セクシー田中さん(2)~出版社とテレビ局の本音~
■不毛のあるべき論
哲学的問題で、本当に深刻なものはひとつだけ、自殺である。~アルベール・カミユ~
「セクシー田中さん」の原作者・芦原妃名子が自殺した。
原作が改変されたことを苦に、自ら命を絶ったのだ。結果、この作品は永遠に完結せず、今後発表されたであろう新作もすべて消滅してしまった。
原作者・芦原妃名子は、死を賭して原作改変と戦った殉教者として、歴史に刻まれるだろう。誇張はしていない。20年以上、コンテンビジネスを生業にしてきて、こんな痛ましい事件ははじめてだから。
一方、事件は収束する気配がない。
しかも、論点がズレている。
原因をはぐらかし、トートツに「あるべき論」へ。
事件を業界全体の問題としてとらえるべきだというのだ。具体的には、責任は脚本家ではなく、出版社とテレビ局にあるという。
だが、根本が間違っている。
原作を改変したのは会社でなく、キーボードを叩いた人間である。それを、意思も意識もない組織に責任を転嫁して、話を終わらせようとしている。人間は責任をとるつもりがないのだろう。人が一人死んでいるのに、無責任な話だ。
こんな展開になったのは理由がある。
第一に、何か事件がおきて、熱が冷めると、個人攻撃はやめよう、と物わかりのいい話になる。個人攻撃はかわいそう、みっともない、というわけだ。人が一人死んでいるのに、悠長な話だ。そもそも、事件をおこすのは、意思も意識もない会社ではない。意思をもった人間である。仮に会社にそういう風潮があったとしても、最終的に決断し行動するのは人間なのである。
第二に、時間が経って、話が煮詰まると、業界のことを聞きかじっただけのコメンテーターの声が大きくなる。知らない者とわからない者が激論をかわした結果、問題はスパゲティのようにからみあい、解決不能になる。もっとも、彼ら彼女らは問題を解決しようと思っていない。時間とギャラを稼ぐのが目的だから。
まぁでも、それで生計を立てているのだから責められない?
そうですね。
■出版社とテレビ局の本音
この事件の本質はシンプルである。
人気漫画「セクシー田中さん」の原作者・芦原妃名子が、自ら命を絶った。原因は、原作が大きく改変されたから。
よって、問題解決も再発防止もシンプルである。
脚本家が、原作を勝手に改変しなければいい。それだけの話だ。出版社やテレビ局が脚本を書いているわけではないのだ。
そもそも、出版社とテレビ局には、原作者の「原作に忠実に」を守る動機が存在しない。
動機がなければ、組織も人間も動かない。
会社は利益を追求する組織・団体だ。
まず、出版社。
(原作の)版権を買ってもらいたいから、テレビ局に忖度(そんたく)する。当然、原作者の要望は二の次だ。
つぎに、テレビ局。
最優先事項は、視聴率がとれるドラマを作ること。だから「原作に忠実に」なんて気にもとめない。もちろん、脚本を書くのはテレビ局ではなく脚本家である。ところが、脚本家はテレビ局に忖度する。テレビ局から仕事をもらっているから当然だ。
つまりこういうこと。
出版社、テレビ局、脚本家に、原作者の「原作に忠実に」を守る動機はない。当然、原作者へのリスペクトもない。
そもそも、原作者へのリスペクトは、原作者にしか理解できない。
原作者は、何もない更地(さらち)から新しい世界を創造する。前例のないものをゼロから創るわけで、ある意味、神の領域だ。ナンバーワンではなく、オンリーワンの世界、つまり、原作者は小さなギフテッド(天才)なのだ。
一方、出版社、テレビ局といっても、実際にやるのは担当者だ。つまり人間である。
ところが、出版社、テレビ局の担当者は、会社からお給料をもっているから、会社の都合を優先する。つまり、原作者を擁護する動機はない。
中には、著作者人格権を守るべきだ、原作者へのリスペクトを忘れてはいけない、と考える担当者もいるだろう。しごく真っ当な考え方だが、行動にはうつせない。そんなことをしたら、あの野郎、カッコつけやがって、会社と原作者、どっちから給料もらってるんだ!と陰口をたたかれるだけ。
というわけで、出版社、テレビ局、担当者を責めても問題は解決しない。そもそも、脚本を書いているわけではないから。だから、ジャニーズ事件のように、世間が大騒ぎして、ルールをつくっても、何年かすれば形骸化するだろう。
この世界は、原因と結果で動く。
原因は、私利私欲であって、あるべき姿ではないのだ。この原理は、100人いれば99人が適中するだろう。
■出版社とテレビ局は本当に悪いか?
ところで、原作を改変するのは、そんな悪いこと?
原作者の承認をえれば、悪いことではない。
事実、原作を改変して、素晴らしいコンテンツが生まれることがある。
漫画とテレビドラマでは「コンテンツの文法」が違うから、当然だ。それぞれの文法にあわせて創作するほうが、合理性も高い。
この原理をテレビ局側に適用すると、面白い事実がみえてくる。
じつは、クリエーターは原作者だけではない。テレビドラマの制作者もクリエーターなのだ。だから、自分たちの思うようにドラマ化したい、原作者にあーたこーだ言われたくない、という本音がある。
であれば、話はカンタンだ。
脚本家が、原作者の承認を得て原作を改変すればいい。
脚本?
脚本はドラマの設計図で、それを元に制作されるから。あとは、原作者の承認を得ながら進めればいい。
前職で、それを実体験した。
映画化されたこともある有名な漫画を元に、遊技機の演出映像を制作した。請け負ったのは、映像とそれを表示するプログラムである(遊技機は専用のコンピュータを使用するためプログラムも必要)。そのとき、開発工程をいくつかにフェイズにわけ、フェイズごとに原作者の承認をえて進めた。それを「版元承認」とよんでいた。
だが、テレビドラマ化はルールが違うようだ。
そのためか、今回の事件では、出版社とテレビ局は役目を果たしていないと、悪者になっている。
でも、本当にそうだろうか?
原作者・芦原妃名子は、9話、10話の脚本を執筆している。1話~8話があまりに酷いので、業を煮やして、自ら書いたのだ。
この事実は重要である。
原作者の「原作に忠実に」が、出版社からテレビ局に伝わり、テレビ局が許可したのだ。原作者が勝手に脚本を書けるはずがないから。つまり、出版社とテレビ局は、土壇場で原作者の要望を叶えたわけだ。
ところが、脚本家・相沢友子は、インスタグラムで「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら、急きょ協力という形で携わることとなりました。私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします」
あからさまに不満をぶつけている。
何が問題で、どうするべきだったかは明らかだ。
脚本家が勝手に原作を改変しないこと、それにつきる。
ところで、原作を改変したら、傑作が生まれることもあるって、本当?
はい、本当です。
原作を影も形もなく大改変して、大成功した例がある。
たとえば「高い城の男」・・・ヒューゴ賞を受賞した小説を、Amazonが映像化したら、史上最高の歴史改変SFドラマが生まれたのだ。
by R.B