえば、昔からあるハウス栽培は、冬育たない野菜などを、ビニールハウスで栽培する。おかげで、真冬でも生野菜が食べられるようになった。

ところが、2008年2月、このハウスもの野菜に異変が起こった。関東地区を襲った予想外の寒波で、ハウスもの野菜が20~30%も値上がりしたのだ。ハウス栽培では、室内の温度を保つために、ボイラーを使うが、燃料の重油が3年間で2倍にはね上がったのである。理不尽な原油暴騰の弊害が、こんなところにも現れている。もっとも、エネルギー問題の解決は時間の問題だろう。温暖化で地球を破壊するわ、実需とは関係なく値段は跳ね上がるわ、しかも、最後は枯渇する運命にある石油。こんなものに頼るのはバカげている。太陽光発電を使えば、ランニングコストはほぼゼロ。ただ、太陽光発電は夜間に発電できないという欠点がある。

ところが、2008年2月、太陽光発電と住宅用充電池で24時間電気代はタダ、を実現するシステムが発表された。エネルギーは無料だという事を忘れてはならない。さらに、大気成分、土壌成分、気温、湿度を農作物に最適化した家庭用植物工場があれば、災害が起ころうが、疫病が流行ろうが、安全な食料を安定生産できる。やがて、野菜に限らず、ほとんどの農作物が栽培できるようになるだろう。一家に一台、植物工場さえあれば、怪しい遺伝子組み換え作物など不要だ。今後の食料生産は、集中生産から自給自足へシフトする可能性がある。

■自給自足

ひょとすると、人間は200歳まで生きられるかもしれない。口に入れるものさえ、間違えなければ。以前、TVで110歳の女性が、長寿の秘訣を聞かれて、こう答えていた。「あんな得体の知れない化学物資が入ったものを食べてりゃ、長生きできるわけがないよ」なるほど。

ところが現実は、農薬の原液まで飲まされている。つまり、食の安全は崩壊している。我々は、インターネットやケータイのようなガラクタに夢中になり、命に関わる「食」を忘れている。食物は、口から入り、内臓のひだに触れながら、身体の真ん中をとおりぬける。こんな大それたことが許されているのは、食物か薬ぐらいだ。それを、顔の見えない生産者にゆだねる?リスクマネージメントの観点に立てば、狂気の沙汰だろう。

人類は、急増する人口に対応するため、自給自足から集中生産(工場)に移行した。その方が生産性が高いからである。ところが、テクノロジーが進歩すると、分業の必要性も薄れてきた。たとえば、太陽光発電や植物工場があれば、エネルギーも食料も自給自足できる。そうすれば、少なくとも、食の安全は確保できる。人類は、長い歴史の末に、自給自足に回帰するのかもしれない。

参考文献:日経ビジネス2008年2月18日号

by R.B

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