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週刊スモールトーク (第1話) ベネディクト万歳!?

カテゴリ : 人物歴史社会

2005.06.20

ベネディクト万歳!?

■ベネディクト16世

2005年4月、ベネディクト16世が第265代ローマ法王に選出された。「ベネディクト16世」は教皇名で、さすがに本名だと思っている人はいないだろう。就任時に選ぶこの教皇名は、代々の法王の想いが込められていて、興味深い。聖人であるから、もちろん、ヘンな名前はタブーだ。

教皇の歴史年表をみていると、おおよそパターンがみえてくる。「ヨハネ××」、「グレゴリウス××」は日本でもおなじみで、歴代の教皇名の中ではかなり多い。一方、「ベネディクト××」は日本ではなじみはないが、教皇名としては多いほうである。そもそも、「ベネディクト」はラテン語で「祝福されたもの」を意味する。どこか深~ぃ感じもする。ということで、聖なる「ベネディクト」のルーツを追ってみることにした。

■ルース・ベネディクト

日本でベネディクトといえば、「菊と刀」の著者で文化人類学者の「ルースフルトンベネディクト」が有名だ。ルース・ベネディクトの母親は宣教師で敬虔なクリスチャンだったが、ルース本人はそれを毛嫌いしていたフシがあるので、「聖なる名」とは関係なさそうだ。そもそも、ベネディクトは、彼女の結婚相手の生化学者スタンレーベネディクトからきている。

ルース・ベネディクトを有名たらしめた「菊と刀」は、第二次世界大戦中に、彼女がアメリカ政府から日本文化の研究を依頼されたことに始まる。当時、アメリカ軍は南太平洋で日本軍と戦っていたが、
「敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず」
つまり日本人を知るためであった。

彼女は、第二次世界大戦後、コロンビア大学を休職してまで「菊と刀」の執筆に没頭した。そして、1946年ついに出版にこぎつける。結果、この種の本としては、異例の大成功となった。その後、ルース・ベネディクトは日本研究の大プロジェクトを計画したが、日本の土を踏むことなく、61歳で病死している。

「菊と刀」で最も有名なのが、日本人は恥の文化で、西洋人は罪の文化というくだり。「恥の文化」は、人前で恥ずかしいことはしないが、誰も見ていなければやる。対して「罪の文化」では、罪を決める神はいつでもどこでも見ているから、人が見ていなくてもやらない。なるほど・・・

「菊と刀」は、適当につまみ食いしても、似非教養が身につく。それに、ちまたでは、「菊と刀」は日本文化論の最高の書と評判が高い。これなら、インテリ仲間の飲み会のネタにもなりそうだ。では、ちょっと一読してみるか。

しかし・・・

「菊と刀」は難解である。たいていの書は線の文だが、「菊と刀」は面の文である。400ページにもおよぶ長大な文字列は、互いに面を構成し、互いにからみ合っている。このからみをイメージしながら読み進まないと、面白さは半減する。長大な思考の連鎖が求められるわけで、読んでいてつらい。

とはいえ、「菊と刀」を読めば、ルース・ベネディクトの強靱な思考力が体験できる。それだけでも読む価値はあるというものだ。彼女は日本に一度も訪れることなく「菊と刀」を書き上げたが、一方で、アメリカ国内であらゆる調査を行っている。日本に関する様々な文献、カリフォルニアの日本人移民や日本人捕虜の話、日本で製作された映画なども調べつくしている。すさまじい集中力と執念である。

余談だが、天は彼女に二物を与えたようだ。ルース・ベネディクトはすごい美人である。かの大女優エリザベス・テーラーを少し上品にした感じ?インターネットでも見ることができるので、一見の価値あり。

■聖ベネディクトゥス

もう一人のベネディクトは、ベネディクト修道会の創始者、聖ベネディクトゥス。「ベネディクトゥス(Benedictus)」はラテン語で、その英語バージョンが「ベネディクト(Benedict)」となる。そして、この聖ベネディクトゥスこそ、西欧世界では「ヨーロッパの父」と言われるほどのビッグネームなのだ。

聖ベネディクトゥスは、歴史上の聖人の中でもとくに有名で、聖具も一つメダイにも刻まれている。「聖ベネディクトのメダイ」と呼ばれるこのメダルは、カトリック教徒が身につけるもので、古くから伝染病、毒、嵐に効果があるとされる。表面には、聖ベネディクトの姿が刻まれ、裏面には、十字架といくつかの文が刻まれている。その一つが、
「サタンよ去れ。汝の虚偽をわれに語ることなかれ」
このメダイは悪魔払いにも使われるそうである。

聖ベネディクトゥスは、480年頃、ローマに近いヌルシアで貴族の子として生まれた。その後、長じてローマに留学し、ローマの退廃ぶりに絶望したという。どういう意味の退廃か分からないが、ローマ帝国の歴史と関係がありそうだ。この頃、ローマ帝国は滅亡の混乱の中にあったからである。

教科書的にいえば、476年、ゲルマンの傭兵隊長オドアケルがローマ皇帝ロムルスを廃位に追い込み、西ローマ帝国を滅亡させた。傭兵隊長といえば、せいぜい300人程度の大隊長を思い浮かべてしまう。かつてのローマ帝国は偉大だった。歴史に燦然と輝く名将ハンニバル率いるカルタゴ軍を破り、数十万もの軍兵を擁する広大なガリアも征服した。そんな世界帝国が、一傭兵隊長によって歴史から退場させられた?歴史とは無数のパラメータに無数の力学が働く複雑な物語なのだ。

■ベネディクト修道会

ローマの退廃を嘆いた聖ベネディクトゥスは、聖人お約束の隠遁修業を行った後、モンテカッシーノで、ベネディクト修道会を創設した。この修道会は、いくつかの修道院からなり、祈りと労働をモットーとした。信者からの「ほどこし」や「おふせ」でなく、「自給自足」というのが立派だ。

穀物畑やブドウ畑、さらに道具を制作する作業所も備えていたらしい。何のためのブドウ畑かというと、これがワインを作るためだった。作ったワインで村人と物々交換したり、村人にワインの醸造法も教えたらしい。今の日本、葬式や初七日で、ビールを飲み干す坊さんをよく見かけるが、この時代、修道院とアルコール醸造を結びつけるのは難しい(イスラム教は酒は御法度なのに)。

ところが、中世イギリスを描いたTVドラマ「修道士カドフェル」を観ていると、修道院は、領主や村人と共にあり、という感じで、けっこう俗っぽい。ちなみにこのドラマでは、修道士カドフェルが、お得意の推理で、村に起こる様々な怪事件を解決していく。カドフェルはいちおう修道士なのだが、実はインテリで、宗教的奇跡など歯牙にもかけないという設定。かなりはまるドラマだ。主人公のカドフェルは、イギリスの名優デレク・ジャコビが演じていた。彼は映画「グラディエータ」にも出演していたが、なかなか味のある役者だ。

ベネディクト修道会に話をもどそう。その後も、ベネディクト修道会はヨーロッパ中に修道院を創設していった。そして、修道院の労働の中に、写本の作成を義務づけるのである。むろん、宗教書(新約聖書)が優先されたが、古代エジプト、古代ローマ、古代ギリシャの古典も書き写された。その中には、かのローマ皇帝カエサルの名著「ガリア戦記」も含まれていた。言葉に飾りがなく、明快で、どっしりとした文体には心底感動したものだが、それも修道院のおかげというわけだ。

こうして、修道士たちが写本に精を出してくれたおかげで、「ヨーロッパの知」は複数の場所に保存されていった。世界中のインターネットサーバーにバックアップするようなものである。「知の保存」という点では、修道会システムは現代のインターネットに匹敵する。コピーし分散せよ・・・やがて、それが役立つ時がやってきた。

■地球公文書館

西暦800年頃、歴史上有名なヴァイキングの侵略がはじまった。彼らは急増する人口に対処するため、狩猟採集経済や農耕牧畜経済ではなく、「略奪経済」を選んだのである。彼らには時間がなかったのだ。そういう事情は一考もされず、ヴァイキングは映画やTVでは恐怖の略奪者だ。長大な角がそそり立つ恐ろしげなヘルメットをかぶり、大刀を振り回し、村や町を襲っては、やりたい放題。もちろん、主人公がヴァイキングというのは聞いたことがない。

この「略奪経済」に大きく貢献したのがヴァイキング船である。喫水が浅く、河川も航行可能なので、内陸まで侵入することができた。さらに、堅いカシの木を用いたので、丈夫で耐久性に優れていた。彼らは、この船をたくみに操り、ヨーロッパの内陸部まで侵入し、各地を略奪、破壊したのである。その範囲は、遠くロシアにまで及んだ。この神出鬼没の軍団には、遠く離れた首都の国王軍では間に合わず、各地の領主が対処するしかなかった。その結果、国王は力を失い、地方の領主が台頭し、中央集権から封建制へと移り変わっていった。ヴァイキングは、ヨーロッパの国家の体制まで変えたのである。

こうして、ヨーロッパ世界は大損害をこうむったが、聖職者の拠点も例外ではなかった。当時のヴァイキングはキリスト教徒ではないので、聖域などなかったのだ。一方、略奪は河川周辺に限られたので、山奥の修道院は難を逃れることができた。こうして、修道院に分散コピーされたヨーロッパの知識と文化は、300年にわたるヴァイキングの破壊をしのいだのである。

聖ベネディクトが創設したベネディクト修道会は、地球の歴史の公文書館だったのである。新ローマ法王ベネディクト16世にも、そんな想いがあったのだろうか?

by R.B

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